2025年08月09日
左膝半月板損傷から「道成寺」④

5月11日に能「蝉丸」を無事に演じられました。

能面と能装束を着けて、一曲通して演じられたことは、大きな自信になりました。
手術後二ヶ月となる5月中旬ころには、かなりスムーズに歩行できるようになってきました。
まだ、走ったり飛んだりといった激しい動きは出来ませんが、日常生活にほとんど支障はなくなってきました。
ただ、大きな問題は、いまだ長い時間正座が出来ません。能楽師としては致命的です。
そうはいってもシテを演じたのに、いつまでも舞台をお休みする訳にはいかないので、徐々に地謡や後見などでも舞台に復帰し始めました。
「蝉丸」を首尾よく演じられたので、次なる目標は「道成寺」です。
振り返れば、初演の時は4か月前から毎日稽古しました。当日まで100回以上「道成寺」を稽古しました。
さすがにそれだけ稽古すれば、ゆるぎないものが身体に備わります。
圧倒的な稽古量で、「道成寺」という難曲に挑んだものでした。
今回、「道成寺」の稽古を舞台で始めたのは、ようやく5月下旬です。「蝉丸」が終わって一息ついてから何とか「道成寺」の稽古に本格的に取り組むことが出来ました。
もちろん、膝の手術の前から「道成寺」の稽古は始めていました。1月から3月のシンガポール滞在中は時間もあったので、先輩のビデオなど見なが少しずつ動いていました。
頭の中では、何度も動いていましたが実際に舞台に上がって身体を動かして「道成寺」の稽古をすると、その過酷さにたまげます。
こんな難しい能、16年前に良く演じられたなあ。
我ながら驚きです。
「道成寺」の稽古を本格的に始めましたが、一曲通しての稽古はまだまだ出来ません。
ちょっと動いては休み、またちょっと動いては休む。その繰り返しです。
体力的にしんどいのもありますが、まだまだ膝の痛みが治まりません。
ちょっと無理して稽古すると、翌日膝痛がひどくなります。
ここで無理して、今まで順調に快復してきたものが台無しになってしまうことは避けなければなりません。
自分に「無理は禁物」「何よりも膝の快復が優先」と、言い聞かせながらブレーキをかけていました。
6月に入ると、徐々に稽古の強度を上げていきました。
膝の具合も少しずつではありますが、良くなってきている実感があります。
6月上旬に、小鼓の観世新九郎師と乱拍子のお稽古をお願いしました。
その頃は、乱拍子を通しで動くことが出来るようになっていました。
乱拍子は、制止の後に鋭い動きを繰り返します。膝への負担は相当なものです。
特に痛めている左膝を支点にする動きは、けっこう左膝にダメージがあります。
「道成寺」で一番膝に負担がかかる乱拍子を、違和感なく出来るようになり、本番への見通しが開けてきました。
6月中旬に、師匠に通しで「道成寺」のお稽古をお願いしました。
その頃には、もう一曲通して動けるようになっています。
通しで稽古しても、次の日に痛みが残ることはありません。
6月29日の本番にも、何とか間に合いそうです。
本番が違づくと、何よりも左膝のケアに努めました。
ここで痛めては何にもなりません。元の木阿弥です。
階段は、相変わらず足をそろえながら一段ずつあがり、重たいものもなるべく持たないようにしました。どこに行くにもなるべく車を使い、あまり歩かないようにつとめます。
3月中旬に手術して3ヶ月半。やっとここまできました。
思えばこの3ヶ月半、「道成寺」のことが頭から離れたことはありません。
「全ては道成寺のため」
この一心でした。
いよいよ6月29日の本番となりました。
結局、膝の状態は完璧に治ったわけではありません。
しかし、「道成寺」を演じているとき、膝の痛みを感じる瞬間はありませんでした。
私は、「膝が痛い割には頑張ってやっている道成寺」、は目指しませんでした。
「今の技量の全てを出し切って全身全霊をかけて演じる道成寺」
これを舞台で見せなければ、能楽師として失格です。
肝に銘じて舞台に臨みました。
舞台ではうまくいかなかったところは、少々ありましたが、完全燃焼できた道成寺でした。
まだまだ膝の具合は全快ではありません。
今後、元のように戻るのか分かりません。でも、この膝と一生付き合っていくしかありません。
今回、身体の不調をアツイ気持ちで払拭して、「道成寺」を首尾よく演じられたことは、大きな自信となりました。
kuwata_takashi at 21:37│Comments(0)│