2024年11月04日
「茉莉会20周年記念大会」御礼

私の社中の発表会「茉莉会」が、この度めでたく20周年を迎えました。

記念大会を、矢来能楽堂という栄えある舞台で観世喜之先生・観世喜正先生はじめ九皐会一門の方々、また日頃お世話になっているお三役の皆様の御助演をいただき、華々しく開催できました。
私がお弟子様のお稽古を始めた頃(2000年前後)から続けていらっしゃるベテランから、お稽古始めて2か月ほどの初々しい方まで、多くの社中の皆様の精一杯の舞台でした。
お客様もたくさんお運びいただきました。
特に能「小袖曾我」の前後はほぼ満席のお客様で見所(観客席)が埋め尽くされ、賑わいの中開催できました。
素謡では、重習「求塚」に挑戦した土屋能江様や、初めての習い物・準九番習の「弱法師」に挑んだ野倉幸男様をはじめ、「野宮」「源氏供養」「融」「富士太鼓」など熱演が続きました。
舞囃子は、「西王母」「敦盛」「融」「猩々」「須磨源氏」「山姥」と、盛りだくさん。
特に「西王母」「敦盛」「猩々」を演じた方は初めての舞囃子に挑戦でした。
フレッシュで溌溂とした舞台でした。
他に連吟や仕舞など、一生懸命の発表が続きます。
私は舞台上で、時にハラハラ、時にシミジミしながらでした。
また、20周年を記念して長男・潤之介(高3)と次男・大志郎(高2)に能「小袖曾我」をさせました。
本格的な能を演じるのは二人とも初めてです。
稽古に入ったのは、夏前位から。3~4か月くらいしかお稽古が出来ませんでした。
なにせ、高校生はけっこう忙しいのです。
私もあんまり家に居ないので、なかなか稽古が出来ません。
平日は、息子たちは学校行っていますし、夜は私がお弟子さんの稽古をしています。
土日は、私は舞台があって息子たちは部活動。
三人一緒に家に居るタイミングを見つけては、少しずつ稽古しました。
10月になっても、別の高校に通う兄弟がそれぞれ、文化祭や体育祭や中間試験などあって、全然時間が取れません。
忙しい合間をぬって、よく稽古したなあと我ながら思います。
10月半ばには何とか形になってきて一安心。

史実では、仇討ちを果たした時は数え年で、兄・曽我十郎は22歳、弟・曽我五郎は20歳だったそうです。数え年では19歳と18歳の息子たちは、曽我兄弟とほぼ同じ年齢です。
実の兄弟で曾我兄弟を演じるのでしたら、兄弟の母の役(ツレ)は実の親子の私が演じるしかありません。
リアル兄弟とリアル親子による能「小袖曾我」
私の能楽師人生の中でも思い出に残る舞台となりました。


仇討ちの前に、母子と兄弟で盃を交わします。能面の中でちょっとジーンときました。
二人の息子に恵まれてから、この親子三人の能「小袖曾我」を、「いつかやりたい」と夢見てきました。
その夢が叶い、感無量でした。
思い起こせば、初めて社中会「茉莉会」を開催した2005年は、長男は家内のお腹の中でした。
大きなお腹で家内が楽屋を走り回っていたものでした。
二回目の「茉莉会」の時は、次男は家内のお腹にいて、長男は家内の背中に背負われていました。
その長男が18歳、次男が17歳となり能を演じているのですから、胸が熱くなります。
それ以来20周年(20回目)です。時の移り変わりの重さを感じます。
朝10時に開演し、終演は18時45分ころ。
最後は、私の番外仕舞「天鼓」ですが、その地謡は、息子二人に謡わせました。

最後、親子三人で附祝言「高砂」にて大団円。
写真 駒井壮介
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kuwata_takashi at 23:00│Comments(0)│