取材を受けました次男 小学校卒業式

2020年03月22日

子方卒業 ヒマな土日

この春、次男は小学校を卒業します。身体も大きく、声も低くなりました。

もう、完全に子方は卒業です。

 

長男も次男も、多くの能に子方で出演しました。

 

長男の初子方は3歳。観世喜之師の「鞍馬天狗」の花見の稚児でした。

以来、29回子方を演じました。

 

次男の初子方は7歳。津村禮次郎師の「鞍馬天狗」の花見の稚児でした。

以来、27回子方を演じました。

 

それ以外にも、私の社中の発表会が年に1~2回、夏の深川八幡祭能奉納、新年謡い初めなどで、仕舞・素謡・舞囃子などで多くの舞台をつとめました。

 

年子の長男と次男。彼らが小学校に入学するころから今まで、ひっきりなしに子供の舞台が続きました。

その間、常に子供の稽古に追われる日々でした。

 

平日は、私は様々な場所でお弟子さんのお稽古をしていますし、なにより子供たちも学校がありますので、稽古は必然的に土日になります。

 

土日は、能公演に行くことが多いのですが、公演はだいたい午後から始まります。

いつしか、土日の午前中は能の稽古をする日になりました。

 

この6∼7年は、どちらかが常に子方の役や、仕舞や素謡の役がありました。

だいたい2~3ヶ月前から稽古を始めますので、いつも2つ位の役を並行して稽古していました。

 

子供は急に体調を崩します。インフルエンザなど、学校でよくもらってきます。

どちらかが急な病気やケガなどで舞台に出られないときには、もう一人がすぐに代わることが出来るように、互いの稽古の時は、もう片方にも教えていました。

 

さいわい、二人とも能の稽古が大好きでした。嫌がったことはありません。

土日は、「お父さん、早く稽古しようよ」と急かされる日々でした。

 

2人に二つずつくらいの役を稽古すると、ヘトヘトになります。気が付くと2時間位ぶっ通しで稽古することもよくありました。

その後、急いで支度して能公演に出かける日々は、大変でした。

 

そんな週末が、6~7年位続きました。

自分の稽古以上に、常に子供の稽古を気に掛ける日々でした。

 

その慌ただしい日々は終わりました。

12月に次男の最後の子方である「富士太鼓」が終わって以来、土日の朝に稽古していません。

 

でも、週末の朝、コーヒー飲みながらゆっくりと新聞を読んでいると、なんだか落ち着きません。

思えば、あの大変だった稽古の日々は、また充実した日々でもありました。

 

 

私の友人に、親子でマラソンに取り組んでいる人がいます。

親子で一緒にトレーニングして、一緒にホノルルマラソンなども走っています。

 

ある時、その友人に言いました。

「親子で共通の趣味をもって一緒に取り組んでいるって、うらやましいなあ。こっちは土日忙しいから、子供と遊んだことすらほとんどないよ」

 

友人はあきれたように言いました。

「何言ってんだ、お前の方こそうらやましいよ。親子で一緒の舞台に立つって、なかなかないぞ」

 

「でも、私のは仕事だから」

 

「親子で同じ仕事するって、凄いじゃん」

 

なるほどね。そう言えばそうですね。

そう思うと、親子で舞台に向けて稽古した日々はかけがえのない時間だったのでしょうね。

後からシミジミ思うのでしょうか。

 

まあ、今年も子方はありませんが、舞台はありますので、やはり稽古は続きます。



kuwata_takashi at 21:23│Comments(0)

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