家康くんと一緒に能を舞って囃そう追悼 藤村健師

2015年09月05日

「昭君」御礼

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9月5日(土)、緑泉会にて能「昭君」を無事に勤めました。

この能は、何といっても前半が大変です。
冒頭に出てきてから、延々と謡っています。

前シテは、写真のように老人姿で登場します。

老人の謡は、低い声で力強くゆっくりと謡います。

この能は最初の15分ほどはずっと謡いっぱなしです。老人の謡い方でこれだけの長丁場の謡はしんどかったです。

また、箒で庭を清めるなど具体的な型もあり、とにかく気をつかう前場でした。

前場の最後に、老人は「恋しい人は鏡にうつる」という言い伝えを信じて、鏡を持ってきます。

普通は、「天鼓」や「富士太鼓」に使う鞨鼓台という作り物に鏡を付けて出します。
これがかなり大きなもので、シテがほとんど隠れてしまいます。

以前「天鼓」を演じたとき、正面から見ると、ほとんどの時間すっぽりと隠れていました。

今回は、矢来能楽堂にある鏡台を使用いたしました。

写真の通り、これなら横幅がないので、シテの姿がよく見えます。

実はこの作り物、矢来能楽堂での内弟子修業中に私が作ったものです。

竹屋で竹を買ってきて、細く割いて、バーナーで熱を加えて円形に曲げて形作りました。

内弟子時代、色んな作り物を作成しましたが、鏡台はその中でも最も大掛かりなものです。
自分が作った作り物なので、愛着がありますが、今まで自分で使ったことはありませんでした。

というのも、この鏡台は、使用するのは「昭君」「松山鏡」「皇帝」くらいでしょうか。
どれも稀曲といえます。

今回、「昭君」にて初めて使う機会を得たことは、嬉しいことです。


後場は、非常にバタバタでした。

子方は、次男・大志郎(8歳)が勤めました。
今年に入って5回目の子方です。
次男もだいぶん舞台に慣れてきました。

子方の出番は、後場だけですが、今回は人手がいなかったので、能が始まる前には装束をつけて待たさせました。

暑い中、着なれない装束を着て、一時間ほどの前場の間じっと待っているのは子供にとってはツライことでしょう。

何とか待っていた次男は、出番の前に唯一つけていなかった天冠をつけて舞台へ出る予定でした。

天冠という冠は、重いので、ギリギリに着けるということになっていました。

いざ、天冠をつけようとすると、これが上手くいきません。

大人用の冠を子供につけるので少々難しいのですが、それにしても上手くおさまりませんでした。

結局、天冠は頭にのっかっているだけという危ない状態でした。

「いいか、下向いたり、頭振ったりしたら、冠が落ちるから、おとなしくしているんだよ」

そう言い聞かせて次男を舞台に出しました。

後でDVDを見たら、神妙に動いているのがほほえましかったです。

今までの雑な動きが嘘のように、丁寧に演じていました。
これはケガの功名です。

中入は、そんなこんなで後見が子方にかかりっきりだったので、シテの装束着けも遅くなりました。

かなりバタバタしながら、舞台に上がったので、少々冷静じゃなかったかなあと反省しています。

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装束の不備もあり、型が上手く決まらなかったのも残念でした。
そのへんは、少々悔いが残ります。


後場は、鏡をのぞき込んで自分の姿を見込んだりするなど、面白い型が続きます。
あえてケレン味たっぷりに演じてみました。

何せ後シテは、中国の辺境の地の王様です。
能では、野蛮な民族の大将という扱いです。

その出で立ちに、昭君の父母が恐れおののくという設定です。

思う存分暴れまわって、ワイルドに演じなければ成り立たない役柄です。

あざとくならない範囲で、思う存分暴れまわりました。

後場はあっという間だったなあというのが印象です。


子供も、さんざん待たされた挙句に出番の直前にドタバタとして、そのうえ

「動いたら冠が落ちるぞ」などとプレッシャーをかけられて、さぞかしうんざりしているかと思いきや、

「お舞台楽しかった!!!」

と喜んでいます。

次男の言葉に救われました。


kuwata_takashi at 23:00│Comments(0)TrackBack(0)

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