2015年05月28日
「能まつり」近づいてきました
私の主催公演「桑田貴志 能まつり」まで、いよいよあと3日です。
今日は、このチラシの写真で演者が持っている「碇(いかり)」についてお話します。
非常にインパクトのある持ち物です。一度見たら忘れません。
ただ、そもそも能「碇潜」にはこのような持ち物はありませんでした。
最近の考案です。
能「碇潜」のクライマックスの詞章はこうなっています。
「今はこれまで沈まんとて。鎧二領に兜二はね。なほもその身を重くなさんと。遥かなる沖の。碇の大綱えいやえいやと引き上げて。兜の上に。碇を戴き兜の上に。碇を戴きて。海底に飛んでぞ。入りにける。」
人間の身体は水に浮くようになっているので、海に身を投げるときは何か重りを身に着けるものだそうです。
そうしないと、浮かんできてしまって敵に亡き骸を取られてしまい、首を晒されてしまいます。
場合によっては生け捕りにされてしまい、武士の恥となってしまいます。
平知盛は、海に身を投げる前に、体を重くするため鎧と兜をふた組を身につけます。
原作となった平家物語では、
「見るべき程の事は見つ、今はただ自害せん」という、平家物語屈指の名台詞を述べて、「鎧二領着て・・・・・海にぞ入り給ふ」と入水したことになっています。
鎧ふた組は、大人を海に沈める重りとしては充分でしょう。
ただ、能「碇潜」の作者(残念ながら不明です)は、平知盛という人物を文字通り大人物に仕立て上げるため、鎧ふた組だけでは足りないとばかりに、碇を引き上げて頭上に担ぎ上げさせました。
「平知盛は、偉大な人物である」という人物設定として、碇を持ってきたようです。
平家物語では、平教盛・経盛が碇を担いで入水することになっています。
能の作者は、このエピソードを平知盛の入水シーンに、使ったのでしょう。
能「碇潜」では、単純に平知盛の人物設定のために碇のエピソードを持ってきたにすぎませんでした。
だから本来の能「碇潜」では、碇は詞章の中では登場しますが、実際には舞台に出てきません。
その後、能「碇潜」や「船弁慶」を翻案して、文楽・歌舞伎の「義経千本桜」の「碇知盛」の段落(「渡海屋」「大物浦」の段)がつくられたとき、「碇潜」のこの部分に注目して、実際に碇を平知盛に持たせることが考えられました。
平知盛が碇を頭上に担いで、岩からまっさかさまに落ちる(能で言うところの「仏倒れ」)クライマックスシーンは、歌舞伎の中でもインパクトの面では最大級の場面です。
平家物語には、平知盛が碇を担ぐシーンは出てきませんので、碇を担いで入水するシーンは能「碇潜」からとったエピソードでしょう。
能「碇潜」にある「兜の上に。碇を戴きて」に注目した「義経千本桜」の作者が、実際に碇を頭上に持ち上げる演出を考案したと思われます。
これは、凄い演出でした。
これがあまりにも有名になったため、「平知盛と言えば碇」が定着します。
大河ドラマなどで壇ノ浦の合戦が描かれると、平知盛は例の「見るべき程の事は見つ、今はただ自害せん」と言って、碇を担いで入水するのがお約束になっています。
これは、壇ノ浦にある平知盛の像です。
やっぱり碇を担いでいます。
これくらい有名になった「平知盛イコール碇」ですが、元は能「碇潜」の中に出てくるコトバに過ぎなかったのです。
さて、能「碇潜」は昨今様々な演出上の見直しが行われています。
歌舞伎のような「碇」を、舞台上に実際に出す演出は、その流れの中で生まれました。
能を原作とする歌舞伎はたくさんあります。
多くは、歌舞伎になると派手な演出となります。
能「碇潜」では、歌舞伎「碇知盛」で編み出された派手な演出を、能に逆輸入したという珍しいパターンです。
能って、昔から同じことをずっとやっている様に思われますが、意外に柔軟に色んな物を取り入れています。
私も、そういった先人たちの知恵を受け継いで、しっかり演じたいと思います。
kuwata_takashi at 23:58│Comments(0)│TrackBack(0)│