「百萬」申合 終了徳川家康公 400年忌

2015年04月14日

「百萬」御礼

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九皐会にて能「百萬」を無事に演じ終えました。
ご来場の皆さま、有難うございます。

この能は、ずっと演じたいと思っていました。
人気曲なので、たえず誰かが演じていたので、なかなか機会がありませんでした。

今回、親子共演という形で演じることが出来て嬉しく思います。


申合の後にも書きましたが、この能の構成は特殊です。

いきなり舞から始まります。

だいたいの能は、前半は静かな構成です。
「謡」で徐々に世界観を形作っていき、積み上がった頂点で「舞」が舞われます。

そういうリズムに慣れているので、いきなり頂点が訪れる「百萬」はちょっと「入りにくい」能でした。

狂女ものですので、基本は物狂い芸を見せます。
のっけからハイテンションで舞い狂うというのは、なかなかやりずらいです。

ただ、見ているお客様としては、いきなり見どころが訪れ、楽しさイッパイの能ではないでしょうか。

最小は戸惑ったのっけからハイテンションの能ですが、慣れてくると実はやりやすい面もあります。

感覚としては、仕舞を舞う時の感じに似ているかなあと思います。
あまり考えずにとにかく舞う。
そうすると、カラダが温まってきて、自然と狂女が演じられます。

この能は、細やかな感情の変化を表現するようなシーンはあまりありません。
狂女物らしく、物狂いの芸尽くしを見せるのが第一です。

そういう意味で、基本的な技術がものをいう能のようにも思います。

「百萬」の柱となる「車之段」「笹之段」「クセ」の三つの仕舞は、とにかく舞い込みました。
自分で納得いくまで何度も稽古したので、当日は安心して舞うことが出来ました。


またこの能は、囃子との兼ね合いが難しい個所が多々あります。

特に「車之段」「笹之段」はシテ謡も多く、また囃子との合い方が難しいので、集中して囃子を聞きながら謡いました。

少々、上手くいかないところもありましたが、まあ無事に謡えたかなあと思います。

狂女物なので、もっと伸びやかに自在に謡えればなお良いのでしょう。今後の課題です。


子方を演じた長男も、よく頑張りました。
この能の子方は、謡いも型も少ないので普通に演じるのは簡単です。

子供にとって大変なのは、能の最中、45分位動かずにじっと座っていなければならないことでしょう。
長男は、去年も「桜川」「自然居士」と、同じく45分位座り続ける能を経験しています。

やはり、経験していると違いますね。

一番余裕をもって座っていたようです。

「ようです」というのは、私は実は子供のことは全く分からなかったからです。

能面をかけていると、周りがほとんど見えません。
子方も、たまに視界に入る程度です。

まあ、目に着くとどうしても気になってしょうがないので、見えなくてかえって良いのかもしれません。

本番の舞台では、たとえ何か問題がおこっても、どうすることも出来ません。
見えない方が、自分の役に集中できます。

正直言って、私も子供のことを気にしているほど余裕がありませんでした。

そう思うと、舞台で能面をかけるというのは、色んな意味で有益なことなんだなあと感じます。


今回は、冒頭の写真の通り、良い能面と装束を着けさせて頂きました。

上に羽織る、「長絹」という上着も、下半身に履く「縫箔」も、矢来観世家の名品です。

能面は、桃山期の能面です。
これは、矢来観世家のお宝面の一つと言えるものです。

このように、良い能面と装束を着けると自然と良い舞台が勤められます。

矢来観世家の数多の先人達が、着けて「気」を吹きこんだものです。
そのオーラに身を任せれば、自ずと動きの質が変わってくるように思います。


今回は、総体的にはとても気持ち良く舞うことが出来た舞台でした。


kuwata_takashi at 23:00│Comments(0)TrackBack(0)

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