2014年08月17日
深川八幡祭 神輿連合渡御
さあ、いよいよ深川八幡祭のメインイベント、神輿連合渡御がやってきました。
お祭りの日、深川は朝が早い。
私がお神輿が納められている神酒所に行ったのは、朝3時でした。
神酒所では、ご神体であるお神輿を守るため、役員が見張りを行っています。
(実際は、見張りという名の宴会かもしれません)
これから起こるハードな神輿渡御を前に、恐ろしいことに、役員の数名はほとんど寝ていない状態で臨むのです。
私が3時に神酒所に行った理由は、神酒所の番を引き継ぐためです。
泊まり込んでいる人たちは、神輿渡御に向けて、おのおの家に帰ってシャワーを浴びて祭装束に着替えます。
3時に神酒所に行った私も、やはりあまり寝ていません。
ちなみに、他の役員の集合時間は4時半です。
しかし、せっかちな深川の人間は3時半ころからチラホラ現れます。
4時を過ぎると、かなりの人数が集まっていました。
5時をまわり、ようやく明るくなってくると、深川の町は祭一色です。
早くも祭囃子が鳴り響いています。
神酒所を出発したのは5時45分でした。
ここに帰ってくるのは恐らく午後5時過ぎでしょう。
長い一日の始まりです。
約12時間かけて、町内から富岡八幡宮に集結して、連合渡御約8キロを走破して、また町内に帰って来て、また町内を渡御します。
一日の神輿の移動距離は15~16キロほどになるようです。
深川各町から、神輿が次々に永代通りに集結します。
今日、天下の永代通りは完全封鎖です。
車より神輿が優先される街、深川ならではです。
朝6時半頃には永代通りに53基の神輿が勢ぞろいします。
東京の大動脈が、今日は祭り衆で埋め尽くされてます。
神輿の担ぎ手は、総勢3万人はいると言われます。
朝の7時半の出発の時点で、2万人近くはいるのではないでしょうか。
その光景は圧巻の一言です。
私は今回も、町会青年会の役員として、主にロープを持って交通整理と警備に当たりました。
タスキをして警備係に携わっている人間は、基本的には神輿は担げません。
ちょっと寂しい気もしますが、調子に乗って担いでいたら身体が壊れてしまうので、裏方も悪くないなあと思います。
警備で神輿と並走していると、常に神輿と共に進むことが出来ます。
神輿渡御の盛り上がりを、一番近くでずっと感じられるのです。
実は、神輿を担いでいると、前の人の頭しか見えなくて、全体は見えません。
そして、肩や腰がツラくて、神輿の盛り上がりを感じている余裕などなかったりします。
裏方の役得もあります。
深川の各町を回る連合渡御の中でも、地元の町内に入ったら担がせてもらえます。
町内の神輿なので、担ぎ手みんなにとって地元の町内です。
そこでハナ棒(先頭の棒)を担ぐ栄誉は、皆が狙っています。
その栄誉ある場所では、割りに優先させて担がせてもらえます。
上の写真は、まさに地元を渡御している写真です。
タスキした連中が、神輿の前を陣取っているのが分かるかと思います。
私は、地元町内を少し担いだだけで、クタクタになりました。
あとは、もう警備でいいや。
神輿への未練は捨て、警備に専念しました。
結局、富岡八幡宮へ帰ってくるまでの連合渡御の間、神輿を担いだのは地元町内だけでした。
私は、この神輿連合渡御に参加するのは今回で3回目です。
初めての時は、10時半から仕事があったので9時までの参加でした。
(といっても、6時の出発から、3時間位じっくり担げました)
前回は、並行して行われる、子供神輿と山車の町内渡御のため、連合渡御は途中で抜けました。
つまり、深川八幡祭名物の、神輿連合渡御に全行程で参加できたのは、今回が初めてです。
「本当に良いものだなあ」と、つくづくと感じました。
深川の祭は、別名「水かけ祭」と呼ばれます。
沿道の人が、神輿と担ぎ手に向って、水をかけるのが特徴です。
水かけによって、見ている人も祭りに参加できます。
実際、水をかけると見物の人と神輿や担ぎ手の人と、グッと距離が縮まります。
町内には、所々に水を張ったタライやポリバケツ、はたまた子供用のビニールプールなどが置いてあります。
見知らぬ人どうしでも、遠慮なく水を掛け合います。
普段は強面のおじさんも、水をかけられると、一気に笑い顔です。
水を掛け合うことで、人と人、家と家、町と町、地域と地域が結ばれていきます。
深川の結束力はこうして生まれてゆくのでしょう。
我が家の子供たちは、自宅の前を通る53基の神輿を、最初から最後まで待ち構えて、水をかけ続けていたようです。
次第に近所の子供達が集まって、我が家の前は大盛り上がりだったそうです。
神輿が通り過ぎても、子供達はまだ水をかけています。
最初は神輿に水をかけていたのですが、そのうちお互いに水掛け合って遊び始めたようです。
普段、お友達にバケツで頭から水をかけようものなら大変なことになります。
かけられた方は、大泣きか、怒って大喧嘩のどちらかでしょう。
先生や親からは大目玉のはずです。
でも今日は、お互いに水を掛け合って大はしゃぎ。
まわりで見ている、親や大人も、笑って見守っています。
子供達にとって、こんなに楽しいことはないでしょう。
とにかくお祭り期間中、笑顔であふれています。
老若男女、みんな満面の笑顔です。
笑う門には福来る。お祭りは、絶対に幸福を運んでくることでしょう。
さて、連合渡御を終えて、神輿は町内に帰ってきます。
連合渡御の最中は、神輿の進行係である睦会の人たちも、厳しい顔して大声で怒鳴り散らしていましたが、地元町内に戻ってくると、やはり顔が緩みます。
もうすぐ神輿渡御もおしまいです。
安堵と寂しさが入り混じります。
町内に帰ると、担ぎ手の家族達が神輿の周りに集まってきます。
このアットホームな雰囲気が最高です。
「あ、もうすぐお前ん家だ、ハナ棒(先頭の棒)担げよ」
「あ、あそこにお前の子供が、バケツ構えて待ってるぞ。ちょっと速度緩めるか」
「ここは、総代の誰々さんの家だ。神輿をモミサシだあ(神輿を上げ下ろしして、たたくこと)」
など、お互いの家や家族を知っているからこその一体感が出てきます。
私も、町内渡御になったら、神輿を担がせてもらいました。
それまでずっと神輿の盛り上がりを横で見ていた分、神輿に肩を入れた時の喜びは格別です。
しかも、普段歩いている地元町内です。
私の子供達も、バケツを持って神輿と並走しています。
もう、神輿警備の必要もありません。
担いでいる人も、並走している人も、沿道で見ている人も、同じ町内の、大きな家族です。
ああ、祭って楽しい。。。。。
身も心も温まった状態で、神輿渡御は終了しました。
次は、3年後です。
今日の主役だった神輿は、3年間倉庫で眠ることになります。
3年間のうち、数日しか姿を見せない神輿。
でも、それは私たち深川っ子の心の拠り所なのです。
お役目を終えて、お仮屋で佇むお神輿。
本当にお疲れ様でした。
三年後にまた会いましょう。
お祭りの日、深川は朝が早い。
私がお神輿が納められている神酒所に行ったのは、朝3時でした。
神酒所では、ご神体であるお神輿を守るため、役員が見張りを行っています。
(実際は、見張りという名の宴会かもしれません)
これから起こるハードな神輿渡御を前に、恐ろしいことに、役員の数名はほとんど寝ていない状態で臨むのです。
私が3時に神酒所に行った理由は、神酒所の番を引き継ぐためです。
泊まり込んでいる人たちは、神輿渡御に向けて、おのおの家に帰ってシャワーを浴びて祭装束に着替えます。
3時に神酒所に行った私も、やはりあまり寝ていません。
ちなみに、他の役員の集合時間は4時半です。
しかし、せっかちな深川の人間は3時半ころからチラホラ現れます。
4時を過ぎると、かなりの人数が集まっていました。
5時をまわり、ようやく明るくなってくると、深川の町は祭一色です。
早くも祭囃子が鳴り響いています。
神酒所を出発したのは5時45分でした。
ここに帰ってくるのは恐らく午後5時過ぎでしょう。
長い一日の始まりです。
約12時間かけて、町内から富岡八幡宮に集結して、連合渡御約8キロを走破して、また町内に帰って来て、また町内を渡御します。
一日の神輿の移動距離は15~16キロほどになるようです。
深川各町から、神輿が次々に永代通りに集結します。
今日、天下の永代通りは完全封鎖です。
車より神輿が優先される街、深川ならではです。
朝6時半頃には永代通りに53基の神輿が勢ぞろいします。
東京の大動脈が、今日は祭り衆で埋め尽くされてます。
神輿の担ぎ手は、総勢3万人はいると言われます。
朝の7時半の出発の時点で、2万人近くはいるのではないでしょうか。
その光景は圧巻の一言です。
私は今回も、町会青年会の役員として、主にロープを持って交通整理と警備に当たりました。
タスキをして警備係に携わっている人間は、基本的には神輿は担げません。
ちょっと寂しい気もしますが、調子に乗って担いでいたら身体が壊れてしまうので、裏方も悪くないなあと思います。
警備で神輿と並走していると、常に神輿と共に進むことが出来ます。
神輿渡御の盛り上がりを、一番近くでずっと感じられるのです。
実は、神輿を担いでいると、前の人の頭しか見えなくて、全体は見えません。
そして、肩や腰がツラくて、神輿の盛り上がりを感じている余裕などなかったりします。
裏方の役得もあります。
深川の各町を回る連合渡御の中でも、地元の町内に入ったら担がせてもらえます。
町内の神輿なので、担ぎ手みんなにとって地元の町内です。
そこでハナ棒(先頭の棒)を担ぐ栄誉は、皆が狙っています。
その栄誉ある場所では、割りに優先させて担がせてもらえます。
上の写真は、まさに地元を渡御している写真です。
タスキした連中が、神輿の前を陣取っているのが分かるかと思います。
私は、地元町内を少し担いだだけで、クタクタになりました。
あとは、もう警備でいいや。
神輿への未練は捨て、警備に専念しました。
結局、富岡八幡宮へ帰ってくるまでの連合渡御の間、神輿を担いだのは地元町内だけでした。
私は、この神輿連合渡御に参加するのは今回で3回目です。
初めての時は、10時半から仕事があったので9時までの参加でした。
(といっても、6時の出発から、3時間位じっくり担げました)
前回は、並行して行われる、子供神輿と山車の町内渡御のため、連合渡御は途中で抜けました。
つまり、深川八幡祭名物の、神輿連合渡御に全行程で参加できたのは、今回が初めてです。
「本当に良いものだなあ」と、つくづくと感じました。
深川の祭は、別名「水かけ祭」と呼ばれます。
沿道の人が、神輿と担ぎ手に向って、水をかけるのが特徴です。
水かけによって、見ている人も祭りに参加できます。
実際、水をかけると見物の人と神輿や担ぎ手の人と、グッと距離が縮まります。
町内には、所々に水を張ったタライやポリバケツ、はたまた子供用のビニールプールなどが置いてあります。
見知らぬ人どうしでも、遠慮なく水を掛け合います。
普段は強面のおじさんも、水をかけられると、一気に笑い顔です。
水を掛け合うことで、人と人、家と家、町と町、地域と地域が結ばれていきます。
深川の結束力はこうして生まれてゆくのでしょう。
我が家の子供たちは、自宅の前を通る53基の神輿を、最初から最後まで待ち構えて、水をかけ続けていたようです。
次第に近所の子供達が集まって、我が家の前は大盛り上がりだったそうです。
神輿が通り過ぎても、子供達はまだ水をかけています。
最初は神輿に水をかけていたのですが、そのうちお互いに水掛け合って遊び始めたようです。
普段、お友達にバケツで頭から水をかけようものなら大変なことになります。
かけられた方は、大泣きか、怒って大喧嘩のどちらかでしょう。
先生や親からは大目玉のはずです。
でも今日は、お互いに水を掛け合って大はしゃぎ。
まわりで見ている、親や大人も、笑って見守っています。
子供達にとって、こんなに楽しいことはないでしょう。
とにかくお祭り期間中、笑顔であふれています。
老若男女、みんな満面の笑顔です。
笑う門には福来る。お祭りは、絶対に幸福を運んでくることでしょう。
さて、連合渡御を終えて、神輿は町内に帰ってきます。
連合渡御の最中は、神輿の進行係である睦会の人たちも、厳しい顔して大声で怒鳴り散らしていましたが、地元町内に戻ってくると、やはり顔が緩みます。
もうすぐ神輿渡御もおしまいです。
安堵と寂しさが入り混じります。
町内に帰ると、担ぎ手の家族達が神輿の周りに集まってきます。
このアットホームな雰囲気が最高です。
「あ、もうすぐお前ん家だ、ハナ棒(先頭の棒)担げよ」
「あ、あそこにお前の子供が、バケツ構えて待ってるぞ。ちょっと速度緩めるか」
「ここは、総代の誰々さんの家だ。神輿をモミサシだあ(神輿を上げ下ろしして、たたくこと)」
など、お互いの家や家族を知っているからこその一体感が出てきます。
私も、町内渡御になったら、神輿を担がせてもらいました。
それまでずっと神輿の盛り上がりを横で見ていた分、神輿に肩を入れた時の喜びは格別です。
しかも、普段歩いている地元町内です。
私の子供達も、バケツを持って神輿と並走しています。
もう、神輿警備の必要もありません。
担いでいる人も、並走している人も、沿道で見ている人も、同じ町内の、大きな家族です。
ああ、祭って楽しい。。。。。
身も心も温まった状態で、神輿渡御は終了しました。
次は、3年後です。
今日の主役だった神輿は、3年間倉庫で眠ることになります。
3年間のうち、数日しか姿を見せない神輿。
でも、それは私たち深川っ子の心の拠り所なのです。
お役目を終えて、お仮屋で佇むお神輿。
本当にお疲れ様でした。
三年後にまた会いましょう。
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