2012年11月30日
ただ一人落ち行きし
11月は、本当に忙しかったです。
忙しさのあまり、演能の案内を忘れていました。
明日、緑泉会にて能「巴」を演じます。
この所のハードスケジュールで、少々体調不良です。
今日はゆっくり休んで明日に備えようと思います。
さて、「巴」と言う能は色んな意味で異色の能です。
女性を主人公とする修羅能という設定が、全ての元のような気がします。
勝修羅三番を除く全ての修羅能のシテは、死んでしまった自分が、現世に残した未練が執心となって、この世に幽霊となって現れます。
そして、その執心を晴らして貰うように、僧侶に弔いを願います。
「巴」のシテの巴御前も、幽霊となってこの世に現れるということは何らかの未練があるのでしょう。
その未練は、能の最後で語られます。
「涙と巴はただ一人落ち行きし後ろめたさの執心を弔いてたび給へ」
と僧侶に向かって合掌します。
つまり巴御前の未練とは、愛する木曾義仲やその仲間達と、一緒に死ねなかったことなのです。
他の修羅能との最大の違いは、ここにあると思います。
「死んでしまった恨み」ではなく、「生き延びてしまった後ろめたさ」
晴れぬ未練を胸に秘める巴御前。
明日は心して演じたいと思います。
忙しさのあまり、演能の案内を忘れていました。
明日、緑泉会にて能「巴」を演じます。
この所のハードスケジュールで、少々体調不良です。
今日はゆっくり休んで明日に備えようと思います。
さて、「巴」と言う能は色んな意味で異色の能です。
女性を主人公とする修羅能という設定が、全ての元のような気がします。
勝修羅三番を除く全ての修羅能のシテは、死んでしまった自分が、現世に残した未練が執心となって、この世に幽霊となって現れます。
そして、その執心を晴らして貰うように、僧侶に弔いを願います。
「巴」のシテの巴御前も、幽霊となってこの世に現れるということは何らかの未練があるのでしょう。
その未練は、能の最後で語られます。
「涙と巴はただ一人落ち行きし後ろめたさの執心を弔いてたび給へ」
と僧侶に向かって合掌します。
つまり巴御前の未練とは、愛する木曾義仲やその仲間達と、一緒に死ねなかったことなのです。
他の修羅能との最大の違いは、ここにあると思います。
「死んでしまった恨み」ではなく、「生き延びてしまった後ろめたさ」
晴れぬ未練を胸に秘める巴御前。
明日は心して演じたいと思います。
kuwata_takashi at 16:14│Comments(0)│TrackBack(0)│