2011年02月22日
伊東にて「法難」
今日は、都民劇場能の「源氏供養」の申合を午前中に終えて、伊東に急ぎました。
伊東の佛現寺というお寺で新作能「法難」がありました。
佛現寺は、日蓮聖人が1261年から3年間伊豆に流されていたときに身を寄せていたお寺だそうでしす。
日蓮は、伊豆に流され伊東のまな板岩という岩での上に降ろされます。満潮時には海に沈んでしまうこの岩の上でも、日蓮が題目を唱えていると、それに引かれるように、上原弥三郎という船頭が船で通りかかり、日蓮を助けたという言い伝えがあります。
その奇蹟を元に、日蓮宗の敬虔な信者であった故津村紀三子師が書き下ろしたのが「法難」という新作能です。
津村紀三子師は、緑泉会を作った人で、女流能楽師の草分けのような存在です。
紀三子師、またその跡取りの津村禮次郎師は、もう何度も「法難」を勤めておりますが、舞台となった佛現寺での上演は初めてのことのようです。
私は、日蓮聖人を助ける、船頭・弥三郎の役を頂戴しました。
とっても良い役です。
現地では、弥三郎は近くの蓮慶寺というお寺に祀られているほどの偉人のようです。
土地の偉人をその土地で演じさせて頂けることは、有難いことです。
少し偉くなった気がしました。
伊東の佛現寺というお寺で新作能「法難」がありました。
佛現寺は、日蓮聖人が1261年から3年間伊豆に流されていたときに身を寄せていたお寺だそうでしす。
日蓮は、伊豆に流され伊東のまな板岩という岩での上に降ろされます。満潮時には海に沈んでしまうこの岩の上でも、日蓮が題目を唱えていると、それに引かれるように、上原弥三郎という船頭が船で通りかかり、日蓮を助けたという言い伝えがあります。
その奇蹟を元に、日蓮宗の敬虔な信者であった故津村紀三子師が書き下ろしたのが「法難」という新作能です。
津村紀三子師は、緑泉会を作った人で、女流能楽師の草分けのような存在です。
紀三子師、またその跡取りの津村禮次郎師は、もう何度も「法難」を勤めておりますが、舞台となった佛現寺での上演は初めてのことのようです。
私は、日蓮聖人を助ける、船頭・弥三郎の役を頂戴しました。
とっても良い役です。
現地では、弥三郎は近くの蓮慶寺というお寺に祀られているほどの偉人のようです。
土地の偉人をその土地で演じさせて頂けることは、有難いことです。
少し偉くなった気がしました。
kuwata_takashi at 22:19│Comments(0)│TrackBack(0)│