「鵺」御礼千歳

2010年02月17日

文楽三昧

今日は、久しぶりのオフ。
「鵺」も終わって晴れ晴れと、文楽鑑賞に出かけました。

最近、文楽がひそかにお気に入り。
今月の文楽は、三部立てという豪華さ。全部見ると流石に疲れそうなので、一部と三部を見ることにしました。

第一部は、「花競四季寿」に「嬢景清八嶋日記」
「花競四季寿」は、舞踊劇。四季それぞれの舞踊を見せます。
秋の舞踊は、能から取った「関寺小町」
うーん、こういうしみじみとしたものは、文楽には合いませんね。
他の季節、春の「万才」夏の「海女」冬の「鷺娘」は堪能しました。

でも、やはり文楽の醍醐味は次の「嬢景清八嶋日記」

これは能の「景清」から取った演目です。
やはり文楽らしく、人情劇に仕上げられています。
とっても面白かったです。

第三部は、「曾根崎心中」
言わずと知れた、文楽世話物の代表作。
これが見たくて出かけたようなものです。

いやあ、面白かったです。


私は、文楽鑑賞は、ほとんど義太夫を聞きに行っているようなものです。
義太夫語りって、スゴイですね。
聞き惚れます。

力強い声の響きはもちろん。太夫の表情やしぐさも楽しめます。
一場約1時間ほどを、たくさんの人物や場面を一人で語る芸力には惚れ惚れします。

能のシテやワキや地謡を一人で全て謡いきることの困難さを考えれば、義太夫の太夫のスゴさが思い知られます。


今日、シミジミと思ったのは文楽芝居のダイナミックさです。
とにかく、これでもかというくらいクサイ芝居です。

「嬢景清八嶋日記」は、原作は能の「景清」なのですが、能と比べるとクサさは歴然です。

悪七兵衛景清の娘・糸滝(能では人丸という名)は、父に会うために自分の身を遊女屋へ売ったり、娘の本心を知った景清が誇りを捨てて敵である源頼朝に従ったりと、まあクサイ芝居です。

「曾根崎心中」は言うまでもなく、コテコテのクサさ。

しかし、それが少しの違和感もなく見ていられるのが不思議です。
たぶん、同じ芝居を人間の役者が演じたら、恥ずかしくて見てられないでしょう。
文楽を原作とする歌舞伎(丸本もの)は、さすがにこんなにコテコテしていません。

こんな恥ずかしい芝居を、人形に演じさせることで、派手に見せるダイナミックさに、感心しました。

さすが、上方によってはぐくまれた芸能ですね。
このコテコテ感が、文楽の最大の魅力でしょうね。

文楽鑑賞、クセになりそうです。


ところで、「嬢景清八嶋日記」の日向嶋の段が始まると、舞台に藁屋が現れ、中から「松門独り閉じて。年月を送り・・・・」

という景清の語りが聞こえてきます。

この辺は、能「景清」と全く同じなのですが、何か違和感が・・・

藁屋の作り物が異常にデカイのです。

能の藁屋は概ね半間(90㎝)四方ですが、文楽の藁屋の一辺は、どうみても一間半はあります。

「何で、あんなに小さい人形が入っている作り物なのに、あんなにでかいんだ?」

と思いながら、「松門独り閉じて・・・」の名調子を聞いていました。

やがて、中から景清が現れます。
小さいながらも迫力のある風体で藁屋から姿を出します。

そして景清の人形に続いて、それを動かす人形遣いが3人出てきます。

ハハハ・・・
あの藁屋の作り物の中に入っていたのは、小さな人形だけじゃあなかった。文楽人形は、三人の人形遣いによって動かされます。

大の大人が、3人も入っているからあの大きさなのですね。


kuwata_takashi at 23:16│Comments(0)TrackBack(0)

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