2006年08月25日
訃報
最近、悲しい別れに接しました。
まず、九皐会の先輩の坂 真次郎師。
私にとって、大学の先輩でもあり、公私共にお世話になりました。
九皐会に入門した時、楽屋でどうしたらいいのか分からず途方にくれている私を、さりげなくフォローして下さり、たいへん心強かったです。
もう一人は、私の鼓の師匠の鵜澤速雄先生。
7月に気合いのこもった「融」の「十三段之舞」を見ただけに、
「え!! あんなに元気だったのに……」
鵜澤先生の鼓のお稽古はたいへん厳しかったです。
お稽古に行く時は、足どりが重くて、さらには稽古場になかなか入れなくて、前を行ったり来たりしたものでした。
私が初めて自主公演「小鍛冶」をした時、鼓を打って頂きました。
「そうか、お前の会か。小鍛冶なんて打つの久々だなあ。最近、江口とか野宮とかばっかりだからなあ」
と嬉しそうにお受け下さったのは、忘れられません。
それが、最初で最後のお相手でした。
たいへんお世話になった、坂真次郎師と鵜澤速雄師。
慎んで御冥福をお祈り申し上げます。
まず、九皐会の先輩の坂 真次郎師。
私にとって、大学の先輩でもあり、公私共にお世話になりました。
九皐会に入門した時、楽屋でどうしたらいいのか分からず途方にくれている私を、さりげなくフォローして下さり、たいへん心強かったです。
もう一人は、私の鼓の師匠の鵜澤速雄先生。
7月に気合いのこもった「融」の「十三段之舞」を見ただけに、
「え!! あんなに元気だったのに……」
鵜澤先生の鼓のお稽古はたいへん厳しかったです。
お稽古に行く時は、足どりが重くて、さらには稽古場になかなか入れなくて、前を行ったり来たりしたものでした。
私が初めて自主公演「小鍛冶」をした時、鼓を打って頂きました。
「そうか、お前の会か。小鍛冶なんて打つの久々だなあ。最近、江口とか野宮とかばっかりだからなあ」
と嬉しそうにお受け下さったのは、忘れられません。
それが、最初で最後のお相手でした。
たいへんお世話になった、坂真次郎師と鵜澤速雄師。
慎んで御冥福をお祈り申し上げます。
at 08:22│