2005年10月15日
母校に錦
昨日、今日と四日市・名古屋で公演がありました。
ここのところ、毎週お泊まりの仕事。秋は忙しや。
ところで、明日はいよいよ明治大学にて能公演を行います。
いつもシテの前というのは落ち着かず、イライラするのですが、これだけ忙しいと、イライラする間もありません。
かえって自然態で望めそうです。
大学時代、私は政治経済学部でしたが、何故か日本民俗学のゼミをとっていました。
日本の祭は、能に限らず全ての芸能の原点です。その原点を見直そうと、柳田国男の「日本の祭」を勉強しました。
ゼミの担当の後藤総一郎先生は、私に能の成り立ちから現代に至るまで、いろいろ教えて下さいました。
私が能楽師になると言った時は、厳しい言葉で送り出して頂いたものです。
能楽師として独立したときは、本当に喜んで下さり、後藤先生とさらなる精進を誓いました。
その後藤総一郎先生は、2年前亡くなってしまいました。
明日、能が行われるホールは、昔ゼミ室があった建物の跡地に建てられました。
後藤先生と学んだ校舎はもうなくなってしまいました。
私の能を見ることを楽しみにしていた後藤先生に、明日の能は捧げたいと思います。
ここのところ、毎週お泊まりの仕事。秋は忙しや。
ところで、明日はいよいよ明治大学にて能公演を行います。
いつもシテの前というのは落ち着かず、イライラするのですが、これだけ忙しいと、イライラする間もありません。
かえって自然態で望めそうです。
大学時代、私は政治経済学部でしたが、何故か日本民俗学のゼミをとっていました。
日本の祭は、能に限らず全ての芸能の原点です。その原点を見直そうと、柳田国男の「日本の祭」を勉強しました。
ゼミの担当の後藤総一郎先生は、私に能の成り立ちから現代に至るまで、いろいろ教えて下さいました。
私が能楽師になると言った時は、厳しい言葉で送り出して頂いたものです。
能楽師として独立したときは、本当に喜んで下さり、後藤先生とさらなる精進を誓いました。
その後藤総一郎先生は、2年前亡くなってしまいました。
明日、能が行われるホールは、昔ゼミ室があった建物の跡地に建てられました。
後藤先生と学んだ校舎はもうなくなってしまいました。
私の能を見ることを楽しみにしていた後藤先生に、明日の能は捧げたいと思います。
at 23:50│
この記事へのコメント
1. Posted by シュウ 2005年10月16日 01:33
明日黒塚と観にいくよ!がんばって!!
2. Posted by さくら川 2005年10月16日 01:56
なんと美しい御話でしょう。
心打たれました。
16日の公演は、後藤先生が招んで下さったのかも知れませんね。
心打たれました。
16日の公演は、後藤先生が招んで下さったのかも知れませんね。