2025年07月

2025年07月30日

左膝半月板損傷から「道成寺」③

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3月21日に退院しましたが、最初は満足に歩くことも出来ません。
幸い狭い家なので、自宅の中の移動は壁やテーブルを伝いながら何とかなります。
階段は、手すりに掴まって一段ずつ足をそろえながら上り下りです。

「こんなことで、6月に道成寺が舞えるのだろうか・・・」

不安でいっぱいでした。

最初のひと月はほとんど外出しませんでした。
たまの外出は、松葉杖をついての移動です。
病院行くのに、松葉杖ついてバスに乗りました。すると、皆が席を譲ってくださいます。人の優しさが身に沁みます。

早期復帰のため、どんな厳しいリハビリでも耐え抜く覚悟でいました。
しかしお医者様が言うには、
「無理は禁物。痛いと思うことは極力避けてください」

最初のころは、座ったまま左足を曲げたり伸ばしたりといった単純な動作を朝昼晩と繰り返すだけでした。
辛いリハビリを想像していただけに何だか拍子抜けです。


退院日の3月21日が、たまたま6月29日の能まつり「道成寺」のチケット発売日でした。
道成寺はさすがに人気曲です。連日チケット申し込みがきます。

ずっと家におりますので、申し込みの方へのメールの返信や電話お問い合わせなどの対応がじっくり出来ました。
返信をしながら、肝に銘じました。

「こんなに楽しみにしてくださっている方がいる。この方たちのために良い道成寺を演じなければ」
ますます、舞台への思いが募ってきます。


4月の中頃、手術から一か月の検診に病院に行きました。
もうその頃は、松葉杖無しでもヨチヨチと歩けるようになりました。
術後の経過も異常なし。

ただ、筋力測定の結果は散々でした。
医者に「よく歩けますね」などと心配されるレベルです。

このひと月、ほぼ動いていません。かなり筋力低下しているようです。
といっても、まだまだ痛むので急激な筋トレなどもしてはいけないようです。
この頃から、近くの整形外科のリハビリ科に通い始めました。

リハビリといっても、左膝をなでたりゆっくり曲げ伸ばしするだけ。
「間に合うのかなあ」
何だか不安になってきます。


4月下旬から、お弟子様のお稽古を再開しました。
謡のお稽古は椅子に座れば問題なく出来ますが、仕舞のお稽古はまだ俊敏には動けません。
仕舞で動いていたらお弟子さんに心配される有様でした。

これではいかん。
仕舞のお稽古は、最大のリハビリです。多少痛くても、何とか一緒に動きました。


5月11日の九皐会「蝉丸」も近づいてきました。
師匠に相談して、期日が近づいてきたときの様子で「蝉丸」を演じるかどうか決めることになっておりました。
4月下旬には、腹を決めて師匠に「蝉丸」を舞う決意を申し上げました。

いきなり「道成寺」では不安です。一回舞台に立っておけば自信になると思い、まずは「蝉丸」に全力投球です。

「蝉丸」のシテ逆髪は、幸いなことに飛んだり跳ねたりといった激しい動きはありません。
クリサシクセの段落で、本来は下に長く座るのですが、そこは葛桶という床几に座らせていただきました。
舞台上で葛桶は、偉い人が座るものです。逆髪は、帝の皇女という身分の高い人だから葛桶に座ることはそんなに違和感はありません。実際に過去にそうやって演じた先輩もいらっしゃいました。

謡はずっと稽古しておりましたが、舞台で動くことが出来ません。ただひたすら頭の中でイメージトレーニングです。
4月の終わりころ、ようやく少しずつ舞台で動いて稽古し始めました。
最初の頃は、とにかく体力と筋力が著しく低下しているので、長い時間稽古できません。少し動いては休憩しながらの稽古でした。

5月になってようやく「蝉丸」を一曲通して動けるようになりました。


いよいよ5月11日、九皐会「蝉丸」です。
およそ二ヶ月ぶりに能舞台に上がりました。復帰戦がシテというのも不安が募ります

「蝉丸」は、演能レポート「蝉丸」のブログに書いた通り、無事に演じられました。
いつもより慎重に動いていたせいか、「丁寧に演じていて、良い風情だったよ」などと先輩から言われました。
文字通り、怪我の功名でした。

能「蝉丸」の最中、クリサシクセの段落で舞台中央付近で葛桶にかけます。能面の小さな目の穴から、お客様が集中して舞台をご覧になっている姿が見えてきます。

私は胸がいっぱいになりました。

「ようやく、ここに帰ってきた。ようやく・・・」

この「蝉丸」は、生涯忘れられない舞台になると思います。


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2025年07月26日

左膝半月板損傷から「道成寺」②

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全ては、6月29日の「道成寺」のために。


先生から手術の後の大まかなガイドラインを伺いました。

手術後一か月は安静にしていてください。
二ヶ月くらいでかなり動けるようになり、三ヶ月経てば激しく動けますよ。

そう聞きました。

まず、3月4月の舞台の仕事は事情を話して全てキャンセルさせていただきました。
お弟子さんの稽古も、4月下旬までお休みにしました。

一番の懸念は、5月11日九皐会の「蝉丸」のシテです。
師匠には最初は、辞退を申し入れました。

ただ2か月も先のことなので、師匠からは、今後の経過を見ながら決めれば良いと言われました。

今後どうなるかわかりませんが、とりあえず5月11日を舞台復帰戦と定め、それに向けてリハビリに励むことを決意しました。


さて、3月15日に入院して、手術日の17日まではのんびり過ごしました。
たまった事務仕事や読みかけの本など片付け、17日にいよいよ全身麻酔による手術です。

簡単な手術とはいえ、手術前はナーバスになります。
午後の手術に向かう前に、スマホを開けてメールチェックをしました。
そこで、ワキ方の殿田謙吉師の訃報を聞きました。

自身の手術直前のこのタイミングで、こんなショッキングな訃報を聞いて衝撃を受けました。

殿田さんには公私共にたいへんにお世話になりました。

私の初めての自主公演である沼津での「小鍛冶」や、「道成寺」初演などの節目節目によくお相手していただきました。
去年の第14回桑田貴志能まつり「融」のワキも殿田さんにお願いいたしました。

また地方公演のたびに、何軒もハシゴしながら一緒に飲んだものでした。
たいへんなショックを抱えながら、手術室に向かったことをよく覚えています。

ちなみに、殿田謙吉さんのお別れの会は、道成寺の6日前の6月23日に行われました。

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「道成寺」初演の時お世話になったことを感謝し、6日後の二度目の「道成寺」への決意を固めました。


手術は2時間ほどかかったようです。ただ、全身麻酔だったので、よく分かりませんでした。

3年前、鼠径ヘルニアの手術で全身麻酔による手術を経験しました。
その時はお腹を切っているので、手術後は大変でした。手術後丸一日はベットから出ることはおろか寝返りすらできない状態でした。

それに比べると、今回は左膝だけの手術なのでいろんな面で楽でした。

最初の2日間くらいは、移動は車椅子でしたが、徐々に松葉杖をついて歩けるようになりました。
お腹を切っているわけではないので、食事制限などもありません。手術の日の夜から食事も出来ました。

退院は3月21日でした。3月20日の長男の高校卒業式に参列できなかったことは残念です。

さあ自宅に帰り、5月11日「蝉丸」と6月29日「道成寺」に向けてリハビリ開始です。


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2025年07月22日

左膝半月板損傷から「道成寺」①

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「道成寺」の舞台レポートで書きましたが、3月半ばに左膝半月板損傷により、半月板切除手術を致しました。
その経過と現状をまとめます。

この一年くらい、ずっと膝の痛みに悩まされておりました。
整形外科に行き、レントゲンを撮っても特に異常なし。「正座のし過ぎによって筋肉が張っているのでしょう」と言われました。
舞台も続くので、ずっとごまかしながら過ごしていました。

行きつけの鍼灸治療で治療してもらうと、膝の痛みはかなり和らぎます。
舞台の前は、毎週のように鍼灸院に通いました。

今年の1月から2月、シンガポールの演劇学校に能の指導に行きました。若い学生たちと連日ハードな稽古を続け、膝はパンパンに痛みます。
現地では馴染みの鍼灸院に行くことが出来ません。毎日湿布を貼ってやり過ごしました。

2月の下旬に、日本に一時帰国して若竹能で「淡路」の地謡と「花筐」の後見に出演しました。
膝の痛みが、今までと明らかに違います。
特に左膝は、正座した瞬間に激痛がはしります。
歩くときも、何だか左膝に違和感があります。

これはおかしいと思い、整形外科に行き症状を話すと「半月板損傷の恐れがある」と言われました。

半月板は軟骨なのでレントゲンには写らないそうです。MRI検査をしないとわからないということで、MRIの設備のある大きな病院を紹介していただきました。

その二日後から3月上旬まで、またシンガポールに行かなければなりません。
病院の検査の予約を、シンガポールから帰国した日に取りました。6月の「道成寺」公演を考えたら、一刻も早い治療が必要です。


シンガポールでは、安座や飛び返りなどといった膝に負担のかかる型は加減して、なるべく膝をいたわりながら稽古しました。

シンガポールにいる間、インターネットで半月板損傷について色々調べました。
半月板損傷はスポーツ選手に多い症状です。自然治癒はしないので、きちんと治療しなければなりません。
治療は、損傷の程度によって保存療法と手術が選ばれます。

保存療法は、言わばごまかしながら先送りにすることです。上手くいけば日常生活が送れる程度に快復するそうです。
手術は、やはり程度によって切除と縫合の二種類あるそうです。一般的に切除手術だと快復まで3か月、縫合手術だと6ヶ月。

6月の「道成寺」のことを考えたら、短くても3か月かかる手術はリスクが大きいように思われます。
「膝にメスを入れて、もし道成寺に間に合わなかったら・・・」

保存療法でごまかせるのならその方がよいのかなあ。

ちなみに、半月板損傷の時に一番やってはいけないことは、正座だそうです。
普通の人は、正座をしなくても日常生活はできるのでしょうが、能楽師はそうはいきません。

シンガポールで悶々としながら、あれこれ考えを巡らせました。


3月7日の朝帰国し、そのまま午前中に両国の病院に行きます。
紹介していただいたこの病院の整形外科部長は、膝治療の権威だそうです。社会人のアメフトチームのチームドクターもなさっています。両国という場所がら力士の患者も多いそうです。

アメフト選手やお相撲さんを普段診ているのなら、能楽師の膝なんて簡単なものだろう。
何だか妙な安心感をもって、検査に行きました。

MRI検査の結果、やはり左膝半月板損傷でした。

6月29日に、「道成寺」という激しい動きをする能を演じることを述べたところ、手術を勧められました。
半月板損傷は自然治癒はしないので、どこかの段階で手術しなければなりません。手術すれば3か月くらいで激しい運動が出来るようになるそうです。

「今すぐ手術すれば、6月の舞台に間に合いますよ」
その言葉を信じて、手術を決断しました。

先生に無理を言って、最短の3月17日に手術をねじ込んでもらいました。そして3月15日から入院することになりました。

とにかく、6月29日の「道成寺」に間に合わせたい。

その気持ち一心で、長い治療とリハビリが始まりました。



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2025年07月19日

「道成寺」を終えて

25.06.29 能まつり (70)

今回、二度目の「道成寺」を終えて、初演時の時に書いたブログを読み返してみました。

我ながら、良いことが書いてあります。当時の熱い気持ちがよみがえってきました。

以下に引用しますので、お時間ある方はお読みいただければ幸いです。

「能まつり」ブログ 2009年4月29日 道成寺回顧①

「能まつり」ブログ 2009年4月30日 道成寺回顧②

「能まつり」ブログ 2009年5月2日 道成寺回顧③



「道成寺回顧③」の後半部分は、胸にグッときました。自分への戒めとして転載します。


「道成寺は、能楽師の卒業試験」と良く言われます。
もう、卒業したのかなあ。

そう言えば、今の気持ちって、大学の卒業式の後の気持ちに似ています。

実生活では、学校を卒業して社会に出てからが大事であると言われます。
学生時代のような甘えは許されず、自分で全て責任を持って人生を切り開いて行かなければなりません。

能楽修業も同じです。
これからが本当の勝負です。

打ち上げの席で、師匠からこう言われました。
「取りあえず、おめでとう。でも、これからが大切だよ。だいたい、『道成寺』を終えると芸が下がるから」

この言葉を胸に刻んで、これからの能楽修業に励みます。
一番一番の能を大事に思い、心を込めて勤めたいと思います。


命には終りあり、能には果てあるべからず(世阿弥)





また、もう一つ皆さんに知ってほしいことを引用します。
故18代目 中村勘三郎さんが能の「道成寺」見て某新聞に書いていた言葉を転載します。



能では、「日高の川波深淵に飛んでぞ入りにけり」と、シテは勢い良く揚幕へ飛び込んで終わります。
最後の見せ場です。それまで1時間45分位に渡って体力の限界を超えて演じてきたシテは、最後の力を振り絞って橋がかりを走り抜け、揚幕へ飛び込んでいきます。
飛び込んだ瞬間に揚幕は下ります。その後は、お客様には全く見えません。

(中略)

しかし、シテは必ずむくりと起き上がります。そして、キチンとした着地の姿勢(能の型で言うところの下居の姿勢)をとります。

何故か?
まだ能は終わってないからです。

(中略)

やっと、地謡が最後まで謡いました。さあ能は終わりました。シテはホッとして能面を外します。そして、必ず自分の姿を幕の中、すなわち鏡の間にある大きな鏡に映して、能が終わった様を確認します。

しかし、それで終わりではありません。鏡の前に座って待っています。

誰を?
ワキとワキツレが舞台から橋かかりを通って帰って来るのを待ちます。そして、鏡の間でお互いに挨拶をします。

その後、狂言方の鐘後見が鐘を下ろし、ゆっくりと鏡の間に運んできます。
時間にして5分はゆうにかかります。
シテは、その間もずっと鏡の前で待っています。
そしてやはり、狂言方とお互いに挨拶をします。

その後、鐘後見・囃子方・地謡と、共演者が続々と楽屋に帰ってきます。
共演者は、必ず鏡の間に集結して、1人1人とお互いに挨拶を交わします。

能というのは、一人で演じることは出来ません。
舞台の上に立っている人はもちろん、楽屋で働いている人達全ての力が結集されて一曲の能は成り立ちます。

ですから、終わった後は必ず、お互いに「有難うございました」と、挨拶を交わすのです。

全員と挨拶を交わして、やっと装束を脱ぐことが出来ます。
装束を脱ぐと、真っ先に師匠の元へ挨拶に出向き、その後、各楽屋を挨拶に回ります。

そこでやっと緊張も取れ、お互い労をねぎらいます。


明後日の舞台で、お客様が能を見終わった後、感想を述べながら能楽堂を後にしている時、たぶん私はまだ鏡の間で共演者と挨拶しています。

楽屋の挨拶回りが終わって、「やっと終わった・・・」としみじみと脱いだ装束の片付けをしている頃、たぶんお客様は、千駄ヶ谷の飲み屋でビールの一杯でも飲んでいるころでしょう。


これが能という演劇なのです。
「礼に始まり礼に終わる」
どんなに疲れていても、どんなにしんどくても、礼を欠かすことはありません。
それは全く当り前のことであり、そうするものであると思っているので、何の疑問も不都合もなくそうしています。
とりわけ、特別なこととも思いません。


5年前、歌舞伎座で能と歌舞伎の「道成寺」を見比べるという催しがありました。能「道成寺」を演じたのは、故・観世栄夫師。歌舞伎「京鹿子娘道成寺」を演じたのは、中村勘九郎(現勘三郎)師。

その時のことを、勘三郎さんは、某新聞にこう書いていました。

「それで驚いたのは、観世先生が終わって舞台袖に入るでしょ、面(おもて)を取ってそのまんま正座してるのよ、着替えもせずにね。何事かと思って見てたら、一緒に出ていた1人1人に「ありがとうございました」って手をついてあいさつしているんだよ。歌舞伎では終われば、すぐ楽屋に戻っちゃうじゃないですか。これは客席からでは分からないことだね。礼に始まって礼に終わるじゃないけれど、ああ、ここまでがひとつの作品、芸術なんだなって思った。本当にいいものを見せてもらいました。」

中村勘三郎師は、能「道成寺」は当然何度も見ていますが、楽屋の袖から見たのは初めてだったそうで、驚きとともに、とても良いことを新聞に書いて下さいました。

この記事を読んだ時、私は「能って、素晴らしいなあ」としみじみと思いました。


全文は、こちらです。

「能まつり」ブログ 2009年4月24日 「道成寺」後話


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2025年07月15日

「道成寺」振り返り③

25.06.29 能まつり (193)

中入は、わりに順調に着替え終わりました。
鐘が上がるまでは、不備がないか総点検です。

何か落ちていないか、紐などが垂れさがっていないか、そして正しく正面を向いているか。
少しのミスも許されません。

小書の時は、鐘が上がった時は白い装束にくるまった状態で姿を現します。

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これが、実はすごく大変でした。
実は、鐘が上がる直前まで鐘の中で様々な作業をしなくてはなりません。

それらが終わって、一瞬でこの形にならなくてはなりません。
その間は、5秒くらいでしょう。全て準備を整えた後、鐘の中で瞬時にこのスタイルになります。

これが不安でした。白い装束の中から蛇体の姿が見えていたら台無しです。完全なネタバレになってしまします。

ワキに祈られて、白い装束の中から赤い蛇体が出現するのが良いのです。

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後場は、完全にリミッター解除です。

もうここまで来たら、膝の痛みなんてどうでもよい。
膝がダメになってもいい、という覚悟で動き回りました。

緋長袴は、3年前に「葵上 空之祈」で着けたことありますのでそんなに不安はありませんでした。
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長い裾を引きづり、時に蹴り上げて動き回りました。
蹴り上げるとき、膝に負担があったはずですが、全く痛みは感じません。アドレナリンが出まくりなのでしょう。

「道成寺」にしかない、柱巻という型。
25.06.29 能まつり (264)
蛇のように、ねっとりと柱にまとわりつきました。

途中、祈られて飛び込んで膝つく型が二度ありますが、痛みは全く感じません。というか、痛いなんて感じるヒマがないといった方が正しいようです。

あれよあれよのままに、最後に揚幕の前に来ました。
幕を揚げる人にはこう伝えました。

「最後、幕際で拍子を踏みます。そしたら幕を揚げてください。その時の膝や足の状態が元気だったら飛び込むし、これはダメだと思ったらそのまますり足で幕に入ります」

幕際に来ても、元気がみなぎっています。
「よし行くぞ」
幕が上がるや否や、思い切りジャンプ。

25.06.29 能まつり (335)
長い裾をなびかせて、華麗に幕入り。


終わりました。

二度目の「道成寺」 無事終了。
精も根も尽きました。


まだ書き足りないことがあるので、次に続きます。


撮影 駒井壮介  無断転載を禁じます


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