2020年12月
2020年12月31日
御礼 2020年
大晦日となりました。今年もあと少しです。
今年は大変な年でした。
多くに舞台が中止や延期となり、能を演ずる役者として、前向きになれない日々が続きました。
私は、なぜ能をやっているのだろう。
自問自答の日々が続きます。思い出すのも辛い時間でした。
2010年から毎年行っておりました、自主公演「桑田貴志能まつり」
今年は5月30日に、観世能楽堂にて華々しく「山姥」を上演する予定でした。
残念ながら、来年5月15日に延期となりました。
悔しくて眠れない日々が続きました。
「自分の存在が、何なのか分からず震えている、15の夜」
尾崎豊さんは、デビュー曲の「15の夜」という歌で、こう歌っていました。
尾崎豊さんが15歳で感じたことを、私は48歳で身に沁みました。
私の存在って、いったい何なんだろう、、、、、
今年演じた能は、以下です。
1月31日 文化服装能「羽衣」
9月5日 緑泉会「一角仙人」
12月13日 九皐会「唐船」
3番しか演じませんでした。
文化服装能は学生鑑賞能ですので、有料の玄人会での上演は2番だけです。
ただ、どれも心に残っています。
9月の「一角仙人」は、コロナ禍以後、久しぶりのシテでした。
能舞台に上がれる喜びを、シミジミと感じました。
舞台に上がることは、決して当たり前のことではない。
このかけがえのない時を、大事にしなければならない、ってことを深く心に刻みました。
12月の「唐船」は、何といっても長男・潤之介(中学2年生)と次男・大志郎(中学1年生)と3人で舞台を演じたことが、良い思い出になりました。
二人とも、2歳ころから稽古を始めて、10年以上。
ずっと稽古を重ねてきました。
幸いなことに、素人会や玄人会が絶え間なくあり、二人とも50以上の舞台に上がりました。
来年は、とりあえず玄人会のお役の予定はありません。
「しばらくは子供の稽古もお休みかな」と思うと、嬉しいような寂しいよういな、、、、
基本的には、ポジティブな人間なので、前向きに生きていこうと思います。
明年もどうぞよろしくお願いいたします。
kuwata_takashi at 22:42|Permalink│Comments(1)│
2020年12月17日
道成寺 参詣
文化庁学校巡回公演にて、和歌山県を訪れました。
少し時間があったので、道成寺参詣しました。
能楽師の登竜門と言われる、能「道成寺」。その舞台となったこの地は、能楽師にとって聖地です。
私が初めてここを訪れたのは、大学4年生の時の卒業直前の時。
二度目は2009年に「道成寺」を披いた時。
三度目は、「道成寺」披きのお礼参り。
今回が4回目となります。
お礼参りの時に、「道成寺」の舞台写真を持っていき、奉納させていただきました。
見ると、宝物殿の中に飾られていました。
写真を見て、我ながらジーンときました。
「道成寺」披きから、この春で12年が経ちます。
時の流れの速さに驚きます。
当時の気持ちを思い出し、何とも言えない気持ちになりました。
がむしゃらに挑んでいた12年前。
その時のアツい気持ちが、今の自分にあるだろうか?
今回、その時の日記を読み返してみました。
かなりの長文ですが、気が向いたらお読みください。
道成寺詣で(1)
道成寺詣で(2)
道成寺詣で(3)
道成寺詣で(4)
道成寺詣で(5)
この気持ちを忘れずに、進んでいこうと思います。
kuwata_takashi at 22:00|Permalink│Comments(0)│
2020年12月15日
「唐船」御礼②
前回の続きです。
「唐船」はワキの名ノリに続いて、唐子(長男・潤之介と次男・大志郎)が舞台に登場します。
橋掛かりで長い謡を謡います。
「一声・サシ・下歌・上歌」 と、通常はシテの登場の後に謡われる段落の謡を、一揃い謡います。
ここの謡いは、かなり長大な分量でもあるし、何よりお囃子に合わせて謡わないといけません。
かなり難しい場面です。
今回の子供の稽古は、初めて謡本を使って行いました。
今までは、オウム返しで教えていました。聞いた通り、声を出していただけです。
今回は、二人とも中学生になったので、謡本の見方や節の説明を交えて稽古してみました。
謡本を見ることは、新鮮だったようです。
最初は戸惑っていましたが、そのうちスラスラ謡い出し、すぐ覚えてしまいました。
本当に、この記憶力がうらやましいです。
ここの場面は、稽古に時間がかかると覚悟していましたが、私が囃子をアシライながら地拍子謡を謡わせたら、案外簡単に謡っています。
地拍子謡とは、囃子に合わせて、謡を伸ばしたり寄せたりしながら謡うものです。長年謡のお稽古をしている人でも、難しいものです。なぜすんなり謡えるのか不思議です。
考えてみたら、「富士太鼓」や「望月」などでシテと一緒になら、地拍子謡で長い分量の謡を謡ったことはありますが、子供たちだけで、これだけの謡を謡ったことはありません。
そう思うと、「初めてなのに、よくもまあこんなにあっさり謡えるものだ」と感心してしまいます。
その後は、シテと日本子(佐久間瑞稀ちゃん・新井弘悠くん)の登場です。
ここも長い謡を謡います。
3人で一緒に謡う場面もチョコチョコあるので、気を遣います。子供と合わせて謡うのは難しいものです。
自分の子供以外と舞台で演じるのも久しぶりです。
自分の子供の場合、舞台に出る前に自宅で何度も合わせるので、いざ舞台になっても慌てません。
余所の子の場合は、舞台前に一緒に稽古することはほとんどないので、舞台上ではドキドキです。
申合の時は、子供の動きが気になって、謡の文句を3か所位まちがえてしまいました。
子どもたちはしっかり演じているのですが、どうしても気になります。
ただ、当日は能面を着けているので子供の姿は見えません。
これは、能面を着ける思わぬ効用です。良くも悪くも自分の世界の中で、演じなければなりません。
申合は、唐子と日本子の動きが気になって仕方ありませんでしたが、本番はほとんど気になりませんでした。
そんなこんなで、まずは自分のやるべきことをキッチリ演じることを心掛けました。
この能のクライマックスシーンはこれです。
海に身を投げようとするシテを、4人の子供が引き留める場面です。
ここも、申合はどうしても子供の動きが気になって、自分の動きを加減してしまいましたが、本番は能面を着けていると子供は全く視界に入りません。
思い切って正先に進んでいくと、子供たちが上手く引き留めてくれました。
ここは、止められなければ本当に舞台から落っこちるかの勢いで、前へ突進していました。
子供が横からくるのが全く見えなかったので、本当に止めてもらえるかどうか、ドキドキしました。
最後は、親子5人で中国への帰国を許されて、船の上で舞を舞うシーンです。
この作り物は、能の中ではかなり大掛かりなものですが、やはり狭いです。
この船の舳先で「楽」という長い舞を舞います。
舞うスペースは1メートル四方もありません。とても舞いにくいだろうなと、想像していました。
ところが、意外にスムーズに舞えました。
一畳台の上で同じ「楽」を舞う「邯鄲」の方がよほど緊張して舞いました。
「邯鄲」は、舞うスペースは畳一枚分はあるので、「唐船」の倍以上あるように思えます。
ただ実際は、四方に柱があるので動けるスペースは狭いのです。手を伸ばしたら、すぐ柱に当たってしまいます。また、気を抜いていると台から落っこちてしまいます。
「唐船」は、舞うスペースは狭いのですが、柱がないので、伸び伸びと手を動かせます。
また、枠で囲まれているので船から落ちる心配はありません。
キリ(終曲部分)になったら、横でワキも祝福の舞を舞ってくれるので、なかなか楽しく舞うことが出来ました。
それよりも、船の胴の間(畳半畳の広さしかない)に4人押し込められた子供たちが窮屈そうで気の毒でした。これは、密な空間だわ。。。 写真を見ると、長男の大口袴は外にはみ出していますね。
そんなこんなで、楽しく演じることが出来ました。
9月の「一角仙人」では叶わなかった親子3人の共演が、今回は実現しました。
3人とも装束を着る立ち役として同じ舞台に立つのは初めてです。
2人とも大きくなったので、もう子方は卒業です。これからは舞台に出るとしたら大人の役でしょう。子供達のこれからは、どうなるかわかりません。
ひょっとしたら、これが最後の親子3人共演かもしれません。
終わった後、感慨深かったです。
「唐船」はワキの名ノリに続いて、唐子(長男・潤之介と次男・大志郎)が舞台に登場します。
橋掛かりで長い謡を謡います。
「一声・サシ・下歌・上歌」 と、通常はシテの登場の後に謡われる段落の謡を、一揃い謡います。
ここの謡いは、かなり長大な分量でもあるし、何よりお囃子に合わせて謡わないといけません。
かなり難しい場面です。
今回の子供の稽古は、初めて謡本を使って行いました。
今までは、オウム返しで教えていました。聞いた通り、声を出していただけです。
今回は、二人とも中学生になったので、謡本の見方や節の説明を交えて稽古してみました。
謡本を見ることは、新鮮だったようです。
最初は戸惑っていましたが、そのうちスラスラ謡い出し、すぐ覚えてしまいました。
本当に、この記憶力がうらやましいです。
ここの場面は、稽古に時間がかかると覚悟していましたが、私が囃子をアシライながら地拍子謡を謡わせたら、案外簡単に謡っています。
地拍子謡とは、囃子に合わせて、謡を伸ばしたり寄せたりしながら謡うものです。長年謡のお稽古をしている人でも、難しいものです。なぜすんなり謡えるのか不思議です。
考えてみたら、「富士太鼓」や「望月」などでシテと一緒になら、地拍子謡で長い分量の謡を謡ったことはありますが、子供たちだけで、これだけの謡を謡ったことはありません。
そう思うと、「初めてなのに、よくもまあこんなにあっさり謡えるものだ」と感心してしまいます。
その後は、シテと日本子(佐久間瑞稀ちゃん・新井弘悠くん)の登場です。
ここも長い謡を謡います。
3人で一緒に謡う場面もチョコチョコあるので、気を遣います。子供と合わせて謡うのは難しいものです。
自分の子供以外と舞台で演じるのも久しぶりです。
自分の子供の場合、舞台に出る前に自宅で何度も合わせるので、いざ舞台になっても慌てません。
余所の子の場合は、舞台前に一緒に稽古することはほとんどないので、舞台上ではドキドキです。
申合の時は、子供の動きが気になって、謡の文句を3か所位まちがえてしまいました。
子どもたちはしっかり演じているのですが、どうしても気になります。
ただ、当日は能面を着けているので子供の姿は見えません。
これは、能面を着ける思わぬ効用です。良くも悪くも自分の世界の中で、演じなければなりません。
申合は、唐子と日本子の動きが気になって仕方ありませんでしたが、本番はほとんど気になりませんでした。
そんなこんなで、まずは自分のやるべきことをキッチリ演じることを心掛けました。
この能のクライマックスシーンはこれです。
海に身を投げようとするシテを、4人の子供が引き留める場面です。
ここも、申合はどうしても子供の動きが気になって、自分の動きを加減してしまいましたが、本番は能面を着けていると子供は全く視界に入りません。
思い切って正先に進んでいくと、子供たちが上手く引き留めてくれました。
ここは、止められなければ本当に舞台から落っこちるかの勢いで、前へ突進していました。
子供が横からくるのが全く見えなかったので、本当に止めてもらえるかどうか、ドキドキしました。
最後は、親子5人で中国への帰国を許されて、船の上で舞を舞うシーンです。
この作り物は、能の中ではかなり大掛かりなものですが、やはり狭いです。
この船の舳先で「楽」という長い舞を舞います。
舞うスペースは1メートル四方もありません。とても舞いにくいだろうなと、想像していました。
ところが、意外にスムーズに舞えました。
一畳台の上で同じ「楽」を舞う「邯鄲」の方がよほど緊張して舞いました。
「邯鄲」は、舞うスペースは畳一枚分はあるので、「唐船」の倍以上あるように思えます。
ただ実際は、四方に柱があるので動けるスペースは狭いのです。手を伸ばしたら、すぐ柱に当たってしまいます。また、気を抜いていると台から落っこちてしまいます。
「唐船」は、舞うスペースは狭いのですが、柱がないので、伸び伸びと手を動かせます。
また、枠で囲まれているので船から落ちる心配はありません。
キリ(終曲部分)になったら、横でワキも祝福の舞を舞ってくれるので、なかなか楽しく舞うことが出来ました。
それよりも、船の胴の間(畳半畳の広さしかない)に4人押し込められた子供たちが窮屈そうで気の毒でした。これは、密な空間だわ。。。 写真を見ると、長男の大口袴は外にはみ出していますね。
そんなこんなで、楽しく演じることが出来ました。
9月の「一角仙人」では叶わなかった親子3人の共演が、今回は実現しました。
3人とも装束を着る立ち役として同じ舞台に立つのは初めてです。
2人とも大きくなったので、もう子方は卒業です。これからは舞台に出るとしたら大人の役でしょう。子供達のこれからは、どうなるかわかりません。
ひょっとしたら、これが最後の親子3人共演かもしれません。
終わった後、感慨深かったです。
kuwata_takashi at 18:19|Permalink│Comments(0)│
2020年12月14日
「唐船」御礼①
観世九皐会定例会にて、「唐船」を演じました。
ご来場の皆様、厚く御礼申し上げます。
依然として収まることのない新型コロナウイルスですが、能楽の公演は、予定通りに行われるようになってきました。
政府のイベントに関する規制の指針でも、能楽や歌舞伎などの古典芸能の鑑賞はは感染リスクが低いと名指しでお墨付きをいただき、お客様も収容人数の100%入場しても良いことになっています。
演者側も、お客様側も、お互い気を付けて、楽しく能楽堂で時を過ごしていただきたいと願うばかりです。
さて、能「唐船」ですが、この能は子方が4人も登場する賑やかで楽しい能です。
父親を迎えに来る中国の子(唐子)は長男・潤之介と次男・大志郎にさせました。
そして、日本で生まれた子供(日本子)は佐久間二郎さんと新井麻衣子さんのお子様にお願いしました。
舞台にこれだけ子供がいると華やかで良いですね。
一方、私は何故か老人の格好をして出てきます。
小さな子供がいる父親ですから、普通に考えれば30代か40代くらいの設定です。
昔は40代とは老人扱いだったのでしょうか?
これは、能ではよく出てくる手法です。
「天鼓」や「昭君」でも、少年や少女の父親が老人姿で登場します。
哀れな父親を表現するためには、壮年の父親より、老人姿の方が様になるのでしょう。
今回、この出で立ちは工夫しました。
この能のシテは、前半は馬や牛の世話をする農夫の役どころで、後半は正装して子供に再会して舞を舞います。
本来、この能では前半の頭は「尉髪」という鬘を着け、物着で「唐帽子」という立派で物々しい被り物に変えます。
この頭の扮装を変えるのに、凄い時間がかかります。
また、巡りあわせの悪いことに、尉髪は、この日の一部の能「小鍛冶 白頭」で使用し、唐帽子は先月の九皐会の「天鼓」で使用しました。
装束はなるべく同じものを使用しない方が良いので、困りました。
考えた結果、「三笑」という能で使用する「淵明頭巾(えんめいずきん)」という被り物をしました。
「三笑」は中国が舞台の能です。その中でツレの陶淵明がつけるのが淵明頭巾です。
中国っぽい被り物なので、中国人の「唐船」のシテ(祖慶官人)が着けても違和感がありません。
そしてこの被り物なら、前半の農夫にも後半の正装にもどちらでも対応できます。
物着で頭を変える必要がありません。
また、上着も水衣という作業着から、法被という正装に着替えます。
これも時間がかかりますので、水衣の中に法被を着込みました。
水衣は上の写真のように袖を上げた状態で着るので、中に袖が二反分ある大ぶりの法被を着込むのは苦労しました。
法被を小さく折りたたんで、上手く見えないように着せてもらいました。
物着とは、舞台上で装束を変える手法なのですが、だいたいの能では、囃子の演奏かアイ狂言のコトバが入ります。その間に着替えるのですが、この能はどちらもなく、無音で行われます。
なるべく手早く行う必要があります。
前回兄弟子が演じた「唐船」のビデオを見ましたが、物着に5分くらい費やしています。
舞台の進行を止めて、5分も舞台上で着替えているのはいかんせん長すぎます。
今回は、上記のような工夫をしたので、1分もかからずに物着が完成しました。
なかなか良い工夫だったように思います。
また、中に着る厚板は本来は小格子という格子模様の装束を着るのが老人の姿では決まりなのですが、この小格子も一部の「小鍛冶」で使われています。
思い切って、中国っぽい柄の派手な厚板を着てみました。
この紺色の模様は、「くろふね」といいます。名前の由来は諸説ありますが、見るからに異国情緒のある模様です。
なかなか良い装束の取り合わせだったと思います。
能面は、九皐会のお宝面の一つである「阿古父尉(あこぶじょう)」を使わさせていただきました。
17世紀に活躍した能面打ち・夕閑作の古い能面です。
400年くらい前に作られた能面が、舞台で普通に使われているのが能という演劇です。
こだわった装束のことを書いているうちに、随分長くなってしまいました。
続きは、後日書きます。
ご来場の皆様、厚く御礼申し上げます。
依然として収まることのない新型コロナウイルスですが、能楽の公演は、予定通りに行われるようになってきました。
政府のイベントに関する規制の指針でも、能楽や歌舞伎などの古典芸能の鑑賞はは感染リスクが低いと名指しでお墨付きをいただき、お客様も収容人数の100%入場しても良いことになっています。
演者側も、お客様側も、お互い気を付けて、楽しく能楽堂で時を過ごしていただきたいと願うばかりです。
さて、能「唐船」ですが、この能は子方が4人も登場する賑やかで楽しい能です。
父親を迎えに来る中国の子(唐子)は長男・潤之介と次男・大志郎にさせました。
そして、日本で生まれた子供(日本子)は佐久間二郎さんと新井麻衣子さんのお子様にお願いしました。
舞台にこれだけ子供がいると華やかで良いですね。
一方、私は何故か老人の格好をして出てきます。
小さな子供がいる父親ですから、普通に考えれば30代か40代くらいの設定です。
昔は40代とは老人扱いだったのでしょうか?
これは、能ではよく出てくる手法です。
「天鼓」や「昭君」でも、少年や少女の父親が老人姿で登場します。
哀れな父親を表現するためには、壮年の父親より、老人姿の方が様になるのでしょう。
今回、この出で立ちは工夫しました。
この能のシテは、前半は馬や牛の世話をする農夫の役どころで、後半は正装して子供に再会して舞を舞います。
本来、この能では前半の頭は「尉髪」という鬘を着け、物着で「唐帽子」という立派で物々しい被り物に変えます。
この頭の扮装を変えるのに、凄い時間がかかります。
また、巡りあわせの悪いことに、尉髪は、この日の一部の能「小鍛冶 白頭」で使用し、唐帽子は先月の九皐会の「天鼓」で使用しました。
装束はなるべく同じものを使用しない方が良いので、困りました。
考えた結果、「三笑」という能で使用する「淵明頭巾(えんめいずきん)」という被り物をしました。
「三笑」は中国が舞台の能です。その中でツレの陶淵明がつけるのが淵明頭巾です。
中国っぽい被り物なので、中国人の「唐船」のシテ(祖慶官人)が着けても違和感がありません。
そしてこの被り物なら、前半の農夫にも後半の正装にもどちらでも対応できます。
物着で頭を変える必要がありません。
また、上着も水衣という作業着から、法被という正装に着替えます。
これも時間がかかりますので、水衣の中に法被を着込みました。
水衣は上の写真のように袖を上げた状態で着るので、中に袖が二反分ある大ぶりの法被を着込むのは苦労しました。
法被を小さく折りたたんで、上手く見えないように着せてもらいました。
物着とは、舞台上で装束を変える手法なのですが、だいたいの能では、囃子の演奏かアイ狂言のコトバが入ります。その間に着替えるのですが、この能はどちらもなく、無音で行われます。
なるべく手早く行う必要があります。
前回兄弟子が演じた「唐船」のビデオを見ましたが、物着に5分くらい費やしています。
舞台の進行を止めて、5分も舞台上で着替えているのはいかんせん長すぎます。
今回は、上記のような工夫をしたので、1分もかからずに物着が完成しました。
なかなか良い工夫だったように思います。
また、中に着る厚板は本来は小格子という格子模様の装束を着るのが老人の姿では決まりなのですが、この小格子も一部の「小鍛冶」で使われています。
思い切って、中国っぽい柄の派手な厚板を着てみました。
この紺色の模様は、「くろふね」といいます。名前の由来は諸説ありますが、見るからに異国情緒のある模様です。
なかなか良い装束の取り合わせだったと思います。
能面は、九皐会のお宝面の一つである「阿古父尉(あこぶじょう)」を使わさせていただきました。
17世紀に活躍した能面打ち・夕閑作の古い能面です。
400年くらい前に作られた能面が、舞台で普通に使われているのが能という演劇です。
こだわった装束のことを書いているうちに、随分長くなってしまいました。
続きは、後日書きます。
kuwata_takashi at 19:21|Permalink│Comments(0)│