2019年09月
2019年09月25日
母校にて 御礼 春日小学校
先日9月25日に母校の、福山市立春日小学校にて文化庁学校巡回公演がありました。
私はシテをさせていただきました。
いやあ、母校の小学校。久しぶりです。卒業以来ですから、36年ぶりになります。
でも、よく覚えていますね。小学校の時のことは忘れないものですね。
前日に、体験授業です。
学校に着いたときはちょうど昼休みでした。
少し校内を歩きました。いやあ懐かしい。校庭の遊具なども昔のまま。
「そうそう、ここでよくあそんだなあ」
一番好きだったところは、自然の森というところでした。
この小学校は、校内にアスレチック施設のようなものがありました。
こんな小学校、珍しいのではないでしょうか。
特に好きだったのは、ターザンロープ。
「4年生の時、ここから落ちて腕を骨折したんだっけ」
思い出はつきません。
残念ながら、今は危険ということで、この自然の森は立ち入り禁止になっているそうです。
ご時世ですね。
今は、危ない遊具は、危険を教えてルールを守って使うのではなく、なるべく近づかせないという風潮のようです。
まあ、そこで骨折した私が言うのもなんですが、何だかせっかくのアスレチック施設がもったいないと思います。骨折も、今となってはそれも良い思い出です。
さて、まずは体験授業です。
在校生の前で、私は36年前の卒業生だと言ったら驚かれました。
この学校には、弟の子供(つまり甥っ子)が去年まで在学していました。
甥っ子の名前を出すと、「ああ、あの人の叔父さんなんだ」と歓声が沸きます。
授業の最初に昔話をしました。
「この体育館は、僕が小学校2年生になるときに建てられたんだよ。それまでは木造の講堂だったんだよ」
「その時、一緒に建てられたのが、あそこにある北校舎。当時は新築でピカピカだったんだけど、40年も経つと、見る影もないねえ」
そのたびに驚かれます。
何だか、NHKで前にやっていた「課外授業 ようこそ先輩」に出演している気分です。
その後、職員室を訪ねましたが、公立の小学校ですので異動がありますので、私が知っている先生は誰もいませんでした。当たり前ですね。
「昔は、ここはこうなっていて、この辺に何々があったんですよ」
その度に先生方は、意外そうに「へええ、そうなんですか」
現役の先生方に、昔話をしている私が、何だかとてもおかしかったです。
翌日、また訪れ、いつものように舞台設営です。
思い出の小学校の体育館が、瞬く間に能楽堂になります。
始まってしまえば、普通の学校公演と変わりません。
思う存分に「土蜘蛛」のシテを演じました。
舞い終わると、何だかとても優しい気持ちになりました。
とても不思議な気分です。
上の写真で、ステージの左側に大きなレリーフがあります。
これは、私達が卒業するときに制作したものです。自分の自画像を彫刻刀で掘って飾っています。
ちょっと見ましたが、どれが私かさっぱりわかりませんでした。
それにしても卒業して36年間、ずっとこんな良い場所に私たちの卒業制作が飾ってあることに驚きます。凄い特別扱いではないですか。
終わって、校長室に挨拶に行きました。
校長先生も大喜びでした。卒業生の活躍が嬉しかったそうです。
校長室に、歴代の卒業アルバムがありました。
私の代のアルバムを開いてみると、懐かしい写真の数々。
私の小学6年生の写真です。
同行の能楽師から、ちょうど小学6年生の次男によく似ていると言われました。
うーん、そういえば似ているかも・・・
当時の同級生たちも何人か来てくれました。夜は昔の仲間が集まって大宴会。楽しい夜でした。
それにしても私は恵まれています。
14年前には、母校の明治大学で能公演をさせてもらいました。
詳しくは、こちらをご覧ください。
http://shitashimu.dreamlog.jp/archives/2005-10-15.html
http://shitashimu.dreamlog.jp/archives/2005-10-16.html
3年前には、母校の中学と高校でも能公演をさせてもらっています。
詳しくはこちらをご覧ください。
http://shitashimu.dreamlog.jp/archives/2016-10-19.html
http://shitashimu.dreamlog.jp/archives/2016-10-21.html
母校の小学校・中学校・高校・大学で全て能を演じることが出来る能楽師がどれだけいるでしょうか。
まずいないのではないでしょうか。
今の私の原点となった、それぞれの母校で能を演じられてとても幸せです。
最後に私はこんな挨拶をしました。
36年前の私は、皆さんと同じでした。つまり、能には全く縁のない小学生で、広島カープとプロレスが大好きで、ヤンチャな普通の男の子でした。後ろに当時の同級生たちが観に来ていますが、彼らもまさか私が能楽師になるなんて思いもよらなかったはずです。(同級生たちはおおいにうなずく)
そんな私が、中学・高校・大学と進んでいくうちに、能に興味を持って、能のプロになりたいと思って、一生懸命に稽古して能楽師になりました。そして卒業して36年たってこの春日小学校に戻って来て、後輩たちに能の授業をしているなんて、36年前の私には思いもよりませんでした。
それを考えると、皆さんには無限の可能性があると思います。これからどうなるかなんて誰にも分りません。これから皆さんも、中学高校と進んで、何か好きな事や興味が持てるものが出来たら、一生懸命んばってください。自分が思いもよらなかった道が開けるかも知れません。
その後、在校生から花束を頂きました。
ほっこりとした気分で母校を後にしました。
2019年09月09日
「春栄」御礼
観世九皐会定例会「春栄」、無事に終わりました。
大型の台風15号が接近し、夜にも東京上陸という天候の状況でしたので、見所にはいつもの月より空席が目立ちます。
それでも多くの方がご来場くださいました。この場を借りて御礼申し上げます。
この日は、台風が運んでくる熱波にて、30度を超す残暑の中でした。
こういう時、直面物は大変です。汗ダラダラかきながらの演技は、見苦しいので、汗をかかないように水分を控えます。
私は、あまり汗はかかないたちなので、こういう時は助かります。
さて、「春栄」という能はやることが多くて大変でした。
冒頭、笠をかぶって登場しますが、途中でその笠を自分で脱ぎ、その後また自分でかぶり、再び自分で脱ぎます。冒頭から、何とも忙しい所作が必要となります。
笠をこんなに、脱いだりかぶったりする能は、めずらしいです。
スムーズに着脱できるように、笠に少々細工をして臨みました。
後でDVDにて確認しましたが、二度目に被るとき笠が少し曲がっていたのが残念ですが、おおむねスムーズに着脱出来ました。我ながら上手く出来たと思います。
この能は、とにかく芝居がかっています。コトバが多く、緩急や強弱をつけ、芝居気タップリに演じてみました。
この様な芝居がかった能は、今まで「鉢木」「望月」「安宅」などを演じました。どれも、習物の難しい能です。場面場面での謡や所作が、とにかく難しいのです。各所で細心の注意を払って演技していたように思います。
今回の「春栄」は、それらの大曲に比べると演じやすい能です。そういう意味では、変な緊張感無く思い切って演じられたように思います。
総体的に、楽しく演じることが出来ました。
「春栄」の大変な点は、シテと子方が兄弟であることです。
次男と兄弟役を演じなければなりません。
「ずいぶん、年の離れた兄弟だねえ」
楽屋でさんざん、いじられました、
今まで、母子や父子の役柄での共演は何度もやりましたが、兄弟役は初めてです。
演じていて、つい親子のような気分になってしまいます。
やはり、親が子を見るまなざしと、兄が弟を見るまなざしは全く違います。
演じながら、兄のまなざしを忘れないように心がけました。
中ほどで、シテと子方が言い争いをする場面があります。
兄は弟と共に命を捨てたいと願い、弟は兄の命を何とかして助けたいと思うが故の言い争いです。
単なる兄弟喧嘩にならないよう、気を遣いました。
この辺のコトバのやり取りが、何とも面白い能だなとしみじみ思いました。
シテと子方が、兄弟そろって三島明神に合掌するシーンは、この能の一番の見せ場です。
処刑の直前と、能の終曲部に二度出てきます。
処刑の直前の合掌は、死を控え達観した気持ちでの合掌でしょう。
命が助かり、最後にする合掌が、三島明神への心からの感謝の気持ちです。
同じ方でも演じる心持ちは全く違います。
また、二人でそろって涙を流す型(シオリ)をする場面も、二回あります。
こういった場面は、次男と何度も稽古しました。
後にDVDで確認したところ、良い具合に出来ています。
何度も一緒に稽古した成果がでました。
このように芝居がかった能は、つい熱演してしまいます。
シテはそれでも良いのですが、子方はあまり演技をせずにまっすぐ演じなければなりません。
能の子方は、演技しないというのが建前なのです。
多分、二人して熱演を繰りひろげたら、コテコテの人情芝居になってしまい、見ていられないでしょう。
その辺の事情から、弟役をツレではなく子方にさせているのでしょう。
これは、能らしい良い演出ですね。
芝居をするのはあくまでシテであり、子方はそれを受けるだけ。
それによって、シテの苦しみや喜びが強調されて表現されるのでしょう。
能の演出って、面白いですね。
最後に喜びの舞である男舞を舞います。
私は、この男舞が大好きです。
男舞とは、直面の若い武士が颯爽と舞います。祝言の場面での喜びの舞です。
今回は、もう一番の能「三輪」で舞う神楽と後半の型が一緒なので、替の型で舞いました。
替の型により、男舞はより華やかになります。
素晴らしい囃子方の演奏に乗って、気分よく舞うことが出来ました。
今回、親子で演じた「春栄」
次男ももう小学6年生。身体も大きくなり、声も低くなり、そろそろ子方も卒業です。
ずっとやりたかった「春栄」を、演じることが出来て嬉しく思います。
残り少ない子供との共演を、楽しみたいと思います。
2019年09月03日
三島大社 参拝
昨日、安宅の関へお礼参りに出かけたことを書きましたので、今度は来る「春栄」に向けて、三島大社へ行ったことを書きます。
先日、沼津のお稽古のついでに三島大社に参拝してきました。
ちょうど、夏休みだったので、「春栄」で子方を演じる次男も連れていきました。
「春栄」は、三島市が舞台です。
能の中で、シテと子方は、処刑される前に三島明神に祈りを捧げます。
また、晴れて命が助かった後も三島明神にお礼を述べます。
物語においてとても大事な三島大社を、シテと子方とで参拝してきました。
ちょうど誰もいなかったので、この本殿の前でちょっと謡を謡いました。
「三島の宮の御利生と伏し拝み」
こう謡いながら、二人で合掌の型をしました。
能「春栄」で、最後に三島明神にお礼を言うシーンを二人で演じてみたのです。
なんと、変な親子でしょう。。。。
現在、我が家の神棚には、三島大社で購入したお守りが飾られています。
4月までは、安宅住吉神社のお守りが飾られていました。
その後6月の能まつりまでは、三井寺で購入したお札が飾られていました。
そして今は、三島明神のお守り。
忙しい神棚ですね。
「安宅」「三井寺」のように、「春栄」も上手くいくように、親子で三島大社にお祈りしておきました。
2019年09月02日
「安宅」をおもう
私はどちらも山伏の一人として出演しました。
「安宅」の上演は、4月の九皐会別会以来でした。
シテを演じてから、初めてツレの山伏を演じました。
「安宅のシテをやると、山伏をやるときに変わってくるよ」
と、よく言われました。自分の中で、実際はどうなんだろうと、ずっと思っていました。
今回、実際に演じてみて思いました。
「本当に、全然違う」
何というか、余裕があるというか、全体が見渡せるというか、、、、
色んな事が違います。
今まで、「安宅」の山伏は数多く演じました。たぶん、20~30回はやっていると思います。
この役の大変なところは、9人もの山伏(たまに7人や5人の時もある)が、統率された動きで舞台を効果的に動くことです。
約束事はたくさんあり、一曲を通して気が抜けません。
若い頃は、先輩たちの動きについて行くのに精一杯で、全く余裕はありませんでした。
最近、ようやく落ち着いて出来るようになったなあと思っていました。
シテを演じると、さらに一段階上のレベルで山伏が演じられるように思います。
今までにない感覚で、今回は演じることが出来ました。
シテをやると、より良いツレが出来る。
これも能の素晴らしさです。
そういえば7月に、文化庁の学校巡回公演で小松市に行きました。
昨年に続いて、2年連続の小松公演です。
http://shitashimu.dreamlog.jp/archives/2018-11-19.html
上記に、去年の様子が書いてあります。
「安宅」を披く前後の年に、小松市を訪問とは、何たる奇遇でしょう。
去年、願掛けのために購入した難関突破のお札を納めるために、路線バスに乗って、一人で安宅住吉神社へお礼参りに出かけました。
一年間、我が家の神棚に飾ってあったお札を、神社に納め、「安宅」の披演が無事終わったことを報告しました。
去年は「安宅」披きを控え、昂る気持ちを抑えきれずに、境内で興奮していました。
今年は、落ち着いた気持ちで参拝出来ました。
神社の端の方に、去年はなかったお洒落なカフェがあります。
その名も「安宅カフェ」
帰りの路線バスの時間まで、随分あったので一休みしました。
安宅の関の横で、海を眺めながらのんびり飲むコーヒーは格別でした。
同じ海を、800有余年前に源義経や武蔵坊弁慶たちは、どういう気持ちで眺めたのでしょうか。