2018年11月
2018年11月22日
大人の修学旅行②
まず、福井と言えば能には関係ないけど「永平寺」です。
高校時代の修学旅行以来、30年ぶりに来ました。
そう言えば、高校の同窓会を終えた次の日に、大阪から特急サンダーバードで北陸へ向かいましたが、サンダーバードに乗るのも修学旅行以来です(当時は特急雷鳥だったように記憶します)
高校時代は、仲間とワイワイガヤガヤ大騒ぎで参拝していたら、お坊さんから、
「ここは観光寺じゃないんだ。静かにしろ」
と怒鳴られてしまいました。
今回は怒られないように静かにしようと心に誓いました。
大人になって改めて「曹洞宗大本山 永平寺」に来てみると、禅宗の静かな空気感の中でとても落ち着いた気持ちになります。
こんな素敵な雰囲気に中で、大騒ぎしていた高校時代って恥ずかしいですね。
まあ、高校の修学旅行ってそんなものですかね。
今回、参拝しても見事に高校時代の記憶はありませんでした。
門前のお土産物屋さんに能面がかかっていました。
大事そうに箱に入れられて飾っています。なかなか良い能面です。
その横には、まあお土産物だろうなという能面まがいのものが飾ってあります。
その能面まがいには、「5万円」とか「18万円」とか、ええ!!とおどろく値がついています。
箱に入った能面はいくらするのか聞いてみました。
「これは本物の能面だから高いよ。100万や150万だね」
「ええええええ!!!!!」
私達が驚愕していると、
「本物の能面はこれくらいするんだよ、知らないの?」
なんて言ってきます。
私達が能楽師だなんて、思いもよらないでしょうねえ。
「特にこれは有名な能面打ちの先生だからねえ」
作者の名前を見ましたが、まったく聞いたことがありません。
当然、そのお土産物屋では何も買わずに、店を出ました。
能面って、ちまたではビックリするような値段で売られています。
もし、能面が欲しいと思ったら、能楽師に相談してください。逆に驚くぐらいリーズナブルに手に入れれます。
その後、味真野神社へ行きました。
ここは、能「花筐」の舞台となったところです。
公演には、継体天皇と照日の前の像がありました。
去年、能「花筐」を演じたので、そのお礼参りです。
水曜日は、能面美術館へ行きました。
この美術館は、池田町の山奥にひっそりとあります。
池田町は、代々の世襲の能面打ち「出目家」の出身地だそうでして、「能のさと」と呼ばれる地域です。
地域にも独自に伝わる能があり、いまだに演じ続けられているそうです。
中央の男性が、館長の桑田能忍さんです。
桑田館長は著名な能面打ちです。
福井は、能と能面を推してくださっているようです。
能公演もいろいろ行われているようです。
木曜日は、オバマ大統領で一躍有名になった小浜市。
ここは、狂言「昆布売り」で「若狭の小浜のメシの昆布」と謡われる場所です。
能公演の後、行われた狂言ワークショップでは、狂言方による「昆布売り」の体験が行われていました。
長い旅を終え、やっと東京へ帰ります。
2018年11月19日
大人の修学旅行①
月曜日はまず石川県小松市。
ここは、能「安宅」の舞台となったところです。
市を挙げて舞台となった安宅の関を推しています。
まず駅に下りると、小松市のゆるキャラが出迎えてくれます。
このキャラクターの名前が「カブッキー」なのは残念です。
世間的には、能「安宅」より、それを元に作られた歌舞伎「勧進帳」の方が有名なのですね。
このカブッキーくん、市内のいたるところにいます。
小学校でも、この通り。
午前中に能公演は終わり、午後から福井に移動しますが、その前に安宅の関で途中下車。
まずは、勧進帳を読む弁慶がお出迎えする、住吉神社へ参拝しました。
ここは、安宅の関跡にある神社です。
源義経一行が、見事に安宅の関所を突破したことから、「難関突破の神様」がいるそうです。
来年4月に「安宅」を披く私は、さっそく「難関突破」のお札を買いました。
神社に参拝すると、巫女さんが「安宅の関」の謂れを語り始めました。
18人の能楽師一行は、皆さん人が好いので、「そんなこと知ってるからいいよ」と誰も言わずに黙って聞いています。
巫女さんは、なかなか名調子で説明してくださいます。
少々講談調のその語りは、相当練習したのでしょう。聞き惚れました。
巫女さんの説明も盛り上がります。
「その時弁慶は、持ち合わせの巻物を手にこのように読みました。
~それつらつら。おもんみれば、大恩教主の秋の月は~」
なんと、勧進帳を読んで下さいました。
巫女さんも、聞いている人が18人の能楽師だなんて夢にも思わないでしょうね。
そして有名な弁慶・義経・富樫の像を見ました。
来年の披きに向けて、弁慶になりきってみました。
安宅の関を突破し、18人の能楽師一行は福井に向かいました。
2018年11月18日
高知から北陸へ
武家屋敷風の外観の高知県立美術館には、このような立派な能楽堂が併設されています。
昔から能が盛んな地域のようです。
今回は、高知の九皐会門下の方が主催する素人会のお手伝いですが、今回がなんと90周年の記念大会だそうです。いやはや、高知の能の歴史は凄いですね。
朝から「神歌」「卒都婆小町」「安宅」「大原御幸」など、大曲の素謡が続きます。
とてもレベルの高い会です。
終演後は、大宴会。
高知の美味しい海の幸をいただいて、高知を後にしました。
19時発の大阪伊丹行の飛行機に飛び乗り、大阪から特急サンダーバードにて石川県小松市を目指します。
明日から石川・福井と文化庁巡回公演で回ります。
小松に着くのは深夜12時頃。長旅です。
2018年11月17日
高校の同窓会
私が卒業した広島の高校の同窓会は、2年に一度東京で総会を行います。
東京にいる卒業生は多く、ホテルで行われるこの総会は、毎回500名程の参加者で盛り上がるそうです。
ただ、だいたい秋に開催されるので、能の公演と重なってしまいます。だから私は一度も参加したことはありません。
今回、私の学年と一つ先輩の学年が幹事学年でした。
2年前の総会のあと、同級生から相談を受けました。
「2年後の同窓会では、何かやってよ」
これは嬉しい相談です。
2年後であれば、スケジュール調整は出来ます。
有難いことに、私の仕事がない日を選んで日程を決めていただきました。
以来、同窓会のお偉方を交え、2年にわたって先輩たちと同窓会の準備をしてきました。
とはいうものの、私はたまに顔出す程度で、運営にはほとんど関わっていません。
ただ、たまに出席したときに、頼もしくなった同級生たちの姿を見て、感心したものです。
当然みんな同い年の同級生たちは、40代後半です。
それぞれ企業や社会でもまれ、イキイキとしています。
みんな、会社ではそれなりの立場になって、バリバリ働いている人たちです。
いつまでも若手能楽師である、私との違いに驚きます。
打ち合わせでは知らない横文字がバンバン出てきます。
「ドラフトまとめといて」
「ゲストのアテンドはどうする」
「パワポにまとめてください」
「オペレーションが大変だなあ」
能楽界ではまず使わない言葉がズラズラと出てきて圧倒されます。
(実は、上記の例は少しは分かる言葉です。わからない言葉は、こうして文字に書けません)
まあ、たとえば私たちが能の寸法を打ち合わせる時の
「次第段なしで、初同は下歌留め。地次第テンで南無帰命。序の舞はカカリ二段で二段は一管ツメから和合。キリは緩急あり」でお願いします。
「留めは?」
「ワキ留めで」
なんてやりとり、一般の人はまず分からないから、同じようなものかな。(イヤ、違うか)
まあ何はともあれ、そうやって迎えた今年の同窓会の東京支部の総会。
今回も500人近くの参加者で賑わいました。
例年2~3人しか参加していなかった私の同級生も35人も集まってきました。
ひと学年240人程の学校なので、かなりの出席者だと思います。
私は、冒頭に華々しく紹介されて壇上に上がり、「高砂」を謡い「石橋」を舞いました。
数々の偉い方が並ぶ中、このように能を紹介する機会を与えて下さいまして、たいへんに光栄なことです。
「石橋」ではハッスルしたので、かなり疲れました。
まあ、その後のビールが美味しかったです。
歓談中、いろいろな方が声を掛けて下さいました。
子供のころから能のお稽古を続けている90歳の方(この方は、母校の前身の学校の卒業生です)をはじめ、能を習っている、または能が好きでよく見に行くなんて方などと、色々お話ししました。
過去にTVの仕事でご一緒した人(同窓生などとは思いもよりませんでした)や、はたまた私のお弟子さんのご主人にも会いました。
そのお弟子さんのご主人には何度か会ったことあります。そういえば、福山出身という話は聞いていました。まさか高校が同じとは思いませんでした。
その方は、同窓会に出席したら、自分の妻が習っている先生がいきなり出てきてビックリしたそうです。
さらにいろいろ話してみると、なんと小学校まで同じでした。いやはや世間は狭いです。
やはり500人もいると、つながりがある人がそれなりに出てきます。
今まであったこともない人と、同窓会の場で能を通じて交流できることを嬉しく思いました。
けっこう話が盛り上がり、気が付くと総会も終わりに近づいてきました。
同級生たちと旧交を温めたかったのですが、総会の場ではあまり話が出来なかったのが残念ではあります。
まあその分、2次会3次会では、ガッツリと話しました。
みんないい年したオジサンとオバサンですが、同窓会では、一瞬で高校生に戻れるのが嬉しいですね。
最初はお互いの近況報告や仕事の話なのですが、だんだんと昔の思い出ばなしなどに移っていきます。
やはり一番盛り上がるのは、恋愛話ですね。
昔、だれが好きだっただの、あいつとあいつは実は付き合っていたとか、どこどこで告白したけどフラれた、などなど。
次々に出てきます。
高校時代って、自意識過剰で女子の前だとやたら気取っていたりしたものですが、今だとざっくばらんに話が出来ます。
甘酸っぱい思い出にひたりました。
3次会は、遅くなったので女性陣はみな帰り、残ったのは男性陣ばかり。
そうなると、今度はいわゆる下ネタで盛り上がります。
じつは、この3次会が一番楽しかったかもしれません。
遅くまで盛り上がりました。
そういえば、ずいぶん前に小学校の同窓会に出たときのことを思い出しました。
下記はその時の日記です。
http://shitashimu.dreamlog.jp/archives/2012-04-08.html
同窓会って良いものですね。
明日は始発の飛行機で高知です。はあ、つらいなあ。
2018年11月11日
「国栖」御礼
観世九皐会定例会「国栖」、無事に終わりました。
「国栖」は、謡本で見ると一見地味なのですが、とても華やかで賑やかな能です。
登場人物がバラエティー豊かにたくさん登場します。
最初に、ワキとワキツレ2人、そして清見原天皇が登場します。子供が舞台を華やかにします。
次に老人と姥が川舟に乗って登場します。大きな川舟はこの能専用の作り物です。老人と姥はこの川舟をひっくり返して、子供をその中に隠すという、見た目にも分かりやすい展開を見せます。
そこに追っ手が二人(アイ)、清見原天皇を追いかけてきます。
追っ手の二人は、槍と弓矢を持って、ユーモラスながらも鋭くシテに迫ってきます。
結果的に、シテの剣幕にびびって逃げていくという憎めない役どころです。
老人と姥が舞台から引くと、入れ替わりに天女の登場です。
「楽」という華やかな舞を見せます。
最後に、蔵王権現が登場。颯爽と待って天下泰平を寿ぎます。
盛りだくさんの内容です。
演じていて楽しかったです。
ちなみに、この能にしか出てこない川舟の作り物は、骨組みはあるのですが、布は毎回縫い張ります。
一枚の大きな切れを、そのまま包むとシワシワになるので、ヒダをとって縫い合わせ、しわが出ないように丁寧に仕上げます。
布が大きな舟を包むのに足らなかったので、他に二枚の布を継ぎ足して、さらにそれも縫い合わせます。
空いた時間でちょこちょこ作って、6時間くらいかかりました。
これも、能楽師の大事な仕事です。
さて、この盛りだくさんのこの能、久しぶりに演じていて楽しいと感じました。
前場は演劇性の高い内容なので、演じていて気持ちが高揚してきます。
前シテは老人という役柄ですが、吉野川上流の地域では名の知れた男という設定です。いわば部族を束ねる立場の存在のようです。
前シテの謡は、とにかく強くと、師匠から稽古を受けました。
申合では、かなり強く謡ったのですが、師匠からは、もっと強くとの注意。
もう当日は、かなりの強面ジジイになっていました。
後でDVDを見ると、やはりそれくらい強く謡わないと、この能は成り立たないと思いました。
狂言とのやり取りは、この能最大の見せ場です。
そこでは、狂言を脅して追い返すのですが、その時、力の限り声出してみたら、自分でも驚くような声が出ました。
「あれ、私ってこんなに声量あったっけ?」
なんだか、ひとつ殻を突き破ったような感覚でした。
ちなみにその後、お弟子さんのお稽古で同じところを謡ってみましたが、そのような声はついぞ出ていません。
あの時の声は、どうやって出したのでしょう。
あの突き破った声が、いつでも出せるようになれればよいのですが。。。
この能は、演劇的には前場でおしまいです。
後場は、舞踊を見せるだけです。
しかもこの能の後シテは、たぶん現行曲の後中で一番短いのではないでしょうか。
2~3分で終わってしまいます。
この時間なら、フルスロットルで駆け抜けていけます。
気持ちとしてはずいぶん楽でした。
自分の大きな身体を生かして、大ぶりに勢いよく動き回りました。
楽しく舞えました。
今回、次男が子方を演じました。
小学校5年生となり、徐々に変声期が差し掛かってきました。
申合では、少々苦しそうに謡っていました。
まあ、しょうがないかなと思ってみていました。
当日は、今までより少々低い音で発声していました。
すると、とても響く良い声が出ていました。
「あれ、次男ってこんな声だっけ?」
次男もひょっとしたら一皮むけたかも知れません。
これから、声の出し方も気にしながら稽古していこうと思います。
親子共々、収穫のあった舞台でした。