2017年10月
2017年10月30日
学校巡回公演「小鍛冶」
今年も、あちこちに文化庁学校巡回公演で回っています。
10月8日に九皐会で「善知鳥」を演じた後、9日から13日には京都の丹後地方を回りました。
今週は日曜日の夜から青森・函館公演です。
初日の月曜日には、能「小鍛冶」のシテを演じさせて頂きました。
8月から10月の3か月で4番目の能です。こんな頻度で能を舞うのは珍しいです。
「小鍛冶」は、思い入れのある能です。
私が初めて催した自主公演で演じたのが「小鍛冶」です。
あれは2004年の3月でした。家内の実家のある静岡県沼津市で催した自主公演でした。
何もかも初めてのことで、がむしゃらにやったのがついこの間のように思い出されます。
沼津では5回催して、「道成寺」披きを挟んで東京での自主公演「能まつり」へ移って行って、今年で8回目です。
いわば自分の原点とも言える能が「小鍛冶」なのです。
「小鍛冶」を演じるのはそれ以来。
ワキの殿田謙吉師と太鼓の小寺真佐人師は、13年前と同じです。
終演後に、そのことを話すと、二人とも覚えていてくれました。
嬉しいことです。
久しぶりの「小鍛冶」です。
この能はかなり動き回ります。
さすがに13年前と比べたら、体力落ちたなあと感じました。
それでも、年甲斐もなく動き回りました。
スカッと演じることが出来て満足です。
なんだかとっても優しい気持ちになりました。
2017年10月08日
「善知鳥」御礼
九皐会「善知鳥」、終わりました。ご来場の皆様、どうも有難うございました。
「善知鳥」は、三卑賎物と呼ばれる特殊な能です。
普通の能は、前場で謎の老人として登場しても、後場では神様になったり武将になったり貴公子になったりします。能は、だいたいはそういった特別な存在の主人公をシテとして物語を作っています。
ところが能の中で「善知鳥」「阿漕」「鵜飼」の三曲は、卑しい身分の男が生前の殺生の罪で地獄に落とされる話なのです。
「善知鳥」は鳥を捕る猟師、「阿漕」「鵜飼」は魚を捕る漁師。
いずれも生業のため仕方なく殺生を行っているのですが、能ではそういう男を容赦なく地獄へ落とします。
歴史上の人物でも、神様や天女や龍神や天狗でもなく、ごく普通の人物を演じることは、能ではとても珍しいのです。
今回、演じてみてやりにくさを感じました。
能では、例えば女性の役は静かに優しく演じる、武士の役は鋭く雅やかにに演じる、天狗の役は重厚にどっしりと演じるなどと、決められたやり方があります。
普通の人間というのは、特にやり方が決まっていません。
かなり演者の解釈に左右される役柄であるように思います。
舞台は、少々悔いの残る出来でした。
いくつか失敗がありました。
この能の「カケリ」は独特です。囃し方との兼ね合いが難しいのです。
何度も稽古して万全の状態で臨んだのですが、少々失敗してしまいました。
あんなに、気を付けたのに・・・
なんて引きづっていた訳ではないのですが、直後の笠を投げるシーンで舞台の外へ落とすという大失態をしてしまいました。
竹で編んだ笠は、けっこう空気抵抗を受けるのであまり飛びません。
舞台で使う道具なので、普段から投げて稽古するわけにはいきません。申合の時、投げてみたら思いのほか飛びません。
これは、思いっきり投げないといけないなあ。
そう思って当日は思いっきり投げたところ、力が強すぎたようです。
これなんか分かりやすいミスですが、他にも小さなミスがありました。
「善知鳥」は、難しい曲です。いつかまた挑戦したいなあと思いました。
この能は、子方が大変な能でもあります。
一時間近く、ずっと座りっぱなしです。謡は一行もありません。
今回は次男の大志郎が演じました。
申合の時は、ずいぶん痛そうに座っていました。立つ時によろけてしまいヒヤヒヤでした。
当日は、少しは慣れたようです。すんなり立てたようです。
子方の中には、「船弁慶」や「橋弁慶」など、大活躍するものもあれば、この能のように、動かずにじっと座っていなければならない役もあります。
昔から落ち着きのない次男は、じっとしているのが大の苦手。
このように動かずに座っている役は初めて挑戦します。
5月の「花筐」も動きのない役でしたが、葛桶という椅子に座っている役なので、まだ楽です。
今回は舞台に片膝を立ててじっと座っていなければなりません。
実は私はこの態勢で座るのは大の苦手。
座る役を演じる時は、憂鬱になります。
次男は、立派に座っていました。10歳の子供がなかなか出来ることではありません。
次男の成長を感じ、嬉しく思いました。