2016年08月
2016年08月23日
ここ羽田空港では、、、
立て続けに日記が更新されているので、カンの良い方は察しがついていることでしょう。
ただいま地方巡業中。恒例の文化庁巡回公演で、札幌に来ています。
公演は今日からですが、台風などの時のため、前日に札幌入りする予定でした。
今回は、それがハマりました。
3つの台風が日本列島に近づいています。月曜日は直撃という予報です。
当初は月曜日は富士宮と富士でお稽古して、最終の飛行機で札幌入りする予定でした。
日曜日の時点で、天気予報をみると、、、
間違いなく月曜日は凄いことになりそうです。
日曜日のうちに、富士宮と富士のお稽古は中止にしました。
天気予報では台風は、昼前に上陸し夕方には抜けるそうです。
ただ、夕方以降の便だと今度は札幌が暴風域にかかりそうです。
これは何としても、朝のうちの飛行機にならなければなりません。
それも、なるべく早い便が望ましい。
台風に関しては、苦い思い出があります。
以前、長崎公演の時のことです。
当日入りの予定でしたが、台風直撃が予想されるので、都合がつく人はなるべく前日に長崎入りして欲しいと主催者から連絡がありました。
前日は、外せない打ち合わせがあったので、私は「大丈夫だろう」とたかをくくって、当日入りにしました。
当日は、朝から台風で飛行機は欠航。
夕方ようやく飛んだ飛行機に乗って、かろうじてギリギリに楽屋入りという失態をしてしまいました。
それ以来、台風などが予想されるときは、自腹になっても前日入りするようにしています。
日曜日の夜、航空会社のサイトを見ると、月曜日の便はまだまだ空いています。
とにかく、月曜日は朝早く空港に行って、乗れる飛行機に乗って札幌入りしよう。
そう思い、月曜日は朝4時半に起き、5時15分のリムジンバスに乗って羽田に行きました。
バスに乗る前、航空会社のサイトで運行状況を調べてみると、、、
10時以降の飛行機は早くも欠航が決まっています。
そして、6時台7時台の飛行機には「✖」のマークがついています。
その時はあまり気にしませんでした。
新幹線の予約でも、あまりにも直前の便はネットでは予約出来ません。
「きっと、飛行機も近い時間の便はネットでは予約出来ないのかなあ」
くらいに思っていました。
10時以降は欠航か、何としても9時までの飛行機にならなくては。
バスに乗って、もう一度航空会社のサイトを見ると、8時台の飛行機に「✖」がつき、9時の便、9時半の便が残り「1」となっています。
え!!これは、、、
もう迷っていられません、すぐさま9時の便を予約しました。そうです最後の一席をギリギリ押さえました。
札幌の始発は6時20分。空港には6時前にいかなければなりません。
公共の交通機関では間に合わない人がほとんどでしょう。
「なんやかんや言っても、空港に行けば何とかなるだろう。」
まだ楽観していました。
羽田空港についたのは5時半頃。閑散とした空港を予想していました。
すると、、、、
空港は人でごった返しています。
午前の便は全て予約で埋まり、午後の便はほとんど欠航。
カウンターは長蛇の列です。
「しまった、みんな同じこと考えてるんだ」
そうです。昼前には飛行機は飛ばないことが予想されるので、みんな朝早い便を狙って空港に来ているのです。
返す返すも、さっき9時の便を予約しておいて良かったと思いましたが、まだ安心できません。
10時の便がすでに欠航が決まっています。
今後台風がスピードを速めたら、9時の便もどうなるか分かったものではありません。
「とにかく、空席待ちでも良いから、もっと前の飛行機に乗ろう。」
私は長蛇の列のカウンターに並びました。
列は全く動きません、い1時間近く並んだでしょうか。
テレビカメラがあちこちで回っています。
きっとテレビでは台風情報やっていて
「ここ、羽田空港では多くの飛行機が欠航となり、飛んでいる飛行機に乗ろうと、カウンターには長蛇の列が出来ています」
なんて放送しているんでしょう。
まさに、その状況に私はいました。
ひょっとしてどっかのニュースに映っていたかも知れません。
結局、この天候なのでキャンセルも出たようです。
7時の飛行機に乗れました。
札幌には朝の9時前には着きました。
テレビでは、羽田空港で足どめくらっている人たちが映されています。
そのニュースを、高見の見物です。
さあ、札幌にて思わぬ休日です。
何しようか、、、、
心躍りましたが、結局暴風雨に負けて、ずっとホテルにいました。
2016年08月16日
8月前半、忙し過ぎ
今年の8月前半は、怒涛のように過ぎていきました。
7月30日と31日は、地元の盆踊り。昼間は舞台の仕事をし、夜は豚バラや焼きそばを焼いていました。
8月1日は、浜松にて「ざざん座」というグループの能楽子供講座のお手伝い。
次代を担う、子供たちのうねりを、浜松からおこしていきたいと思います。
その後、富士市と沼津市のお稽古にまわり、東京に戻ったところで8月5日6日と、九皐会「歌占」の申合と本番。
疲れ果てた翌日、7日から11日まで車を運転して家族旅行。
7日は伊勢神宮にお詣りしました。
前日の九皐会で演じた「歌占」のシテは、伊勢の国二見神社の神職という設定です。
子方は、その子供という設定。
能「歌占」のラストでは、再会を果たした父子は、故郷の伊勢へ帰っていきます。
能の中で帰っていった伊勢の国に、翌日旅行に出かけました。
これは当初から決まっていた旅行です。「歌占」の舞台へ訪ねていく形となったのは、たまたまの偶然です。
でも、せっかくだから伊勢神宮に行く前に、夫婦岩で有名な二見浦の興玉神社へお詣りしました。
本来、伊勢神宮に参拝する前は、この神社で身を清めるのが正式な参拝ルートだそうです。
省略する人が多いそうですが、前日に「歌占」を演じたわれら親子が、その舞台となった地を素通りするわけにはいきません。
舞台の成功を報告し、感謝の気持ちを捧げました。
長男に、「昨日、お父さんが演じた渡会の何某は、この神社の神職だったんだよ。つまり、その子供のあなたは、ここで育ったんだよ。」
そういうと、長男も感慨深そうにしていました。
われら家族は、伊勢神宮の後、和歌山へ行きアドベンチャーワールドでパンダを見て癒されました。
そのあとは、去年に引き続き、広島へ行きました。
主な目的は、カープの試合観戦ですが、今年はじっくり平和学習もしました。
子供には原爆の悲惨さの実情をわかってもらうため事前に、「はだしのゲン」という漫画をあたえました。
私も小学校4年生の時、学級文庫にこの漫画はあり、全巻読みました。
その衝撃は、今でもありありと覚えています。
去年は、ヘビーな内容だと思っていかなかった原爆資料館にも行きました。
考えてみれば、私も小学校4年生の時に社会科見学で行っていますので、決して早いことはありません。
衝撃的な展示が続きます。
35年前に10歳の時見たときの記憶がまだあります。
子供心に、相当なインパクトを与えられました。
今回、子供たちは割りにキチンと展示を見ていました。何かを感じていたようです。
展示の最後に、人だかりが。
オバマ米大統領から贈られた折り鶴が飾られていました。
思えば、今年は現職の米大統領が、初めて広島を訪問した記念すべき年だったのです。
そういえば、オバマ大統領も伊勢から広島へ移動してきたのでした。
これも思わぬ偶然です。
11日に、広島から帰ると、12日が「深川八幡祭 能奉納」です。
家族そろって強行軍の旅行に出かけ、そろって能奉納に出演しました。
まあ、何ともタフな連中です。
翌13日は、朝8時半から、若竹会稽古能の申合です。
能は「通盛」という、厄介な演目です。
私は、何と地頭です。
地頭は、シテをやるより、ずっと大変です。
6日「歌占」、12日「羽衣」と、続けてシテを演じましたが、この日にの地頭が、精神的には一番大変でした。
13日は、それだけでもうイッパイイッパイです。
午前中で稽古能を終え、午後はゆっくり疲れを癒すつもりでしたが、子供たちがそれを許してくれません。
午後から、何と海水浴に連れて行かされました。
何てタフな子供たち・・・・・
翌14日は、子供神輿連合渡御です。
朝6時半から、子供たちの威勢のいい神輿渡御が始まります。
わが子たちも、お揃いの半纏を身にまとって、イキに担いでいます。
まわりでサポートする大人が大変です。
午後2時には終わりましたが、帰宅後さすがに疲労困憊。
精も根も尽きました。
しかし、これで終わりではありません。
翌15日。
まず、朝9時から13日に申合を行った「通盛」の本番。
この難しい能の地頭をやるなんて、完全に実力不足です。
実力は不足しているので、とにかく気持ちで謡いました。
課題は多かったですが、このハードスケジュールのなか、よくやり切ったと思います。
10時過ぎに終わると、紋付袴のまま飛び出して、富岡八幡宮へ向かいます。
8月15日は、富岡八幡宮例大祭です。
富岡八幡宮にとっては、一年で一番大事な儀式です。
能奉納をしている関係で、私も招待されています。
ほかに招待されているのは、深川の名士たちです。
この場に呼んでいただけること、大変光栄に思います。
さて、例大祭が終わると、かねてから決まっていたプライベートな買い物です。
大きな買い物でした。
疲れ果てた身体に鞭打って、良い買い物が出来ました。
15日の最後は、例年通り「深川バロン倶楽部」の奉納のお手伝いです。
神社の境内に響く、ガムランの響きと、激しいバリ舞踊。
聖獣バロンと、魔女ランダの終わりなき戦い。。
毎年、例大祭の日の夜は、「深川バロン倶楽部」です。
最近、全然練習に行っていないので、今回はほんのお手伝いです。
このように、能以外の芸能に触れることは、役者にとって良い刺激になります。
疲れ果ててましたが、楽しいひと時でした。。。
このように、今年の8月前半はこれまでにないほど大変な日々でした。
能の関係では、浜松の子供講座、「歌占」「羽衣」シテ、「深川八幡祭 能奉納」、「通盛」地頭。
家族関係では、全行程2000キロを車で回った4泊5日の家族旅行、海水浴、大きな買い物。
地域とお祭りの関係では、町会の盆踊り、子供神輿連合渡御、富岡八幡宮例大祭、梁川バロン倶楽部。
そのどれ一つとっても大変なイベントです。
それば、ここまで怒涛に押し寄せてきたことは今までにありません。
大変な日々でしたが、その分今まで経験したことないくらい充実した日々でした。
すべて終えた今、本当によくやったなあと、自分で感心します。
やはり、深川の人間はお祭りの時には特殊なアドレナリンが出るのかも知れません。
7月30日と31日は、地元の盆踊り。昼間は舞台の仕事をし、夜は豚バラや焼きそばを焼いていました。
8月1日は、浜松にて「ざざん座」というグループの能楽子供講座のお手伝い。
次代を担う、子供たちのうねりを、浜松からおこしていきたいと思います。
その後、富士市と沼津市のお稽古にまわり、東京に戻ったところで8月5日6日と、九皐会「歌占」の申合と本番。
疲れ果てた翌日、7日から11日まで車を運転して家族旅行。
7日は伊勢神宮にお詣りしました。
前日の九皐会で演じた「歌占」のシテは、伊勢の国二見神社の神職という設定です。
子方は、その子供という設定。
能「歌占」のラストでは、再会を果たした父子は、故郷の伊勢へ帰っていきます。
能の中で帰っていった伊勢の国に、翌日旅行に出かけました。
これは当初から決まっていた旅行です。「歌占」の舞台へ訪ねていく形となったのは、たまたまの偶然です。
でも、せっかくだから伊勢神宮に行く前に、夫婦岩で有名な二見浦の興玉神社へお詣りしました。
本来、伊勢神宮に参拝する前は、この神社で身を清めるのが正式な参拝ルートだそうです。
省略する人が多いそうですが、前日に「歌占」を演じたわれら親子が、その舞台となった地を素通りするわけにはいきません。
舞台の成功を報告し、感謝の気持ちを捧げました。
長男に、「昨日、お父さんが演じた渡会の何某は、この神社の神職だったんだよ。つまり、その子供のあなたは、ここで育ったんだよ。」
そういうと、長男も感慨深そうにしていました。
われら家族は、伊勢神宮の後、和歌山へ行きアドベンチャーワールドでパンダを見て癒されました。
そのあとは、去年に引き続き、広島へ行きました。
主な目的は、カープの試合観戦ですが、今年はじっくり平和学習もしました。
子供には原爆の悲惨さの実情をわかってもらうため事前に、「はだしのゲン」という漫画をあたえました。
私も小学校4年生の時、学級文庫にこの漫画はあり、全巻読みました。
その衝撃は、今でもありありと覚えています。
去年は、ヘビーな内容だと思っていかなかった原爆資料館にも行きました。
考えてみれば、私も小学校4年生の時に社会科見学で行っていますので、決して早いことはありません。
衝撃的な展示が続きます。
35年前に10歳の時見たときの記憶がまだあります。
子供心に、相当なインパクトを与えられました。
今回、子供たちは割りにキチンと展示を見ていました。何かを感じていたようです。
展示の最後に、人だかりが。
オバマ米大統領から贈られた折り鶴が飾られていました。
思えば、今年は現職の米大統領が、初めて広島を訪問した記念すべき年だったのです。
そういえば、オバマ大統領も伊勢から広島へ移動してきたのでした。
これも思わぬ偶然です。
11日に、広島から帰ると、12日が「深川八幡祭 能奉納」です。
家族そろって強行軍の旅行に出かけ、そろって能奉納に出演しました。
まあ、何ともタフな連中です。
翌13日は、朝8時半から、若竹会稽古能の申合です。
能は「通盛」という、厄介な演目です。
私は、何と地頭です。
地頭は、シテをやるより、ずっと大変です。
6日「歌占」、12日「羽衣」と、続けてシテを演じましたが、この日にの地頭が、精神的には一番大変でした。
13日は、それだけでもうイッパイイッパイです。
午前中で稽古能を終え、午後はゆっくり疲れを癒すつもりでしたが、子供たちがそれを許してくれません。
午後から、何と海水浴に連れて行かされました。
何てタフな子供たち・・・・・
翌14日は、子供神輿連合渡御です。
朝6時半から、子供たちの威勢のいい神輿渡御が始まります。
わが子たちも、お揃いの半纏を身にまとって、イキに担いでいます。
まわりでサポートする大人が大変です。
午後2時には終わりましたが、帰宅後さすがに疲労困憊。
精も根も尽きました。
しかし、これで終わりではありません。
翌15日。
まず、朝9時から13日に申合を行った「通盛」の本番。
この難しい能の地頭をやるなんて、完全に実力不足です。
実力は不足しているので、とにかく気持ちで謡いました。
課題は多かったですが、このハードスケジュールのなか、よくやり切ったと思います。
10時過ぎに終わると、紋付袴のまま飛び出して、富岡八幡宮へ向かいます。
8月15日は、富岡八幡宮例大祭です。
富岡八幡宮にとっては、一年で一番大事な儀式です。
能奉納をしている関係で、私も招待されています。
ほかに招待されているのは、深川の名士たちです。
この場に呼んでいただけること、大変光栄に思います。
さて、例大祭が終わると、かねてから決まっていたプライベートな買い物です。
大きな買い物でした。
疲れ果てた身体に鞭打って、良い買い物が出来ました。
15日の最後は、例年通り「深川バロン倶楽部」の奉納のお手伝いです。
神社の境内に響く、ガムランの響きと、激しいバリ舞踊。
聖獣バロンと、魔女ランダの終わりなき戦い。。
毎年、例大祭の日の夜は、「深川バロン倶楽部」です。
最近、全然練習に行っていないので、今回はほんのお手伝いです。
このように、能以外の芸能に触れることは、役者にとって良い刺激になります。
疲れ果ててましたが、楽しいひと時でした。。。
このように、今年の8月前半はこれまでにないほど大変な日々でした。
能の関係では、浜松の子供講座、「歌占」「羽衣」シテ、「深川八幡祭 能奉納」、「通盛」地頭。
家族関係では、全行程2000キロを車で回った4泊5日の家族旅行、海水浴、大きな買い物。
地域とお祭りの関係では、町会の盆踊り、子供神輿連合渡御、富岡八幡宮例大祭、梁川バロン倶楽部。
そのどれ一つとっても大変なイベントです。
それば、ここまで怒涛に押し寄せてきたことは今までにありません。
大変な日々でしたが、その分今まで経験したことないくらい充実した日々でした。
すべて終えた今、本当によくやったなあと、自分で感心します。
やはり、深川の人間はお祭りの時には特殊なアドレナリンが出るのかも知れません。
2016年08月12日
深川八幡祭 能奉納 御礼
今年で8回目をむかえた、恒例の「深川八幡祭 能奉納」 謹んで執り行いました。
この能奉納は、神事です。
自分の氏神様の前で、能を奉納させていただける。
こんな嬉しいことはありません。
出来る限り長く続けていきたいと思っています。
能奉納の前、富岡八幡宮本殿にて出演者は公式参拝を行い身を清めます。
そして一同、清らかな気持ちで舞台に上がります。
今年は、能「羽衣」を奉納しました。
今まで10回以上は舞っているお馴染みの能です。
雑にならないように丁寧に演じました。
夕闇の神社に、白い装束を身にまとった天女が舞う姿は、ライトアップされていたこともあり、たいそう幻想的だったそうです。
長男は仕舞「竹生島」を、家内と次男は「中之舞」を、奉納しました。
落ち着いてしっかりと演じていました。
平日の夕方の奉納だったので、お客様が来てくださるか心配でしたが、杞憂でした。
例年通り、立ち見のお客様であふれかえっていました。
有難いことです。
神社の方からも
「年々、お客様がふえていますね。すっかり定着していますね」
との嬉しいお言葉を頂戴しました。
深川の夏の風物詩を目指して、これからも頑張って行きたいと思います。
2016年08月06日
「歌占」御礼
8月九皐会にて、「歌占」を演じました。
猛暑の中、満員のお客様にお運びいただきました。
ご来場有難うございます。
この能は、劇的な要素の多い直面物の中でも、地獄めぐりのクセ舞を中心とした舞踊的要素の多い能です。
前半は、生き別れた父と子の再会が大きなテーマとなっています。
今回は長男・潤之介が子方を演じました。
実の父子で、父子の役を演じました。
今まで、母と子の役柄で共演したことはありますが、父と子では初めてです。
再会を喜んでお互いに涙を流すシーンなど、なかなか照れくさいものです。
さて、この能はシテのコトバが多いことで知られます。
申合は、ほとんど間違えずにできたのですが、当日はチョコチョコと間違えてしまいました。
この前の「鉢木」が間違えゼロで出来たので、今回もまずはそれを目指しました。
やはり、当日には独特の緊張感があります。
この「歌占」という能のシテは、占い師という役回りです。
役柄としては、そんなに強く演じるものではないでしょう。
ただ、とにかく長いコトバが単調にならないように、相当の気合を入れて謡いました。
父子再会のシーンなど、あざといくらいドラマティックに演じました。
お客様には、どう映ったのでしょうか。
後半は、これでもかというくらい、舞が続きます。
地獄めぐりのクセ舞という、能の中でも三大難クセに数えられる難しいクセです。
長いクセですが、女性をシテとする三番目物のように、しっとりと舞う内容でもないので、歯切れよく舞うよう心がけました。
型どころの多い舞です。一つ一つの型が、地獄の様相をみせるように、緊迫感をもって演じてみました。
地獄の有様を再現している内容なのですが、楽しく舞えました。
私は8月の九皐会でシテを舞う機会が多く、しかも何故か直面物が回ってきます。
ここ6~7年のうちに、「松虫」「船橋」「歌占」と演じました。
夏の直面物で気を付けるのは、汗です。
私はもともと汗かきではないのですが、それでもこの暑さではどうしたって汗かいてしまいます。
舞台上でシテがあまり汗かきまくっているのも、美しくないので、能の世界では
「直面もので、汗なんかかくんじゃない」
などという、厳しい言い伝えがあります。
熱中症対策として、昨今は夏場は水分をたくさんとることが奨励されますが、私は水分をなるべく控えて舞台に臨みました。
高校時代、バスケ部に所属していましたが、その時代は、「バテるから、水なんか飲むな」の時代でした。
そんな経験が、ちょっとは生きているかもしれません。
その分、舞台の後のビールは美味しかったです。