2016年05月
2016年05月21日
「鉢木」御礼
自主公演「桑田貴志 能まつり」無事に終わりました。
宝生能楽堂がほぼ一杯になるほどのお客様にお運びいただきました。ご来場の皆さま、有難うございます。
今年は「鉢木」という難曲に挑戦しました。
3月の稽古会から先週の申合まで、重ねてまいりました。
課題は多く、「鉢木」という高い壁がそびえたちます。
稽古を積めば積むほど新たな課題が見つかり、なかなか納得出来ません。
こんなことは初めてです。
自分の芸力不足を実感します。
だからこそ、九番習の難曲なのでしょう。
いまいち煮え切らないまでも、自分なりに「これなら舞台に出ても大丈夫」と感じられたのは、前日でしょうか。
それも、一種の開き直りのような心境でした。
「泣いても笑っても、明日幕は上がるんだから、今の自分の芸力を思い切って見せるしかない」
そんな気持ちでした。
この能は直面です。能面は着けません。
ならば、素顔で生き生きと表現していいのかというと、そうではありません。
自分の顔という能面を着けて演じると言われます。
曲がりなりにも45年間生きてきたこの顔に責任をもって、演じなければなりません。
本番で舞台に立って、お客様からの視線をいつも以上に感じます。
能面をしていると、感覚的な「気」のような渦を強く感じますが、直面だと直接的な視線を感じます。
能面しているときより、お客様の「気持ち」のようなものは、多く感じられました。
その気持ちに応えるべく、こちらも自然と内なるパワーが高まっていくのが感じられます。
今回の舞台は、いつもよりお客様とのキャッチボールが出来たように感じます。
自分の主催公演という要素も強いと思いますが、それ以上に舞台に集中出来ていたのかなあと思います。
良い意味で開き直って、余裕があった舞台でした。
舞台進行を頭で追いながら、自分で自分に「こう動け」と指示を出している感じです。
こういう感覚で舞台を勤めているときは、良い精神状態です。
世阿弥が言うところの「離見の見」の心境って、こういうことなのでしょうか。
能は一般的には「歌舞劇」と呼ばれます。歌と踊りで構成されるミュージカル的な演劇のジャンルです。
それに対して、登場人物がセリフを交わしながら物語を進行させていくものを「対話劇」といいます。
「鉢木」という能は、限りなく「対話劇」に近い能です。
特に前場はほとんど現代劇です。
舞踊的な要素はほとんどありません。
とにかく膨大な量のコトバを語ります。
単調にならないように、抑揚や強弱に気を付けました。
いろんな方が演じたの舞台や、録音テープなどを参考にしました。
どの「鉢木」もそれぞれの役者の謡い方で表現されています。
こういったものに、正解の謡い方はありません。
自分なりの「鉢木」でなければなりません。
同じ台本で、同じ所作をするから、役者の個性が見えてきます。
今回、桑田貴志の「鉢木」をお客様に見せられなければ、やる甲斐はありません。
その一心で取り組んできた日々でした。
後場は、少々動きがあり舞台が展開します。
でも、大事なのは謡の力なのは変わりません。
少々大げさな所作も交えながら、派手に演じました。
上々の手ごたえでした。
今回、装束は矢来観世家所蔵のお宝のものを着けさせて頂きました。
自ずと身が引き締まります。
「ついに私もこの装束を着ることになったんだなあ」
幾多の先輩方が同じ装束を着て鉢木に臨んだことを思い、感慨深く感じました。
「鉢木」は、多くの装束がほぼ「鉢木」専用のものという珍しい能です。
前シテの、大小霰(あられ)の素袍と、近衛引(このえびき)の鎮(しずめ)扇。
後シテの、無紅段甲冑厚板と、龍模様の測次(そばつぎ)と、釘抜き模様の腰帯。
これらすべて「鉢木」のほぼ専用というぜいたくさです。
今回、その矢来観世家の装束蔵にある専用の装束に少し彩りを加えました。
まず、前後のシテが腰に差す「小刀(ちいさかたな)」
これは、去年亡くなりました、学生時代の師匠・藤村 健師の手作りのものを拝借しました。
藤村先生への感謝の気持ちを込めて、腰に確りとさして演じました。
あと、前シテが持つ近衛引の鎮扇。
これは、私が持っているものを使用しました。
上のチラシの写真と、舞台写真を比べてみてください。
扇の色が違います。
この扇の模様を近衛引といいます。謂われは知りませんが、「鉢木」ではこれを持つことに決まっています。
私は、この近衛引の扇を持っています。それは・・・
これです。
2001年に、観世宗家より準職分の免状を頂戴したときに頂いた扇です。
観世流の準職分の方は、おそらくみんな持っている扇です。
だいたいの方は、大事にしまってあると思います。
私は、こんな機会でもない限り、使うことはないだろうと思い、一生に一度の使用を決めました。
折しも今年は独立15周年の節目に当たります。
まあ色んな意味で、心に残る舞台となりました。