2015年12月

2015年12月26日

大人の社会見学

先日、北九州公演の合間に大人の社会見学をしてきました。

火曜日は午前公演で、午後は予定が入っておりません。

北九州から下関にかけて、能楽史跡などいくつかありますので、能楽師仲間5人と社会見学に出かけました。

小倉駅から、電車で15分位ですぐ下関です。

まず一行は、下関に行き船に乗って巌流島に行きました。

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ここは、能には全く関係ありません。
言わずと知れた、宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘した場所です。

上の写真のように、決闘の像があります。

そこで、大人達はひとしきり写真等撮って喜びます。

この島、他に何もありません。

帰りの船まで45分位あります。

どうにも手持ちぶさたになった我々は、像の前や海岸で、決闘ごっこして遊びました。

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40才や50才を越えた能楽師達が、何やってんだと思いますが、しょうがないです。他に何もすることがないんですから。

見ると、後から来る観光客も皆さん同じ事していました。

無邪気に楽しみました。


やっと帰りの船に乗って、今度は赤間神宮に行きます。

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ここは、安徳天皇を御祭神とする神社です。

3歳で即位して、8歳の時に壇之浦の合戦で海に身を投げた、悲劇の天皇を祀っています。

安徳天皇を抱き抱えて、一緒に海に身を投げた二位尼(平清盛の妻・時子)

二位尼は入水の前、孫である安徳天皇にこう言います。

「この国は逆臣ばかりです。海の底に竜宮といってめでたい都があります。そこへ一緒に参りましょう」

平家物語の名場面です。
その時の有り様を想像しただけで涙が出てきます。

その言葉に因んで神社の建物は、竜宮城を模したものになっています。

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神社の境内には、安徳天皇のお墓もありますが、実在の天皇の御陵ということで、宮内庁の直轄地で一般人は入れませんでした。

境内には他に、平家一門のお墓があります。

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うっそうと生い茂る森に囲まれて、ひっそりと立つ墓石の数々。

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この世の春を謳歌した平家一門のお墓としては、あまりに寂しく儚い佇まい。

墓石の前に立ち、身が凍る思いでした。

私は、今年5月に自主公演「桑田貴志能まつり」にて、この地を舞台とし、安徳天皇と平家一門の入水を扱った能「碇潜」を演じました。

この赤間神宮にお礼参りしたいと、願っていました。

本殿の前で、丁寧に手を合わせ安徳天皇と平家一門を弔います。

私は、次男に電話しました。

先日の「碇潜」で安徳天皇を演じた次男と、ふいに話したくなったのです。

「お父さん、どうしたの?」

「今、安徳天皇を祀った神社にいるんだよ。安徳天皇に何か言いなさい」

「うん、わかった」

私は、携帯電話をスピーカーモードにして、本殿へ向けました。

「安徳天皇、ありがとー」

次男は、無邪気に叫んでました。

何が「ありがとう」だかサッパリ分かりません。

安徳天皇と同じ8歳の次男が、戦いに巻き込まれることなく、平和に暮らしていることに、感謝したいと思います。


私達はその後、御裳川(みもすそかわ)公園に行きました。

ここは、まさに壇之浦の合戦が行われた場所です。

本州と九州を結ぶ橋、関門橋を見上げる地に、源義経と平知盛の像があります。

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知盛は、ちゃっかり碇を担いでいます。

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平知盛が、碇を担いで入水したというエピソードは、平家物語にはありません。

能「碇潜」の作者が考えた設定のようです。

今では、「平知盛イコール碇」となっていて、このように壇之浦の銅像も碇を担いでいるのが面白いところです。

御裳川公園をちょっと上がった所には、安徳天皇と二位尼の像がありました。

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平家物語では、安徳天皇は入水の前に伊勢神宮がある東を向いて、天照大神に手を合わせています。

この像の安徳天皇も東を向いています。
きっと、自分の祖先に手を合わせているのでしょう。


その後、歩いて九州に戻りました。

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関門海峡の下には、このような海底トンネルがあります。
何と、国道2号線です。

トンネルを750メートル程歩くと、もう九州です。

関門海峡とは、かくも狭いのです。


関門トンネルをくぐった先に、和布刈神社があります。

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ここは、能「和布刈」の舞台となった所です。

旧暦の大晦日から元旦にかけて、能の設定にも出てきた「和布刈の神事」が、今でも非公開で行われているそうです。

「和布刈の神事」とは、 毎年旧暦元旦の未明に三人の神職がそれぞれ松明、手桶、鎌を持って神社の前の関門海峡に入り、海岸でワカメを刈り採って、神前に供える神事です。
一番古い記述では、710年にはもう行われていたようです。

少なくとも1300年以上も、同じ神事を続けていることに驚かされます。

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ここが、「和布刈の神事」を行う場所です。

上に見えるのが関門橋。向こうに見えるのが本州です。

本当に、川のように狭い海峡です。



能楽師5人で、良い社会見学をしました。

万歩計を持っている同行者に聞いたら、この日の歩数は1万5000歩を越えているそうです。

充実の我々はこの後、門司港の名店で美味しいフグに舌鼓をうち、明日の公演の鋭気を養いました。


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2015年12月25日

学校での能紹介

先週は、学校公演ウィークでした。

月曜日の深夜に北九州に着き、火曜日水曜日と北九州市の小学校で文化庁巡回公演。

この日記でもお馴染みのこの事業。
子どもたちに本物の舞台芸術を見せんと、張り切って演じました。


木曜日は、山梨県の甲府商業高校にて芸術鑑賞会。

この学校は商業高校らしく、バザーの売り上げを3年間貯めて、その貯金で3年に一度芸術鑑賞会を行うそうです。

このようにして行っている芸術鑑賞会は、珍しいのではないでしょうか。
面白い試みです。

学校の教育現場において、文化芸術に関することは地位が低いものです。
いわゆる受験に関係ないから、とかく後回しにされます。

こんな風に、芸術鑑賞会を開催している高校の取り組みは素晴らしいです。


金曜日は、私の子供2人が通っている地元の小学校での能の授業です。

生徒の保護者に能楽師がいるということで、校長先生からお声がけ頂きました。

私としても、自分の住む地域の子どもが能に親しんで下さるなんて、嬉しいことです。

喜んで授業させて頂きました。

深川は、文化芸術を大事にする街です。
私の話を機に、能に興味を持って貰えたら幸いに思います。


学校教育で、能を紹介することの意義は計り知れないものです。

そのためには、私は協力を惜しみません。
それ故、先週は凄いスケジュールでした。

当然、お弟子様のお稽古は休めません。

月曜日、富士のお稽古の後深夜に北九州に飛んだ話はしました。

水曜日、午前中の学校公演を終えると、そのまま空港へ急ぎ、昼過ぎの飛行機で東京に帰ります。
夕方から銀座の稽古場でお稽古です。

木曜日は、昼間の芸術鑑賞会を終えると中央線特急に飛び乗って、やはり夕方からお稽古。

金曜日は、朝10時から夜10時まで自宅でお稽古をしている合間に、徒歩10分の地元の小学校に赴き、45分授業してきました。

我ながら、ハードな1週間でした。

今年もそろそろ終わります。
ラストスパートです。


kuwata_takashi at 11:34|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2015年12月15日

北九州へ

昨日は、観世九皐会の定例会。

私は初番の「巻絹」の後見、留めの「葵上」の地謡と大忙し。

2番の能に出演して、疲れ果てました。

しかし、ここからが本番でした。


毎月行っています九皐会若手の稽古能「若竹会」
今月は諸般の都合で、九皐会終了後に行われました。

今月は私がシテをさせて頂きました。
曲は「班女」です。

九皐会が終わると、すぐさま装束を着て能のシテを勤める。。。。

ハードでした。

稽古能を演じて誉められることはありません。

怒られるためにやるのが稽古能です。

昨日も散々ダメ出しされ、多いにへこみました。


明けて今日。
シンドイ体にムチ打って、富士のお稽古です。

夜まで稽古して、新幹線に飛び乗ります。

いつもはこのまま帰宅してヤレヤレですが、今日は違います。

品川駅で降りて京急線に乗り換え、羽田空港に向かいます。

最終の飛行機に乗って北九州へ行きます。
明日からの、文化庁学校巡回公演のためです。

北九州空港は海上空港なので、深夜の発着が可能なため、最終便はなんと羽田発22時。。。
(と思ったら、臨時便で22時50分発もありました)

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北九州空港に到着したのは日付が変わる頃です。

こんな真夜中でも、飛行機が着けば、リムジンバスは走ってくれます。

現在、真っ暗闇の中バスで移動中です。
長い一日です。


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2015年12月12日

大円団 ぎんが能楽サロン

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2004年11月に始まった「ぎんが能楽サロン」、本日大円団となりました。

長い間、有難うございました。

11年間に69回も開催されました。
毎回一つの能をとりあげ、見どころや楽しみ方を紹介していきました。

とりあげる能については、詩章を読み込み、作品研究を丹念に致しました。

そのおかげで、私も大変に勉強になりました。


「ぎんが能楽サロン」のきっかけは、会場のぎんがホールの館長、根岸さんとの出逢いです。

根岸さんは定年を機に、自宅に定員30人程のアットホームなイベント会場を作りました。

そこで開催するイベントの構想を練っていらっしゃいました。

そんな頃、2004年7月に私が当時住んでいた江戸川区で行った能の講演にたまたまいらっしゃいました。

私の話を面白いと思って下さったのか、講演の後に私の所にいらして、「ぎんがホールでも何かお話して下さい」と提案されました。

何度か打ち合わせをして、「ぎんが能楽サロン」は産声をあげます。

その時は、11年も続く講演になるとは思いもよりませんでした。

能のお話の後は、お客様とコーヒーを飲みながら歓談しました。
私にとっても楽しいひとときでした。

様々な人に出逢い、色々な刺激を得ることが出来ました。


毎回の作品研究は、けっこうしんどかったですが、楽しみにして下さっているお客様に楽しんで頂こうと、必死でした。

一年の終わりには、その年の皆勤賞の方を表彰します。
年々に皆勤賞の方も増えていきました。

中には全69回すべて皆勤賞という、つわものもいらっしゃいました。

第一回にとりあげた能は「猩々乱」でした。
ちょうど翌月に、この曲を披く(初演する)予定だったので、アツく語ったことをよく覚えています。

以来、「石橋」や「道成寺」をはじめ、私がシテを演じた能は概ねとりあげました。

今では、「ぎんが能楽サロン」で作品研究をして、その能に向き合うというプロセスを得た後で、能を演じるのが常態でした。

「ぎんが能楽サロン」が終わり、そのプロセスが失われることに、危惧を感じます。


本当に良いイベントであったと思います。

最後にサプライズで花束を渡された時は、ジーンときました。

もうこの場所でお話することは無いのかと思うと、やはり寂しいです。

しかし、始まりがあれば終わりがあるものです。
ここで得た経験を、これからの能役者ての活動に活かしていきたいと思います。


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2015年12月09日

文化庁巡回公演 房総半島

文化庁の巡回公演で、日曜日の夜から千葉に来ています。

千葉というと、お稽古や講演で浦安や市川によく行きます。千葉市や船橋にも度々行きます。

都会的なイメージですが、房総半島をちょっと行くとガラリとイメージが変わります。

一昨日は南房総市、昨日は鴨川市、今日は君津市と、房総半島を転々としています。
明日は山武郡に行きます。

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毎度のように、体育館にこのような舞台を設えて能と狂言の公演を行います。


千葉は、狭いようで広い。。。

宿泊は館山です。海に面した良い環境です。

部屋から、内房の穏やかな海が見えます。
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昨日は、シテをさせて頂きました。
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船弁慶は、薙刀を振り回して動き回る派手な能です。

子供たちは大喜び。

わざと舞台の端まで行って、子供たちを喜ばせました。

今回回っている学校には、先月に事前ワークショップの参りました。

今日行った学校で、低学年の生徒さんが「あ、この前来た人だ!!」

と声をかけてくれました。

ひと月前のことを覚えています。
嬉しいですね。


kuwata_takashi at 15:50|PermalinkComments(0)TrackBack(0)