2015年11月

2015年11月29日

「茉莉会 十周年記念大会」

私のお弟子様の社中の会「茉莉会」が、めでたく10周年を迎え、矢来能楽堂にて記念大会を行いました。

多くのお弟子様が、それぞれ立派に舞台を勤めました。

当日は、観世喜之先生、喜正先生を始め観世九皐会の門下の方々や、日ごろからお世話になっている御三役の皆さまのお力添えを頂き、賑やかな発表会となりました。

10周年を記念して、塚本清子さまは能「井筒」に挑戦なさいました。
当会では、初めての能の上演です。

私も、自分の社中に能を教えるのは初めてです。

一年がかりでみっちり稽古しました。

試行錯誤しながらの稽古は、私にとっても良い経験となりました。

他にも、重習の「砧」を、土屋能江さまが素謡でなさいました。
重習のお披きも、初めての経験です。

他にも、習い物の素謡「弱法師」、平物で「海士」「富士太鼓」「敦盛」「田村」

舞囃子「猩々」「難波」「花月」「敦盛」「高砂」「胡蝶」「融」「巻絹」「紅葉狩」

あと仕舞が20番に独吟に連吟。

朝9時30分から夜7時まで、盛りだくさんの一日でした。

私は全ての演目の地謡や役謡を勤め、クタクタ、、、 かと思いきや、意外に元気でした。

やはり、お弟子様の集大成を後で見守っていると、疲れていられません。

お稽古のいきさつを全て把握していますので、一つひとつの演目に思い入れがあります。

お弟子様が舞台を終える度に、一緒に喜んでいました。


長男・潤之介(9歳)は、初めての舞囃子「猩々」を演じました。最近の長男は子方続きだったので、舞囃子の稽古は実質一か月くらいしか出来ませんでした。

短い期間でよく覚えたと思います。

素謡「富士太鼓」の子方も勤めましたが、9月に能の子方をやったばかりだったので、これはスムーズにやってました。

次男・大志郎(8歳)は、能楽堂では初めて素謡の子方を勤めました。
演目は「海士」です。

初めてにしては難しい謡です。謡の分量もかなりあります。

2カ月くらいかけてじっくり覚えさせました。

「海士」のシテは、私の家内の母親、つまり次男にとってはおばあちゃんになります。
孫との共演に張り切っていました。
(義母は、「富士太鼓」のワキも勤めました。孫2人と共演です)

次男は、仕舞「邯鄲 夢之舞」も舞いました。
この仕舞は、今までにない難しい舞です。
しかし、難なく覚えていました。

本当に子供の記憶力には驚かされます。


とりあえず、10周年記念大会が無事終わり、充実感一杯です。

次の10年、20年に向けて社中の皆さまとともに歩んでまいりたいと思います。


kuwata_takashi at 22:30|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2015年11月21日

フランス人と能

のうのう能「龍田」が、上手くいったのは、ひょっとしたら一年前に龍田神社と龍田大社にお参り行ったからかもしれません。

詳しくは、下記の日記をご覧ください。

http://shitashimu.dreamlog.jp/archives/2014-10-26.html



さて、今回の「のうのう能」には、なんと駐日フランス大使がご家族と共にお運びくださいました。

前々から、予定されていましたが、何せ一週間前にあの恐ろしい「パリ同時多発テロ」があったばかりです。
今回はお見送りになられるかと思いましたが、予定通りお越しいただきました。

そういう状態だったので、少々重々しい警備体制がひかれての演能でした。

フランス大使は、かねてから能を見たいと願っており、今回ようやく実現したとのことです。

それも、国立能楽堂などの近代的な建物の能楽堂ではなく、古き良き日本建築の趣を残す矢来能楽堂で観たかったそうです。

これは責任重大です。
図らずもこの瞬間、私は日本代表になってしまいました。

フランス人と能というと、有名なエピソードがあります。

名作映画「望郷」の監督、ジュリアン・デュヴィヴィエ(1896~1967)は、能を初めて観て退屈したようで、
「僕が、裁判官だったら、懲役5年と宣告する代わりに、能を5年見せる」

と言ったそうです。

そうかと思えば、フランスを代表する劇作家ポール・クローデル(1868~1955)は、能を観て
「死ぬほど感動した」

と言い、終生にわたって能を愛し続けたそうです。


さて、今回のフランス大使はどう思われたのでしょう。

私は参加していませんが、終演後、フランス大使と会食がもたれました。

フランス大使は、ご満悦だったそうです。大変に楽しまれたそうです。

私に対してのお褒めの言葉も頂きました。

ポール・クローデルは、外交官として駐日フランス大使も務めています。
その時に能に傾倒していったそうです。

現駐日フランス大使も、クローデルのように能をごひいきにして下さるでしょうか。


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2015年11月20日

「龍田」 御礼

のうのう能にて「龍田」を演じました。

http://kanze.main.jp/wp/wp-content/themes/kanze/pdf/knownoh151120.pdf
チラシは、こちらからご覧下さい。

龍田は、美しい能です。

一曲を通じて紅の色彩に彩られ、秋景色が見事に描かれます。

ただ、鬘物ではないのであまり優美にやるものではありません。
後シテは龍田明神です。
神々しく、凛とした気品を漂わせなければなりません。

龍田という能をどのように捉えるかは、本当に演者によって違います。

鬘物の割合を多くし優美に演じるやり方と、神体としての凛々しさを強調するやり方に分かれます。

今回は、全体的には後者の方法をとりました。

本来性別があるのかどうか分からない龍田明神を、あえて女神として登場させることにこの能は意味があるように思います。

特に後シテの謡などは、かなり強く謡いました。
ちょっと荒々しかったかも知れません。

ただ、舞は丁寧に演じました。

身体の力は強い質感を保ったまま、優しく型をしました。
きっと、龍田の舞はそう舞うのが正解なのだと思います。


龍田は作り物の中で装束を替えます。

後場で、作り物を覆う幕(引廻し)がゆっくり下がり、中から色彩豊かな龍田明神が姿を現すシーンは、息を飲む美しさです。

非常に効果的な演出です。

このように、作り物の中で装束を替える能は、気持ちの切り替えが難しいです。

中入の時、楽屋で前シテの装束を一度脱ぐことで、身体が一度リフレッシュ出来ます。
そこで一息つき、後場へと徐々に気持ちを切り替えます。

楽屋でホッと一息。
龍田ではこれが出来ません。

こういった能は、気が休まる時がないので、心身共にしんどいです。
中入で一回リセット出来る事って、大事なんだと実感します。

特に、龍田は後場が長いのです。
舞もかなりの分量があります。

集中力を切らさないように、気張ってまいました。

長絹の袖を頭上にかけたり、腕に巻いたりなどといった小技も上手くきまり、上手く舞えたと思います。

忙しい秋の真っただ中に、良いコンデションで舞えたことが何よりでした。


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2015年11月03日

岡山後楽能

文化の日の11月3日、日本三大名園 後楽園にて、「岡山後楽能」が行われました。

今年で45回目を迎えたこの催しは、岡山在住の能楽師 西出明雄師などの努力で続けられてきました。

今年は、主に地元の愛好者の発表会の形で行われました。

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後楽園には、こんなに趣きのある能舞台があります。

野外の舞台に、別棟で見所という観客席があるという、昔の大名屋敷のスタイルです。

今日は天気もよく、秋晴れの中、気持ち良く舞台を勤めました。

私は、能「砧」のツレをさせて頂きました。

シテを演じた方は、長年岡山でお稽古なさっているベテランです。

落ち着いて、しっとりとした良いムードの「砧」でした。

この方は、私の高校の先輩です。

年代は違いますが、同じ学校で学んだ人達が、一緒に舞台をやってるって、面白いもんです。


kuwata_takashi at 23:32|PermalinkComments(0)TrackBack(0)