2015年08月
2015年08月31日
家康くんと一緒に能を舞って囃そう
浜松にて、上記の講座の講師を受け持ちました。
いつもお世話になっている、「ざざん座能舞台」さんが静岡県の「こども芸術大学」という事業の後援を受けて、「家康くんと一緒に能を舞って囃そう」というワークショップを企画しました。
一般の子供達を集めて、3回に分けて能の舞と、笛と、太鼓をお稽古して、10月24日の「家康楽市」というイベントで、家康くんと一緒に能を舞って囃子をするという企画です。
「家康くん」とは、浜松発のゆるキャラです。
2013年の「ゆるキャラグランプリ」で2位に輝いた、浜松のスターです。
「家康楽市」では、子供達と一緒に「家康くん」も能を舞うそうです。
え? 家康くんの中には誰が入っているのかって?
家康くんは、能を武家式楽と定めた徳川家康の子孫ですから、能の名人なのではないでしょうか。
私は、初回の舞のお稽古をさせて頂きました。
定員15名のところ、集まった子供達は、26人。
お断りするのが忍びなかったので、全ての子供に参加していただくことにしました。
今まで、いろんなところで子供向けのワークショップをしましたが、26人すべてに仕舞をやらせたのは初めてかもしれません。
お稽古はみっちり3時間もしました。
なかなか熱心な子供たちです。
一日目のお稽古でみんな、「猩々」の仕舞をほぼ覚えました。
これからの展開が楽しみです。
翌日、静岡新聞に大きく掲載されました。
2015年08月28日
「昭君」を演じます。
9月5日(土)緑泉会にて能「昭君(しょうくん)」を演じます。
見どころを紹介いたします。
この能は、楊貴妃などと共に、中国4大美人の一人に数えられている王昭君について描かれています。
王昭君の話は、日本でも「今昔物語」などにも出てきますので、かなり有名な話だったようです。
紀元前1世紀、漢の国は中国辺境の国・胡国といくさをしていました。和睦のしるしとして漢の美人を一人、胡国の王・呼韓邪単干のところへ送ることになります。
漢の帝のところには、美女の宮女が3000人もいます。帝は、絵描きに宮女達の似顔絵を描かせ、一番容姿を劣っている者を選ぶことにします。宮女達は、絵描きに賄賂を贈って自分を美人に書いてもらいました。そんな中、昭君は帝から一番寵愛を受けていたので安心していましたが、結果的に宮女の中で昭君だけ賄賂を贈らなかったため、一番醜い似顔絵を描かれてしまいました。
そういういきさつがあって、胡国に赴いた王昭君。史実では、呼韓邪単干の后となって胡国
(匈奴)で一生を送り、漢の文化を胡国に伝え、両民族の交流に貢献したと高く評価されました。この物語は歴史上の美談として中国は元より日本でも詩、演劇、小説などの題材にもなり、現在でも親しまれています。
昭君の悲劇は、国と国の争いに翻弄され辺境の地に送られてしまったこと、辺境の野蛮な民族と結婚させられたこと、またその地で一生をすごさなければならなかったことでしょう。
能では、その悲劇性を描くために、昭君の父母の嘆きという手法をとります。
父母の悲しみを通じて、昭君の悲劇をより強調させるのです。
前半のシテは、昭君の父です。20歳前後と思われる昭君の父なのに、老人の姿で登場します。これも、悲しみを際立たせるためでしょう。
前半の見どころは、この老人の悲しい心を長い謡で表現するシーンです。
聞きごたえのある謡です。単調にならないように、じっくりと謡い上げたいと思います。
後半のシテは、呼韓邪単干です。
能では、このように前半と後半とで全く異なる人物を演じることがよくあります。
この能では、美しい昭君と対比する存在として化け物じみた姿で登場し、激しく動きます。
鏡を見込み、その姿を恥じるなど、面白い型も交えながら豪快に舞います。
キレ味鋭く、スカッと舞いたいと思います。
悲劇性を複眼的に見せる前半と、美女と野獣の対比を面白く見せる後半と、見どころ一杯の構成です。
絶世の美女・昭君は子方が演じます。女性の美しさを子供の可愛らしさで現すのも、能らしい表現です。
今回は、次男・大志郎(8歳)が勤めます。
この前の5月には、悲運の少年天皇・安徳天皇を演じて、今度は中国四大美人・王昭君です。
能が大好きな次男は、張り切ってお稽古に励んでいます。
この公演は他に、緑泉会当主・津村禮次郎師による能「班女」・狂言「水汲」・仕舞3番と、見どころ満載です。
皆様のご来場をお待ち申し上げます。
2015年08月14日
「深川八幡祭り 能奉納」御礼
8月14日、例年勤めております「深川八幡祭り 能奉納」、無事終わりました。
今年は、「鞍馬天狗」の後半を演じました。
子方の牛若丸は、次男・大志郎です。
この能奉納では、初めての親子共演でした。
当日は、「ところにより、一時激しい雨が降る」という天気予報でした。
つまり、ゲリラ豪雨が来るかもしれないという予報です。
天気を心配しながらの奉納です。
幸い、奉納中は天気はもってくれました。
全て終えて、装束などを車に積み込んだ瞬間、まさにバケツをひっくり返したような雨が降り出しました。
運が良いことに、能奉納の最中に雨は降りませんでした。
皆様の心がけが良かったということにしておきましょう。
今年は家内も、一管「鞨鼓」で笛を吹きました。
長男・潤之介が横で舞を舞いました。こちらも親子共演です。
地元の神社で、一家揃って奉納させていただけるなんて、幸せなことです。
今年も、私の社中の方々と江東区謡曲連盟の方々も出演しました。
ベテランぞろいの江東区謡曲連盟の面々は相変わらず、落ち着いた舞台っぷりです。
堂々とした奉納でした。
私の社中の人達も、今年は本当に落ち着いて演じていました。
後で地謡を謡っていて、頼もしく思いました。
社中の仕舞の地謡を謡ってヘトヘトになりましたが、私の舞台はここからが本番です。
急いで紋付を装束に着替えます。
仕舞が終わると、次男は早々と装束を着て待機しています。
結構長い時間ですが、動かずにじっとしています。
「装束着たら、動いてはダメ」と、強く言い聞かせていました。
落ち着きのない次男ですが、言いつけを守って神妙に待っています。
次男の成長が感じられます。
ヘトヘトの中、「鞍馬天狗」が始まりました。
毎年のことですが、始まると力が漲ってきます。
やはり、富岡八幡宮という場所の力が大きいように思います。
スイスイと身体が動きます。
狭い舞台の中を、うまい具合に動いていたようです。
地謡の人にも、「こんな狭い中、よくあんなに動けるねえ」
と、感心されました。
気持ち良く舞うことが出来ました。
次男は、最初に橋掛りの柱に引っかかって、欄干ごと倒してしまいました。
本人は当たらないように動いていたつもりでしたが、大口という大きな袴をはいているので、それをひっかけたようです。
その辺は、経験の無さですね。
何せ、本格的な子方は2度目です。
慌てるかと思いきや、何事もなかったかのように堂々と演技を続けていました。
とても大事な事です。
なかなか舞台度胸があります。
やはり、子供は舞台の花ですね。
私の大天狗より、子供の方に注目が集まっていました。
「深川八幡祭り 能奉納」も、今年で7回目です。
気がつくと、だいぶん回を重ねてきました。
「芸能の原点は祭りにあり」
柳田国男のこの言葉を、私は大事に思っています。
まさに、芸能の原始の形にこだわりたいと思います。
私のライフワークとして、これからも能奉納を続けていきたいと思います。
2015年08月13日
2015年08月07日
野球観戦、70年目の祈り
広島に原爆投下されてから70年目の8月6日、私は広島にいました。
広島の地で、平和を願い世界人類の幸福を祈りました。
広島にいた主な理由は、野球観戦です。
広島出身の私は、大の広島カープの大ファンです。私につられて我が家では家内も子供2人もカープファン。
いつか、カープの本拠地のマツダスタジアムに行きたいねと、ずっと話していました。
今年は、今週に休みが取れそうだったので、家族で広島まで野球観戦に出かけました。
この時期に広島に行ったのは、単純に私の舞台の仕事の都合でした。
もちろん、広島に生まれ住んだ者(いや、日本国民)にとって、8月6日は特別な日です。
原爆投下から70年を迎えるこの日に広島にいるのも、何かの縁かなあ・・・
そんなことを思いながら、原爆ドームに子供達を連れて行きました。
小学校3年生と2年生の子供達に、「8月6日は何の日?」
と聞いても、「分からない」と言います。
広島の小学校は、8月6日は毎年夏休みの中の登校日でした。
ちょうど夏休みの真ん中のあたり。友達と久しぶりに会って嬉しかった覚えがあります。
その日は、一日平和学習の日でした。
そういう体験をしてきたので、広島の小学生が「8月6日」を知らないということは、あり得ないと思います。
広島の小学生なら、必ず社会見学で訪れる原爆ドームに、子供2人を連れて行き、原爆の話をしました。
どう感じたかは分かりません。
でも、きっとそこに訪れたという記憶は残るでしょう。
取りあえず、まずはそれが大事なのかなと思います。
夜は野球観戦です。
8月6日は、全員おそろいの「86」番のユニフォームを着て「ピースナイター」を行うことは聞いていました。
私達が行ったのは、8月4日と5日です。
何となく、その日は外した方が良いのかなあと思ったからです。
昔の広島市民球場にはよく行きましたが、新しい本拠地球場、マツダスタジアムは初めてです。
球場に入って、素晴らしい雰囲気に感動しました。
8月4日は、私が敬愛する黒田投手の見事なピッチングもあり、見事勝利。
実は、この日は私の44歳の誕生日です。
最高の誕生日プレゼントでした。
翌5日に行くと、この様な新聞を渡されました。
今年の「ピースナイター」は5日と6日と2日間やるそうです。
「5回裏に、この紙を、みんなで振ってください」
入場口でそう頼まれました。
何だか、やらせっぽくて感心しませんでした。
試合前と3回裏には、紙を振る練習までしました。
少々しらけました。
3回裏の練習の風景を撮った写真はこれです。
(実際にイベントが行われた5回裏は、もっとぎっしりと紙が振られていました。
私も懸命に振っていたので、写真撮れていません)
球場が緑に染まります。
25mより上は赤色の紙を振ります。
25mは原爆ドームの高さだそうです。
試合は、カープの一方的な負け。
沈んだ気持ちで5回裏を迎えます。
取りあえず、言われた通りに紙を振りました。
バックにはジョン・レノンが反戦を歌った歌「イマジン」が流れています。
「どうして英語の歌なんだろう・・・」
「まあ、日本語の歌だと政治色が強くなりすぎるから、野球の試合のイベントではちょうど良いのかなあ」
などと思って緑の紙を左右に振っていました。
ふと斜め前を見ると、泣いている2人連れがいました。
年齢は70歳を超えていると思われる老人です。
きっと、被爆体験がある方なのかな・・・
そう思うと、私ももらい泣きしてしまいました。
そして、少々しらけていた自分を恥じました。
広島では被爆体験は、過去のことではないのです。
70歳以上のかなりの人は、現実的な経験なのです。
広島より東京生活が長くなってしまった私の気持ちは、少々風化してしまったようです。
大反省をしました。
すると、隣に座っていた次男が私に聞いてきます。
「どうしてこの紙を振っているの?」
私は答えます。
「それはね、戦争をしないようにという願いを込めて振っているんだよ」
次男は言います「どうして、戦争するの?」
次男の無邪気な問いかけに、こらえ切れなくなって涙があふれてきました。
「そうだね、どうして戦争なんかするんだろうね」
次男に、こう答えるのが精一杯でした。
試合は、カープの一方的な負けでした。
当然悔しかったです。
でも、こうして平和に野球が行われている日常に感謝しました。
カープにも対戦相手の阪神にも、アメリカ人がチームの一員として共に戦っています。
70年前は、殺し合いをしていた日本人とアメリカ人が、一緒に野球の試合で戦い、それを一喜一憂しながら観戦している。
愛する家族と、大声を上げながら贔屓チームの勝利を願い、応援する。
こんな素晴らしい時はありません。
この当たり前の日々が、永遠に続くことを切に願います。
世界人類が平和で幸せに暮らせますように。