2015年06月
2015年06月28日
2015年06月25日
文化庁学校巡回公演
今年も、文化庁主催の学校巡回公演に来ています。
先週は山梨県に3日間、今週は火曜日から明日まで4日間福島県に来ております。
その合間に、東京や埼玉の学校も廻っております。
この学校巡回公演では、全国の小中学校の体育館に、このような仮設の能舞台をつくって、能と狂言を実際に見てもらっております。
そして、能と狂言の簡単な体験もしてもらっています。
素晴らしい事業だと思います。
私たち能楽師も、次代を担う子供たちに、なるべく日本の誇るべき日本の伝統文化に触れて頂きたいと、切に願っています。
こういう意義深い事業には、出来るだけ協力していきたいと思います。
今年は、三団体の巡回公演のお手伝いをさせて頂いております。
したがって例年より多くの学校にお邪魔しています。
今日行われた福島の中学校は、山間部にあり、全校生徒は15名。
小学校との合同の開催でした。
こういった山間部の学校での能楽公演なんて、文化庁公演ならではです。
そういった学校にいくことなど、こういう機会でもない限りまずありません。
どんな学校かなあと思いながら訪れると、近代的な新しい校舎のシャレた学校です。
いままで、いろんなところに行きました。
今日よりもっと山奥の学校にも幾度となく行っております。
でも、日本全国どこに行っても、だいたい近代的な校舎に立派な施設が備えられております。
人家もまばらな地域に、そびえたつ学校もたくさんあります。
日本の教育への投資は、凄いなあと思います。
ハード面の充実ぶりは、目をみはります。
ソフト面はどうでしょう?
私たちもこの事業を通じて、教育の質を高めるべく励みたいと思います。
先週、東京都中野区の小学校で、「船弁慶」のシテをさせて頂きました。
学生能公演なので、本来子方が演じる源義経は、大人が演じます。
この時は、私と小島英明師との大きな二人で「船弁慶」を演じました。
体育館の狭いステージで、大きな二人で迫力のある斬り組みを見せました。
2015年06月16日
「碇潜」御礼
かなり遅くなってしまいましたが、先日の「桑田貴志 能まつり」で演じた「碇潜」の演能レポートです。
当日の最高気温は32.2度。五月の東京としては観測史上最高だそうです。
そんな中、ほぼ満員のお客様にお運び頂きました。有難うございます。
また、会場となった宝生能楽堂周辺では、お祭りが行われて大賑わいでした。
出演の能楽師に、「中も外もお祭りだねえ」と言われ、ほっこりしました。
「芸能の原点は祭りにあり」
柳田國男のこの言葉から名付けた「能まつり」という会名が、祝福されている気分です。
さて、当日はいつものように慌ただしく過ぎていきます。
去年、長男・潤之介と「邯鄲」で親子共演をしました。
今年は、次男・大志郎と親子共演です。
次男は、「鞍馬天狗」の花見以外の子方は初めてです。
ナーバスにならないように、長男と共に楽屋内に小部屋を作り、そこで遊んでいるように指示しました。
・・・ところが、ナーバスどころか元気一杯に動きまわります。
小部屋でじっとなんかしてくれません。
子供2人の世話もしなければならなかったので、3倍疲れました。
いざ、装束を着て舞台に上がります。
「碇潜」という能は、とにかく面白い能です。
前場・後場ともにスッキリとした構成で、見せ場も多い。
演じていても、楽しかったです。
前シテは、船頭の老人です。
しかし、平家一門の執心を背負った象徴として登場しますので、あまり老人っぽくならないように気を付けました。
前場の謡に関しては、ダレないように師匠からも度々注意を受けました。
運びよく、強めに謡ってみました。
平教経と源義経との戦いを描く、「語」から中入にかけての謡は、臨場感をもって情熱的に謡ってみました。
結構、効果的だったかなあと思います。
中入地は、いくさ語の場面なので所作も鋭く演じました。
老人なので、本来はそんなに強くは演じません。そこを、あえて勢いをつけてやってみました。
能の老人は、尉髪というチョンマゲのような髪型をしていますが、その前髪を右に左にブルンブルンと振り乱しての所作でした。
後でDVDで確認したところ、少々やりすぎたかなあ、、、、とも思いました。
でも、中途半端になるよりは良かったかと思います。
後場は、息もつかせぬ展開です。
クリ・サシ・クセの段落で、安徳天皇・二位尼・大納言局の入水シーンを見せます。
本来、シテの私はからまないのですが、ただ座っているのも面白くないので、チョッと工夫してみました。
安徳天皇たちの入水を身を乗り出して見込んで、その後絶望したかのごとく安座で伏せる型をやってみました。
なかなか首尾よく出来たように思います。
いわゆる「先帝身投げ」の名シーンが終わると、いよいよこの能のクライマックスです。
まず、薙刀を持って飛びまわり
そして走りまわります。
宝生能楽堂の広い橋掛りも使って舞台上を動き回ります。
源氏の大軍を一人で相手にしているかのごとく、暴れまわりました。
いよいよ自害を決した知盛は、狭い屋形船の中へ飛び込み、船の中を走り抜け、船上から綱をたぐって碇を引き上げるシーンへと移ります。
実はこの部分、かなり不安でした。
能面を着けているので視界がほとんどありません、。
しかも半切という横幅のある袴を履き、狩衣を肩上げしてゴッツイ上着を着て、さらには太刀まで着けているという、大ぶりの格好で、狭い船の中を走り抜けられるか心配でした。
まともに通り抜けたら、絶対に半切が船の柱にぶつかります。
だから半身になって通り抜けてみました。
絶妙に、どこにも当たらずに通れました。
次は、綱を手繰り寄せる場面です。
ほとんど無い視界で、綱をスムーズにつかんで引っ張れるか、、、
一か八かでした。
これも奇蹟的に上手く出来ました。
そうなると少々余裕が生まれます。
謡が少し余ったので、碇を敢えてゆっくり持ち上げました。
これは、碇を重く見せるためです。
そんな工夫が、とっさに出来たことにも驚きです。
一連のこのシーン、事前に稽古する訳にもいかずに、本当にぶっつけ本番でした。
でも、かなり集中していたのでしょう。
その時の様子がスローモーションのように頭に浮かびます。
自分でも驚くほど冷静でした。
こんなことは、「道成寺」の鐘入りのとき以来です。
こういう風に、自分を客観的に俯瞰して見れる時は、たぶん非常に良い精神状態なのだと思います。
世阿弥の言うところの「離見の見」って、こういうことなのだろうと思います。
その後、橋掛りに流れ足で進んで行き、欄干に足をかける場面も、冒頭の写真の如く、格好良く決まりました。
なかなか収穫の多い舞台でした。
今回が本格的な子方は初めてだった次男は、落ち着いて演じていました。
申合は緊張していたようで、小さな声しか出ませんでしたが、当日は驚くほどの大きな声で謡っていました。
11時に楽屋入りしましたが、次男の出番は16時過ぎです。
だいぶん、待ちくたびれたようでしたが、生き生きと演じていました。
次男は、これまで長男が子方を演じるのを横で見ていて、ずっと自分の出番を待っていました。
今回は、待ちに待った出番です。
楽屋で5時間待つことなんてなんてことなかったのでしょう。
長男・次男共に、能が大好きです。
今後、いろいろ舞台に上げていきたいなあと思っています。
今回は、本当にしんどかったです。
シテの後は、いつもだいたい2日くらい疲れが抜けません。
それくらい心身共に疲労します。
今回は、4~5日ほど調子の悪いままでした。
それだけ疲れる舞台でした。。。。
いや、体力が衰えているだけかもしれません。