2015年05月
2015年05月29日
ご祭神 安徳天皇
これも、その証拠の一つかも知れません。
東京人形町にある神社・水天宮には、なんと「碇」が祀られています。
何故、水天宮に碇が?
由緒としては、水天宮は船の水難除けのために碇を奉納しているそうです。
何となく、分かります。
でも、やはり釈然としません。
水難除けに、なにゆえ碇?
しかし、水天宮のご祭神を見れば納得です。
水天宮には、天御中主神、安徳天皇、高倉平中宮(建礼門院、平徳子)、二位の尼(平時子)が祀られているのです。
水天宮の本宮は、福岡県久留米市にあります。
元々は水の神様(天御中主神)お祀る神社だったそうですが、後に久留米の近くの海で入水した幼い天皇・安徳天皇とその母・建礼門院と、祖母の二位尼が祀られたそうです。
その水天宮を、江戸時代に久留米藩主・有馬頼徳が分霊したのが、人形町の水天宮です。
ナント、水天宮のご祭神は、壇ノ浦の合戦で入水した安徳天皇たちだったのです。
そうなってくると、同じ壇ノ浦で入水した平知盛つながりで、碇が祀られているのも何となく納得です。
神社の境内のお飾りにも影響を与えるほど、平知盛と碇のイメージは強烈なのです。
現在、水天宮といえば安産や子宝、水子供養など、子供関係のお参りに行くのが一般的です。
それは、8歳にしてご祭神となった安徳天皇にちなんでのことのようです。
さて、我が家は水天宮のすぐ近くにあります。
能「碇潜」には、水天宮のご祭神のうち、安徳天皇と二位尼が登場します。
能「碇潜」の成功を祈念して、水天宮のご祭神である安徳天皇を演じる次男を始め家族で、さる大安吉日にお参りしてきました。
現在、本殿は建て替え中ですので、近くの仮宮でのお参りです。
仮宮ですので、碇は祀られていません。
新しい、水天宮には碇は祀られるのでしょうか?
さて、滞りなくお参りを済ませて、仮宮を散策していると、
こんなものを見つけました。
ナント、水天宮には「宝生弁財天」も一緒に祀られていました。
芸事のご利益が名高いと書いてあります。
能「碇潜」は、宝生能楽堂で演じられます。
素晴らしい吉兆です。
早速、水天宮と宝生弁財天のお守りを二つ買い求めました。
大事に持ち帰り、我が家の稽古舞台・深川能舞台の神棚に飾りました。
31日の公演の成功を祈念いたします。
2015年05月28日
「能まつり」近づいてきました
私の主催公演「桑田貴志 能まつり」まで、いよいよあと3日です。
今日は、このチラシの写真で演者が持っている「碇(いかり)」についてお話します。
非常にインパクトのある持ち物です。一度見たら忘れません。
ただ、そもそも能「碇潜」にはこのような持ち物はありませんでした。
最近の考案です。
能「碇潜」のクライマックスの詞章はこうなっています。
「今はこれまで沈まんとて。鎧二領に兜二はね。なほもその身を重くなさんと。遥かなる沖の。碇の大綱えいやえいやと引き上げて。兜の上に。碇を戴き兜の上に。碇を戴きて。海底に飛んでぞ。入りにける。」
人間の身体は水に浮くようになっているので、海に身を投げるときは何か重りを身に着けるものだそうです。
そうしないと、浮かんできてしまって敵に亡き骸を取られてしまい、首を晒されてしまいます。
場合によっては生け捕りにされてしまい、武士の恥となってしまいます。
平知盛は、海に身を投げる前に、体を重くするため鎧と兜をふた組を身につけます。
原作となった平家物語では、
「見るべき程の事は見つ、今はただ自害せん」という、平家物語屈指の名台詞を述べて、「鎧二領着て・・・・・海にぞ入り給ふ」と入水したことになっています。
鎧ふた組は、大人を海に沈める重りとしては充分でしょう。
ただ、能「碇潜」の作者(残念ながら不明です)は、平知盛という人物を文字通り大人物に仕立て上げるため、鎧ふた組だけでは足りないとばかりに、碇を引き上げて頭上に担ぎ上げさせました。
「平知盛は、偉大な人物である」という人物設定として、碇を持ってきたようです。
平家物語では、平教盛・経盛が碇を担いで入水することになっています。
能の作者は、このエピソードを平知盛の入水シーンに、使ったのでしょう。
能「碇潜」では、単純に平知盛の人物設定のために碇のエピソードを持ってきたにすぎませんでした。
だから本来の能「碇潜」では、碇は詞章の中では登場しますが、実際には舞台に出てきません。
その後、能「碇潜」や「船弁慶」を翻案して、文楽・歌舞伎の「義経千本桜」の「碇知盛」の段落(「渡海屋」「大物浦」の段)がつくられたとき、「碇潜」のこの部分に注目して、実際に碇を平知盛に持たせることが考えられました。
平知盛が碇を頭上に担いで、岩からまっさかさまに落ちる(能で言うところの「仏倒れ」)クライマックスシーンは、歌舞伎の中でもインパクトの面では最大級の場面です。
平家物語には、平知盛が碇を担ぐシーンは出てきませんので、碇を担いで入水するシーンは能「碇潜」からとったエピソードでしょう。
能「碇潜」にある「兜の上に。碇を戴きて」に注目した「義経千本桜」の作者が、実際に碇を頭上に持ち上げる演出を考案したと思われます。
これは、凄い演出でした。
これがあまりにも有名になったため、「平知盛と言えば碇」が定着します。
大河ドラマなどで壇ノ浦の合戦が描かれると、平知盛は例の「見るべき程の事は見つ、今はただ自害せん」と言って、碇を担いで入水するのがお約束になっています。
これは、壇ノ浦にある平知盛の像です。
やっぱり碇を担いでいます。
これくらい有名になった「平知盛イコール碇」ですが、元は能「碇潜」の中に出てくるコトバに過ぎなかったのです。
さて、能「碇潜」は昨今様々な演出上の見直しが行われています。
歌舞伎のような「碇」を、舞台上に実際に出す演出は、その流れの中で生まれました。
能を原作とする歌舞伎はたくさんあります。
多くは、歌舞伎になると派手な演出となります。
能「碇潜」では、歌舞伎「碇知盛」で編み出された派手な演出を、能に逆輸入したという珍しいパターンです。
能って、昔から同じことをずっとやっている様に思われますが、意外に柔軟に色んな物を取り入れています。
私も、そういった先人たちの知恵を受け継いで、しっかり演じたいと思います。
2015年05月20日
能まつり「碇潜」
いよいよ、私の主催する自主公演「能まつり」が近づいてきました。
今年は、「碇潜」を演じます。
この能は、平家物語の名場面・壇ノ浦の合戦をテーマにしています。
前場では源義経の好敵手と言われた、平教経の暴れっぷりが、主に老人の仕方話で語られます。
名高い「義経八艘飛び」のエピソードや、安芸太郎次郎との戦いなどの名場面を、臨場感あふれる語りで表現しなければなりません。謡の表現力が試されます。
後場は、まず大屋形船という大きな作り物が登場し、中から安徳天皇・二位の尼・大納言局・平知盛が登場します。
そして、安徳天皇はじめ平家一門の入水から、平知盛の奮戦ぶり、そして碇を頭上に担いでの身投げなど、見どころ満載です。
お客様には、あたかも平家物語絵巻を見ているかの如く、華やかな気分にひたって頂きたく存じます。
この能は昨今、様々な演出上の見直しが行われ、分かりやすく見た目も鮮やかな内容となっています。
私もその流れにそって、少々新しい試みにも挑んでみようと思っています。
まず、舞台上に実際に碇の作り物を登場させます。
本来は扇で碇を表現するのですが、昨今では碇の作り物を本当に出す演出が試みられています。これは、能「碇潜」を元に翻案された文楽・歌舞伎の人気曲「義経千本桜」の「碇知盛」の段から着想を得たと思われます。
平知盛が体に太綱を巻きつけ、大きな碇をかつぎ上げ海にまっさかさまに飛び込んでゆく豪快な場面を、能に逆輸入したかたちとなります。
能らしく、裂ぱくの気合でこの名シーンを演じたいと思います。
そして、本来は登場しない安徳天皇を、実際に舞台上に出そうと思っています。
わずか3歳で即位し8歳で壇ノ浦に身を投げた悲劇の天皇を舞台上に登場させ、平家一門の哀れさをいっそう強調させる演出です。
ちょうど8歳となる次男・大志郎が、同い年の安徳天皇に挑みます。
本格的な子方は初めてとなる次男は、とても張り切っています。
他にも色々と演出を見直して、躍動的で面白い「碇潜」を作り上げたいと思います。
仕舞は、観世喜之師の「清経」と観世喜正師の「女郎花」。どちらも入水を扱った能です。
一人の人間が死に至るまでには様々な葛藤があります。そのドラマを並べてみると、色々な事を考えさせられます。
狂言は、TVや映画など多方面で活躍されている人気狂言師・野村萬斎師に出演して頂きます。
「棒縛」という歌舞伎にも取り入れられた人気狂言です。萬斎師の華麗で洒脱な芸を、お楽しみ下さい。
皆様のご来場をお待ち致しております。チケットご希望の方は、下記の私の公式HPからお申込み下さい。
http://www.geocities.jp/kuwata_company/
指定席は、残り少なくなっております。
ご希望の方はお早目にお申込み下さい。
2015年05月17日
武田神社 薪能
今日は、甲府市の武田神社にて薪能です。
武田信玄公をご祭神とする、武田神社にはこのような立派な能舞台があります。
能をはじめとする、信玄公にちなんで作られました。
この舞台の名称は「甲陽武能殿」と言いますが、命名は師匠の観世喜之先生です。
建設に当たっては、甲府出身の兄弟子・佐久間二郎師が尽力しました。
毎年、新緑もまぶしいこの季節に、恒例の薪能が催されます。
今年は、能「紅葉狩 鬼揃」です。
私はツレの鬼女の一人をさせて頂きました。
シテは佐久間二郎師で、ツレは私を含めて4人です。
舞台上で一緒に謡っていて気がついたのですが、今日の5人は一緒に内弟子修業をした人たちです。
20代の大半を、矢来能楽堂の楽屋で一緒に寝泊まりした書生仲間が、舞台で5人の鬼女として一緒に謡っているのって、「良いなあ」と素直に思います。
能舞台の楽屋脇には、なんと紅葉したモミジがあります。
神社の方に聞いたら、このモミジは一年中紅葉している珍しい品種だそうです。
今日の能「紅葉狩」に、ピッタリのモミジです。
神木のご利益があったのか、舞台は上手く出来たと思います。