2015年03月

2015年03月30日

義理と人情 黒田投手の男気にみる

昨日、広島カープの黒田博樹投手が日本復帰初登板を、見事な勝利で飾りました。
広島出身で生まれる前からのカープファンの私は、嬉しくてたまりません。


野球に詳しくない方のために、黒田投手のことをチョット書いてみます。

黒田投手は、今ほど人気がなく、また弱かったカープのエースとして、今から10年前くらいは孤軍奮闘の活躍でした。

その黒田投手は、2006年にFA(フリーエージェント)権といって、どの球団とも自由に交渉して良い権利を取得します。

プロ野球12球団で唯一親会社を持たない市民球団のカープは、黒田投手に満足な年棒を払うことが出来ませんでした。。

早速、巨人や阪神といったお金持ちの球団が、カープの数倍の年棒を約束して黒田獲得に乗り出します。

私も含めカープファンは、半ば諦めていました。
カープのスター選手が、FA権を取得したらお金持ち球団に移籍するのは、毎年恒例のことです。

「まあ、しょうがないなあ」
と思っていたら、黒田投手はなんと一番提示年棒が低いカープに残留してくれました。

その時に会見で言った言葉は、カープファンの心に深く浸み込みました。

「僕が他球団のユニフォームを着て、広島市民球場でカープのファン、カープの選手を相手にボールを投げるのが自分の中で想像がつかなかった」

「僕をここまでの投手に育ててくれたのはカープ。そのチームを相手に僕が目一杯ボールを投げる自信が正直なかった」

実際、黒田投手は高校時代は控え投手だったし、大学時代もそんなに注目されているピッチャーではなかった。
カープに入ってからも、最初はパッとした成績ではありませんでした。

カープというチームで、監督やコーチの言うことをよく聞いてコツコツと頑張り、ファンの温かい声援に励まされ、日本を代表するピッチャーになりました。

その恩を決して忘れずに、カープ残留を決意したのでした。

当時は、ライブドア事件などあり、「世の中はお金が全て」という風潮の中で、「お金ではなく、義理と人情」を選んだ黒田投手は、その時からカープのレジェンドになりました。

翌年、海外FA権を取得しました。これは、外国のチームにも自由に移籍出来る権利です。

カープのために残留して一年間、懸命に投げてくれた黒田投手を、今度はファンが後押しする形でメジャーリーグへ移籍することとなりました。

黒田投手は、必ずカープに戻ってくるとファンに約束してアメリカへ旅立っていきました。

メジャーリーグでは、ドジャース・ヤンキースという名門球団で大活躍して、「メジャーリーグで最も活躍した日本人」と呼ばれるほどになりました。

去年の年棒は1600万ドル(約19億円)という凄いものです。
今年は、40歳という年齢にも関わらず1800万ドル(約21億円)ものオファーを受けるなど、メジャーリーグでも屈指のピッチャーという評価でした。

しかし、黒田投手は今年電撃的に広島カープに復帰したのです。
本当に約束を守って帰って来てくれたのです。

カープファンは、メジャーリーグの黒田投手を応援しながら、
「まあ、力が衰えた晩年に一年くらい帰ってくれたら良いなあ。巨人や阪神に行かれたら嫌だなあ」
くらいに思っていました。

でも、黒田投手はそれでは意味がないと思っていました。

「現役バリバリの時に帰ってきて、カープに恩返ししたい」

その気持ちで帰って来て下さいました。

こんなに男気溢れる人がいるでしょうか?

カープが黒田投手に払う年棒は4億円だそうです。
メジャーリーグから受けた21億円のオファーには比べるべくもありません。

ご承知のように、所得税は去年の収入にかかります。
去年19億円の収入があった黒田投手は、今年は9億円ほどの所得税を払うそうです。

つまり、黒田投手は4億円もらってカープで投げるのではなく、5億円払ってカープで投げるのです。

こんな選手いますか?

カープファンに限らず、野球ファンが異常なほど黒田フィーバーを起こしているのは、こんな背景があったのです。



チョット書くつもりが、長大な紹介となってしまいました。
それくらい私も興奮しています。


さて、これからが本題です。

昨今、プロ野球人気が低迷していると言われます。
でも、それは全国ネットの地上波のTV視聴率が下がっているだけのことです。

カープを始め、中日、楽天、ソフトバンク、日本ハムなどの地方球団は地元では愛され、大人気です。

では、何故TVの視聴率が下がったのでしょう。

それは、野球ファンではない一般の人が野球を見なくなったからでしょう。

その原因は、私はFA制度にあると思います。

日本人は、やはり義理と人情が大好きなのです。

「自分を育ててくれたチームとファンのために、命を懸けて頑張る」
その姿に、心を打たれるのではないでしょうか。

ある程度活躍したら、給料の良いチームにサッサと移籍してしまう。。。

こんなことを続けていたらファンは白けてしまいます。

最近、会社でもそういう人が増えているそうです。

何もわからない新入社員時代からコツコツと育てられたのに、ある程度会社の戦力となったかと思うと、より給料のよい会社に、アッサリ転職する。

そんな人、周りにいませんか?

昨今、日本の企業の業績が悪いのはこういう風潮も原因ではないでしょうか。



私は黒田投手の気持ちが痛いほど分かります。
比べるのも僭越ですが、私も同じ気持ちです。

もし、能楽界にFA制度があってある程度のキャリアを積めば、自由に他所の流儀や一門に移籍できるとしたら。。。

たとえどんな好条件であっても、私は師匠である観世喜之門下・九皐会から離れません。

だって、今の私があるのは、観世喜之先生と故奥様のおかげだと思うからです。

何もわからず内弟子として住み込みで入門した私を、師匠と奥様は厳しく育てて下さいました。
また、ろくな芸も出来ない私を、九皐会のお客様は温かく見守って下さいました。

現在、私が能楽師として舞台に立てるのは、ひとえに喜之先生と奥様をはじめとする、九皐会の諸先輩方、そしてお客様あってのことです。

九皐会以外のところで舞台に出るなんて、全く想像できません。

師匠と奥様から受けた恩を、一生かかって返していくのが、私の務めだと思っています。

多分、能楽界にはそう考えている人、多いと思います。

義理と人情は、人間としてとても大事なものだと私は思います。


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2015年03月20日

子供は強い

6日の朝、帰国しました。
すぐに九皐会申合です。気持ちを入れ替えます。


さて、シンガポールの発表会の日、私の長男と次男も日本で大事な舞台を迎えていました。

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7日の緑泉会「鞍馬天狗」の申合です。

次男は、初めて能に子方として出演します。
そして長男は、牛若丸という大役を演じます。

次男は、ちょっと出るだけの役です。
でも、初めて能装束を着て能舞台にあがります。うまく出来るか心配です。

長男は、もう何度も子方はやっていますが、その中でも一番難しい役です。

謡も所作も沢山あります。

順調にお稽古出来れば問題ないのですが、今回はかなり厳しいスケジュールでした。

まず、申合に私が出れない。
そして直前の1月2月は、シンガポール出張のためほとんど日本にいません。

子供にとっては、とても心細いことでしょう。

そんな中、子供達は頑張りました。

特に長男は、ハードな稽古を楽しんでいました。

12月に「自然居士」の子方がありましたので、本格的なお稽古は年末からです。

年末は私が時間を取れたので、毎日集中してお稽古しました。

1月になったら、私はほとんど家にいなくなるので、12月中に覚えさせなければなりません。

1月と2月は、帰国すると長男を捕まえてお稽古という日々でした。

幸い、長男次男共にお稽古は大好きです。

私が不在の申合も首尾よくでき、当日もバッチリでした。

子供の力って、凄いですね。


只今、小学2年生の長男は子方適齢期になってきました。

今年は、子方の予定が目白押しです。

3月7日 緑泉会「鞍馬天狗」牛若
4月12日九皐会「百萬」
4月17日川越能「船弁慶」
5月10日九皐会「鞍馬天狗」花見
5月16日としま能「邯鄲」
7月11日たんたん能「船弁慶」
7月19日華宝会「望月」
7月26日若竹能「草子洗小町」
9月4日のうのう能「富士太鼓」

ざっと今年の上半期で今のところ決まっている子方の役です。

書いていて、目が回りそうです。

稽古する私が大変です。

次男も、5月31日の私の自主公演・能まつり「碇潜」でもって本格的な子方デビューです。

子方が出来るのは、ほんの短い間です。
この期間は、しっかり子供と向き合ってお稽古に精を出したいと思います。


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2015年03月05日

2015シンガポール最終便 5

発表会から一夜明け、今日は学生たちへの評価とミーティングの日です。

昨日の頑張りを称え、10週間の能のクラスの採点をしました。

採点の後は、学生とのミーティングです。
様々な質問が出ます。

今回の学生は、質問好きの人が多く、稽古の間もいろんな事を質問してきました。
能の先生に質問できるのも、今日が最後です。
大質問大会になりました。

中には、「へええ、、、 こんなことを思っていたんだ?」
と感心する質問もあります。

様々な国の人たちと過ごしてきた10週間のことが、色々思いおこされました。

毎回、この日は切ないのです。
学生たちとお別れをしなければなりません。

ミーティングが終わると、「Tiger time」いわゆる宴会です。

昼間っから、飲みまくります。
今回の学生たちは、よく飲む連中が揃っていて、何度もこうして一緒にお酒を飲みました。

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最初はおとなしく飲んでいました。

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徐々に盛り上がってきます。

途中で、インド人の学生が絵の具のようなものを持ってきます。

明日は「ホーリー祭」だから前祝いだ、と言って顔に絵の具を塗り始めました。

「ホーリー祭」とは、ヒンドゥー教のお祭りです。
普段はあまりお酒を飲まないインド人も、この日は昼間から酒を飲み、見知らぬ人同士でもお互いに絵の具を塗り合って、色水を掛け合って、大騒ぎをするそうです。

お互い絵の具だらけになった後は、「ハッピー ホーリー」といって抱き合うのが習慣のようです。

黄色と赤と緑の絵の具が基本です。
黄色は尿、赤は血、緑は田畑を現すそうでして、悪魔や邪気を払い、豊作を祈念して春の訪れを祝うお祭りです。

こういう風に、色んな国のお祭りや文化や風習が同時に楽しめるのも、多民族国家シンガポールの醍醐味です。

私がいたこの2か月の間にも、普通の正月、ポンガル・フェスティバル、タイプーサム、チャイニーズニューイヤー、ホーリー祭など、インドや中国のお祭りが目白押しでした。

そうした様々なお祭りが、それぞれの住民の間で普通に祝われているのが、シンガポールの凄いところです。

アメリカ人の学生が言っていました。

「僕は、ニューヨークにも住んでいた。よくニューヨークは人種のるつぼといって、多民族社会だと言われる。確かにニューヨークをはじめアメリカには世界中からたくさんの人種の人が集まってきます。
でも、アメリカはそういう人達に全てアメリカの文化風習を押し付けて、アメリカ化させようとする。アメリカこそ一番で、それぞれの国の人達のことなんて、全く尊重しない。
シンガポールは、色んな国の人がいて、それぞれの文化風習を尊重して、共存している。
シンガポールこそが本当の多民族社会だ」

アメリカ人に、こんなことを言わせるほど、シンガポールという国は魅力的なのです。


さて、ただでさえハイテンションで盛り上がっている学生たちが、絵の具と色水という絶好のグッズを手に入れておとなしくしているはずがありません。

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顔面中塗りたくって、大騒ぎ。

私が、ちょうど日本でライブを行っていたイギリスのロックバンド「KISS」みたいだねえ、というと皆次々に「KISS」の決めポーズをしてくれます。
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そのうち、色水を掛け合い始めると、もう止まりません。

みんな身体中絵の具に染まって、ところ構わず「ハッピーホーリー」と叫んで抱き合う変な集団と化しました。
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楽しいTiger timeは、日が暮れても続きいよいよ飛行機の時間が近づいてきました。

もうお別れです。

学生にタクシー呼んでもらいました。
学生に別れを告げます。

タクシーが到着します。
8人乗りの大きなタクシーが来ました。

すると、学生たちが次々とタクシーに乗り込んできます。

え???

「先生を空港までお見送りします」

確かに、飲んでいる時そんなことを言っていましたが、本当に来るの?
しかもそんな絵の具だらけの格好で。

それで、8人乗りタクシーなのですね。

一人でしんみりとシンガポールとのしばしの別れにひたろうと思っていた私でしたが、思わぬ盛大な別れとなりました。

乗り切れなかった学生たちは、もう一台のタクシーで後を追いかけてくれました。

ホーリー祭の熱気のまま、空港に乗り込み、また大はしゃぎ。

今までに何度も、この学校の学生たちとお別れをしていますが、空港まで来てくれたのは初めてです。

嬉しかったです。
彼らと過ごしたのは、10週間です。
長いようで短いその期間。

素晴らしい時間でした。

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嬉しさとともに、気恥ずかしさもあります。
何せ彼らは泥だらけ。

さすがに服は着替えていましたが(そうでなければタクシーに乗せてもらえなかったでしょう)、顔はまだ絵の具だらけです。

いつまでも尽きない別れの時間。
このままいてもキリがありません。
かえって別れがつらくなります。

私は程よい時に、意を決して搭乗入口に向いました。

シンガポールの空港は、入口に入るとすぐ出国検査があります。

そうそうに出国検査を済ませ、振り返ってみました。

先ほど、出国検査の前に振り返るとまだ学生たちは手を振っていました。
まだいるかなあと思って振り返りましたが、さすがに姿は見えませんでした。

もう帰ったか。。。

そう思っていると、向こうから手を振りながら走ってくる学生たちの姿が見えました。

なんと、さらに学生たちが地下鉄で追いかけてきてくれたのです。
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急いで戻ろうかと思いましたが、出国検査を済ませた後、もう戻ることは出来ません。

遠くのガラス越しで、いつまでも手を振っている学生たち。
その光景は忘れません。

出国検査で写真を撮ることは禁止されていることは知っています。
でも、ダメもとで写真を撮ってみました。
遠くだったので、誰が来てくれたか分からなかったのです。
写真を元に、後でメッセージを送ろうと思いました。

写真を撮ると、すかさず出国検査官が寄ってきます。

「ここで写真を撮るのは禁止されている」

私は没収も覚悟しました。

でも、出国検査官は私たちの別れのやりとりを見ていたのでしょう。

「写真を撮っては駄目だから、あとでその写真消しといてね」
彼はお茶目に笑っていました。


私の見送りに、空港まで大勢押し寄せてくれた学生たち。
また、お別れです。

今度学校に行くのは2年後です。
1年生は、まだ在学していますが、2年生はもう卒業しています。

もう会えなくなる人も多くいるでしょう。

でも、お互い役者です。

舞台の上でそれぞれの仕事を頑張っていれば、きっとどこかで再会できるでしょう。
そんな気がします。

現に、今回も今までの学生たちと何人も再会しました。

この間、テレビで昔の映画をやっていました。

「セーラー服と機関銃」です。
薬師丸ひろ子さんのファンだった私は懐かしくて録画して、シンガポールに持って行って見ました。

その主題歌がジーンときました。
「さよならは別れの言葉じゃなくて、再び会うための遠い約束」

今日、私は学生たちと「遠い約束」をして、シンガポールを後にしました。


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2015年03月04日

2015シンガポール最終便 4

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能のプレゼンテーションは、大成功でした。
終演後の楽屋での記念撮影をご覧下さい。みんな良い顔しています。

今回のプレゼンテーションは、仕舞、能「邯鄲」、能「紅葉狩」と、今までのプレゼンテーションの中で、一番盛りだくさんの内容でした。

2年前の14人から、22人に増えた学生に対応するために、能「邯鄲」を新たに加えました。

人数が増えると、どうしても一人一人に対するケアは少なくなってしまいます。

それにも関わらず、プレゼンテーションの演目を増やしたのですから、必然的に稽古はハードになりました。

前回は、プレゼンテーションの前は割にノンビリと通し稽古が出来たのですが、今回はギリギリまでシャカリキに稽古していました。

それでも、2月中旬まではオーストラリアからの留学生が6人いたので、割合にゆったりと稽古していました。
ずっと厳しくしていたら、プレゼンテーションまでもたないと思ったからです。

オーストラリア人達が帰ったら後の2週間は、怒濤の追い込み稽古でした。

実は、事前に学校のスタッフと話し合いました。

「今回は、人数も多く能も2番やるので、稽古時間が足りない。発表会では仕舞は出来ないと思います。」

そう言う私に対し、

「是非、学生全員に仕舞もやらせてくれ」

とのリクエストです。

「相当、ハードに稽古しなければなりません」

というわけで、ハードな稽古を課しました。

2週間で、一人1番の仕舞と能「邯鄲」「紅葉狩」を仕上げるというスーパーハード・コースです。
学生達は、よく稽古してくれました。

学生達にとって一番難しいのは、なんと言っても日本語の謡を覚えることです。

「邯鄲」「紅葉狩」共に、謡はかなり削りましたが、最低限意味が繋がるように程度の謡は必要です。

役によってはかなりの謡の量になります。

「彼らにとって、全く意味の分からない日本語のセリフを謡うのは大変なことですので、日本語の発音が少々マズいのはしょうがないかな」

自分の英語のヒドイ発音を知っている私は、そう考えていました。

でも、学校のスタッフの考えは違いました。

「彼らは、この学校を卒業したあと、シンガポールはもとより、世界中で活躍するだろう。将来、日本人の役を演じるかもしれない。日本語の台詞を言わなければならないかも知れない。その時、日本語だから覚えられませんとは、絶対に言えない。だから、日本語もキッチリ指導してくれ」

成る程ねえ。そういうことなら、こちらも手加減無しです。

演劇学校に来ている学生達ですので、所作や舞の型などは、何度か一緒に動けば、すぐに覚えます。

結局、謡を正確に謡うことにかなりの時間を費やしました。

謡が間違えずに謡えるようになったら、今度は場面に即して謡えるように稽古します。

謡の強弱や緩急、または位取りです。

その辺の稽古プロセスは、日本人の愛好者の方と何ら変わりません。

日本人だろうが外国人だろうが、能で大事なのは謡なのです。

そんな中、地謡の完成度がなかなか上がらずに苦労しました。

個人的な訓練で何とかなる役謡と違って、地謡は協同作業です。

場面に応じて、皆で声を合わせて謡うのは、並大抵のことではありません。
特に彼らは、日本語が全く分からないのですから。

能の通し稽古をしていると、どうしてもシテとかワキとか立ち役の人の稽古が中心になります。
動きを覚えるまでは、そうならざるを得ません。
地謡は、一緒に謡っておしまいという状況が続きます。

立ち役の動きがある程度整ってきたら、地謡の不揃いが気になって仕方がありません。

やはり、能にとって地謡はとても重要ということが身にしみました。

直前の稽古で、地謡を何度も注意します。

あまりにうまく謡えないので、私が一緒に謡うことも検討されました。

今回は時間が無いのでしょうがありません。地謡があまりに滅茶苦茶だと、立ち役がどんなに頑張っても能が壊れてしまいます。


そんな相談を、稽古の休憩中に喜正先生としているさなか、地謡のメンバーが集まって自主稽古をしている声が聞こえてきました。

彼らも危機感を覚えたようです。

そうです。こちらがいくら注意しても、自分達で稽古しないと、良い地謡にはなりません。

その時を境に、地謡はみるみるうちに良くなってきました。

もう、私が一緒に謡う必要はありません。

学生達の自主稽古は、プレゼンテーションの直前まで続きました。

楽屋では、至るところで学生達の謡い声が聞こえてきます。
良い雰囲気です。

私は能のプレゼンテーションの成功を確信しました。



今回の「Intercultural Theatre Institute」の能クラスに集まってきた22人の学生達。

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出身は、シンガポール、マレーシア、香港、インド、ブラジル、アメリカ、フランス、デンマークと8ヵ国に渡ります。2月中旬までいたオーストラリアとスイスからの留学生を含めると10ヵ国28人の学生達。

「能って何?」から始まった、日本語の全く分からない学生達。

最初は、正座が出来ない人までいました。
(正座で長く座っていられないという意味ではなく、膝の関節が固いのか、正座の姿勢そのものが出来ないのです。どう座っても、かかとの上にお尻が乗らない人を見て、驚きました)

それが2ヶ月後には、能面と簡単な能装束を着け、全て日本語で、学生達だけで能が出来るまでになりました。

彼らの頑張りを称えたいと思います。


彼らへの能の稽古を通じて、私も色々な事を学びました。

良い経験をさせて頂きました。


学生達は卒業後、世界中に散らばってそれぞれ演劇活動をすることでしょう。

その時に、能を懸命に稽古したことを生かして欲しいです。

そして、能の魅力を世界中の人に伝えて欲しいなと、願って止みません。


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2015年03月03日

2015シンガポール最終便 3

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今日は、いよいよ発表会のリハーサルです。

学生たちは、精力的に働きます。

私たちの感覚だと、リハーサルの日は、疲れを残さないようにゆっくりします。

でも彼らは働きます。どうやらこれも授業の一環のようです。
演劇をやる人は、役者だけではありません。小道具大道具の作成や、舞台設営や照明音響。

全て手作りの舞台です。

現に能で使う、一畳台や山の作り物、輿や枕など全て彼らの手作りです。

発表会の会場は、「SOTA」という芸術系の高校のステージです。
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高校とは思えないような立派でモダンな建物です。

まず、朝から舞台設営です。
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テキパキと指示を出す人、黙々と働く人、しゃべってばかりで全く働かない人、何もせずに遊んでいる人、色々です。
その辺は、どの国の人も同じようです。

そして、学校から荷物を運びこみます。

早々と支度が終わり、車が来るまで、けっこう待ち時間がありました。

シンガポール人などは、今どきの若者らしく、こそこそとスマホをいじっています。

インド人は、延々と歌っています。
それも、テーブルや舞台で使う柱を太鼓に見立ててリズムをとって大騒ぎです。
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お国がらですね。

学生たちは、トラックに入り込んでも、大騒ぎ。
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なかなか下りないので、どうするのかなあと思っていたら。

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そのまま荷台にのりこんだまま、扉を閉めて出発していきました。


さて、リハーサルです。
今日は、初めて全員が装束を着けて通しました。

なにせ、22人もの学生たちが次々に装束をきて、入れ替わり立ち替わり舞台に出ていきます。

今日は、私たち先生サイドの手順を確認することも大事なことでした。

いやあ、大変でした。

学生達は、頑張っています。
よくこの短期間でここまで仕上げたものだと感心します。

昨日の稽古から、主任講師の観世喜正師と、もう一人手伝いの能楽師もシンガポール入りし、盛り上がってきました。


さあ、いよいよ明日が本番です。



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