2014年08月
2014年08月29日
新たなる感動

一年遅れでハマっています。
私は、テレビはほとんど見ません。見るのはニュースとスポーツ中継位です。
したがって、今までNHKの朝ドラを、キチンと見たことは有りませんでした。
去年、周りの人があまりにも勧めるのでチョッと見てみました。もう8月の下旬ころでした。
最初は、「流行り物は取り敢えず抑えるか」的な軽い気持ちだったのですが、見始めると、その面白さに虜になり、たった一月チョッとでしたが、毎日欠かさず見ました。
その後、年末に放送された総集編も楽しんで見ました。
長い総集編だったので、録画して少しずつ見て、結局見終わったのは3月でした。
そんな話を「あまちゃん」が大好きという知人にしたら、
「いや、総集編なんかじゃあ、あまちゃんの本当の面白さは分かんないよ。総集編ではカットされた、小さなネタやエピソードが面白いんだ」
「DVDボックス持っているから、貸しますよ」
「いやいや、総集編だって見るのに3ヶ月かかったのに、全部見る時間なんて無いよ」
「1日一話、15分ずつ見たらどうです。半年で見終わりますよ」
「それは良い考えだ。そうしてみます」
かくして、3月末からちょうど一年遅れでリアルタイム視聴を始めました。
ただ、やはりなかなかテレビを見る時間は取れず、リアルタイムで見るはずが、8月末の現在、まだ5月頃の回を見ています。
私が見ている現在、主人公のアキちゃんは、北三陸で、憧れの種市先輩とデートするため、潜水士の試験を頑張っているところです。
これから、東京に行ってアイドルを目指すことになるなど、誰も想像しなかったでしょう。
そんな話をすると、周りのから
「それは羨ましい。まだ見ていない状態で、これから楽しめるんだ」
なるほど、そういう考え方もあるんだなあと思いました。
去年、リアルタイムで見ていた方が、ワクワクしながら見て感じた感動を、追体験しながら楽しんで少しずつ見ることにします。
そう考えると、まだ能を観たことが無い人が、羨ましく思えて来ました。
私が能に出会い、ワクワクしながら舞台を観て、どんどん能の面白さの虜になっていく過程を、これから楽しむことが出来るのです。
なんて羨ましい。
能が日常になった現在、観始めた学生時代のように、ワクワクしながら能を観ることはありません。
まっサラな気持ちで能を観てみたいなあと思っても、もう決して戻れません。
まだ能を観たこと無い方、チャンスですよ。
いち能役者として、心からそう思います。
2014年08月17日
深川八幡祭 神輿連合渡御
さあ、いよいよ深川八幡祭のメインイベント、神輿連合渡御がやってきました。

お祭りの日、深川は朝が早い。
私がお神輿が納められている神酒所に行ったのは、朝3時でした。
神酒所では、ご神体であるお神輿を守るため、役員が見張りを行っています。
(実際は、見張りという名の宴会かもしれません)
これから起こるハードな神輿渡御を前に、恐ろしいことに、役員の数名はほとんど寝ていない状態で臨むのです。
私が3時に神酒所に行った理由は、神酒所の番を引き継ぐためです。
泊まり込んでいる人たちは、神輿渡御に向けて、おのおの家に帰ってシャワーを浴びて祭装束に着替えます。
3時に神酒所に行った私も、やはりあまり寝ていません。
ちなみに、他の役員の集合時間は4時半です。
しかし、せっかちな深川の人間は3時半ころからチラホラ現れます。
4時を過ぎると、かなりの人数が集まっていました。
5時をまわり、ようやく明るくなってくると、深川の町は祭一色です。
早くも祭囃子が鳴り響いています。
神酒所を出発したのは5時45分でした。
ここに帰ってくるのは恐らく午後5時過ぎでしょう。
長い一日の始まりです。
約12時間かけて、町内から富岡八幡宮に集結して、連合渡御約8キロを走破して、また町内に帰って来て、また町内を渡御します。
一日の神輿の移動距離は15~16キロほどになるようです。
深川各町から、神輿が次々に永代通りに集結します。
今日、天下の永代通りは完全封鎖です。
車より神輿が優先される街、深川ならではです。
朝6時半頃には永代通りに53基の神輿が勢ぞろいします。
東京の大動脈が、今日は祭り衆で埋め尽くされてます。
神輿の担ぎ手は、総勢3万人はいると言われます。
朝の7時半の出発の時点で、2万人近くはいるのではないでしょうか。
その光景は圧巻の一言です。
私は今回も、町会青年会の役員として、主にロープを持って交通整理と警備に当たりました。
タスキをして警備係に携わっている人間は、基本的には神輿は担げません。
ちょっと寂しい気もしますが、調子に乗って担いでいたら身体が壊れてしまうので、裏方も悪くないなあと思います。
警備で神輿と並走していると、常に神輿と共に進むことが出来ます。
神輿渡御の盛り上がりを、一番近くでずっと感じられるのです。
実は、神輿を担いでいると、前の人の頭しか見えなくて、全体は見えません。
そして、肩や腰がツラくて、神輿の盛り上がりを感じている余裕などなかったりします。
裏方の役得もあります。
深川の各町を回る連合渡御の中でも、地元の町内に入ったら担がせてもらえます。
町内の神輿なので、担ぎ手みんなにとって地元の町内です。
そこでハナ棒(先頭の棒)を担ぐ栄誉は、皆が狙っています。
その栄誉ある場所では、割りに優先させて担がせてもらえます。
上の写真は、まさに地元を渡御している写真です。
タスキした連中が、神輿の前を陣取っているのが分かるかと思います。
私は、地元町内を少し担いだだけで、クタクタになりました。
あとは、もう警備でいいや。
神輿への未練は捨て、警備に専念しました。
結局、富岡八幡宮へ帰ってくるまでの連合渡御の間、神輿を担いだのは地元町内だけでした。
私は、この神輿連合渡御に参加するのは今回で3回目です。
初めての時は、10時半から仕事があったので9時までの参加でした。
(といっても、6時の出発から、3時間位じっくり担げました)
前回は、並行して行われる、子供神輿と山車の町内渡御のため、連合渡御は途中で抜けました。
つまり、深川八幡祭名物の、神輿連合渡御に全行程で参加できたのは、今回が初めてです。
「本当に良いものだなあ」と、つくづくと感じました。
深川の祭は、別名「水かけ祭」と呼ばれます。
沿道の人が、神輿と担ぎ手に向って、水をかけるのが特徴です。
水かけによって、見ている人も祭りに参加できます。
実際、水をかけると見物の人と神輿や担ぎ手の人と、グッと距離が縮まります。
町内には、所々に水を張ったタライやポリバケツ、はたまた子供用のビニールプールなどが置いてあります。
見知らぬ人どうしでも、遠慮なく水を掛け合います。
普段は強面のおじさんも、水をかけられると、一気に笑い顔です。
水を掛け合うことで、人と人、家と家、町と町、地域と地域が結ばれていきます。
深川の結束力はこうして生まれてゆくのでしょう。
我が家の子供たちは、自宅の前を通る53基の神輿を、最初から最後まで待ち構えて、水をかけ続けていたようです。
次第に近所の子供達が集まって、我が家の前は大盛り上がりだったそうです。
神輿が通り過ぎても、子供達はまだ水をかけています。
最初は神輿に水をかけていたのですが、そのうちお互いに水掛け合って遊び始めたようです。
普段、お友達にバケツで頭から水をかけようものなら大変なことになります。
かけられた方は、大泣きか、怒って大喧嘩のどちらかでしょう。
先生や親からは大目玉のはずです。
でも今日は、お互いに水を掛け合って大はしゃぎ。
まわりで見ている、親や大人も、笑って見守っています。
子供達にとって、こんなに楽しいことはないでしょう。
とにかくお祭り期間中、笑顔であふれています。
老若男女、みんな満面の笑顔です。
笑う門には福来る。お祭りは、絶対に幸福を運んでくることでしょう。
さて、連合渡御を終えて、神輿は町内に帰ってきます。
連合渡御の最中は、神輿の進行係である睦会の人たちも、厳しい顔して大声で怒鳴り散らしていましたが、地元町内に戻ってくると、やはり顔が緩みます。
もうすぐ神輿渡御もおしまいです。
安堵と寂しさが入り混じります。
町内に帰ると、担ぎ手の家族達が神輿の周りに集まってきます。
このアットホームな雰囲気が最高です。
「あ、もうすぐお前ん家だ、ハナ棒(先頭の棒)担げよ」
「あ、あそこにお前の子供が、バケツ構えて待ってるぞ。ちょっと速度緩めるか」
「ここは、総代の誰々さんの家だ。神輿をモミサシだあ(神輿を上げ下ろしして、たたくこと)」
など、お互いの家や家族を知っているからこその一体感が出てきます。
私も、町内渡御になったら、神輿を担がせてもらいました。
それまでずっと神輿の盛り上がりを横で見ていた分、神輿に肩を入れた時の喜びは格別です。
しかも、普段歩いている地元町内です。
私の子供達も、バケツを持って神輿と並走しています。
もう、神輿警備の必要もありません。
担いでいる人も、並走している人も、沿道で見ている人も、同じ町内の、大きな家族です。
ああ、祭って楽しい。。。。。
身も心も温まった状態で、神輿渡御は終了しました。
次は、3年後です。
今日の主役だった神輿は、3年間倉庫で眠ることになります。
3年間のうち、数日しか姿を見せない神輿。
でも、それは私たち深川っ子の心の拠り所なのです。

お役目を終えて、お仮屋で佇むお神輿。
本当にお疲れ様でした。
三年後にまた会いましょう。

お祭りの日、深川は朝が早い。
私がお神輿が納められている神酒所に行ったのは、朝3時でした。
神酒所では、ご神体であるお神輿を守るため、役員が見張りを行っています。
(実際は、見張りという名の宴会かもしれません)
これから起こるハードな神輿渡御を前に、恐ろしいことに、役員の数名はほとんど寝ていない状態で臨むのです。
私が3時に神酒所に行った理由は、神酒所の番を引き継ぐためです。
泊まり込んでいる人たちは、神輿渡御に向けて、おのおの家に帰ってシャワーを浴びて祭装束に着替えます。
3時に神酒所に行った私も、やはりあまり寝ていません。
ちなみに、他の役員の集合時間は4時半です。
しかし、せっかちな深川の人間は3時半ころからチラホラ現れます。
4時を過ぎると、かなりの人数が集まっていました。
5時をまわり、ようやく明るくなってくると、深川の町は祭一色です。
早くも祭囃子が鳴り響いています。
神酒所を出発したのは5時45分でした。
ここに帰ってくるのは恐らく午後5時過ぎでしょう。
長い一日の始まりです。
約12時間かけて、町内から富岡八幡宮に集結して、連合渡御約8キロを走破して、また町内に帰って来て、また町内を渡御します。
一日の神輿の移動距離は15~16キロほどになるようです。
深川各町から、神輿が次々に永代通りに集結します。
今日、天下の永代通りは完全封鎖です。
車より神輿が優先される街、深川ならではです。
朝6時半頃には永代通りに53基の神輿が勢ぞろいします。
東京の大動脈が、今日は祭り衆で埋め尽くされてます。
神輿の担ぎ手は、総勢3万人はいると言われます。
朝の7時半の出発の時点で、2万人近くはいるのではないでしょうか。
その光景は圧巻の一言です。
私は今回も、町会青年会の役員として、主にロープを持って交通整理と警備に当たりました。
タスキをして警備係に携わっている人間は、基本的には神輿は担げません。
ちょっと寂しい気もしますが、調子に乗って担いでいたら身体が壊れてしまうので、裏方も悪くないなあと思います。
警備で神輿と並走していると、常に神輿と共に進むことが出来ます。
神輿渡御の盛り上がりを、一番近くでずっと感じられるのです。
実は、神輿を担いでいると、前の人の頭しか見えなくて、全体は見えません。
そして、肩や腰がツラくて、神輿の盛り上がりを感じている余裕などなかったりします。
裏方の役得もあります。
深川の各町を回る連合渡御の中でも、地元の町内に入ったら担がせてもらえます。
町内の神輿なので、担ぎ手みんなにとって地元の町内です。
そこでハナ棒(先頭の棒)を担ぐ栄誉は、皆が狙っています。
その栄誉ある場所では、割りに優先させて担がせてもらえます。
上の写真は、まさに地元を渡御している写真です。
タスキした連中が、神輿の前を陣取っているのが分かるかと思います。
私は、地元町内を少し担いだだけで、クタクタになりました。
あとは、もう警備でいいや。
神輿への未練は捨て、警備に専念しました。
結局、富岡八幡宮へ帰ってくるまでの連合渡御の間、神輿を担いだのは地元町内だけでした。
私は、この神輿連合渡御に参加するのは今回で3回目です。
初めての時は、10時半から仕事があったので9時までの参加でした。
(といっても、6時の出発から、3時間位じっくり担げました)
前回は、並行して行われる、子供神輿と山車の町内渡御のため、連合渡御は途中で抜けました。
つまり、深川八幡祭名物の、神輿連合渡御に全行程で参加できたのは、今回が初めてです。
「本当に良いものだなあ」と、つくづくと感じました。
深川の祭は、別名「水かけ祭」と呼ばれます。
沿道の人が、神輿と担ぎ手に向って、水をかけるのが特徴です。
水かけによって、見ている人も祭りに参加できます。
実際、水をかけると見物の人と神輿や担ぎ手の人と、グッと距離が縮まります。
町内には、所々に水を張ったタライやポリバケツ、はたまた子供用のビニールプールなどが置いてあります。
見知らぬ人どうしでも、遠慮なく水を掛け合います。
普段は強面のおじさんも、水をかけられると、一気に笑い顔です。
水を掛け合うことで、人と人、家と家、町と町、地域と地域が結ばれていきます。
深川の結束力はこうして生まれてゆくのでしょう。
我が家の子供たちは、自宅の前を通る53基の神輿を、最初から最後まで待ち構えて、水をかけ続けていたようです。
次第に近所の子供達が集まって、我が家の前は大盛り上がりだったそうです。
神輿が通り過ぎても、子供達はまだ水をかけています。
最初は神輿に水をかけていたのですが、そのうちお互いに水掛け合って遊び始めたようです。
普段、お友達にバケツで頭から水をかけようものなら大変なことになります。
かけられた方は、大泣きか、怒って大喧嘩のどちらかでしょう。
先生や親からは大目玉のはずです。
でも今日は、お互いに水を掛け合って大はしゃぎ。
まわりで見ている、親や大人も、笑って見守っています。
子供達にとって、こんなに楽しいことはないでしょう。
とにかくお祭り期間中、笑顔であふれています。
老若男女、みんな満面の笑顔です。
笑う門には福来る。お祭りは、絶対に幸福を運んでくることでしょう。
さて、連合渡御を終えて、神輿は町内に帰ってきます。
連合渡御の最中は、神輿の進行係である睦会の人たちも、厳しい顔して大声で怒鳴り散らしていましたが、地元町内に戻ってくると、やはり顔が緩みます。
もうすぐ神輿渡御もおしまいです。
安堵と寂しさが入り混じります。
町内に帰ると、担ぎ手の家族達が神輿の周りに集まってきます。
このアットホームな雰囲気が最高です。
「あ、もうすぐお前ん家だ、ハナ棒(先頭の棒)担げよ」
「あ、あそこにお前の子供が、バケツ構えて待ってるぞ。ちょっと速度緩めるか」
「ここは、総代の誰々さんの家だ。神輿をモミサシだあ(神輿を上げ下ろしして、たたくこと)」
など、お互いの家や家族を知っているからこその一体感が出てきます。
私も、町内渡御になったら、神輿を担がせてもらいました。
それまでずっと神輿の盛り上がりを横で見ていた分、神輿に肩を入れた時の喜びは格別です。
しかも、普段歩いている地元町内です。
私の子供達も、バケツを持って神輿と並走しています。
もう、神輿警備の必要もありません。
担いでいる人も、並走している人も、沿道で見ている人も、同じ町内の、大きな家族です。
ああ、祭って楽しい。。。。。
身も心も温まった状態で、神輿渡御は終了しました。
次は、3年後です。
今日の主役だった神輿は、3年間倉庫で眠ることになります。
3年間のうち、数日しか姿を見せない神輿。
でも、それは私たち深川っ子の心の拠り所なのです。

お役目を終えて、お仮屋で佇むお神輿。
本当にお疲れ様でした。
三年後にまた会いましょう。
2014年08月16日
バロン倶楽部 奉納

深川バロン倶楽部とは、バリ島のガムランとバリ舞踊を行うグループです。
毎年8月15日に、富岡八幡宮で奉納することが活動の柱となっています。
私は、深川に引っ越して以来、自宅能舞台の鏡板の松の絵を制作していただいたのが、バロン倶楽部のリーダーという縁で、何かと関わっています。
国立劇場に出演させていただいたこともあります。
詳しくは、下の日記をご覧ください。
http://shitashimu.dreamlog.jp/archives/2011-02-01.html
ただ今年の奉納は、忙しくて全く練習に関われなかったので、警備を主に担当しました。
また、冒頭のブレガンジュールという行進の時、高張提灯を持つという大役もさせて頂きました。
深川バロン倶楽部の特徴は、バリの芸能を深川のお祭り文化と融合させて、深川の地元神楽を作り上げていることです。
ですから、バリ式行進の先頭が、お祭りの高張提灯だったりするのです。
当初は、提灯を持ってゆっくり行進してくれと言われていました。
そのつもりで行き、打ち合わせと練習をしているうちに、何故か提灯を持ってバリ舞踊を踊ることになってしまいました。
このアドリブ満載の感じ、嫌いではありません。
本番の行進時は、もう一人の提灯を持っている人を横目で追いながら、ひたすら真似していました。
行進のあとは。場内警備です。
前日の能奉納にも、たくさんのお客様にお運び頂きましたが、バロン倶楽部奉納の時のお客様は、桁違いです。
富岡八幡宮の境内に、立錐の余地がないくらいお客様であふれています。
事故なく進行するため、場内整備が必要なのです。

警備していると、間近で見ることが出来ます。
これは、警備担当者の役得です。
チョコっと撮影して見ました。
聖獣バロンとランダとの戦いの場面です。
神社の境内、バリ舞踊が意外とはまっている様子が、見て取れます。
江戸三大祭の一つ深川八幡祭で、能を奉納して続けてガムラン奉納に関わるようになって、6年になります。
神社の神職の方にも、すっかりおなじみになりました。
私のバリ舞踊のスタイルを見て、何人もの方にこう言われました。
「あら、今日はこの格好ですか」
「昨日は、深川能舞台の代表でしたけど、今日はバロン倶楽部の下っ端です。頑張って働いています」
私はこう言って、神職の方と大笑い。
「能奉納」と「バロン倶楽部」
出来る限り両立したいと思います。
2014年08月15日
深川八幡祭 子供神輿
今日は、江戸三大祭のひとつ・深川八幡祭の町内子供神輿渡御でした。
次代を担う多くの子供たちが、集結して町内を神輿で練り歩きます。
この子供神輿に対する大人たちのサポートぶりは凄いなあと、いつも感心します。
だから、深川の祭は老若男女みなが楽しみ、次代にも引き継がれていくのです。
昨日、キチンと袴を履いて能奉納を勤めた長男と次男は、今日は町会の半纏を身にまとって、堂々とした神輿の担ぎっぷりでした。
子供神輿の華は、小学校低学年です。
高学年になると、自然に小さい子に神輿を譲る風習があります。
背がバラバラだと、肩の高さが合わないので、どちらかにそろえる必要があります。
小さい子に神輿を譲る、高学年の姿勢は感心します。
高学年になると、給水や交通整理など、手伝っている子もいます。
この結束力は、深川ならではです。
凄いことに、こうした情景が同時進行で深川の53町会全てで行われています。
今日、深川の街では、どこかかしこで子供たちの可愛らしくも威勢の良い神輿渡御が見れます。

この子供神輿に対する大人たちのサポートぶりは凄いなあと、いつも感心します。
だから、深川の祭は老若男女みなが楽しみ、次代にも引き継がれていくのです。
昨日、キチンと袴を履いて能奉納を勤めた長男と次男は、今日は町会の半纏を身にまとって、堂々とした神輿の担ぎっぷりでした。
子供神輿の華は、小学校低学年です。
高学年になると、自然に小さい子に神輿を譲る風習があります。
背がバラバラだと、肩の高さが合わないので、どちらかにそろえる必要があります。
小さい子に神輿を譲る、高学年の姿勢は感心します。
高学年になると、給水や交通整理など、手伝っている子もいます。
この結束力は、深川ならではです。
凄いことに、こうした情景が同時進行で深川の53町会全てで行われています。
今日、深川の街では、どこかかしこで子供たちの可愛らしくも威勢の良い神輿渡御が見れます。
2014年08月14日
能奉納「菊慈童」奉納
深川八幡祭 能奉納「菊慈童」、滞りなく演じました。
14日は、朝から曇り空。どうなるかなあと思っているうちに、午後から雨が降ってきました。
能奉納6回目にして、初めて雨天の奉納となりました。
雨天時は本殿でさせて頂けます。
伝統と歴史のある、富岡八幡宮の本殿の内拝殿での能奉納は、とても良い雰囲気です。荘厳な気分で演じることが出来ました。
三年前、東日本大震災の年は、境内に神楽殿を建てなかったので、やはり内拝殿でさせて頂きました。今回は2度目です。
雨の功名というか、かえって良い舞台となりました。
今年は、いつもの私が指導する社中の発表会の他に、江東区謡曲連盟の方々にも出演していただきました。
出演者も多く、たいそう賑やかな奉納となりました。
最初は、いつも通り子供達の仕舞です。
次男・大志郎は「鶴亀」を、長男・潤之介は「合浦」で幕開けです。
次男は、突然場所が変わって、薄暗い内拝殿での仕舞でしたので、少々緊張していたようです。
最初のシテ謡は、いつもの半分の声でした。
いつもは、うるさいくらいの大声なのですが、普通の大声。まあ、普通の基準だと充分な声量でしょう。
長男は、ずうずうしい位に落ち着いていましたね。
さすが、色んな舞台に出ているだけあって、8歳なのに場馴れしています。
お弟子さんたちも、内拝殿という重々しい雰囲気なのでもっと緊張するかと思いましたが、皆様堂々と演じていました。
むしろ、場の雰囲気が出演者に乗り移ったかのようでした。
「場」の力って、やはりありますね。
初参加の江東区謡曲連盟の方々は、みなさんベテラン揃いですね。
初めてなのに、物おじしない舞台ぶり。流石でした。
例年の通り、社中の発表を終えてクタクタの状態で急いで装束を着て、能「菊慈童」です。
今回は時間の関係で前半のワキとの問答を大幅にカットして、後半の舞をじっくり見せる構成にしました。
菊慈童は、舞い慣れていますので、不安もなく楽しく舞えました。
舞っていて、お弟子さんたちに感じた「場」の力を、私も感じました。
うしろから八幡様に見守っていただいている感覚がありました。
なんだか、舞いがとてもスムーズだったように感じます。
能は、祭の場での奉納が起源です。
自分でその場で演じさせて頂くと、能の原始のスタイルが思いおこされます。
お客様は、今年も一杯でした。
外拝殿が、見所だったのですが、座れないお客様が立ち見であふれていました。
能奉納も、6回目を迎えて浸透してきたようです。
毎年いらっしゃるというお客様もたくさんいらっしゃるそうです。
深川の風物詩を目指して、これからも頑張ってゆきます。
14日は、朝から曇り空。どうなるかなあと思っているうちに、午後から雨が降ってきました。
能奉納6回目にして、初めて雨天の奉納となりました。
雨天時は本殿でさせて頂けます。
伝統と歴史のある、富岡八幡宮の本殿の内拝殿での能奉納は、とても良い雰囲気です。荘厳な気分で演じることが出来ました。
三年前、東日本大震災の年は、境内に神楽殿を建てなかったので、やはり内拝殿でさせて頂きました。今回は2度目です。
雨の功名というか、かえって良い舞台となりました。
今年は、いつもの私が指導する社中の発表会の他に、江東区謡曲連盟の方々にも出演していただきました。
出演者も多く、たいそう賑やかな奉納となりました。
最初は、いつも通り子供達の仕舞です。
次男・大志郎は「鶴亀」を、長男・潤之介は「合浦」で幕開けです。
次男は、突然場所が変わって、薄暗い内拝殿での仕舞でしたので、少々緊張していたようです。
最初のシテ謡は、いつもの半分の声でした。
いつもは、うるさいくらいの大声なのですが、普通の大声。まあ、普通の基準だと充分な声量でしょう。
長男は、ずうずうしい位に落ち着いていましたね。
さすが、色んな舞台に出ているだけあって、8歳なのに場馴れしています。
お弟子さんたちも、内拝殿という重々しい雰囲気なのでもっと緊張するかと思いましたが、皆様堂々と演じていました。
むしろ、場の雰囲気が出演者に乗り移ったかのようでした。
「場」の力って、やはりありますね。
初参加の江東区謡曲連盟の方々は、みなさんベテラン揃いですね。
初めてなのに、物おじしない舞台ぶり。流石でした。
例年の通り、社中の発表を終えてクタクタの状態で急いで装束を着て、能「菊慈童」です。
今回は時間の関係で前半のワキとの問答を大幅にカットして、後半の舞をじっくり見せる構成にしました。
菊慈童は、舞い慣れていますので、不安もなく楽しく舞えました。
舞っていて、お弟子さんたちに感じた「場」の力を、私も感じました。
うしろから八幡様に見守っていただいている感覚がありました。
なんだか、舞いがとてもスムーズだったように感じます。
能は、祭の場での奉納が起源です。
自分でその場で演じさせて頂くと、能の原始のスタイルが思いおこされます。
お客様は、今年も一杯でした。
外拝殿が、見所だったのですが、座れないお客様が立ち見であふれていました。
能奉納も、6回目を迎えて浸透してきたようです。
毎年いらっしゃるというお客様もたくさんいらっしゃるそうです。
深川の風物詩を目指して、これからも頑張ってゆきます。