2014年02月
2014年02月23日
「弱法師」御礼
本日、若竹能「弱法師」を終えました。
満員御礼札止めとなりました。チケットをおことわりしてしまった方々、申し訳ございません。
ご来場の皆さま、まことに有難うございました。
今回は、少々悔いの残る舞台です。この能が習い物となっていることを実感させられました。
冒頭に、橋掛りで長い謡を謡います。
ある意味、この能の最大の特徴です。
舞台から一番遠い三の松で「一セイ・サシ・下歌」と謡います。
上歌になったら徐々に橋掛りを歩み始めて、上歌の終わりの方の「石の鳥居」の時にうまくシテ柱に杖を当てるのです。
その見計らいは、我ながら首尾よくいったと思います。
謡のリズムやテンポにうまく合わせて歩んでいって、ちょうどのタイミングで柱に杖を当てるのは、なかなか至難の技なのです。
ここの謡は、どのように謡うのか、なかなか感じがつかめません。
暗い内容の詞章なのですが、「弱法師」という能自体はどちらかと言うと明るい曲趣ですので、あまり冒頭からどんよりしたくありません。
師匠や先輩からも、ここの謡については色々指導を受けました。
時には正反対のことを言われたりもしました。
弱法師という盲目の美青年の、線の細い清らかな存在感を出したいと思っていました。
自分なりに工夫してこだわったところでした。
上歌が終わって舞台に着いたところで、もうクタクタでした。
能面の下の顔面は、汗びっしょりです。
その後のワキとの問答で、徐々に汗が引いてゆきます。
何となく、力がみなぎっていく感じがします。
クセが終わって、「弱法師」の眼目の狂いの舞のころになると、気力が充実しています。
舞いながら、スゴイ冷静で周りも良く見えました。
お客様の反応も、ダイレクトに伝わってきました。
舞いながら、自分を客観視しているような感覚・・・
こんなこと初めてです。
我ながら調子よく舞っていたように思います。
しかし、そこに落とし穴がありました。
狂い舞の最後に、杖を落としてそれを捜す型があります。
そこで、自分の足元に落とした杖が転がってしまったのです。
ここは、杖を落としてしまった弱法師が懸命に手探りで捜すシーンです。
もちろん、分かるところに杖を落として、捜すふりをするだけです。
今回の場合は、本当に見失ってしまいました。
能面を着けていると、ほとんど視界がなく、想定の場所に杖がないと、本当にどこにあるか分からなくなってしまいます。
あるべきところに杖がなく、とまどいました。
実際は、ちょっと前にあったのですが私からは見えていません。後見がすかさず杖を引き寄せてくださいまして、事なきを得ました。
ただ、自分でも驚くほど冷静でした。
杖を落としたとき、転がる音を聞きました。今までの稽古で、杖が転がったことはないので安心していましたが、今回はどうもいつもと音が違う・・・
そう思い、杖がないことも予想していました。後見が近づいてくる音も聞こえます。
「あ、きっと杖は転がってしまったんだ。後見が来ているから、ここは任せよう」
とっさにそう判断しました。
盲目の青年を演じていたので、感覚まで鋭くなったのかも知れません。
何とか乗り切りました。後は、最後のロンギです。
ロンギは、コトバを間違えやすいので注意して謡いました。
首尾よく謡い、いよいよ最後のコトバ
「こは夢かとて」と、膝を叩く型のあるところ・・・
ここで、なんと違う曲のロンギのコトバが出てきました。
そのコトバを発してすぐ、「あ、これでは膝を叩けない・・・」
とっさに気がつき、慌てて言い直すという失態を演じてしまいました。
あああ、画竜点睛を欠くとはこのこと。最後の最後で何たること。。。
「弱法師」の狂いの舞は、盲目ながら(だからこそ)色んなものが見えるという喜びの舞です。
興に乗じた弱法師は、淡路島・江島・須磨・明石・和歌山の海までが、全て見えると喜び、
南には住吉神社、東は草香山、北は長柄の橋、全て見える、見えると喜んで駆け回ります。
するとそこに落とし穴。行き合いの人にぶつかり、転んで杖を落としてしまうのです。
全て見渡せると、興に乗じて夢見心地で駆け回っているうちに、一気に盲目という現実に引き戻され落胆するという舞なのです。
今回の私は、まさにそれでした。
いつになく絶好調で舞ってたら、最後に落とし穴があり、一気に引き落とされた感じです。
総体的には精一杯出来たという手ごたえがあるだけに、最後が悔やまれます。
弱法師、手ごわい能でした。本当に勉強させられる能でした。
能の怖さを思い知らされました。そして同時に、多くのコトを得たように思います。
観世喜之先生のもとに入門して以来、弱法師のごとく盲目に突っ走ってきたように思います。
これからは少々、立ち止まって回りを見渡すことも大事かなあと感じました。
能楽界という暗闇の中を、盲目に進んできた私にとって、一筋の光明が見えた舞台だったように思います。
満員御礼札止めとなりました。チケットをおことわりしてしまった方々、申し訳ございません。
ご来場の皆さま、まことに有難うございました。
今回は、少々悔いの残る舞台です。この能が習い物となっていることを実感させられました。
冒頭に、橋掛りで長い謡を謡います。
ある意味、この能の最大の特徴です。
舞台から一番遠い三の松で「一セイ・サシ・下歌」と謡います。
上歌になったら徐々に橋掛りを歩み始めて、上歌の終わりの方の「石の鳥居」の時にうまくシテ柱に杖を当てるのです。
その見計らいは、我ながら首尾よくいったと思います。
謡のリズムやテンポにうまく合わせて歩んでいって、ちょうどのタイミングで柱に杖を当てるのは、なかなか至難の技なのです。
ここの謡は、どのように謡うのか、なかなか感じがつかめません。
暗い内容の詞章なのですが、「弱法師」という能自体はどちらかと言うと明るい曲趣ですので、あまり冒頭からどんよりしたくありません。
師匠や先輩からも、ここの謡については色々指導を受けました。
時には正反対のことを言われたりもしました。
弱法師という盲目の美青年の、線の細い清らかな存在感を出したいと思っていました。
自分なりに工夫してこだわったところでした。
上歌が終わって舞台に着いたところで、もうクタクタでした。
能面の下の顔面は、汗びっしょりです。
その後のワキとの問答で、徐々に汗が引いてゆきます。
何となく、力がみなぎっていく感じがします。
クセが終わって、「弱法師」の眼目の狂いの舞のころになると、気力が充実しています。
舞いながら、スゴイ冷静で周りも良く見えました。
お客様の反応も、ダイレクトに伝わってきました。
舞いながら、自分を客観視しているような感覚・・・
こんなこと初めてです。
我ながら調子よく舞っていたように思います。
しかし、そこに落とし穴がありました。
狂い舞の最後に、杖を落としてそれを捜す型があります。
そこで、自分の足元に落とした杖が転がってしまったのです。
ここは、杖を落としてしまった弱法師が懸命に手探りで捜すシーンです。
もちろん、分かるところに杖を落として、捜すふりをするだけです。
今回の場合は、本当に見失ってしまいました。
能面を着けていると、ほとんど視界がなく、想定の場所に杖がないと、本当にどこにあるか分からなくなってしまいます。
あるべきところに杖がなく、とまどいました。
実際は、ちょっと前にあったのですが私からは見えていません。後見がすかさず杖を引き寄せてくださいまして、事なきを得ました。
ただ、自分でも驚くほど冷静でした。
杖を落としたとき、転がる音を聞きました。今までの稽古で、杖が転がったことはないので安心していましたが、今回はどうもいつもと音が違う・・・
そう思い、杖がないことも予想していました。後見が近づいてくる音も聞こえます。
「あ、きっと杖は転がってしまったんだ。後見が来ているから、ここは任せよう」
とっさにそう判断しました。
盲目の青年を演じていたので、感覚まで鋭くなったのかも知れません。
何とか乗り切りました。後は、最後のロンギです。
ロンギは、コトバを間違えやすいので注意して謡いました。
首尾よく謡い、いよいよ最後のコトバ
「こは夢かとて」と、膝を叩く型のあるところ・・・
ここで、なんと違う曲のロンギのコトバが出てきました。
そのコトバを発してすぐ、「あ、これでは膝を叩けない・・・」
とっさに気がつき、慌てて言い直すという失態を演じてしまいました。
あああ、画竜点睛を欠くとはこのこと。最後の最後で何たること。。。
「弱法師」の狂いの舞は、盲目ながら(だからこそ)色んなものが見えるという喜びの舞です。
興に乗じた弱法師は、淡路島・江島・須磨・明石・和歌山の海までが、全て見えると喜び、
南には住吉神社、東は草香山、北は長柄の橋、全て見える、見えると喜んで駆け回ります。
するとそこに落とし穴。行き合いの人にぶつかり、転んで杖を落としてしまうのです。
全て見渡せると、興に乗じて夢見心地で駆け回っているうちに、一気に盲目という現実に引き戻され落胆するという舞なのです。
今回の私は、まさにそれでした。
いつになく絶好調で舞ってたら、最後に落とし穴があり、一気に引き落とされた感じです。
総体的には精一杯出来たという手ごたえがあるだけに、最後が悔やまれます。
弱法師、手ごわい能でした。本当に勉強させられる能でした。
能の怖さを思い知らされました。そして同時に、多くのコトを得たように思います。
観世喜之先生のもとに入門して以来、弱法師のごとく盲目に突っ走ってきたように思います。
これからは少々、立ち止まって回りを見渡すことも大事かなあと感じました。
能楽界という暗闇の中を、盲目に進んできた私にとって、一筋の光明が見えた舞台だったように思います。
2014年02月22日
「弱法師」前夜
いよいよ明日、若竹能です。
私は、準九番習いの難曲「弱法師」に挑みます。
今まで、習い物は、「千歳」「猩々乱」「石橋」「道成寺」と勤めました。
これらは、能楽師の登竜門として設定されており、比較的若い時期に初演(披き)します。
「道成寺」を演じると、一人前の能楽師と見なされ、いよいよ本格的に習い物に挑んでゆきます。
私にも、いよいよやってきました。
明日の「弱法師」は、初めて取り組む習い物です。
この何カ月間、「弱法師」の稽古を続けてみて・・・・
やはり習い物は違います。
色んなカベにぶち当たりました。
それを一つひとつ乗り越えていって、今日を終えました。
明日はもう開き直って、しっかり演じてきます。
私は、準九番習いの難曲「弱法師」に挑みます。
今まで、習い物は、「千歳」「猩々乱」「石橋」「道成寺」と勤めました。
これらは、能楽師の登竜門として設定されており、比較的若い時期に初演(披き)します。
「道成寺」を演じると、一人前の能楽師と見なされ、いよいよ本格的に習い物に挑んでゆきます。
私にも、いよいよやってきました。
明日の「弱法師」は、初めて取り組む習い物です。
この何カ月間、「弱法師」の稽古を続けてみて・・・・
やはり習い物は違います。
色んなカベにぶち当たりました。
それを一つひとつ乗り越えていって、今日を終えました。
明日はもう開き直って、しっかり演じてきます。
2014年02月03日
花盛りの花見の稚児
昨日、のうのう能別会で「鞍馬天狗」が上演されました。
この能は、前半に沢山の子方が花見の稚児として登場します。
私の長男・潤之介も登場いたしますが、今回のメインは初舞台の子供たちでしょう。
観世喜正師のご長女の和歌ちゃんを始め、佐久間瑞稀ちゃん、鵜沢龍之介くん、一噌隆晴くん、遠藤寛和くんと、3歳から5歳の精鋭5人のチビッ子能楽師たちが初舞台で舞台に花を添えました。
思えば、ウチの子供も3歳で観世喜之師の花見の稚児を勤めたのが初舞台(初子方)でした。
その時は、終始ハラハラしっぱなしで、生きた心地がしませんでした。
http://shitashimu.dreamlog.jp/archives/2009-12-13.html
詳しくは、上記の日記をご覧ください。
今回、初舞台を迎えたチビッ子能楽師たちも、いずれも親子共演です。番組をよく見て、名字が同じ人を当ててください。
いずれのお父さん方も、落ち着かない様子でソワソワしていましたね。
世阿弥は、本当の芸の高みの境地を「真の花」と呼び、
若い頃の見た目の勢いから出てくる面白さを「時分の花」と呼んで、区別しました。
昨日の舞台は、正に究極の「時分の花」の勢ぞろい。
舞台上は、まさに春爛漫でした。
この能は、前半に沢山の子方が花見の稚児として登場します。
私の長男・潤之介も登場いたしますが、今回のメインは初舞台の子供たちでしょう。
観世喜正師のご長女の和歌ちゃんを始め、佐久間瑞稀ちゃん、鵜沢龍之介くん、一噌隆晴くん、遠藤寛和くんと、3歳から5歳の精鋭5人のチビッ子能楽師たちが初舞台で舞台に花を添えました。
思えば、ウチの子供も3歳で観世喜之師の花見の稚児を勤めたのが初舞台(初子方)でした。
その時は、終始ハラハラしっぱなしで、生きた心地がしませんでした。
http://shitashimu.dreamlog.jp/archives/2009-12-13.html
詳しくは、上記の日記をご覧ください。
今回、初舞台を迎えたチビッ子能楽師たちも、いずれも親子共演です。番組をよく見て、名字が同じ人を当ててください。
いずれのお父さん方も、落ち着かない様子でソワソワしていましたね。
世阿弥は、本当の芸の高みの境地を「真の花」と呼び、
若い頃の見た目の勢いから出てくる面白さを「時分の花」と呼んで、区別しました。
昨日の舞台は、正に究極の「時分の花」の勢ぞろい。
舞台上は、まさに春爛漫でした。
2014年02月01日
新作能「小山安犬」
今日は、栃木県小山市にて能公演。
小山市制60周年を記念したイベントでした。
演じられたのは、小山市のご当地能である、新作能「小山安犬」
市制50周年を記念して、中森貫太師中心となって複曲した能です。
元々の作者は、左阿弥という能作者です。左阿弥は、「殺生石」や「望月」の作者として知られます。
50周年、55周年に続いて、今回は3度目の上演です。
この能は、小山市を舞台に起こった「小山義政の乱」を題材に採った能ということで、小山市の周年事業としてすっかり定着したようです。
毎回、事実上に主役といえる子方・小山安犬丸は、小山市の小学生が演じます。
今回は、安犬丸の従者も地元の小学生が演じていました。
2人ともとても元気よく、立派に勤めていました。
私は、安犬丸を襲うがあっさりやられる武士の役です。
子方にバッサリ、豪快に斬られてしまいました。
なかなか面白い能です。
次の上演は、市制65周年の時でしょうかねえ。
ところで、帰りに休憩のために東北自動車道の羽生PAに寄ったら、なんと江戸の町並みが・・・
これは、「鬼平江戸処」という趣向のPAです。
ひと月ほど前にオープンしたばかりのようです。
ついにPAも、テーマパーク化しました。
土曜日の夕方ということもあって、すごい人だかりです。
PAの中も、ご覧の混雑ぶり。
トイレに行ってコーヒーを買いたかっただけなのに、長時間並ばなければなりませんでした。
急いでいるときは困りますが、なかなか良い風情で、ドライブの良い息抜きになります。
これは、羽田空港の国際線のターミナルですが、このセンスのなさよりは、ずっと楽しめました。
小山市制60周年を記念したイベントでした。
演じられたのは、小山市のご当地能である、新作能「小山安犬」
市制50周年を記念して、中森貫太師中心となって複曲した能です。
元々の作者は、左阿弥という能作者です。左阿弥は、「殺生石」や「望月」の作者として知られます。
50周年、55周年に続いて、今回は3度目の上演です。
この能は、小山市を舞台に起こった「小山義政の乱」を題材に採った能ということで、小山市の周年事業としてすっかり定着したようです。
毎回、事実上に主役といえる子方・小山安犬丸は、小山市の小学生が演じます。
今回は、安犬丸の従者も地元の小学生が演じていました。
2人ともとても元気よく、立派に勤めていました。
私は、安犬丸を襲うがあっさりやられる武士の役です。
子方にバッサリ、豪快に斬られてしまいました。
なかなか面白い能です。
次の上演は、市制65周年の時でしょうかねえ。
ところで、帰りに休憩のために東北自動車道の羽生PAに寄ったら、なんと江戸の町並みが・・・
これは、「鬼平江戸処」という趣向のPAです。
ひと月ほど前にオープンしたばかりのようです。
ついにPAも、テーマパーク化しました。
土曜日の夕方ということもあって、すごい人だかりです。
PAの中も、ご覧の混雑ぶり。
トイレに行ってコーヒーを買いたかっただけなのに、長時間並ばなければなりませんでした。
急いでいるときは困りますが、なかなか良い風情で、ドライブの良い息抜きになります。
これは、羽田空港の国際線のターミナルですが、このセンスのなさよりは、ずっと楽しめました。
kuwata_takashi at 22:59|Permalink│Comments(3)│