2012年09月

2012年09月23日

「天鼓」終わりました

大変遅くなりましたが、九皐会で演じました「天鼓」について思うことなんか、まとめてみます。

「天鼓」は好きな曲なのですが、手がけるのは難しいなあと思っていました。

この曲の見せ場は、後場の屈託のない少年の躍動的な舞です。
私はこういう曲が苦手なのです。

以前「花月」をやった時も思ったのですが、どうしてもゴツイ少年になってしまうのです。

私の大きな体躯で存分に舞うと、どうしてもマッチョな天鼓になってしまうので、課題はいかに軽やかに演じるかでした。

いろいろ工夫してみました。
まあ、それなりに軽やかに舞えたんじゃないかなあと思っています。

前場は、重厚なドラマです。
こういうのは、逆にやりやすいように思います。

例えば「井筒」などの、何もない曲の方がずっとやりにくいですね。

ただ、ドラマチックな曲だからと、ことさら芝居っ気を出して演じるのも違う気がするので、今回はあえてサラリと演じて見ました。

最近、自然体の演技をしたいと思っています。
これ見よがしに、ドラマ性を強調するのではなく、サラリと演じてみる。

その動きが、充分な稽古の裏付けのあるものであれば、動きの中に気持ちというか、オーラのようなものがにじみ出るような気がします。

その中で、お客様がドラマ性を見出すのが、たぶん上級な能なのだと思います。
これ見よがしな芸って、ちょっと自分本位な感じがします。

今回は、そんなに意識したわけではありません。
とにかく稽古通り、しっかり勤めることに気を配りました。


「天鼓」の難しいところは色々あります。
今回やってみて一番やりにくいと思ったのは、前シテ登場してから三の松で謡う、「一声」「サシ」「下歌」「上歌」です。

この部分は、「弄鼓之舞」の小書がつくと、丸々省略されます。
「天鼓」は「弄鼓之舞」で演じられることが圧倒的に多いので、殆ど上演されない部分です。

能舞台で幕を出てすぐの場所は、三の松と呼ばれます。
橋掛りに松が3本あって、舞台に近い方から、「一の松」「二の松」「三の松」と数えます。
つまり、舞台から一番遠い場所で、延々と謡わなければなりません。
時間にしてだいたい10分くらい。

シテが登場して、10分くらいかけて「一声」「サシ」「下歌」「上歌」と謡うのは、割によくあることです。
ただ、それはほとんど本舞台にて謡います。

本舞台で謡う時は、囃子方もすぐ近くですし、地謡やお客様にも囲まれる感じがして、心強い気持ちで謡えます。

今回、三の松で謡ってみてとても心細さを感じました。
そもそも、能面を着けているので視界はほとんどありません。

耳をすませて囃子方の音を聞きながら謡っていきます。
三の松だと、囃子方の掛け声や打つ音が、とても遠く感じました。

人が沢山いる本舞台を離れて、幕のすぐそばに一人ぼっちで立って延々と謡う。

孤独感を感じました。
「天鼓」の能では、橋掛りは前シテ・王伯の家という設定だから、前シテは橋掛りで一人で謡うのは当り前です。
その空間の使い方によって、シテの孤独感をことさら強調する演出なのでしょう。

やってみて初めて気付きました。


今回、もう一つやっかいだったのが、笛の流儀が藤田流だったことです。

笛の流儀は、「一噌流」「森田流」「藤田流」と三流あります。
その中で藤田流は、名古屋を拠点とする流儀で、東京には在住の方はいません。

今回の笛方も名古屋から来ていただきました。

「天鼓」は「楽」という舞を舞います。
この舞は、数ある舞の中で最も難しい舞です。

「楽」を舞う時は、毎回細心の注意を払います。
東京でよく聞く、一噌流と森田流は音色や寸法が少し異なるので、それぞれの違いを頭に入れながら舞います。

一噌流や森田流の場合は、それで何とかなります。

でも、藤田流の場合、そうはいきません。
なにせ藤田流の「楽」など聞いたことありません。

どうなっているのか見当もつきません。

慌てて藤田流の「楽」のテープを取り寄せて、何度も稽古しました。
それこそ、初めて楽を舞った時のように何度もやりました。

申合までは、キチンと出来るか不安でした。
ただ、申合で外さずに舞えたのでホッとしました。自信も湧いてきました。

そうなると、「楽」は楽しいものです。

当日は、生き生きと舞えました。


何となく、思いつくまま書いて見ました。
本番から2週間経ってしまったので、少々記憶が薄れてきました。
ただ、その分冷静に分析出来ているように思います。

何せ、ハードな9月の真っ盛り。
レポートが遅くなりましたこと、ご容赦くださいませ。


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2012年09月14日

「天鼓」 御礼

9月9日、九皐会にて「天鼓」シテ、無事に勤めました。
ご来場の皆さま有難うございました。

レポートが遅れています。
というのも、今私は人生で最大級のハードな日々を送っております。

9月8日、埼玉県深谷市公演  「俊成忠度」トモ 「安達原」
9月9日、九皐会  「天鼓」シテ
9月10日、朝9時より 若竹会「桜川」  その後富士宮と富士でお稽古、深夜に帰宅
9月11日、朝8時より、のうのう能「龍田」申合、朝10時より、囃子科協議会「砧」申合
       12時より、自宅で夜10時までお稽古
9月12日、囃子科協議会 舞囃子「東岸居士」 能「砧」
9月13日、朝9時半から、緑泉会「田村」「巻絹」  仕舞「熊坂」勤める
       午後1時半から、能の会「班女」「融」
      夕方から夜9時半から 銀座で稽古
9月14日、朝10時から、鎌倉県民能「佛原」
       午後2時から、鎌倉県民能「俊寛」
       午後7時から、のうのう能「龍田」
9月15日、明治大学能楽研究部の合宿。岩井海岸へ日帰りで指導。
9月16日、能の会「班女」「融」
9月17日、緑泉会「田村」「巻絹」 仕舞「熊坂」

ざっと書き出してみました。
我ながら凄いスケジュールです。

9日までは、どうしても「天鼓」の稽古に集中していましたので、これらの地謡は、ほとんど今週に覚えました。

特に、「東岸居士」や「佛原」はかなりの稀曲。これを、このスケジュールの合間に覚えるためには、どうしても睡眠時間を削るしかありません。

この一週間、キチンと寝れていません。
明日も早いので、もう寝なくちゃ。

そういう訳で、「天鼓」のレポートは、もう少々お待ち下さい。


kuwata_takashi at 23:36|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2012年09月03日

9月九皐会「天鼓」

昨日、今年の9月は怒涛の忙しさと書きました。

本当に凄いスケジュールです。

まずシテを二番させて頂きます。

9月9日(日) 九皐会「天鼓」

9月29日(土) 富士宮能「敦盛」

今週の「天鼓」は、いよいよ稽古も大詰めです。
良い舞台にしたいと思います。

29日の富士宮能は、富士宮観光協会からの依頼の能公演です。
私は、本格的な能公演を依頼されるのは初めてです。

光栄に思います。

只今張り切って準備に励んでおります。

そのほか9月は、19ほど催しがあります。(一日2公演は別にカウント)

これは、9月としては異例の多さです。
ツレや仕舞のお役も数々頂きましたし、出の遠い曲の地謡も多々あります。


残暑厳しい中、この怒涛のスケジュール。
頑張って乗り越えます。


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2012年09月02日

吉田東伍

いよいよ9月です。今年は例年にない忙しさです。

昨日は、新潟県阿賀野市の吉田東伍記念博物館にて能公演がありました。

「吉田東伍」は、「大日本地名辞典」などで知られる偉大な歴史学者です。
能楽関係者の間では「世阿弥十六部集」を出した人として有名です。

吉田東伍こそ、「風姿花伝」をはじめとする世阿弥の花伝書の数々を最初に発見した人なのです。

世阿弥の芸術論の数々は、ずっと一子相伝の秘密として観世家に伝えられていました。
しかし、時代とともに散逸してしまったようです。

それを、安田財閥の書庫の中から発見したのが吉田東伍だったのです。

600年以上前に書かれた、世界演劇界でも類を見ない、役者個人によって書かれた世界最古の演劇論は、吉田東伍の手によって、日の目を見たのです。
それはわずか100年前のことです。

新潟県阿賀野市は、吉田東伍の出生地です。
その生家跡に、吉田東伍記念博物館が建てられています。

今回、その庭園に能舞台を設えての、能公演でした。

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こんな素敵な舞台です。

120901_1706~02

舞台側から見所を見るとこうです。

お客様はギッシリ超満員。

昼間は猛暑でしたが、夜は山おろしによって吹き込む風の中、爽やかに演じられました。

能は「半蔀」です。
風に舞う長絹の袖や裾は、たいへん綺麗でした。


夜は、主催の阿賀野市教育委員会の方たちと、大宴会。
宴席には、吉田東伍のお孫さんも見えていました。


たらふく飲んで翌朝、東京へトンボ帰り。
昼から「奥川恒治の会」で「松風」の地謡。

怒涛の9月の幕開けです。



kuwata_takashi at 22:56|PermalinkComments(0)TrackBack(0)