2011年11月
2011年11月03日
岡山後楽能
今日は、岡山の後楽園能舞台にて岡山後楽能。
日本三名園の一つ、後楽園には昔の武家屋敷の形を忠実に残した素敵な能舞台があります。
その能舞台で、ほぼ毎年能公演を行っていますのが、岡山県倉敷市在住の能楽師・西出明雄師。
今年で、なんと41回目を迎えます。
今年に80歳となる西出師が30代のころから行っている能の催しです。
私は、隣の広島県出身というご縁で毎年お邪魔させていただいております。
今年は、観世喜正師の「舎利」のツレをさせて頂きました。
「舎利」のツレは、両シテとも言えるほど重要な役です。
韋駄天という神様を演じるのですが、その名の通り快足を飛ばしてシテの足疾鬼を追いかけます。
足疾鬼も、その名の通り足の疾い鬼です。
快足自慢の鬼と神様の追いかけっこという面白い能です。
岡山公演は、毎年前日の申合の後の大宴会が名物です。
申合は3時ころには終わるので、4時過ぎから宴は始まるのが常です。
瀬戸内の海の幸を肴の酒宴は大変魅力的ですが、私は実家に帰りました。
昨年100歳で亡くなった祖母の一周忌なのです。
祖母の墓前に謡を手向け、次の日の後楽能に備えました。
お墓の帰り道、私が昔通っていた保育園の前を通りました。
現役保育園児の父親として、自分が通っていた保育園を眺めると、感慨ひとしお。
園庭をのぞきながら、
「ふーん、こんなに狭かったんだ」
などと感慨にふけっていると、保育園の園長先生が目の前に現れました。
全然変わっていないその園長先生に、挨拶しました。
「ご無沙汰しています。っと言っても私の事なんか覚えていないですよねえ」
園長先生は、即答です
「ひょっとして、タカシくん?」
同じ町内だから、チョコチョコすれ違ったりはしましたが、キチンと話すのは卒園以来35年ぶりです。
「良く分かりましたね」と聞くと
「忘れるわけないよ、スゴイ悪ガキだったから」
その保育園は、園長先生が夫婦でやっている私立保育園です。
園長先生は、保育園の中に招き入れて下さいました。
中では、主任先生すなわち園長先生の奥様と会いました。
主任先生も、私を見て「あら、タカシくん、久々ねえ」と即答。
「何で覚えているのですか?」
「だって、女の子は良く泣かしていたし、イタズラばかりするから廊下に立たせたら勝手に園庭で遊んでるし、あるときなんか園舎の屋根に登ってしまって、どうしようかと思った・・・」
・・・全然覚えていない。
相当の問題児だったようです。そりゃあ、覚えてるでしょうね。
しかし・・・ 昔と変わらない園舎を見て思います。この屋根に、どうやって登ったんだろう・・・・
教室を見ると懐かしいです。そうそう、ここが「ひまわり組」ここが「バラ組」
スラスラ出てきます。
今、息子が通っている保育園のクラスは、何度聞いても覚えられないのに・・・
今年で40周年を迎えるその保育園ですが、こんな昔の卒園児が訪ねてきたのは初めてだそうです。
「あ、そう言えば誰々ちゃんの子供も通っているのよ」
そう言われても、保育園のころの友達なんて、全く覚えていません。
何だか、照れくさい訪問でした。
次の日、「舎利」のツレという大役も何とか無事に終えることが出来ました。
すると、小学校6年生の時担任だった先生が楽屋に訪ねて下さいました。
前日に続いて大感激。
高校卒業時に6年ぶりに小学校の同窓会をしましたが、それ以来です。
当時、若くて美人だった先生は、もう今年定年になるそうです。
やはり綺麗なままで、嬉しく思いました。
終演後は、やはり公演を見に来てくれた友人と、一献。
故郷で能公演って、イイなあ・・・ シミジミ思いました。
日本三名園の一つ、後楽園には昔の武家屋敷の形を忠実に残した素敵な能舞台があります。
その能舞台で、ほぼ毎年能公演を行っていますのが、岡山県倉敷市在住の能楽師・西出明雄師。
今年で、なんと41回目を迎えます。
今年に80歳となる西出師が30代のころから行っている能の催しです。
私は、隣の広島県出身というご縁で毎年お邪魔させていただいております。
今年は、観世喜正師の「舎利」のツレをさせて頂きました。
「舎利」のツレは、両シテとも言えるほど重要な役です。
韋駄天という神様を演じるのですが、その名の通り快足を飛ばしてシテの足疾鬼を追いかけます。
足疾鬼も、その名の通り足の疾い鬼です。
快足自慢の鬼と神様の追いかけっこという面白い能です。
岡山公演は、毎年前日の申合の後の大宴会が名物です。
申合は3時ころには終わるので、4時過ぎから宴は始まるのが常です。
瀬戸内の海の幸を肴の酒宴は大変魅力的ですが、私は実家に帰りました。
昨年100歳で亡くなった祖母の一周忌なのです。
祖母の墓前に謡を手向け、次の日の後楽能に備えました。
お墓の帰り道、私が昔通っていた保育園の前を通りました。
現役保育園児の父親として、自分が通っていた保育園を眺めると、感慨ひとしお。
園庭をのぞきながら、
「ふーん、こんなに狭かったんだ」
などと感慨にふけっていると、保育園の園長先生が目の前に現れました。
全然変わっていないその園長先生に、挨拶しました。
「ご無沙汰しています。っと言っても私の事なんか覚えていないですよねえ」
園長先生は、即答です
「ひょっとして、タカシくん?」
同じ町内だから、チョコチョコすれ違ったりはしましたが、キチンと話すのは卒園以来35年ぶりです。
「良く分かりましたね」と聞くと
「忘れるわけないよ、スゴイ悪ガキだったから」
その保育園は、園長先生が夫婦でやっている私立保育園です。
園長先生は、保育園の中に招き入れて下さいました。
中では、主任先生すなわち園長先生の奥様と会いました。
主任先生も、私を見て「あら、タカシくん、久々ねえ」と即答。
「何で覚えているのですか?」
「だって、女の子は良く泣かしていたし、イタズラばかりするから廊下に立たせたら勝手に園庭で遊んでるし、あるときなんか園舎の屋根に登ってしまって、どうしようかと思った・・・」
・・・全然覚えていない。
相当の問題児だったようです。そりゃあ、覚えてるでしょうね。
しかし・・・ 昔と変わらない園舎を見て思います。この屋根に、どうやって登ったんだろう・・・・
教室を見ると懐かしいです。そうそう、ここが「ひまわり組」ここが「バラ組」
スラスラ出てきます。
今、息子が通っている保育園のクラスは、何度聞いても覚えられないのに・・・
今年で40周年を迎えるその保育園ですが、こんな昔の卒園児が訪ねてきたのは初めてだそうです。
「あ、そう言えば誰々ちゃんの子供も通っているのよ」
そう言われても、保育園のころの友達なんて、全く覚えていません。
何だか、照れくさい訪問でした。
次の日、「舎利」のツレという大役も何とか無事に終えることが出来ました。
すると、小学校6年生の時担任だった先生が楽屋に訪ねて下さいました。
前日に続いて大感激。
高校卒業時に6年ぶりに小学校の同窓会をしましたが、それ以来です。
当時、若くて美人だった先生は、もう今年定年になるそうです。
やはり綺麗なままで、嬉しく思いました。
終演後は、やはり公演を見に来てくれた友人と、一献。
故郷で能公演って、イイなあ・・・ シミジミ思いました。