2011年10月

2011年10月29日

富士公演

月曜日の高知から、水曜日が鎌倉能舞台。そして今日は、富士。

月2回お稽古に訪れている富士にて、今日は能公演。
富士吉原ライオンズクラブ主催の能公演。
1600人収容のホールは、やはり満席。

高知のソロプチミストといい、富士のライオンズクラブ。
こういうボランティア団体が、能の公演をてがけて下さることは、本当に有り難く思います。


今日の演目は、新作能「かぐや」

富士市に伝わるかぐや姫伝説を能に仕立てたものです。

富士市在住の丸茂湛祥氏が作ったこの新作能は、なんと3回目の上演です。
会場はいずれも、今回と同じ「富士ロゼシアター」

同じ新作能が、いち地方都市の同じ会場で、3度も上演されることは、かなり稀なケースだと思います。

富士市にとって、かぐや姫伝説はとても大事なもののようです。
かぐや姫フェスティバルなどで、さまざまなかぐや姫物の芸能が演じられています。

この新作能も、富士市の名作として伝えられるのでしょうか。


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2011年10月25日

高知から

昨日は、高知にて高知ソロプチミスト主催の能公演。
1500人収容の大きなホールが、めでたく満員でした。

7年前にも同じくソロプチミストの公演がありましたが、前後が忙しく、日帰りでした。
なんだか、高知はいつも慌ただしいのですが、今回もハードスケジュールでした。

まず、月曜日の朝は、今週の日曜日にある素人会の申合。
それが終わると、羽田空港に直行して、昼過ぎのフライトで高知へ飛び、夕方に着き、夜の公演に備えました。

公演が終わったのは、9時です。さすがに東京に戻れないので、高知泊です。

泊ると聞くと、高知いごっそうたちが帰してくれません。

終演後大宴会となりました。

私は1次会で失礼しましたが、それでも宴会終了は11時をまわっていました。
それからホテルに帰って、風呂に入り、缶ビールでしめて1時に就寝。

今朝は6時前に起きて、7時20分の始発の便で東京に向かいました。
9時前に空港を出て、空港の駐車場に停めてあった車を沼津に走らせました。

約2時間のドライブの後、慌てて着替えると、お弟子様のお稽古を始めます。

お稽古を始めたとき、ふと、時計を見ると、11時。

12時間前は高知で賑やかに飲んでいたのに、今は沼津でお弟子さんの前で真面目な顔して謡を謡っている自分が、何だか可笑しかったです。


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2011年10月16日

紅葉狩

今日は、国立能楽堂にて県民能別会「紅葉狩」

この能は、大変な人気曲です。
先月も「としま能」で出たばかりです。

紅葉狩りという秋の季節感を漂わせるスペクタクル満載の内容は、人気が出て当然の面白さです。

今日も満員御礼でした。

この「紅葉狩」は、能にしては破格の構成です。

まあ面白く出来ています。

そんなこんなで、やはり文楽にも歌舞伎にも取り入れられています。


先月国立小劇場の文楽公演で、「紅葉狩」が出ました。

以前、歌舞伎版は見ましたので、今度は是非にと文楽版を見に行きました。

実は、歌舞伎版はあまり感心しませんでした。

能役者である私としては、どうしても能と比較してしまいます。
そして、能をこよなく愛する私のひいき目には、どうしたって能の方に軍配を上げてしまいます。

では、文楽版はどうでしょう。

これは、そもそも能と比較する方が間違っています。

人形劇である文楽は、その特徴を活かして、人形ならではの動きで紅葉狩の鬼を表現します。

その動きの面白いことといったら、とても言葉に表せません。

生身の役者が到底表現出来ない、コミカルでかつダイナミックな動きで舞台を動きます。

能と歌舞伎と文楽。
それぞれに面白いし、それぞれに得意分野があります。

それを見比べることは、現代日本人にとって最高の贅沢じゃないかなぁと、思います。



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2011年10月15日

仙台 能-BOX

111015_1615~01今日は、仙台公演。

この度、仙台にオープンした能舞台「能- BOX」のこけら落とし公演に伺いました。

この舞台は、仙台在住の方の自宅にあった稽古舞台を、仙台市が譲り受けて、倉庫の中に能楽堂風に組み込んだものです。

左の写真が、舞台全景です。

以前の稽古舞台とは、趣きがガラリと変わりました。

新しいイベントスペースとして、これから様々に活用されていくでしょう。


仙台と言えば、先の大震災で大きなダメージを負いました。

そんな中で、文化施設として、新たな能楽拠点が誕生することは、この上ないことです。

徐々にではありますが、復興の息吹が聞こえてきます。

今日、演じられたのは「石橋」です。
文珠菩薩の使いである獅子の、絢爛な舞が舞台披きを寿ぎます。


「萬歳千秋と舞い納めて
   獅子の座にこそ直りけれ」


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2011年10月12日

祝 60周年

いささか古い話になってしまったことを、お許し下さい。


この度、明治大学能楽研究部観世会は創立60周年を迎えました。
そして、その記念会が去る9月18日に矢来能楽堂にて、華々しく開催されました。

能楽師・桑田貴志の原点であるこのクラブ。
現在は、その指導にも当たらさせて頂いております。


私が明治大学に入学して、能楽研究部の門を叩いた時は、ちょうど40周年を迎える年でした。

私が入部して20年もたったことに驚きます。


今年は60周年を記念して、自演能「吉野天人」に取り組むました。

シテやワキ・ワキツレ、地謡はもとより、囃子まで学生が勤めるという画期的な能です。

お囃子に関しては、それぞれお囃子の先生の協力を仰ぎました。

例年、学生だけの舞囃子は行っていましたので、その延長という位置付けで能に取り組むことが出来るのですが、ここ何年かは人数不足により、舞囃子すらやっていませんでした。

したがって、今年の学生たちは初めてのお囃子が能、という信じられない状態です。

そのお稽古は困難を極めました。

囃子に取り掛かったのは半年前です。

2月の春合宿で、初めてお囃子に触れた彼等に、手付け(囃子の楽譜)の見方から教え、半年後には能を打たせる。

よくもまあ、こんな無謀なことに取り組んだものです。

学生達は、夏休み返上でお稽古に励みました。

その姿を見てると、20年前の自分が思い出されます。

当時の能楽研究部は、40周年記念会で行われる自演能「羽衣」に向かって孟稽古が繰り広げられていました。

入部して、訳も分からないまま、能「羽衣」の地謡をさせて頂きました。
本当に、訳も分からず謡っていました。

何度も謡ったので、「羽衣」はすっかり覚えてしまいました。

かくして、「橋弁慶」や「吉野天人」は謡えないのに、「羽衣」は囃子に合わせて完璧に謡えるという、奇妙な1年生が私でした。


天真爛漫に先輩方についてお稽古していれば良かった1年生から、徐々に責任が出てくる2年生3年生。

時には、お互い罵り合いながらお稽古していた学生時代。
今思えば楽しい日々でした。


当時師範だった藤村健先生から本当に多くのことを学びました。

そのご恩は、今の学生達をしっかり教えることで返そうと思います。



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