2011年05月
2011年05月28日
大阪にて
昨日今日と、大阪九皐会定例会に行ってきました。
東日本大震災の後、初めて西日本に行きました。
感想は、、、、街が明るい!
地下鉄も地下街も後ろめたい位に明るいです。
地下鉄のエスカレーターも当たり前のように動いています。
節電ムードであふれる東京は、とにかく街が暗い。
よく、コンビニやレストランの看板など、今までは明る過ぎた。暗い街並みも、落ち着いて良い。 なんて声を聞きます。
何となく、暗いのに慣れてくると、そんな気持ちにもなってきます。
でも、明るい大阪の街を歩くと、やっぱり元気が出てきます。
ドンヨリ曇った日より、突き抜ける青空の方が気持ち良いように、明かりって人間の活力ですよねえ。
今の電力事情では、節電は仕方ないことです。 でも、早く明るい街並みに戻ってほしいなあと思います。
首都高から見える東京タワーのライトアップ。隅田川を華やぐ、永代橋と清洲橋の輝き。
早く見たいなあ。
ただ、寒がりの私としては、冷房控えめは続けて欲しいです。
東日本大震災の後、初めて西日本に行きました。
感想は、、、、街が明るい!
地下鉄も地下街も後ろめたい位に明るいです。
地下鉄のエスカレーターも当たり前のように動いています。
節電ムードであふれる東京は、とにかく街が暗い。
よく、コンビニやレストランの看板など、今までは明る過ぎた。暗い街並みも、落ち着いて良い。 なんて声を聞きます。
何となく、暗いのに慣れてくると、そんな気持ちにもなってきます。
でも、明るい大阪の街を歩くと、やっぱり元気が出てきます。
ドンヨリ曇った日より、突き抜ける青空の方が気持ち良いように、明かりって人間の活力ですよねえ。
今の電力事情では、節電は仕方ないことです。 でも、早く明るい街並みに戻ってほしいなあと思います。
首都高から見える東京タワーのライトアップ。隅田川を華やぐ、永代橋と清洲橋の輝き。
早く見たいなあ。
ただ、寒がりの私としては、冷房控えめは続けて欲しいです。
2011年05月27日
「海士」終わりました
今日は、大阪九皐会のため大阪に来ております。
地方に行くと、一休み。やっと「海士」の記事が書けそうです。
「能まつり」当日、自宅にて支度を終えて荷物を車に詰め込んで、いざ出発。
すると・・・
車にエンジンをかけると、凄まじい音が。。。
マフラーを見ると、地面につきそうなくらい曲がっています。
これはおかしい・・・
でも時間もないので、ソロリソロリと車を走らせます。
マフラーからは、ヤンキー車のような爆音。
でも、故障が怖いから車は徐行運転。
「何とか宝生能楽堂までもってくれ・・・・・」
朝っぱらから予期せぬ出来事にテンテコマイでした。
何とか能楽堂につくと、慌ただしい時間が過ぎます。
主催者ですので、やることは山のようにあります。
九皐会や緑泉会のように、シテに集中するわけにはいきません。
気がつくともう開演5分前。
慌てて着替えて、挨拶のために舞台に上がります。
挨拶が終わると、すぐさま紋付を脱いで、装束の準備です。
結局、バタバタと装束がつけ終わったのは、能が始まる直前でした。
主催公演って、だいたいこんなものです。
いよいよ「海士」が始まりました。
申合では、謡が全体的に早かったので、少々しっかり目に謡いました。
ただ、この曲はとにかく前場の謡いの分量が多いので、間延びしないように細心の注意を払いながら謡っていきます。
我ながら快調に進み、いよいよ前半の眼目の「玉ノ段」です。
前半の快調を受け、ノリ良く舞えました。
この舞の最大の難所は、乳の下を掻き切った後、扇を舞台に落とすところです。
ここで良い位置に落とさないと、下に座った後巧く扇が拾えません。
というのも、舞台に落ちた扇は、能面を着けていると全く見えません。
うんと下向かないと扇は見えないのですが、そんな覗きこんでいたのでは、せっかくのスピーディーな舞の展開が台無しです。
下居の後、思う位置に「えい!」と手をやると、首尾よく扇が手に触れました。
自宅の舞台が、傷だらけになるくらい、繰り返し練習した甲斐があったというものです。
能面を着けていると、「下にあるものを拾う」とか「人に何かを渡す」なんていうなんでもない所作が大変難しいのです。
この能では、前場では扇を、後場では経巻を子方に渡します。
今回、全く見えないなか手探りで渡しましたが、スムーズにいったようです。
子方に渡すとき、離れた場所にいるときは子方は見えるのですが、近づくと子方は視界から完全に消えます。
離れた場所で、何となく距離感をつかんで「ここだ!」という位置で、手を差し出します。
この時、お客様に「あ、見えていないから渡すの大変なんだ」
なんて思わせたら、失敗です。
何事もないかの如くさらりとやらなければなりません。
話が少々それました。
眼目の「玉ノ段」が終わったあと、舞台中央で5~6分程の長いじっくりとした謡を謡います。
「玉ノ段」で激しく動いた後だったので、ハアハア、ゼイゼイ言っていました。
そんな中、じっくりと息を詰めて謡います。
能の場面としては、母親が息も絶え絶えに最期の言葉を語るシーンなのですが、本当に息が切れていました。
けっこう迫真の演技だったかもしれません。
長い謡の終盤、だんだん頭がボーっとしてくるのがわかりました。
能面を着けていると、呼吸も制限されます。
だんだん酸素が少なくなって来るのが自分でも分かります。
「脳に酸素が行かないとこうなるんだ」と、リアルに実感出来ました。
こういう時って、感覚が研ぎ澄まされているんだなあと思います。
なにはともあれ、前場が終わると、もうクタクタ。
これから後場を演じるのが信じられませんでした。
後場は、まず経巻の開け閉めに気を遣いました。
舞衣という袖のたっぷりとした装束を着ていますので、手がほとんど出ません。
ほんの指先だけ出た手でかろうじて経巻を開いて閉じます。
右手は扇を持っているので、左手で開きますが、汗でまとわりついて思うように開いてくれません。
あとでDVDで確認しましたが、まあスムーズにいったかなあと思います。
その後、お囃子との兼ね合いに気を遣うイロエ掛かりも無難にこなし、「早舞」が始まりました。
「早舞」は、お囃子方がとても丁寧に演奏して下さいました。
申合は、いろいろ自分なりに工夫して舞ってみたのですが、師匠からもっとお囃子のリズムに乗って舞いなさいと指導を受けました。
当日は、お囃子方の作るリズムに合わせてユラユラ舞ってみました。
そうすると・・・・
気持ちいいですね。
終曲まで楽しく舞うことが出来ました。
何度も言いますが、「海士」は甘くない曲です。
だからこそやりがいがありました。
とりあえず、終わってホッとしています。
ご来場の皆さま、本当にありがとうございました。
また、この長文に最後までお付き合い下さいまして、恐縮です。
あと、車はマフラーの交換だけで済みました。
これも思えば、厄落としです。
地方に行くと、一休み。やっと「海士」の記事が書けそうです。
「能まつり」当日、自宅にて支度を終えて荷物を車に詰め込んで、いざ出発。
すると・・・
車にエンジンをかけると、凄まじい音が。。。
マフラーを見ると、地面につきそうなくらい曲がっています。
これはおかしい・・・
でも時間もないので、ソロリソロリと車を走らせます。
マフラーからは、ヤンキー車のような爆音。
でも、故障が怖いから車は徐行運転。
「何とか宝生能楽堂までもってくれ・・・・・」
朝っぱらから予期せぬ出来事にテンテコマイでした。
何とか能楽堂につくと、慌ただしい時間が過ぎます。
主催者ですので、やることは山のようにあります。
九皐会や緑泉会のように、シテに集中するわけにはいきません。
気がつくともう開演5分前。
慌てて着替えて、挨拶のために舞台に上がります。
挨拶が終わると、すぐさま紋付を脱いで、装束の準備です。
結局、バタバタと装束がつけ終わったのは、能が始まる直前でした。
主催公演って、だいたいこんなものです。
いよいよ「海士」が始まりました。
申合では、謡が全体的に早かったので、少々しっかり目に謡いました。
ただ、この曲はとにかく前場の謡いの分量が多いので、間延びしないように細心の注意を払いながら謡っていきます。
我ながら快調に進み、いよいよ前半の眼目の「玉ノ段」です。
前半の快調を受け、ノリ良く舞えました。
この舞の最大の難所は、乳の下を掻き切った後、扇を舞台に落とすところです。
ここで良い位置に落とさないと、下に座った後巧く扇が拾えません。
というのも、舞台に落ちた扇は、能面を着けていると全く見えません。
うんと下向かないと扇は見えないのですが、そんな覗きこんでいたのでは、せっかくのスピーディーな舞の展開が台無しです。
下居の後、思う位置に「えい!」と手をやると、首尾よく扇が手に触れました。
自宅の舞台が、傷だらけになるくらい、繰り返し練習した甲斐があったというものです。
能面を着けていると、「下にあるものを拾う」とか「人に何かを渡す」なんていうなんでもない所作が大変難しいのです。
この能では、前場では扇を、後場では経巻を子方に渡します。
今回、全く見えないなか手探りで渡しましたが、スムーズにいったようです。
子方に渡すとき、離れた場所にいるときは子方は見えるのですが、近づくと子方は視界から完全に消えます。
離れた場所で、何となく距離感をつかんで「ここだ!」という位置で、手を差し出します。
この時、お客様に「あ、見えていないから渡すの大変なんだ」
なんて思わせたら、失敗です。
何事もないかの如くさらりとやらなければなりません。
話が少々それました。
眼目の「玉ノ段」が終わったあと、舞台中央で5~6分程の長いじっくりとした謡を謡います。
「玉ノ段」で激しく動いた後だったので、ハアハア、ゼイゼイ言っていました。
そんな中、じっくりと息を詰めて謡います。
能の場面としては、母親が息も絶え絶えに最期の言葉を語るシーンなのですが、本当に息が切れていました。
けっこう迫真の演技だったかもしれません。
長い謡の終盤、だんだん頭がボーっとしてくるのがわかりました。
能面を着けていると、呼吸も制限されます。
だんだん酸素が少なくなって来るのが自分でも分かります。
「脳に酸素が行かないとこうなるんだ」と、リアルに実感出来ました。
こういう時って、感覚が研ぎ澄まされているんだなあと思います。
なにはともあれ、前場が終わると、もうクタクタ。
これから後場を演じるのが信じられませんでした。
後場は、まず経巻の開け閉めに気を遣いました。
舞衣という袖のたっぷりとした装束を着ていますので、手がほとんど出ません。
ほんの指先だけ出た手でかろうじて経巻を開いて閉じます。
右手は扇を持っているので、左手で開きますが、汗でまとわりついて思うように開いてくれません。
あとでDVDで確認しましたが、まあスムーズにいったかなあと思います。
その後、お囃子との兼ね合いに気を遣うイロエ掛かりも無難にこなし、「早舞」が始まりました。
「早舞」は、お囃子方がとても丁寧に演奏して下さいました。
申合は、いろいろ自分なりに工夫して舞ってみたのですが、師匠からもっとお囃子のリズムに乗って舞いなさいと指導を受けました。
当日は、お囃子方の作るリズムに合わせてユラユラ舞ってみました。
そうすると・・・・
気持ちいいですね。
終曲まで楽しく舞うことが出来ました。
何度も言いますが、「海士」は甘くない曲です。
だからこそやりがいがありました。
とりあえず、終わってホッとしています。
ご来場の皆さま、本当にありがとうございました。
また、この長文に最後までお付き合い下さいまして、恐縮です。
あと、車はマフラーの交換だけで済みました。
これも思えば、厄落としです。