2011年03月
2011年03月27日
モスクワから 5
今日、やっと日本に帰れます。今、帰りの飛行機の中で日記を書いています。
飛行機は夜の出発ですので、昼過ぎまで時間があります。
せっかくなので、モスクワの街を散策しました。
とにかく、寒い。
地下鉄駅の電光掲示板は、気温マイナス5度となっています。
脳みそが凍るほどの寒さの中、モスクワ観光のメッカ、クレムリンに行きました。
歩いているうちに、雪は吹雪となって襲いかかってくるし、耳がちぎれそうなくらい寒い風が吹き込んできます。
吹雪と風によって、体感温度はマイナス5度どころではありません。
写真を撮ろうにも、寒さで手が震えてまともに撮れません。ほとんどの写真が手ぶれしています。
ガイドブックを見ようにも、指先に血が通っていないのか、ページをめくることが出来ません。
ふと、雨どいを見ると水が垂れながら凍っています。
間違いなく、人生で一番寒い経験でした。
まるで、冷凍倉庫のなかを歩いているような寒さでしたが、現地の人に言わせると、もう春だから暖かくなってきたそうです。
「真冬はマイナス20度くらいになりますよ。」
恐ろしい言葉をさらりと言います。
クレムリンは、素晴らしい要塞です。中にはたくさんの見どころがあります。
でも、現役で政治が行われているロシア国家の中駆なんですよね。
バックは持ち込み禁止で、建物内部は撮影できません。入口には、飛行機に乗るときのように手荷物検査があります。
内部には14世紀ころ建てられた教会がたくさんあり、なかなか壮大な光景でした。
至るところにベンチはあるのですが、座っている人は誰もいません。
ところで、ロシアでは英語が全く通じないと前にも書きました。
学生に聞いてみると、英語よりもむしろ日本語を習う人が多いそうです。
寒さに震えながら入ったレストラン。ボルシチを食べて暖まると、こんな寒い中でもやはりビールが進みます。
瞬く間に1本目のビールをカラにして、もう1本注文します。
英語が通じないので、大事なのはジェスチャーです。
ビール瓶をポンポンと叩き、人差し指を立てて、「ONE MORE」頼んでみました。
やはりけげんそうな顔をしています。
もう一回ゆっくりと「ONE MORE!」と頼むと、店員は「イッショ?」と聞いてきます。
お、日本語だ。英語より日本語の方がなじみ深いというのは本当なんだ・・・
「そうそう、一緒、一緒。」「一緒の下さい」
後で聞くと、ロシア語で「イッショ」とは、「もっと」という意味だそうです。
なんだ、日本語が通じた訳じゃあ無いんだ。
わずか5日間の滞在でしたが、イロイロありました。
遠いロシアの地で、充実した日々を送れたことに感謝しつつも、やはり日本に戻るのは嬉しいです。
冒頭に書きましたが、今帰りの飛行機の中です。
10時間のフライトも9時間が過ぎ、そろそろ到着です。
ふと、モニターに目をやりました。
いわゆるフライトマップが流れています。今、どこを飛んでいるのか示しています。
そこで気が付きました。もうずいぶん飛んでいますが、まだロシアの上空を飛んでいます。
北廻りのヨーロッパ線は、シベリア上空を延々と飛んでいきます。
そして、樺太を通り日本へ降り立ちます。
なんてこった、凄く遠くの国に行ってた気になっていましたが、日本の隣りの国に行ってただけだった・・・
2011年03月26日
モスクワから 4
今日は2日目公演。演目は「井筒」です。
立ち見が出るほどの盛況ぶりでした。
ロシアといえばバレエの国です。バレエは、究極の身体表現と言えるでしょう。
能の中でも「井筒」は、動きも少なく幽玄性の高い演目です。能の舞が、はたしてバレエの都・モスクワで受け入れられるかどうか。
手ごたえは上々でした。
ロシアの観客の鑑賞態度は、素晴らしいものがあります。
舞台での所作に、集中して見入っている視線がヒシヒシと感じられます。
終演後のレセプションで何人かのお客様に聞いてみました。反応はそれぞれでしたが、各々の舞台芸術に対する造詣の深さには感服しました。
モスクワっ子は、能という日本の美意識の象徴を受け止めて、とっても楽しんでくださったように思います。
実は今回のモスクワ公演は、中止も検討されたそうです。
東日本大震災によって、甚大な被害が報告されるにつれ、海外でも派手な歌舞音曲は慎むという空気があるそうです。
この公演は、外務省と文化庁が絡んでいるので、そちらサイドからなんとなく自粛しようかという雰囲気を伝えられたそうです。
実際に大きな被害を受け、今も原発問題や電力不足による計画停電などで被害が進行中の日本で、現実的に公演が出来ないのはしょうがないことだと思います。
でも、直接的な被害もない遠く離れた外国の公演で、自粛する必要はないように思います。
結果的に、公演全体に追悼の趣を添えて演じることでまとまったそうです。
公演の最初に出演者とお客様全員による黙祷が行われ、続いて追善の謡が手向けられました。
モスクワの地で、日本で失われた数多の尊い命に哀悼の意が捧げられる光景に、胸がジーンときました。
世界はひとつ。人類は兄弟。
この言葉を思い出しました。
劇場ロビーにおかれた、義援金の箱には多くの志が入れられたそうです。
「野球をしている場合ではない」
「こんな時に、野球なんかしていて良いのかなあと思います」
プロ野球開幕に関するゴタゴタの中、選手たちから聞こえた言葉です。
私の中にも「能をやっていて良いのかなあ」という気持ちはあります。
日本の復興のために、能を演じることは直接的に何の足しにもなりません。
こんな時だから能をやるべきだ、とは思いません。
かといって、こんな時だから能は自粛しよう、とも思いません。
私はただ、能の舞台に立てる幸せをかみしめつつ、元々決められていたスケジュール通り、舞台に取り組んでいきたいと思います。
日本から遠く離れた地で、日本文化に心を寄せ日本の悲しみを共有して下さる人々の前で、いつも通りの舞台を勤めさせて頂きました。
さあ、明日は日本です。
2011年03月25日
モスクワから 3
今回の公演の団長・T師は、文化庁の派遣で文化交流使としてモスクワに行っており、その成果発表も併せて行われました。
能に先立ち、T師が教えている演劇学校の学生さんの発表会があります。
学生たちの演目は、「羽衣」の謡と仕舞。公演の前のわずかな時間を惜しんで懸命に練習しています。
通りかかった際に、チョット注意したら、たちまち学生たちに取り囲まれてしまいました。
楽屋の廊下で、7~8人のロシア人相手に能の稽古です。
何だか、シンガポールで12カ国位の外国人に教えていたことを思い出します。
この学生たちは、ロシア舞台芸術アカデミーという大学の学生さんです。
この演劇学校は、ロシアに数ある演劇学校の中でもトップの学校だそうです。何千人もの受験者の中から一学年100人ほど選ばれたエリートの学生です。
将来は、ロシアはもとより世界中の演劇界で活躍するであろう役者や演出家の卵たちです。
ただ、みんなが熱心に稽古しているかというと、そうでもないのが面白いですね。
私を捕まえて、懸命におさらいする人もいれば、楽屋内で談笑したり携帯ゲームに興じたりする学生さんもいます。
やはり大学生ですね。
何やかんやと好きな私は、学生たちと結構真剣に稽古しました。
本番で、舞台にいざ上がると、さすがエリート学生らしく、堂々としています。
ただ、謡や仕舞のレベルは・・・・
まあ、それぞれでしたね。
T師曰く、5回くらいしか稽古していないということなので、まああんなものかも知れません。
ドタバタと、学生の発表会が終わって、いよいよ私たちの出番です。
今日は、学校関係者だけしか集まってないと聞いていたのですが、200人くらいの観客席はほぼ満員。
けっこうテンション高く、舞台に臨みました。
終演は、夜10時過ぎ。昨日、歩き回った疲れもあって、さすがにクタクタです。
片付けて、そのまま劇場エントランスで学校関係者とレセプション。
劇場を出て、初日打ち上げでレストランに着いた時は、もう日付が変わるころです。
全く、ヨーロッパの時間の流れというのは、日本とは大きく違っています。
レストランは、ウクライナの民族料理を出すお店。
もともと、有名なロシア料理のほとんどは、ウクライナ料理だそうです。
そこで、キエフ風カツレツとボルシチとピロシキというロシア観光客の定番料理を頂いて、ウクライナビールをたらふく飲んで、ホテルに帰ったのは朝2時過ぎ。
久しぶりに、バタン・キューでした。
2011年03月24日
モスクワから 2
今日は、夕方から場当たりとリハーサル。2時くらいまでは自由行動でした。
朝食で一緒だった能楽師と、時間があるからちょっと散歩しようという話になりました。
ちょっとだけのつもりが、延々と歩きました。同行の能楽師が持っていた万歩計では、1万6000歩も歩いています。
モスクワの街並みは・・・・
一言で言うと、殺風景。
雪が舞う天気だったこともあるけど、どうも華やかさに欠けます。
店にもほとんどネオンなどなく、街が全体的にモノトーンの感じです。
例えるなら、計画停電により街中から電光掲示板とネオンが消えた今の東京の風景です。
うーん、、、 広場の真ん中で工事しています。
全体的に見ると、発展途上の国という感じかなあ。
ところで、モスクワでは一切英語は通じません。
それに、書かれてあるロシアのキリル文字は全く読めません。
考えてみれば、ほんの20年前の冷戦下では、アメリカ・イギリスはロシアの敵国です。
敵国の言葉が通じないのは当たり前ですね。
今までいろんな国に行きましたが、街で買い物などをする時、これほどコミュニケーションに困る国はありませんでした。
多分、最近の教育では多少、英語も教えているのでしょう。若い人には英語は少し通じます。
若い店員を捕まえて、何とか会話しています。
それにしても、モスクワに来てわずか2日間ですが、日本のことが気になってしょうがありません。
今日も現地では、日本の震災関係のニュースが流れています。
JAPAN'S CRISIS. GOOD NEWS AND BAD NEWS
という見出しでアナウンサーがニュースを読んでいます。
見出しの英語は読めるのですが、流れているロシア語は全く分かりません。
一体、日本で何が起こっているのか・・・
もどかしい日々を送っています。
2011年03月23日
モスクワから 1
ニュースでは、成田空港では放射能から逃れるために慌てて出国している外国人でごったがえしているように伝えられています。
念のため少々早めにチェックインカウンターに行きました。
カウンターはガラガラでした。
レストランも、出国検査場も今まで見たことのないくらい閑散としています。
全く並ばずに、飛行機に乗れました。こんなにスムーズだったのは初めてです。
パニックになっている外国人なんてどこにもいません。どうも日本の報道はどうもかたよっているような気がします。
逆に、海外旅行や出張のキャンセルが多数出たのでしょう。とにかく人がいませんでした。
飛行機は、アエロフロート。最近はエアバスの最新機を続々と投入していると聞いていましたが、私たちが乗ったのは、ボロボロの旧型機。とにかく揺れます。落ち着いて本も読めない。モスクワで揺れながらも首尾よく着地した時は、機内から拍手が起こっていました。
シートテレビは無いし、化粧室のカギは上手くかからない。化粧室のペーパータオルホルダーはガムテープで固定してある。おまけに、ドリンクサービスでビールがない(これが一番堪えた)
前日に出発した人たちはもっと旧式の飛行機だったようです。
何度もアエロフロートに乗っている人に言わせると、こんな古い飛行機は初めてだそうです。
その人は、きっと日本は放射能で汚染されているから、最新機種を飛ばさないのじゃないかなと邪推していました。
それでも、機内はそこそこ混雑しています。
周りを見ると、目立つのはお母さんと子供もグループです。やはり、慌てて日本脱出している人が多いという話は本当のようです。
きっとお父さんは、仕事で帰れないのでしょうねえ。
モスクワの空港は、とにかく閑散としていて殺風景。
入国審査も、誰も並んでない。あれだけ飛行機の中にいた人たちは、ほとんどがモスクワから乗り継ぎでヨーロッパの各都市に行く人たちでした。
結局、今までにないほど早く空港から出られそうです。
すると。。。。出口のところで初めての行列です。
おかしいなあ、もう荷物も受け取って税関も済んで、あとは何にもないはずだけど・・・
出口では、放射能検査が行われていました。
過剰反応は、日本だけではありません。
というより、海外の方が放射能について過敏です。
こちらで、何人もの人に放射能は大丈夫かと聞かれました。
ホテルに帰ってテレビを見て納得。
CNNを始め、海外ニュースは日本の地震報道を未だにトップニュースで伝えていますが、流れるニュースは福島原発のニュースばかり。
しかも原発が爆発するシーンとか、爆発後に鉄骨がむき出しとなっている原発の映像なんかを繰り返し放映しています。
これは、外国人が不安に思うのも無理はないなあ。
とくにロシアは、一度チェルノブイリ原発で大事故を経験していますので、なおさら過敏なようです。
今日は、空港から駐ロシア日本国大使公邸へ直行しました。
公邸で、大使らと楽しくお食事を致しました。
ロシア大使はとても気さくな方で、私たちに積極的に話しかけて下さいます。
その顔には見覚えがあります。
おかしいなあ、どこで見たんだろう・・・・
しばらくして気が付きました。
最近、北方領土をロシアのメドヴェージェフ大統領を訪問した際、日本は抗議のためロシア大使を一時帰国させました。
あの時、さんざんニュースに出ていたから、顔に見覚えがあったんですね。
モスクワは、予想にたがわずとにかく寒いですが、北国の常でして、部屋の中は快適です。
しかし、一歩外でると氷点下の世界。
耳がちぎれるくらいの寒さです。
こんな中、現地の女性はノースリープです。
いったいどうなっているでしょう。