2010年05月

2010年05月27日

平宗盛

今回、「熊野」を演じるに当たって、「熊野」の作品研究もかなりしました。
その中で、ワキの平宗盛という人物がとても興味深い存在でした。

「熊野」のワキは、真ノ名ノリというとても珍しい自己紹介をします。
つまり、舞台の中央で名乗るのです。

真ノ名ノリは、他には「道成寺」「石橋」「猩々乱」しかありません。
これらはいずれも重習の曲です。
つまり、平物の曲で真ノ名ノリは「熊野」だけです。
平宗盛の扱われ方が、特別であることが分かります。

ただ、一方でシテの熊野からはたいへん軽く扱われます。

「熊野」の能では、サシからクセと場面が移っていきます。
シテはサシの間はは舞台に下居のままで、クセの途中から舞い始めます。

こういうパターンですと、シテは普通、サシと舞い始める前、クセの舞の終わりには、ワキを向きます。
つまり、シテはワキに向かって舞っている(または語っている)というのが能の大前提なのです。

しかし、熊野は一度も平宗盛を見ません。全く見ないのです。

熊野は、宗盛に舞えと言われて渋々舞いを舞っているのですが、宗盛に舞を見せるという気持ちはサラサラ無いということが分かります。

平家の頭領の宗盛もずいぶんバカにされています。

平宗盛は、最初は威厳を見せて、熊野の帰郷を許さず強引に花見のお供をさせたりするのですが、最後は和歌にほだされて、熊野の帰郷を許します。

平家物語の人物評通り、優柔不断で憎めない人柄を見せます。

でも、この名作「熊野」は、ワキが平宗盛だからこそ成り立つのでしょう。

平家の絶対権力者・平清盛亡き後、本来は好人物との誉れの高かった清盛の嫡男・平重盛が平家の頭領を継ぐはずでした。
重盛が早世したため、その弟の宗盛が頭領となったのです。

もし、「熊野」のワキが平重盛であったら・・・
思慮分別に優れた好漢であった重盛は、きっとすぐに熊野の帰郷を許すでしょう。
したがって、熊野はあっさり故郷へ帰れてめでたしめでたし。

もし、「熊野」のワキが平清盛であったら・・・
短気で、わがままであった清盛は、熊野の帰郷を絶対許さないでしょう。熊野がいくら悲しい和歌など詠んだところで、心動かしたりしないでしょう。あまりしつこく願うと、殺されてしまうかもしれません。


かくして、この名作「熊野」は、ワキ・平宗盛のおかげでこのような感動的な物語となった訳です。


kuwata_takashi at 23:44|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2010年05月25日

「熊野」御礼

s-IMG_5649a「桑田貴志 能まつり」旗揚げ公演、「熊野」無事に終わりました。

早速舞台写真を載せます。
撮影は、写真家の渡辺国茂様です。


日曜日は、超満員のお客様にお越し頂きました。御来場の皆さま、有難うございます。

最初に、挨拶のため舞台にあがりました時、今までのことがいろいろ思い起こされて、感極まりました。

入門して以来、15年。
住み込みの内弟子として5年間過ごした矢来能楽堂で、自分の研鑚の能会を開けることは、大きな喜びです。

さて、肝心の舞台の話をしましょう。

朝起きると、体がだるい・・・
前日の大阪九皐会の疲れが残っている・・・

そういう時は、気持ちを充実させます。

「今日は待ちに待った「熊野」の日。ようし、頑張るぞー」

そう叫んで、「エイエイオー」などとやれば、あら不思議。疲れは吹っ飛びます。
演能中も、全く疲れは感じませんでした。
(もっとも、その疲れが今になって押し寄せていますが・・・)

前半の山場、「文之段」は気持ち良く謡わせて頂きました。
ただ、そういう時はだいたい落とし穴があります。

終演後、「文之段」はゆっくり謡いすぎとのおしかりを受けました。
だいたい、気持ち良く謡っている時は、謡が伸びるものです。役に入り込むこと無く、「離見の見」を忘れないようにしなければいけませんね。

稽古能の時は、ここでクタクタだったのですが、今回はそれなりにペース配分が出来たのでしょうか。ロンギになっても体は充実していました。

中の舞のイロエ掛りや、「短冊之段」
これらはどちらともお囃子との合わせ方が難しいのですが、両方まあまあ思っていた通りに出来たかなあ。
最初に師匠にお稽古を見てもらい、稽古能の申合、稽古能、本番申合、本番と、ひと月の間に5回も通しでさせていただきましたので、さすがにお囃子を聞く余裕はありました。

後半は、力がみなぎる感じがしました。

色々反省点はありましたが、良くも悪くも「精一杯の舞台」が出来たかなあと思います。

実は、今回の旗揚げ公演に際して、プライベートでもいろいろありました。
絶対に忘れることの出来ない公演となりました。

第二回公演は、来年の5月21日(土)にさせていただきます。
演目は「海士」に挑戦いたします。
どうぞ宜しくお願いいたします。


kuwata_takashi at 10:55|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2010年05月22日

準備OK

今日は、大阪九皐会。
「定家」と「邯鄲」と仕舞の地謡でした。

とくに「定家」は2時間超えの大曲。
さすがに疲れました。

今さらジタバタしてもしょうがないので、今日はゆっくり休んで明日に備えようと思います。


kuwata_takashi at 20:39|PermalinkComments(2)TrackBack(0)

2010年05月21日

いよいよ

「能まつり」旗上げ公演、いよいよ近づいて参りました。

月曜日に申合を終え、舞台の面ではある程度道筋が着いてきました。
後は体調を整えて、良いコンディションで舞台に望めるように努めたいと思います。

とはいうものの、今週も遠征続き。
申合の後、午後から富士に行きました。月曜日火曜日と富士沼津稽古でした。

そして今日明日と大阪公演。

これだけ移動が多いと、知らず知らずのうちに疲労が蓄積されます。

明日は大阪九皐会。
今日の午前中は、その申合でした。

申合の後は、明日に備えて静養です。

ホテルでのんびりしています。

ただ、ジッとしていると落ち着かないので、ホテルで一通り「熊野」の稽古してしまいました。

最初は小声で謡っていたのですが、気がつくとずいぶん大声で謡っていました。

隣の部屋の方、ゴメンナサイ。


kuwata_takashi at 19:25|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2010年05月16日

甲府京都

昨日は、甲府にて薪能。
今日は、京都にて素人会。
有り難いことに、仕事が充実しています。

明日は、いよいよ「能まつり」の申合。

能のシテをさせて頂く時は、だいたい気持ちの波としては申合がピークなのですが、今回は先週に稽古能をさせて頂いたので、気持ちはかなり落ち着いています。

更に、覚え物も貯まっていて、「熊野」にかかりっきりという訳にはいかない状況というのも幸いしています。

明日は、あまり力まず自然体で頑張りたいと思います。


ところで今日は京都日帰り。
時間があったら、「熊野」の舞台となった清水寺くらい行きたかったのですが、とてもそんな余裕はありませんでした。

タクシーの中から、「四条五条の橋の上」(「熊野」のロンギの名文句)を眺めました。明朝は、矢来能楽堂で「四条五条の橋の上」を眺めます。


kuwata_takashi at 19:57|PermalinkComments(0)TrackBack(0)