2010年02月
2010年02月26日
千歳
明後日の九皐会百周年記念別会にて、「翁」の千歳を勤めます。
今日はその申合でした。
「翁」の千歳をさせていただくのは今回が3回目です。
この役には、特別な思い入れがあります。
入門すると、まず「千歳」の役を勤めることを目標とします。
当家では、だいたい内弟子を独立するころにこの役をさせていただくことになっています。
私が披いたのは、21世紀の幕開けの2001年1月の九皐会でした。
その時は、とにかくがむしゃらに稽古したものです。
今回、千歳の稽古をしているうちに、あの時のがむしゃらな気持ちを思い出しました。
当然、3回目ともなれば、がむしゃらにやれば良いという訳にはいきません。
落ち着いてじっくりと結果を出すことが求められます。
でも、昔の一生懸命な気持ちを忘れないようにしなければと痛感します。
これが、世阿弥の言う「時々の初心」なのかなあと思います。
明後日の本番、がむしゃらに、そして落ち着いて勤めたいと思います。
今日はその申合でした。
「翁」の千歳をさせていただくのは今回が3回目です。
この役には、特別な思い入れがあります。
入門すると、まず「千歳」の役を勤めることを目標とします。
当家では、だいたい内弟子を独立するころにこの役をさせていただくことになっています。
私が披いたのは、21世紀の幕開けの2001年1月の九皐会でした。
その時は、とにかくがむしゃらに稽古したものです。
今回、千歳の稽古をしているうちに、あの時のがむしゃらな気持ちを思い出しました。
当然、3回目ともなれば、がむしゃらにやれば良いという訳にはいきません。
落ち着いてじっくりと結果を出すことが求められます。
でも、昔の一生懸命な気持ちを忘れないようにしなければと痛感します。
これが、世阿弥の言う「時々の初心」なのかなあと思います。
明後日の本番、がむしゃらに、そして落ち着いて勤めたいと思います。
2010年02月17日
文楽三昧
今日は、久しぶりのオフ。
「鵺」も終わって晴れ晴れと、文楽鑑賞に出かけました。
最近、文楽がひそかにお気に入り。
今月の文楽は、三部立てという豪華さ。全部見ると流石に疲れそうなので、一部と三部を見ることにしました。
第一部は、「花競四季寿」に「嬢景清八嶋日記」
「花競四季寿」は、舞踊劇。四季それぞれの舞踊を見せます。
秋の舞踊は、能から取った「関寺小町」
うーん、こういうしみじみとしたものは、文楽には合いませんね。
他の季節、春の「万才」夏の「海女」冬の「鷺娘」は堪能しました。
でも、やはり文楽の醍醐味は次の「嬢景清八嶋日記」
これは能の「景清」から取った演目です。
やはり文楽らしく、人情劇に仕上げられています。
とっても面白かったです。
第三部は、「曾根崎心中」
言わずと知れた、文楽世話物の代表作。
これが見たくて出かけたようなものです。
いやあ、面白かったです。
私は、文楽鑑賞は、ほとんど義太夫を聞きに行っているようなものです。
義太夫語りって、スゴイですね。
聞き惚れます。
力強い声の響きはもちろん。太夫の表情やしぐさも楽しめます。
一場約1時間ほどを、たくさんの人物や場面を一人で語る芸力には惚れ惚れします。
能のシテやワキや地謡を一人で全て謡いきることの困難さを考えれば、義太夫の太夫のスゴさが思い知られます。
今日、シミジミと思ったのは文楽芝居のダイナミックさです。
とにかく、これでもかというくらいクサイ芝居です。
「嬢景清八嶋日記」は、原作は能の「景清」なのですが、能と比べるとクサさは歴然です。
悪七兵衛景清の娘・糸滝(能では人丸という名)は、父に会うために自分の身を遊女屋へ売ったり、娘の本心を知った景清が誇りを捨てて敵である源頼朝に従ったりと、まあクサイ芝居です。
「曾根崎心中」は言うまでもなく、コテコテのクサさ。
しかし、それが少しの違和感もなく見ていられるのが不思議です。
たぶん、同じ芝居を人間の役者が演じたら、恥ずかしくて見てられないでしょう。
文楽を原作とする歌舞伎(丸本もの)は、さすがにこんなにコテコテしていません。
こんな恥ずかしい芝居を、人形に演じさせることで、派手に見せるダイナミックさに、感心しました。
さすが、上方によってはぐくまれた芸能ですね。
このコテコテ感が、文楽の最大の魅力でしょうね。
文楽鑑賞、クセになりそうです。
ところで、「嬢景清八嶋日記」の日向嶋の段が始まると、舞台に藁屋が現れ、中から「松門独り閉じて。年月を送り・・・・」
という景清の語りが聞こえてきます。
この辺は、能「景清」と全く同じなのですが、何か違和感が・・・
藁屋の作り物が異常にデカイのです。
能の藁屋は概ね半間(90㎝)四方ですが、文楽の藁屋の一辺は、どうみても一間半はあります。
「何で、あんなに小さい人形が入っている作り物なのに、あんなにでかいんだ?」
と思いながら、「松門独り閉じて・・・」の名調子を聞いていました。
やがて、中から景清が現れます。
小さいながらも迫力のある風体で藁屋から姿を出します。
そして景清の人形に続いて、それを動かす人形遣いが3人出てきます。
ハハハ・・・
あの藁屋の作り物の中に入っていたのは、小さな人形だけじゃあなかった。文楽人形は、三人の人形遣いによって動かされます。
大の大人が、3人も入っているからあの大きさなのですね。
「鵺」も終わって晴れ晴れと、文楽鑑賞に出かけました。
最近、文楽がひそかにお気に入り。
今月の文楽は、三部立てという豪華さ。全部見ると流石に疲れそうなので、一部と三部を見ることにしました。
第一部は、「花競四季寿」に「嬢景清八嶋日記」
「花競四季寿」は、舞踊劇。四季それぞれの舞踊を見せます。
秋の舞踊は、能から取った「関寺小町」
うーん、こういうしみじみとしたものは、文楽には合いませんね。
他の季節、春の「万才」夏の「海女」冬の「鷺娘」は堪能しました。
でも、やはり文楽の醍醐味は次の「嬢景清八嶋日記」
これは能の「景清」から取った演目です。
やはり文楽らしく、人情劇に仕上げられています。
とっても面白かったです。
第三部は、「曾根崎心中」
言わずと知れた、文楽世話物の代表作。
これが見たくて出かけたようなものです。
いやあ、面白かったです。
私は、文楽鑑賞は、ほとんど義太夫を聞きに行っているようなものです。
義太夫語りって、スゴイですね。
聞き惚れます。
力強い声の響きはもちろん。太夫の表情やしぐさも楽しめます。
一場約1時間ほどを、たくさんの人物や場面を一人で語る芸力には惚れ惚れします。
能のシテやワキや地謡を一人で全て謡いきることの困難さを考えれば、義太夫の太夫のスゴさが思い知られます。
今日、シミジミと思ったのは文楽芝居のダイナミックさです。
とにかく、これでもかというくらいクサイ芝居です。
「嬢景清八嶋日記」は、原作は能の「景清」なのですが、能と比べるとクサさは歴然です。
悪七兵衛景清の娘・糸滝(能では人丸という名)は、父に会うために自分の身を遊女屋へ売ったり、娘の本心を知った景清が誇りを捨てて敵である源頼朝に従ったりと、まあクサイ芝居です。
「曾根崎心中」は言うまでもなく、コテコテのクサさ。
しかし、それが少しの違和感もなく見ていられるのが不思議です。
たぶん、同じ芝居を人間の役者が演じたら、恥ずかしくて見てられないでしょう。
文楽を原作とする歌舞伎(丸本もの)は、さすがにこんなにコテコテしていません。
こんな恥ずかしい芝居を、人形に演じさせることで、派手に見せるダイナミックさに、感心しました。
さすが、上方によってはぐくまれた芸能ですね。
このコテコテ感が、文楽の最大の魅力でしょうね。
文楽鑑賞、クセになりそうです。
ところで、「嬢景清八嶋日記」の日向嶋の段が始まると、舞台に藁屋が現れ、中から「松門独り閉じて。年月を送り・・・・」
という景清の語りが聞こえてきます。
この辺は、能「景清」と全く同じなのですが、何か違和感が・・・
藁屋の作り物が異常にデカイのです。
能の藁屋は概ね半間(90㎝)四方ですが、文楽の藁屋の一辺は、どうみても一間半はあります。
「何で、あんなに小さい人形が入っている作り物なのに、あんなにでかいんだ?」
と思いながら、「松門独り閉じて・・・」の名調子を聞いていました。
やがて、中から景清が現れます。
小さいながらも迫力のある風体で藁屋から姿を出します。
そして景清の人形に続いて、それを動かす人形遣いが3人出てきます。
ハハハ・・・
あの藁屋の作り物の中に入っていたのは、小さな人形だけじゃあなかった。文楽人形は、三人の人形遣いによって動かされます。
大の大人が、3人も入っているからあの大きさなのですね。
2010年02月15日
「鵺」御礼
本日、九皐会にて「鵺」を勤めました。
ご来場の皆さま、有難うございます。
「鵺」は前場が勝負だと思い、前場は色々こだわりました。
今日は、まあ思う通り出来たかなと思います。
ただ、後場には悔いが残ります。
少々アクシデントもあり、ちょっと焦りました。
今日は体調も良く、体もきれていました。
だいたい、こういう時に落とし穴があったりします。
後シテの能面は、「猿飛出」という九皐会のお宝の能面を使わせていただきました。
頭は猿、という「鵺」の特徴をよくあらわしている、能楽界の名物面です。
この能面を使わさせて頂き、とても有り難く感じます。
それにしても、毎度のことなのですが、シテが終わった夜って、体が興奮しているのでしょうね。なかなか寝付けません。
ビールをたらふく飲んで、先ほど眠りについたのですが、全く寝れません。
体は疲れているのに、目はランランとしています。
しょうがないから、オリンピックでも見てようかな。
ご来場の皆さま、有難うございます。
「鵺」は前場が勝負だと思い、前場は色々こだわりました。
今日は、まあ思う通り出来たかなと思います。
ただ、後場には悔いが残ります。
少々アクシデントもあり、ちょっと焦りました。
今日は体調も良く、体もきれていました。
だいたい、こういう時に落とし穴があったりします。
後シテの能面は、「猿飛出」という九皐会のお宝の能面を使わせていただきました。
頭は猿、という「鵺」の特徴をよくあらわしている、能楽界の名物面です。
この能面を使わさせて頂き、とても有り難く感じます。
それにしても、毎度のことなのですが、シテが終わった夜って、体が興奮しているのでしょうね。なかなか寝付けません。
ビールをたらふく飲んで、先ほど眠りについたのですが、全く寝れません。
体は疲れているのに、目はランランとしています。
しょうがないから、オリンピックでも見てようかな。
2010年02月13日
「鵺」前夜
明日はいよいよ、「鵺」の当日です。
昨日の申合で出てきた課題も、今日調整してあとは「養老」のときのように体調を崩さないように、今日はゆっくり休みたいと思います。
さて「鵺」とは、頭が猿、手足は虎、尻尾は蛇という化け物です。
どうして猿と虎と蛇なのでしょう。
一説によりますと、東西南北の中間を干支に当てはめたようです。
鬼門に当たる東北は、丑寅で「虎」
東南は蛇、南西は猿という訳です。
では、北西の猪はどこにいったのかと言いますと、鵺を退治した「猪の早
太」なのだそうです。
つまり、退治される化け物と退治した者とで四方を固めて、四方を平定するという意味なのだそうです。
ところで、「鵺」とは「トラツグミ」という鳥の別名だそうです。
件の化け物の声が、トラツグミの鳴き声に似ているから鵺と名付けられたようです。
トラツグミは、足の爪が虎に似ているからトラツグミと言うそうです。
という訳で、「鵺」は寅年を飾るにふさわしい演目ですね。
「え、もう2月も半ばなのに、寅年を飾る?!!」
そう思った方は多いでしょう。
でも、明日は旧暦だと、正月なのです。
いわゆる旧正月。
中国や韓国、シンガポールなど東南アジア諸国では、今でも正月と言えば旧正月。
今日は、アジア中で大みそかが盛大に催されています。
さあ、新しい年は「鵺」で幕開けしましょう。
昨日の申合で出てきた課題も、今日調整してあとは「養老」のときのように体調を崩さないように、今日はゆっくり休みたいと思います。
さて「鵺」とは、頭が猿、手足は虎、尻尾は蛇という化け物です。
どうして猿と虎と蛇なのでしょう。
一説によりますと、東西南北の中間を干支に当てはめたようです。
鬼門に当たる東北は、丑寅で「虎」
東南は蛇、南西は猿という訳です。
では、北西の猪はどこにいったのかと言いますと、鵺を退治した「猪の早
太」なのだそうです。
つまり、退治される化け物と退治した者とで四方を固めて、四方を平定するという意味なのだそうです。
ところで、「鵺」とは「トラツグミ」という鳥の別名だそうです。
件の化け物の声が、トラツグミの鳴き声に似ているから鵺と名付けられたようです。
トラツグミは、足の爪が虎に似ているからトラツグミと言うそうです。
という訳で、「鵺」は寅年を飾るにふさわしい演目ですね。
「え、もう2月も半ばなのに、寅年を飾る?!!」
そう思った方は多いでしょう。
でも、明日は旧暦だと、正月なのです。
いわゆる旧正月。
中国や韓国、シンガポールなど東南アジア諸国では、今でも正月と言えば旧正月。
今日は、アジア中で大みそかが盛大に催されています。
さあ、新しい年は「鵺」で幕開けしましょう。
2010年02月07日
初午祭
今日は、近所の神社で初午祭。
お祭り好きの深川っ子は、初午でも大はしゃぎ。
初午とは、稲荷神社の大きなお祭りです。
前の公道までも封鎖して、にぎやかにお祭りがおこなわれ
この稲荷神社は、小さいながらも歴史と趣きのある神社です。
寄進者の中には、あの角聖・双葉山もいます。
ところで、深川っ子はとにかくもちつきが大好き。
毎週どこかでもちつきが行われています。
今日も、青年会の連中や地元の中学生やらが、ペッタンペッタン。
やきそばやフランクフルトにまじって、つきたてのおもちが、さっそく売られていました。
おもちは、あんこときなことおろし大根の三種類が売られています。
あんこは、町内にある超有名和菓子屋さん、
「庄之助」http://www.bekkoame.ne.jp/~iitomo-i/index.html
からの御提供。
上品なあんこがたっぷりぬられた、つきたてのおもちが2つ入って、なんと100円で売られていました。
早速、食べてみると旨いのなんの。
言葉がでません。
つきたてのおもちって、こんなに美味しいのですね。
普段は、真空パックのおもちしか食べません。
知らず知らず、それがおもちの味だと思い込んでいました。
つきたてのおもちは、とにかく柔らかく、ふかふかしていて、文字とおりモチモチしています。
つきたてのおもちの味は、絶対に後世に伝えるべき日本の伝統の味です。
思えば、うちの実家も昔は近所の親戚があつまって、杵と臼でおもちをついていました。
その時は、あたりまえにつきたてのおもちを食べていました。何と贅沢なことだったでしょう。
深川っ子が、もちつきが好きな理由も分かります。
こんな美味しいもの、病みつきになります。