2010年01月

2010年01月20日

京鹿子娘道成寺

100107_1404~01今日は、歌舞伎座にて歌舞伎鑑賞。
お目当ては、中村勘三郎さんの「京鹿子娘道成寺」

歌舞伎座では、4月の建て替えを前にさよなら公演が真っ盛り。
私は、「道成寺」がいつかやるはずだと心待ちにしていました。

待った甲斐があって、ようやく歌舞伎座で「京鹿子娘道成寺」が出されました。
私は勇んで行きました。

去年4月に「道成寺」を披いて以来、5月には文楽「日高川入相花王」を見て、今回は「京鹿子娘道成寺」と、能・文楽・歌舞伎の道成寺物を制覇しました。

しかし、「京鹿子娘道成寺」は何度見ても面白いですね。
能の「道成寺」が、裂ぱくの気合いと命懸けのスリルを見せるのに対して、歌舞伎の「京鹿子娘道成寺」は、女踊りの総決算。
次から次へと華やかな、女踊りが繰り広げられる豪華絢爛の踊りです。

同じ題材を元にしても、武士に育まれた能と、町人に愛された歌舞伎とでは、見せ方が大きく変わっています。

とても楽しいひとときでした。

しかし、中村勘三郎さんが
「月は程なく入汐の。」とか「花の外には松ばかり」
などと、唄うたびに鳥肌がたちます。

去年国立能楽堂で謡った「道成寺」の道行・次第・・・
しみじみと思い出しました。


歌舞伎座は、この春で建て替えだそうです。
どんなに古いのか思いきや、建てられたのは昭和26年。
27年に再建された矢来能楽堂と一年しか変わりません。

確かに施設は古いし、バリアフリーの面でも問題があり、耐震性能も疑問です。建て替えはしかたないのかなあ。

戦後の物のない時代に建てられた劇場なので、しょうがないのかもしれません。
当時としては立派な劇場だったのですが、今となってはとても国内外に誇れる劇場とは言い難いのも事実です。

ヨーロッパに行くと、古い歴史を誇りながら、今なお数々の名舞台を次々と提供している雰囲気満点の劇場がたくさんあります。

パリのオペラ座の建築は1875年、ミラノのスカラ座に至ってはなんと1776年。

新しい歌舞伎座は、日本が今後200年たっても300年たっても世界に誇れるような素晴らしいものを作って欲しいなあと思います。

その頃、能楽堂はどうなっていますかねえ。


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2010年01月17日

愛鷹山や富士の高嶺

100117_1649~01今日は今年最初の沼津稽古。

絶好の冬晴れ。
お稽古場の窓から愛鷹山と富士山がよく見えます。

ちなみに、手前が愛鷹山で、向こうの雪づいている山がが富士山です。
沼津からは、愛鷹山と富士山が重なって見えます。

窓からこんな景色を眺めながら、「羽衣」を稽古するのはいい気持です。

あるお弟子さんに「羽衣キリ」の仕舞を稽古していましたら、最後に

「愛鷹山や富士の高嶺」
とサシという型で指し示す方向が違います。

「この型は、常座(能舞台の区分の名称)に向かってします。そっち向きではありませんよ」

そう言って、お弟子さんが間違えた方向を向いてみる。
すると・・・

窓の外から、愛鷹山と富士山がクッキリ。

うーん、気持は分かるけど、仕舞の型としては間違えなんだよなあ・・



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2010年01月15日

「養老」裏ばなし おまけ

「養老」の舞台の前の日、私は区の緊急医療センターのお世話になりました。
前日の夜でバタバタしていましたが、結果的に行って大正解でした。そこで処方してくれた薬のおかげで舞台を乗り越えたようなものでした。

 医療センターで、自分の番を待っている間、私は待合室の長椅子に突っ伏していました。
気持ち悪くて顔を上げることができませんでした。 すると、突如長椅子がゆれました。隣に、誰か座りました。それも、地響きを立てながら。

 「こら、静かに座われ!」

 どんな奴かと思って顔を上げてビックリ。隣に、お相撲さんが座っていました。 普段着でしたが、頭の大銀杏を見てお相撲さんだとすぐ分かりました。
その大銀杏は乱れ、まさに相撲を終えたばかりという顔付きでした。 そうか、初場所は今日が初日だった。
私は、なかなかの相撲ファンではありますが、その顔に見覚えはありません。
私の住んでいる区には、相撲部屋がたくさんあるので、きっとどこかの部屋の下っ端力士でしょう。

しかし、初場所初日の夜に、何故力士がこんなところにいるのだろう。
医療センターは内科と小児科しかありません。ケガした訳では無いでしょう。
そこでは、診察を受ける前に問診表を提出します。周りの人の問診表を覗きましたら、私と同様お腹をくだしている人が実に多くいました。どうやら、ウィルス性の腸炎は流行っているようです。

私は、想像しました。 ひょっとしてこのお相撲さんも、お腹くだしている?
私みたいに、「明日の取り組みの間だけでも、下痢を止めてください」 なんて、お医者さまに頼んでいるのかなあ。

いろいろと想像しました。

ふと思いました。 マワシをしたお相撲さんは、どうやって用をたすのだろう? 大変なのでは・・・

待合室で意識がフラフラするなか、私はそんなどうでも良いことを、真剣に考えていました。


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2010年01月13日

「養老」裏ばなし 2

家に帰ると、まず薬を飲みました。当然、下痢止めもバッチリ飲みました。

そして、ポカリスエットを買い込み、それをお湯で割って飲みました。下痢により水分が失われているからです。

そしてひたすら寝ます。
寝る前に体温を測ってみました。なんと、38度を超えています。
これはヤバイ・・・

布団に入りますが、お腹がムカムカしてなかなか寝れません。
寝入ったかと思うと、すぐ目が覚めます。
だいたい、次の日の舞台を失敗する夢にうなされて跳ね起きます。

お腹の気持ち悪さと、夢見の悪さにゲンナリしてしまいます。

「勝負の舞台だったのに・・・  どうしてこんなことになっちゃったんだろう・・・」
少し沈みました・・・

眠れないので、起き上がります。ふと、「養老」を謡ってみました。
すると、声は普通に出ます。

フルパワーで謡ってみました。
良い具合に声が響きます。
風邪といっても、お腹にキテいるだけなので、喉はなんともありません。
気管支にくる風邪だったら、ほんとうに大変な事態でした。

「なんだ、悪いのはお腹だけだ。声は普通に出るよ」
「下痢さえ止まれば、舞台に上がれるじゃないか」

そう思うと、ウソのようにスッキリしました。
もうどうせ、胃も腸もカラッポです。あとは、体内に注入した抗生物質が菌を殺してくれるのを待つだけだ。
そう思えてきました。

その後は、ぐっすり眠れました。変な夢も見ませんでした。
朝になるまで、一度ももよおしませんでした。

「うわー、本当に強力な下痢止めだ。飲む前は、10分おきだったのに・・」

頼もしい援軍を得た気分です。結局その頼りになる薬を、朝と昼と、あと二回も服用いたしました。

下痢さえ止まれば恐れるものはありません。
食欲は全くありませんでしたが、体力をつけないと激しい「養老」の舞台は乗り切れないと思い、味付けなしの5分粥をゆっくりと食べました。

楽屋入りするころには、もう全快になっていました。
多少、お腹がムカムカしますが、体に支障はありません。
エネルギー補給に、ゼリー飲料をゆっくり流し込み、最後の薬を飲み、さあ出陣です。

装束を着る頃には、もう何の憂いも迷いもありませんでした。

いざ舞台が始まると、もうお腹のことなんか全く気になりません。
他に気にしなければならないことは山ほどあります。
さすがの大曲に、誠心誠意取り組みました。

やはり、激しい能でしたので後半は苦しかったです。
でも、けっこう落ち着いて舞えました。
自分で言うのもナンですが、年末年始の集中した稽古がものをいったように思います。

終わって、装束を脱いで、共演者に挨拶をすまし楽屋に戻ったところで、急にめまいがしました。

お腹が締め付けられるように苦しみ出しました。
ろくに食べずに、強い薬を立て続けに飲んだので、胃が悲鳴を上げているのでしょう。

楽屋内で、しばし起き上がれませんでした。
性も根も尽きたというのは、こんな感じなのでしょう。

それにしても感じるのは、人間の精神の強さです。
能を舞っている最中は、体調不良は本当に全く感じませんでした。
それどころか、体の芯からパワーがみなぎってくるのを感じました。
いつも以上に、冷静に舞えました。というより、いつもはガムシャラにやりすぎなのかも知れません。

気持ちが病を抑えるって、あるんですね。


こんな体調になってしまったのは、玄人として恥ずべきことです。
もう二度と、こんなことにならないように、体調管理には万全の注意を施したいと思います。


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2010年01月12日

「養老」裏ばなし 1

昨日、無事に終えた「養老 水波ノ伝」でしたが、私の体にはとんでもないことが起こっていました。
ウィルス性腸炎にかかってしまい、ひどい体調だったのです。

この年末年始は一週間、全く仕事がありませんでした。去年の「道成寺」の時はひと月仕事を休んで集中して稽古しましたが、この一週間は、「道成寺」の時のような密度で稽古に励みました。

9日の土曜日もまたオフだったので、本番に向けての最終調整をじっくりしました。本番へむけ、稽古も仕上げです。さあやることはやりました。

次の日の日曜日は、九皐会です。その最中、異変が起こりました。
お昼のお弁当を頂いたあと、急におなかがギュルギュル言い出し始めました。
あわててトイレに駆け込みます。

ビールが主食で、毎日飲んだくれている私は、基本的におなかがゆるく、年中おなかをくだしています。

しかし、今回はいつもとは明らかに違います。
それからは10分おきにトイレに駆け込みます。

最初は、お弁当の何かにあたったのかと思いましたが、その場にいる人が誰も苦しがっていないので、それはなさそうです。

思い当たる節があります。
最近次男が、お腹の風邪をひいて、軟便というか水便を連発しています。
それをもらったに違いありません。

家に帰る頃には、吐き気が押し寄せ、ゾクゾク寒気がします。
おととし、食あたりで救急車で運ばれたときのことを思いだいました。
詳しくは、下記の過去の日記をご覧下さい。
http://shitashimu.dreamlog.jp/archives/2008-05.html?p=2#20080502

慌てて、区の緊急医療センターへ行きました。ここは、休日でも夜まで診察してくれる、素晴らしいところです。
行くと、待合室はすごい人。三連休だからしょうがないか・・・

1時間半ほど待たされる間、すっかり憔悴してしまいました。
やっと、診察の番が回ってきます。
医者の先生は、あっさり言います。
「まあ、ウィルス性の腸炎ですね。間違いなく子供からもらってます。おそらくノロ・ウィルスじゃあないかなあ」

「あの、私は能の役者をしています。明日大事な舞台があるのですけど、出れるでしょうか・・・」

「明日の体調次第ですけど、普通はダメでしょう。まともに食べれないから体に力が入りませんよ」

「それは、気合で何とかします。とにかく、明日の舞台の1時間半の間、下痢をとめることはできますか」

「悪い菌は、体から出しちゃった方が良いのです。ウィルス性腸炎の場合、下痢は止めてはいけません」

「明日が終われば、いくらでも出します。だだ、明日まではピタッと止めてください」

「・・・・そこまで言うのでしたら、特別に下痢止めを出します。本当は良くないということは、承知して下さい。それでも飲むのはあなたの自由です」

「特別に強力なのを出して下さい」

「ああ、どんな下痢でもバッチリですよ」

そんなやり取りをしたあと、先生にお礼を言って帰宅しました。
大変だったのはそれからでした。


kuwata_takashi at 23:31|PermalinkComments(0)TrackBack(0)