2009年09月

2009年09月30日

引き際

先日の緑泉会にて、私の「敦盛」と、もう一番稀曲の「六浦」が出た。
「六浦」のあらすじはざっと以下の通りです。

昔鎌倉の中納言為相卿(藤原定家の孫・母は阿仏尼・冷泉家の祖)という人が、紅葉を見ようと思ってこの寺へやって来たところ、山はまだまだ紅葉していないのに一本だけ色濃く紅葉している楓を見て感動して一首の和歌を詠む。その歌に感動した楓は、このように面目をほどこしからには、身を引くのが天の道だと考え、その後諸木みな紅葉している中にただ一本だけ紅葉せずに緑を保っているという。

その楓の精がたおやかに舞を舞うのが「六浦」の見どころです。
さてこの楓、和歌に感動して次のように言います。

「功成り名遂げて身退くは天の道」

以後、紅葉することから引退したというのです。
「功成り名遂げて身退くは天の道」とは、中国の老子が残した有名な言葉です。
能では、「船弁慶」のクセにも取り上げられていますので、ご存じの方も多いと思います。

成功を収めて名声を得た人は、後進に道を譲って退くのが天の道であるという言葉は、けだし名言であります。


ある政党の総裁選のニュースが入ってきました。
私は、その政党のお偉方に、この言葉を贈りたいと思います。

どうして、一国の首相まで勤めた方が、いつまでも権力にしがみついているのでしょう。
その首相の座を投げ出した人が、どうして偉そうにしているのだろう?

その点、あっぱれだったのは、小泉元首相。
彼はまさに、老子の言う「天の道」を心得ていましたね。




at 10:18|Permalink

2009年09月22日

体が資本

「敦盛」が終わって2日経ちました。

昨日は、朝は新作能「兼続」の申合。昼はお弟子さんのお稽古。夜は、玉川高島屋の屋上で行われる「たまがわ薪能」に出演。

今日は、子供の稽古をしたあと、昼過ぎから、打ち合わせと所用のため、日光へ出かけます。

明日は、朝の特急で東京へ戻って、昼から同門の能楽師主催の能会のお手伝い。そして夜は、お弟子さんのお稽古。

明後日は、朝が申合で昼が葛西で団体稽古で、夜は市川にて恒例の「ぎんが能楽サロン」

その次は・・・


相変わらず、ずっと忙しい日々を送っています。

おかげさまで、体はバキバキ。
特に背中から腰にかけて、パンパンにはっています。

そんな状態で迎えた「敦盛」。
いつも、能のシテを勤めた後は強烈な腰痛に悩まされます。

今回は、「敦盛」を舞った夜、マッサージに行ってみました。

マッサージ師は、私の体に触るや否や、あまりのコリ方にビックリします。

「お客さん、肩の中に何かいますよ」

よっぽどコッていたようです。
丁寧にほぐして頂いて、スッキリ!
と思いきや、かえってダルくなりました。

一夜明けて昨日は、朝起き上がれない・・
とてつもなく体が重い。いわゆる揉み返しですね。

「・・・なんだ、マッサージなんてしなきゃ良かった。かえって辛いじゃないか」

昨日は一日、しんどい思いをしました。

ところが、今日になると体はスッキリ!
いつもは、シテの後は2~3日は辛いのに、一日で回復です。


うーん。凄い辛いけど1日で回復するのと、ダラダラと2~3日辛いのと、どちらが良いのでしょう。

いずれにせよ、日頃の節制と体のケアが大事ですね。


at 16:34|Permalink

2009年09月20日

「敦盛」御礼

本日、緑泉会にて無事「敦盛」を勤めました。
ご来場頂いた方、この場を借りて御礼申し上げます。

今回は、本当にハードスケジュールの中のシテでした。

だいたい、シテの前は仕事を控えることにしているのですが、今回は前日前々日と大阪に行っていました。
しかも、「鸚鵡小町」という大曲を謡わさせて頂きました。

その2日間は、「鸚鵡小町」に大きなエネルギーを費やしました。
いつものように、自分のシテにかかりっきりという訳にはいきませんでした。

でも、前日の日記にも書きましたが、「鸚鵡小町」の舞台に関わって、私は大きなパワーを頂きました。

体力的には辛かったですが、良い経験をさせて頂きました。
「敦盛」という能を演じるに当たっても必要なプロセスだったのかなと思います。

修羅物の中でも、「敦盛」は最も華やかにやらなければならないのかなあと思います。
ただ、あくまで武士の能ですから、弱々しくなってはマズイですね。

その辺りの葛藤がありました。


「敦盛」はとにかくよく出る能なので、初役だったのですが、意外と余裕がありました。
やはり、目で見て覚えているというのは、大切なことだなあと思います。

なるべく、いろんな舞台に接して、その能に馴染んでいくことが重要ですね。それが、ゆくゆくは自分の財産になっていくのかなあと思います。

振り返ると、いろいろと気になる点はあります。

「あそこ上手くいかなかったなあ」と思うところもいくつかあります。

でも、様々な面で収穫の多い舞台だったなあと思います。

役者である以上、自分の舞台に満足なんてことはありません。
今回感じたことを胸に、新たなるステップを踏み出して行きたいと思います。


at 23:16|Permalink

2009年09月19日

鸚鵡小町

今日は、大阪九皐会にて九皐会百周年記念別会。

大曲、「鸚鵡小町」が上演されました。
私は、「鸚鵡小町」の地謡を初めて謡わさせて頂きました。地頭は、観世銕之丞先生です。

大変な緊張感の中、とても良い勉強をさせて頂きました。


シテのN師も熱演でした。
最後橋懸りを、静かに帰って行く後ろ姿は、なんとも言えない哀愁がただよい、しみじみといたしました。

能って、公演が終わって退場するところも、まだ演技が続いているということを改めて感じました。シーンと静まりかえる能楽堂内に、シテがつく杖の音のみ響き渡ります。
その小さな音が支配する静寂の空間。
それが表現出来る芸術って、能をおいて他に無いと思います。

本当に良い舞台でした。


明日は、いよいよ「敦盛」です。
良い舞台を勤めたいと思います。


at 22:15|Permalink

2009年09月17日

緑泉会「敦盛」

今週の日曜日に、緑泉会にて「敦盛」に挑戦いたします。

この曲は、大変な人気曲です。
人気曲ゆえ、私が演じようとすると、必ず兄弟子が先に演じてしまうので、今までできずにいました。

やはり、同じ曲ばかり続けて上演する訳にいかないので、ローテーション上、演じるのが遅くなってしまいました。

この能は、前シテは平家の貴公子・平敦盛の化身として登場します。
しかも、この前シテは能面を用いずに素顔で演じられます。

16歳にしてこの世を去った敦盛を、素顔(直面)で演じるのですから、ある程度年齢制限のある能とも言えます。

私は当年、38歳。
敦盛の倍以上生きています。

果たして年齢制限に引っ掛かるのでしょうか・・・

まだまだ老けこんでられません。敦盛らしく、精一杯若々しく演じたいと思います。

ご来場下さる方、楽しみにしていて下さい。


今日の午前中、喜多能楽堂におて「敦盛」の申合でした。
申合が終わると、矢来能楽堂に移動してお弟子様のお稽古。
夕方には、国立能楽堂にて、来週の会の申合。
終了すると、飛び出して、夜10時まで銀座でお弟子様のお稽古。

今日は、4か所でお仕事。
帰宅してから、やっと自分のお稽古です。
今日の申合で露呈した「敦盛」の課題を、すぐさまチェックです。

深夜になって、明日の覚え物と準備にいそしみます。
明日明後日は、大阪です。

大阪九皐会にて「鸚鵡小町」の地謡を謡わせていただきます。
光栄である反面、たいへんなプレッシャーです。


最近、毎日こんな日々です。
日記が書けないのも無理はありません。

緑泉会のお知らせがたいへん遅くなりましたことをお詫び申し上げます。


at 23:07|Permalink