2009年08月

2009年08月19日

地震の反応

最近、すっかり深川お祭り日記になっていますね。
今日は、お祭りに関係のない話題を書きます。

月曜火曜と、静岡県は富士・沼津にお稽古に行ってきました。
この地域は、先の8月11日の地震によって大きな被害を受けたところです。

お弟子様にそれぞれお見舞いの言葉を申し上げました。

何といっても、東名高速が崩落したほどの大地震です。
さぞかし甚大な被害が起こっていると思っていました・・・

ところが、静岡の被害は想像したほどではありませんでした。
みな一様に、「たいした揺れではなかったです」
と言います。

じゃあ、何故東名高速は崩落したのだろう・・・
密かに、とても大きな問題が潜んでいる気がします。


そのとき、ある方から面白い証言を聞きました。
地震があった朝、沼津方面では直前に雷を伴う大雨が降っていたそうです。

ある方は、地震がおこるつい5分ほど前、雷が落ちる大きな音で目が覚めたそうです。
2発ほど、割に近くに雷が落ちたようでした、雷鳴が轟いていたそうです。

とは言え、それは朝の5時過ぎ。
雷は怖いけど、またスッと眠りにおちいってきたその瞬間、

ドーーン!!

とすごい音が鳴って、体が突き上げられたそうです。
その時、そのお弟子さんは、

「ついに、雷がここに落ちた」

と思ったそうです。

「うわー、雷が落ちるとこんなに揺れるんだ・・・」
と驚いていたそうですが、その揺れはいつまでも収まりません。

しばらくして、そのお弟子さんは、やっと地震が来たことに気付いたそうです。

寝てる時、突如「ドーン」と大きな音がなって、飛び起きたけど、しばらくは雷が落ちたのか、地震が起こったのか分からなかった・・・

このストーリーほ聞いて、ピンときたかたは、かなりの能楽通ですね。

まさに、「道成寺」のアイ狂言のセリフです。

鐘が落ちる轟音で目が覚めた、寺の能力(アイ狂言)の二人は、
「今の音は地震かと思って、『くわばら』と唱えた」
「雷が落ちたかと思って、『ゆりなおせ』と叫んだ」

と言い合います。

本当に、大きな音と振動が起こった時は、雷だか地震だか分からないものなのですねえ。
「道成寺」のアイ狂言が、妙に身近に感じられました。


at 23:54|Permalink

2009年08月17日

祭のあと

深川八幡祭りから一夜明け、今日は富士のお稽古日。

今週末の九皐会100周年記念 合同ゆかた会に向けて追い込んでお稽古しなくてはなりません。

しかし、私は満身創痍です。
特に、ずっと二ノ宮が担がれていた右肩は、二倍に膨れ上がり、はじけそうな痛みです。

何と言っても、私達が懸命に担ぎ続けた深川本社神輿二ノ宮は、台座だけで2.5tの重さです。

さらに、直径30センチ以上ある極太の担ぎ棒が縦に5本、横に2本はりめぐらされています。
担ぎ棒を含めた総重量は、おそらく3tくらいはあるでしょう。


ところで、私が乗っている車は、今月車検でした。

先日車検を終え、今日車検証が送られてきました。

それを見ると、我が愛車の車体重量は1tちょいでした。


それまで、とてつもなく大きすぎて、イマイチ実感が湧かなかった二ノ宮の重さが、やっと具体化されました。

つまり、私達は車3台を重ねて肩の上に担いでいたわけです。

この肩の痛みも納得です。


at 23:42|Permalink

2009年08月16日

大興奮 深川八幡祭り

深川の街が燃え上がる、深川八幡祭りも、今日が最終日。
ハイライトは、富岡八幡宮の本社神輿のうちの「二ノ宮」の渡御です。

富岡八幡宮の本社神輿は、日本一の大きさを誇っております。
重さ4.5tの本社神輿一ノ宮は、大きすぎて普段は担ぐことが出来ません。
したがって、本社神輿渡御の時は、二ノ宮が担ぎ出されます。

二ノ宮は、一ノ宮よりは小さいといっても、それでも重さ2.5tの堂々たる大きさ。
やはり大きいことで有名な浅草三社祭りの本社神輿一ノ宮が、約1tの重さであることから、その大きさが想像できるでしょう。

祭りの男どもが担ぐと、高さは二階建ての家くらいあります。
お神輿はご神体だから、二階から見下ろしてはいけないと言われますが、深川の二ノ宮は、二階からみても大丈夫です。

渡御の冒頭に、神輿総代より注意があります。
「服装の乱れ、掛け声の不揃いなど見つけたら、すぐ排除します」

その総代の手には、先がY字に割れた槍のようなものがあります。

問題を起こすと、あの槍で突かれるのか・・・

と恐れおののきましたが、さにあらず。
あの槍のようなものは、伸縮自在の棒で、神輿が当たらないように、電線を持ち上げるために使用する棒でした。

つまり、まともに持ち上げると電線に引っ掛かってしまう高さなのです。

後半、私は清澄通りの交通整備をしました。
清澄通りは片側しか閉鎖されていないので、神輿の担ぎ手がセンターラインを超えないように、懸命にロープで仕切りました。
少しでも油断すると、反対車線になだれ込みそうな勢いです。

つまり、片側三車線の清澄通りの幅くらい、担ぎ棒を含めた二ノ宮は大きいということです。
もはや、あきれるほどの巨大さです。

二ノ宮は大きいだけではありません。シルエットの美しさは担ぎながら惚れぼれしました。
金箔が張り巡らされた台座に、てっぺんの鳳凰の眼は、なんと2.5カラットの本物のダイヤ。とてつもなく贅沢なシロモノです。

その、二ノ宮を、各町会がリレーして深川の街を練り歩きます。
受け渡し場所で待っていると、二ノ宮が遠くから見えてきます。近づくにつれ、そびえたつその姿に鳥肌が立ちました。

いよいよ受け渡しです。勢い勇んで持ち上げますが、100mも進むと、もうヘナヘナになってしまいます。
想像以上の重さと大きさです。

去年担いだ町会神輿の比ではありません。
我々のグループの受け持ちは、ほんの2~3キロなのですが、行程は長く感じました。

次のグループに渡した後は、本社神輿二ノ宮を無事に送り届けられたことに、とにかくホッとしました。


今日は、大変な日でした。
朝、八時から同門の兄弟子の能の稽古に出向きました。
それが終わると、午前中いっぱい、建築学科の学生さんに矢来能楽堂を案内いたします。
ここまでは、着物を優雅に着こなして気取っております。

急いで深川に戻り、本社神輿用の半纏に着替え、出陣です。

二ノ宮を送り届けると、一つ用事を済ませて、今度は町会の浴衣に着替えます。

お祭り最終日なので、3歳と2歳の長男次男を連れて富岡八幡宮にお参りしました。
私たちがついた頃は、もう二ノ宮も、何もなかったかのように、神輿庫に戻っていました。
ちょうど、宮入りの作業が終わったところのようでして、鳶の方々が締めのあいさつをしていました。
中央にいるのは、かの有名な宮頭・山口政五郎。

日光江戸村に「政五郎の家」というアトラクションがあるほどの、江戸を代表する鳶頭が山口政五郎です。その伝統を代々受け継ぐ、当代政五郎はまさに深川を象徴する男です。

その山口政五郎の音頭で、木遣りが始まりました。
総勢20人ほどの鳶連中が、役割を終えて再び鎮座した二ノ宮の横で締めの木遣りの奉納。

カッコいい。。。

しびれました。


さて、祭りのクライマックスは、「神々への響き」と題した太鼓の宴です。
3日前には能を奉納した舞台には、大小様々な太鼓が立ち並び、色んな太鼓のグループが入れ替わり立ち替わり和太鼓を奉納演奏しています。

迫力満点の和太鼓演奏を見て、長男と次男は飛び跳ねながら、踊りまわっています。

この二人、一昨日に同じ舞台で行われた、大盛り上がりの泉谷しげるの奉納ライブでは、シーンと静まり返っていたくせに、和太鼓演奏には狂喜乱舞。

廻りをよく見ると、同じように大興奮の子供たちで一杯です。


「そうか、深川の子供たちはこうして育ってゆくんだなあ」

大はしゃぎの子供たちを尻目に、神輿の影響で肩が二倍に腫れあがり、足腰がガクガクの私は、ほとんど廃人です。


本当に、充実したお祭りでした。
こんな楽しいお祭りがある、深川の街に住む喜びを感じました。

そして能の奉納を通じて、そのお祭りの一部を構成しているということに、無上のありがたさを感じます。


at 22:36|Permalink

2009年08月15日

能奉納 御礼

富岡八幡宮での、「深川八幡祭り 能奉納」無事に終わりました。4afd47e2.jpg


お暑いなか、たくさんのお客様にご来場いただきました。
この場を借りて御礼申し上げます。

本当に沢山の人が来て下さいました。
私の方で用意した、200部の当日番組は、あっという間になくなってしまいました。おそらく400人くらいのお客様で埋め尽くされたようです。
「100人位くれば・・・」
なんて思っていた私の予想を大きく裏切る大盛況でした。

能の奉納の前に、本殿にて出演者一同祈祷を受けました。
本殿での祈祷はとても厳粛な気持ちにさせられます。

うだるような暑さの中、装束着けての舞は大変でしたが、清々しい気分でさせていただきました。

富岡八幡宮には、元々能舞台があるほど、本来能に縁の深い神社だったそうです。

今の宮司様のおじい様(先代の宮司)が、能が大好きで、加賀の前田家の家臣から能舞台を譲りうけたそうです。
ただ、区画整理などあって、能舞台が維持できなくなって、伊豆修善寺の「あさば旅館」に舞台を譲ったそうです。

去年、移築100年を記念して、「あさば旅館」で大々的に記念公演をやっていたことは、能楽ファンには記憶に新しいことだと思います。

私は、神社の方に聞いてみました。
「あさばの舞台は、とても良い舞台です。移築してもったいなかったですね」

神社の方はこう言いました。
「いえ、ここにあったら震災か戦災で燃えていましたから、舞台のためには移築して良かったのです」
「この能奉納が行われて、能が好きだった先代も喜んでいるでしょう」

今の宮司様は、かなりのご高齢。そのおじい様が先代の宮司様と呼ばれているようです。(実際には、その間に宮司様は何代かいらっしゃるのですが)

富岡八幡宮に能舞台を建てちゃうくらい能が大好きだった御先代の宮司様。
見ていらっしゃったとすれば、とても光栄です。


at 11:02|Permalink

2009年08月13日

お祭り奉納について もう一つ

お祭り奉納に関しては、もう一つ大きな思い入れがございます。

私は大学時代、柳田国男の民俗学を研究していました。
その著書「日本の祭」にこのような記述がございます。

「すべての芸能の原点は、祭りにあり」

世の中の全ての芸能は、お祭りの時、神や仏に奉納したことから始まったと言うのです。
確かに能も、成り立ちは神社やお寺での奉納舞であったと言われています。

私が習っていた先生は、後藤総一郎先生という、柳田国男研究では第一人者の方でした。
学生時代、能と祭りの関係について、飲みながらお話した時の思い出を、後藤先生は私の結婚式のスピーチで改めて紹介して下さいました。
「その思い出は、二人の神楽歌だ」
とまで言って下さいました。

後藤先生は、その二週間後に亡くなられました。
私の結婚式も、出席できなかったので司会者の代読でした。

その時私に書いて下さったスピーチの原稿が、後藤先生の肉筆の最期の原稿だそうです。


先日、ゼミの後輩の結婚式に出席した際、後藤先生の奥様にお目にかかりました。
深川八幡祭りでの能の奉納のことをお話すると、とても喜んでいらっしゃいました。

お祭りでの奉納は、芸能の原点であり、能の原始のスタイルです。

この有難い舞台を、心して勤めたいと思います。


at 00:22|Permalink