2009年05月
2009年05月19日
文楽
今日は、文楽を見に行きました。
演目は「寿式三番叟」「伊勢音頭恋寝刃」「日高川入相花王」
「寿式三番叟」は能の「翁」から、「日高川入相花王」は能「道成寺」からとった演目です。
とりわけ、「道成寺」を演じた余韻が残っているうちに、「日高川入相花王」は何としても見たいと思い、スケジュールを調整して見に行きました。
期待していた「寿式三番叟」「日高川入相花王」はもちろん面白かったが、この日一番堪能したのは、まったくどんな話か知らなかった「伊勢音頭恋寝刃」
でした。
やはり、能を題材にとっている文楽は、どうしても能との比較で見てしまう。
能楽師の私としては、文楽の良さは認めつつも、どうしても
「能の方が面白いよなあ・・・」
と思ってしまいます。
「伊勢音頭恋寝刃」のような世話物は、能と比較のしようがないので、純粋に楽しめます。
それに、やはり文楽の醍醐味は、世話物にあると思います。
数々の役を一人の大夫で語り分ける義太夫の面白さは、世話物で一番発揮されるでしょう。
今日の「伊勢・・」を語った太夫は、人間国宝・竹本住大夫師。
義太夫の至宝です。
その他、人形にも吉田文雀師・吉田蓑助師と、人間国宝が勢ぞろい。
凄い舞台でした。
竹本住大夫師は、今日もBS放送で特集されていましたが、よくマスコミにも登場する有名な方ですが、今年でなんと85歳。
衰えを感じさせない語りはさすがです。
あのリズムの良い語り口と、のびやかな発声は、大いに参考になります。
楽しいひとときでした。
演目は「寿式三番叟」「伊勢音頭恋寝刃」「日高川入相花王」
「寿式三番叟」は能の「翁」から、「日高川入相花王」は能「道成寺」からとった演目です。
とりわけ、「道成寺」を演じた余韻が残っているうちに、「日高川入相花王」は何としても見たいと思い、スケジュールを調整して見に行きました。
期待していた「寿式三番叟」「日高川入相花王」はもちろん面白かったが、この日一番堪能したのは、まったくどんな話か知らなかった「伊勢音頭恋寝刃」
でした。
やはり、能を題材にとっている文楽は、どうしても能との比較で見てしまう。
能楽師の私としては、文楽の良さは認めつつも、どうしても
「能の方が面白いよなあ・・・」
と思ってしまいます。
「伊勢音頭恋寝刃」のような世話物は、能と比較のしようがないので、純粋に楽しめます。
それに、やはり文楽の醍醐味は、世話物にあると思います。
数々の役を一人の大夫で語り分ける義太夫の面白さは、世話物で一番発揮されるでしょう。
今日の「伊勢・・」を語った太夫は、人間国宝・竹本住大夫師。
義太夫の至宝です。
その他、人形にも吉田文雀師・吉田蓑助師と、人間国宝が勢ぞろい。
凄い舞台でした。
竹本住大夫師は、今日もBS放送で特集されていましたが、よくマスコミにも登場する有名な方ですが、今年でなんと85歳。
衰えを感じさせない語りはさすがです。
あのリズムの良い語り口と、のびやかな発声は、大いに参考になります。
楽しいひとときでした。
at 23:50|Permalink│
2009年05月02日
「道成寺」回顧(3)
鐘に入り、改めて周りを見ます。鐘に入るのは当然初めてです。
まず思ったのが「く、暗い・・・」
想像以上の暗闇で、一人で装束を替えます。一つ一つ慎重に行いました。
「道成寺」の中入は20分近くあります。申合では7分位で装束を変えることが出来ていましたので、けっこう余裕をもって臨みました。
やはり、一つ一つがどうしても申合より時間がかかります。
けっこうギリギリだったのに驚きました。申合の倍以上、時間がかかったようです。
後場は、体力の限界との戦いです。
ここでは、がぜん普段の稽古がモノを言ったように感じました。疲労困憊の中、けっこう余裕があったように記憶しています。
最後、揚幕に飛び込んで、終演後能面を外して我に返りました。
「え、終わったんだよね」
なんだか夢見心地でした。
後見の方と、師匠が近づいて来ます。
精も根も尽き、消え入りそうな小声であいさつしました
「有難うございました」
「良かったよ。おめでとう」
師匠からそう言われて、思わず涙が出てきました。
本当に、終わったのです。
乱拍子で辛くて、苦しくて・・・
「道成寺」なんて二度とやるもんかと、思いました。
でも今は、機会があればまた挑戦したいなあと思えます。
翌日、広島から見に来てくれた両親が、我が家に遊びに来ました。
夕方帰って行った両親を見送って時計を見ると、4時過ぎ。
その時、思わずこう思いました。
「まだ、夕飯まで時間があるなあ。(道成寺の)稽古するか」
あ、もう終わったんだった。
当日、いよいよ幕が開いて「道成寺」の能が始まる直前、こう思いました。
「もう、道成寺はしなくてすむんだあ」
あの苦しい稽古の日々から解放されることを思うと、ホッとしている自分がいました。
でも、今はこう思います
「もう、道成寺の稽古は出来ないのか・・・」
いや、もちろん終わった後、稽古するのは自由です。
実は、今日ちょっと乱拍子をやってみました。
でも、全然違います。乱拍子など、軽く出来ちゃいました。
「道成寺は、能楽師の卒業試験」と良く言われます。
もう、卒業したのかなあ。
そう言えば、今の気持ちって、大学の卒業式の後の気持ちに似ています。
実生活では、学校を卒業して社会に出てからが大事であると言われます。
学生時代のような甘えは許されず、自分で全て責任を持って人生を切り開いて行かなければなりません。
能楽修業も同じです。
これからが本当の勝負です。
打ち上げの席で、師匠からこう言われました。
「取りあえず、おめでとう。でも、これからが大切だよ。だいたい、『道成寺』を終えると芸が下がるから」
この言葉を胸に刻んで、これからの能楽修業に励みます。
一番一番の能を大事に思い、心を込めて勤めたいと思います。
命には終りあり、能には果てあるべからず(世阿弥)
at 19:41|Permalink│