2009年04月11日

2009年04月11日

道成寺詣で(4)

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堂を出ると、雨が降っていました。実はこの日は朝から雨の予報だったのですが、私の祈祷が終わるまで、雨は落ちるのを待っていて下さったようです。
副住職は、さらにお寺の境内を案内して下さいました。

まず、「入相桜」
文楽の「日高川入相花王」の桜ですね。能にも、「入相の鐘に花ぞ散りける」と出てきます。
最近の発掘調査によると、この桜の下から焼けた土がたくさん出てきたそうです。

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「恐らく、ここに初代の釣鐘はあったのでしょう。安珍清姫事件はこのあたりで起こりました。古くから伝えられている、鐘巻之跡の場所は間違っていることになります」

鐘巻之跡とは、安珍清姫伝説が起こった場所と伝えられ、鐘の形に石で囲ってある場所であり、道成寺の中でも屈指の観光スポットです。その場所が間違えているっていうのですから、副住職も凄いことをサラリとおっしゃいます。

副住職は疑いもなく言います。
何が起こったか定かではありませんが、1000年前にこの場所で大火事が起こったことは、確かなことだそうです。
その火事のあとを供養するため、この桜を植えて人が立ち入らないようにしたのでしょう。

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続いて、安珍を焼けた初代釣鐘とともに供養して埋めた「安珍塚」です。
この塚に生えてきた木は、根元からねじ曲がっています。
副住職は、きっと清姫の呪いであろうと言います。

そのまま、二代目の釣鐘があった鐘楼跡や三重塔などを散策して、いよいよ仁王門です。ここから、例の62段の石段を上から眺め、能の道行に出てくる「小松原」の場所を説明して下さいました。

雨足が強くなってきたので、仁王門の下でしばし雨宿り。副住職は色々なお話をして下さいました。
ありがたいお話ばかりでしたが、最も心に残ったのは、一昨年101歳で亡くなられた九皐会の大先輩・塩谷武治師のことです。

今でこそ、道成寺を演じる者は、能・歌舞伎・文楽問わず道成寺詣でに行くのは普通になっておりますが、電車も通っていない戦前は、参詣するものは稀だったそうです。
その先鞭をつけたのが、塩谷さんだったそうです。

塩谷さんは、とても信心深いことで知られ、薬師寺や興福寺の奉納能など多くのお寺の奉納に亡くなる直前まで携わっていらっしゃいました。
先代の観世喜之師が亡くなって30年以上経ちますが、塩谷師はその間毎月、月命日には大阪の観世喜之師の家の仏壇にお参りにいらしていたそうです。
全国のお寺に行くと、あちこちで塩谷さんの話が出てきます。この道成寺でも、塩谷さんにとても感謝している様子でした。
道成寺の宝佛殿に、能「道成寺」で使う鐘の作り物が釣ってあります。
これは、大槻能楽堂で使わなくなった作り物を、塩谷さんが持ってきて奉納したものだそうです。


雨は、ますます激しくなってきます。気が付くと、境内に人影はまばらです。
午前中の賑やかな喧騒がウソのようです。
14年前に見た、寂しげな何とも言えない風情が支配しています。

道成寺は、参道から石段・仁王門・本殿が一直線になっています。
つまり、仁王門は道成寺の中心。
静寂なる道成寺の中心で、副住職と話した時間は、1時間以上に及びました。
こんな貴重な時があるでしょうか。


その後、宝佛殿に行きました。まずは、数々の「道成寺」の舞台写真を眼に入ってきます。
能・歌舞伎・文楽をはじめ、バレエやフラメンコの写真が所狭しと飾ってあります。
これだけ多くの道成寺の舞台写真が一堂に会している場所は、ここだけでしょう。
これを見るだけでワクワクしてきます。

このあと、国宝・千手観音を始めとする数々の秘仏を、副住職の説明により、丹念に眺めました。

そして最後は、名物の「道成寺縁起」の絵説き説法です。
先ほどまで、神妙にお話していらした副住職ですが、この絵説きでは、講談師顔負けの軽妙な語り口。
14年前と同様、笑い転げながら聞いていました。


at 23:09|Permalink