2009年04月08日

2009年04月08日

道成寺詣で(3)

普段は外側しか拝むことのできない、道成寺の本堂。
しかし、只今特別御開帳中でした。

副住職がおっしゃるには、春や秋など気候の良い時は、本堂内部や御本尊の千手観音などもたまに御開帳しているそうです。
兄弟子から聞いた、厳粛な雰囲気は皆無。本堂内は、たくさんの観光客でごったがえしています。

そんな中、4月26日の「道成寺公演」の無事を祈願した祈祷が始まりました。
最初にお香を焚きます。なんとも言えないいい香り。一気に気持が引き締まります。

やがてお経が始まります。
ご本尊の周りは、珍しいものが始まったとばかり、人がどしどし押し寄せてきます。もう黒山の人だかり。

ただ、不思議と気になりませんでした。副住職のお経が進むにつれて、千手観音に包みこまれていくような感覚がしてきます。何と言ったら良いのでしょうか。いわゆる「無」の境地とでもいいましょうか。
次第に、ご本尊と副住職と私、これらしか実体が感じられなくなってきました。

たくさんの見物人は、何だか見届け人に思えてきました。
「これだけ多くの人が、私の公演の無事を一緒に祈願して下さっている・・・」
そう思えたから不思議でした。

やがて祈祷は終わりました。何だか夢から覚めた心地でした。
気付くと、30分以上経っています。全く時間という概念を感じない30分でした。

副住職は、せっかく御開帳期間なので、続いて本堂の内部を案内して下さいました。
その時、凄い事実を聞きました。
なんと、今年は能「道成寺」の舞台となった、釣鐘の再建供養からちょうど650年だそうです。

副住職がおっしゃるには、初代の釣鐘は、928年に清姫さんによって焼かれてしまいました。その後、ずっと道成寺に釣鐘はなかったのですが、1359年に再建されて大々的に再建供養法要が行われたそうです。
このことは、釣鐘に刻印として刻まれ、数々の文献にも記述が見えることから紛れもない事実だそうです。

「安珍清姫伝説」で有名な道成寺に、約400年ぶりに釣鐘が釣られた・・・
これは大ニュースだったようで、日本中に広まり、やがてそのトピックを脚色して「鐘巻」そして「道成寺」という能が作られていったそうです。

「再建法要は、旧暦の3月11日。きっと今日のような見事な桜が咲いていたことでしょう。」
副住職はしみじみとおっしゃりました。後で、私が参詣した4月4日は旧暦で何日に当たるのか調べて見ました。
すると、3月9日でした。惜しい、2日違いでした。
ちょうど650年と知っていれば、4月6日に参拝したのですが・・・

それにしても、釣鐘再建650年の年に、九皐会100周年記念特別公演で、一世一代の道成寺を勤める。
大変ありがたい巡り合わせです。

二代目の釣鐘は、能のように白拍子に落とされることなく、以後ずっと道成寺に釣られ、朝夕その音を響き渡らせていたのですが、豊臣秀吉の紀州攻めの際に、略奪されていったそうです。
豊臣秀吉といえば、大変な能狂いで知られます。
きっと、能で有名な道成寺の鐘を、我が物にしたいと願ったのでしょう。
その鐘は、今でも京都の妙満寺に大切に納められているそうです。

よく知られた言い伝えに、
「道成寺の釣鐘は、呪われている。初代は安珍清姫伝説を生み、二代目は豊臣秀吉に略奪され、能や歌舞伎の中では白拍子に落とされる。災いをもたらすから、道成寺は釣鐘を決して再建しないのである」
というものがあります。

私は、副住職に三代目の釣鐘を再建する予定はあるのか聞いてみました。
すると副住職は意外そうに言います。

「三代目? だって二代目の釣鐘はまだ健在ではないですか。場所は違いますが、妙満寺の鐘は道成寺の鐘です。大事に思う気持ちに変わりはありません。今はここにはありませんが、いつか戻ってくるかも知れません。案外、芸能が大好きな二代目の釣鐘は、芸能の本場・京都に行きたかったのかも知れません。
それに能の中にもこう出てくるではありませんか、『撞かねどこの鐘、響き出で』
道成寺の鐘は、撞かなくても全国の能舞台・劇場で鳴り響いています。私は、その音がいつも聞こえます」

完全に脱帽です。いい加減な言い伝えなど、信じるものではありません。
私も、4月26日に、紀州・道成寺まで響く鐘を鳴らしますと、副住職に約束しました。


at 23:18|Permalink