2009年02月

2009年02月23日

百周年記念別会

土曜日は、観世九皐会百周年記念別会の第一日目でした。

私は、「鉢木」のツレをさせていただきました。
「鉢木」は、武士の鑑として、昔は修身の教科書にものっていたくらい有名なお話です。このツレは、良妻の印として崇められていたそうです。

確かに、このツレは常に夫をたてています。しかも、従順なだけでなく夫が間違えていると思うと、激しく夫を叱責します。
客人に、あり合わせの物でさっと料理をこしらえてもてなすところなども、良く出来ています。

何はともあれ、なんとか無事に勤めることが出来ました。

昨年12月の九皐会百周年記念五番能に続いて、記念別会の初回は終了いたしました。

次の百周年記念別会は、4月26日、国立能楽堂にて行われます。

番組は、
「摂待」 長山禮三郎
「道成寺」桑田 貴志

となっています。いよいよ、「道成寺」です。

今日から一般発売ですが、早くもS席は完売した模様です。
A席・B席も順調に売れております。

御観覧希望の方は、お早めにお申し込み下さい。

私の公式HP
http://www.geocities.jp/kuwata_company/からもお申し込み受け付けます。

どうぞ宜しくお願いいたします。


at 23:05|Permalink

2009年02月13日

初午

先週の6日は初午でした。
実は私、初午というものを今まで知りませんでした。
初午とは、稲荷神社のお祭りだそうです。全国の稲荷神社の本社である伏見稲荷に神が降りたのが、この日だそうです。全国の稲荷神社で豊作祈願・商売繁盛を祈念して盛大にお祭りが催されるそうです。


私の家のお向かいサンの家では、5日から旗やらのぼりを立てて大賑わい。
なんと、お向かいサンの家の庭には稲荷神社があるのです。
近所の人たちが集まって、賑やかに祝われます。
本当にお祭り好きな人たちです。

日曜日の8日には、近くの稲荷神社で盛大に初午祭が催されています。
この稲荷神社は、小さいのですが地元に根差した神社なのでしょう。何といっても、門の前に寄進した人の名前が石の囲いで彫られていますが、その先頭にある名前は、あの大横綱「双葉山」です。

神社の境内はそれこそ狐の額くらいの広さしかないので、周辺の道路を通行止めにして、天下の往来に屋台が並びます。交差点の真ん中では盛大に杵と臼で餅がつかれます。

深川の住民は、お祭りなしには生きられないのでしょう。
毎月のように、神社さんやお寺さん、商店街やら町会やら青年会らが主催してお祭りがあります。

そうそう、2月3日は、ウチの隣のブロックのお寺で、大節分豆まき大会が行われていました。
特設舞台から、豆はもちろん、お菓子やお金、くじまで投げられます。運よくくじに当たると、素敵な景品(ビールひと箱とか、日本酒の一升瓶など)が当たります。
子供はもとより、近所のおじさんたちも、大盛り上がりでした。


at 22:29|Permalink

2009年02月09日

難しい曲

日曜日は観世九皐会。私は「東岸居士」の地謡でした。

前日の「昭君」に続いて、なかなか出ない曲です。
この一週間はこれら二曲の暗記で大変でした。


この「東岸居士」、とても難しい曲です。

謡のお稽古をしている方は、難しい曲と聞いて色んな曲が思い浮かぶことでしょう。

まず、お稽古を始めてしばらくは、難しい曲とは「難しい節がある曲」でしょう。
謡には様々な節付け(音階)があります。
それらを一通り謡えるようになるまでは、ずいぶん時間を要します。
最初の頃は、なかなかスラスラ謡えなくて苦労することでしょう。

さて、ある程度お稽古が進むと、節が一通り謡えるようになります。
そうなってきた方にとって難しい曲とは、「位が難しい曲」です。

能には曲それぞれの雰囲気や登場人物の性格があります。
それらを総称して「位(くらい)」と呼んでいます。

すなわち、若い女性には若い女性の位があり、老人には老人の位があり、源氏の武士、平家の武士、はたまた鬼畜や草花の精など、それぞれ位があります。

当然同じ若い女性であっても、例えば「吉野天人」の女性、「班女」の女性、「井筒」の女性。
皆違う位を持ちます。

また、能は演劇ですので、その台本である謡が棒読みではいけません。
場面に応じた緩急や強弱を付けて謡わなければなりません。

それらを謡い分けるのが、謡の難しさであり、面白さなのです。


さて、我々玄人にとって難しい曲とは何でしょう。

まず、なかなか出ない曲です。
どんなに難しい曲でも、しょっちゅう謡っていれば、スラスラ謡えます。
俗に、三難クセなどと言って、「歌占クセ」「花筐クセ」「白鬚クセ」が並び称されます。
どれもとても難しい曲ですが、「歌占」と「花筐」はよく謡う曲なので、玄人にとってはさほど難しい曲ではありません。

あと、普通じゃない構成や節付けや拍子当たりの曲です。
謡には、ある程度のパターンが存在します。そのパターンに則っていれば、どんなにややこしい節付けでも難なく謡えます。
パターンに外れると、よくある節でも何だか謡いにくいということはよくあります。


さて、前置きが長くなりましたが、「東岸居士」という曲は、まずなかなか出ないし、構成や拍子当たりが破格の曲です。
玄人にとって、至難の曲です。

いやあ、覚えるのも大変でしたが、その前にきちんと謡えるようになるのもとっても大変な曲でした。



at 01:27|Permalink

2009年02月03日

はじめての大鼓

昨日は、鎌倉能舞台40周年記念乱能でした。

乱能とは、普段は専門職である我々能楽師が、役を取り換えっこして能を演じる催しのことです。
お祝い事の折などに行われる、一種の楽屋芸です。

私は、「吉野天人」の舞囃子の大鼓をさせて頂きました。
短い演奏はしたことがあるのですが、舞囃子一曲、大鼓を打つのは初めてです。

お囃子のお稽古は、書生時代に一通りはいたしましたが、もうずいぶん経ったので、スッカリ忘れています。
とは言うものの、「吉野天人」はよく出る曲なので、何となく聞きなれています。
まあ、何とかなるだろうと、前日まで何も手を付けずにいました。

さて前日、「吉野天人」の大鼓を覚えようと取りかかったら、難問が

手付け(楽譜)が無い・・・

さあ困った。幸い、「吉野天人」のテープは見つかったので、そのテープを頼りに、手付けを予想します。
乱能前日、私はいわゆるテープ起こしに励んでいました。

まあ舞囃子は何とか終わりました。
とりあえずは、滞りなく出来ました。

昔、大鼓の稽古は大っ嫌いでした。
間違えると、先生にどやしつけられます。お稽古の前の日は、寝ずに覚えていたものです。

囃子の手付けの一粒も間違えられなかったお稽古と違って、乱能は和気あいあい。
昔、たいそう怖かった大鼓の先生もニコニコ教えて下さいます。
楽しく大鼓を打つことが出来ました。


大変だったのは、今日です。
右手が、腫れ上がっています。。。

大鼓は、とても痛い楽器です。
固く焙じた皮(感触は木の板です)を思いっきり叩くのですから、痛くて当たり前です。

大鼓の先生から、「やってるとこの痛さが快感になるぞ! ハハハハ」
なんて言われましたが、まだその域には達しません。


at 23:55|Permalink