2008年10月

2008年10月25日

バリから 4

昨日の公演で、今回のインドネシア・ツアーは終了です。
昨日の公演も、芸能王国のバリらしく、大盛り上がりで終わりました。

ジャカルタ・ソロ・バリと三都市を回り、様々な場所で様々な人と触れ合いました。
その中でも、ここバリでは数々の驚く出会いがたくさんありました。
その出会いの殆どは、深川バロン倶楽部を通してのものです。バロン倶楽部も、深川での人の出会いで生じた縁です。人と人とのつながりは大事にしたいと思いました。

さて、今日は帰りの飛行機は夜の便。それまではフリーですので、みな買い物にバリ式マッサージにと、大忙し。
私は、念願のバリ舞踊の体験レッスンに参加しました。

今回のバリ・ツアーを主にコーディネートした方は、日本人ですが、こちらの人と結婚して今はバリに住んでいます。結婚して嫁いだ家は、バリでも有名な芸能一家です。
何せ、祖父の代から三世代家の者はすべてガムラン奏者かバリ舞踊家。

その家にお邪魔して、バリ舞踊の中でも凛々しい戦士の踊りであるバリスを教えていただきました。
ちなみに、今日の先生のお兄さんは、深川バロン倶楽部のメンバーだったりします。本当に、人の出会いって恐ろしい・・・

初めて習うバリ舞踊。
いやあ、面白かったです。

根本的な姿勢は能の構えとそんなに変わらないのでやり易いのですが、足の使い方・手や肩やひじの使い方がまるで異なります。

レッスンは、基本的には先生のやる通りに動きます。先生はインドネシア語で注意していますが、当然理解できません。
通訳の方(この人もバロン倶楽部の人だった)も動向してくださったのですが、とっさの注意はやはり通訳を介するより、直接先生の真似をする方が手っとり早いです。

何だか、シンガポールでインド人やフィリピン人らに能の仕舞と謡を教えていた日々を思い出しました。
きっと、彼らもこんな気持ちだったのでしょう。

チンプンカンプンの動きを、とにかく先生のやる通りにひたすら真似する・・・
お稽古の基本なのですが、言葉が通じないと、真似をするしかないので、凄い集中力で先生の動きを注視します。
シンガポールの学生たちが、とても覚えが良かったのも、納得です。

もっとも、今日の私はとっても覚えの悪い落第生でしたが・・・
日本に帰っても、引き続きバロン倶楽部で頑張ろうと誓いました。


とにかく、バリでは芸能三昧でした。
バリでは、人々の生活が常に信仰と結びついており、信仰と芸能も深く結ばれています。
それだけ生活と芸能が一体化しているのです。

バリの家には、必ず寺院があるそうです。
驚きです。家の中にヒンドゥー寺院です!!!
神棚や仏壇というレベルではありません。寺院そのものがあるのです。全ての家に!!
人々は、文字通り仏様と共に暮らしているのです。
いやあ、驚きました。

街を歩いていたら、いやに寺院ばかりだなあと思っていましたが、それらは普通の民家なのです。
そして、民家の中の寺院には必ずガムラン楽器があります。
バリ人は未だに大家族で生活しているので、親から子に、子から孫へ、自然と芸能が伝えられていきます。

現に、私たちが舞踊の稽古を受けている間、その家の孫たちがガムラン楽器や寺院の設備で遊んでいました。
そのうちの一人は、しきりに段ボールをかぶって動いています。
何をしているのかと思ったら、ダンボールをバロン(いわゆる獅子舞です)に見立てて、真剣にバロン・ダンスを踊っているつもりのようです。
とても、かわいらしかったです。

最後の楽園と言われる、バリ。是非また来たいなあと思います。
何といっても、イスラム圏ではないので、どこでもビールが飲み放題!!!
素晴らしい、島です。

さあ、明日は日本です。



at 15:10|Permalink

2008年10月23日

バリから 3

昨日の、場当たりリハーサルに引き続いて、今日はいよいよバリ公演初日。

昨日のリハーサルをやっている間、まだ村の祭り(オダランというそうです)は続いていました。フィナーレを飾る村内行列です。
神輿のようなものを担ぎ、玉座の上にはきらびやかに着飾った子供が4人います。
皆、さまざまな衣装をまとって、村内を練り歩いております。
なんだか、地元・深川の八幡祭りを思い出しました。
とにかく、村人たちは大騒ぎです。それもそのはず。今回のオダランは、数十年に1回と言われる大きなものだったようです。

さて、能公演は昨日までお祭り(オダラン)で大盛り上がりだった寺院の境内の集会所で行われます。
今回のオダランに向けて新調したという集会所で、村民以外ではこけらおとしの公演です。
そんな経緯から、急遽冒頭に「三番叟」の居囃子を行うことになりました。

さて、公演に先立って、寺院の僧侶が舞台の上に祀られた祭壇に祈祷を捧げ始めました。
今日の公演が上手くいくようにお祈りをあげています。バリでは、舞台公演の前には必ず祈祷が行われるようです。
僧侶の祈祷の後には、出演者一人一人に聖水をかけて下さいます。
何とも言えない静粛な気分になります。
能でも、「翁」の前には楽屋内に作られた祭壇に向かって、同様の儀式を行います。やはり、バリ舞踊と日本の芸能には大きな共通性があると感じました。

ちなみに、深川バロン倶楽部でも、富岡八幡宮の奉納公演の前には同様の儀式がありました。


さあ、いよいよ本番です。会場は立ち見もでるほどの大賑わいです。
前日まで、あれだけのバリ舞踊を見せられたので、否が応でも気合いが入ります。

ヒンドゥー寺院のきらびやかな中に、仮設の能舞台を作って、周りにはかがり火を焚いています。さぞかし幻想的なシチュエーションだったでしょう。

お客様は、ほとんどが村人たちのようです。
この寺院があるプンゴセカン村は、住民のほとんどがガムラン奏者か画家という、バリでも有数の芸能熱の高い地域です。「プンゴセカンこそバリ芸能の発展の源」と呼ばれているそうです。
その中での演能です。どのような反応があるか、少し怖くもあります。

とりあえず、初日の舞台は終わりました。
お客様の反応は、上々でした。


おまけですが、バリのヒンドゥー寺院は境内に入るためには、必ず正装しなければなりません。
能の公演に出演する我々も例外ではありあません。
皆、サレンダンという帯を渡され、略式にそれを巻いて会場入りをしました。
私は、どうせい深川バロン倶楽部の演奏の時に必要になると思って、正装を上から下まで現地で揃えました。
自分で言うのもなんですが、南方系の顔だちをしている私はとても良く似合います。
日本にかえったら、画像をアップする予定ですので、お待ち下さい。

リハーサルは、バリ衣裳のまま行いました。
それを見ていた日本人の評論家は、今回の能のツアーにはバリ人も参加するのだと思ったそうです。。。


at 23:21|Permalink

2008年10月21日

バリから 2

今日は、このツアー唯一の完全オフの日です。ツアーご一行は思い思いのバリの休日を過ごしました。

私は、とにかくガムラン三昧。
まず、午前中にはバロン・ダンスを、夜7時半からは、スマラ・ラティという舞踊団のバリ舞踊を見て、仕上げは昨日も行った私たちの公演会場の寺院でお祭りの奉納公演を見ました。

バリの芸能は、元々は昨日のようにお祭りの場で奉納されていたものですが、次第に一般客を相手に有料公演をやるようになったそうです。
その辺の成り立ちは、能と全く同じですね。

とにかく、バリ島にはいたるところに、バリ舞踊を演じている会場があります。
そこで演じられるのは、和気あいあいとした村の寺院の奉納公演と違って、プロの舞踊家達による洗練されたパフォーマンスです。

あらかじめ現地の人に、バロン・ダンスも夜のバリ舞踊も、バリ島でもトップクラスの舞台を紹介していただきました。
朝と夜、どちらの舞踊も素晴らしかったです。身の毛がよだつような感動を覚えました。

ガムラン音楽のリズムには、日本人にとってどこか懐かしい音色です。
獅子を最高の神体としてあがめている点なども、日本に芸能と同じです。ルーツは同じなんだなあと感じられます。


夜9時頃、また寺院のお祭りを見に行きました。
バロンを始めとして本格的なバリ舞踊の奉納が次々に演じられた昨日とはうって変わって、今日はこぢんまりとした会場で、和気あいあいとした雰囲気です。

今日、行われたのはジョゲという舞踊。
昨日が神聖なる奉納公演だとすると、今日は村の盆踊り大会です。

御神体をかたどった花を頭に乗せた女性が踊っていると、見物人の中で突然舞台に入る人がいます。
その人は、踊っている女性(というより、頭の御神体)に一礼すると、一緒に踊り始めます。
その人が踊り終わると、次の人が現れまた踊り出します。
何人かの飛び入りの人と踊ると、女性は交替して次の御神体が登場します。

会場には、村人全員集合といった感じです。特に、最前列にきちんと正装して、誰よりも盛り上がっている子供たちの姿はかわいらしいです。
中には、乱入していっぱしの踊りを披露する子供までいます。

真面目にきちんと踊る人も中にはいますが、ほとんどの人は、基本を踏まえながらも少しおどけて踊っています。
村人たちは、入れ替わり立ち替わり、舞台に上がってはユーモラスな仕草を見せます。
その度に会場は大ウケ。
皆とても芸達者で、踊りの面白さに、しばしば腹を抱えて笑いました。

中には、明らかに70歳を超えているであろうご老人も軽やかに踊っています。
村人の誰もが、指名されると舞台に上がって舞踊を演じている姿を見ると、この島の芸能の奥深さを感じます。

最前列に陣取って、とても楽しんでいる様子の子供たちは、「大人になったら自分もあの中で・・・」と目を輝かせています。そうやって、自然に後の世代までバリ舞踊は伝えられていくのでしょう。

舞踊は、後半になるにつれて、どんどん盛り上がっていきます。
老若男女様々の人たちが舞台に上がって大演芸大会の様相となってきました・・・
すると・・・ 人ごみの中から着物を着た男性が登場!!

今回の能公演でシテをつとめるT師です。
希代のエンターテイナーであるT師は、初めて踊るバリ舞踊をひょうひょうと踊っています。
時おり見せる能の所作に、会場はバカウケ。
凄い人です。T師。敬服いたします。

お祭りの奉納には、芸能の原点があります。とても楽しいひと時でした。

昨日と今日、祭礼行事から本格的なプロの公演まで、様々のバリ舞踊を堪能いたしました。
舞踊としてのレベルは、プロの舞台の方が圧倒的に上です。一流のステージには、涙が出るくらいの感動を覚えました。
お祭りのガムランは、舞踊そのものも楽しいのですが、何よりもそこに集まっている人々の楽しそうな笑顔に、心癒されます。
本当に屈託のない笑顔をするんだなあ・・・

お祭りを楽しむ子供達の、あまりのかわいらしさに、カメラを向けました。
すると、ピースサインをしながら寄ってきます。
ボクも撮って、私も撮って、と寄ってきます。
日本で、知らないオジサンにカメラを向けられたら・・・、子供たちはまず逃げるでしょう。
本当に、無邪気ですれていない子供たちでした。

いろいろありましたが、とにかく、有意義な休日となりました。



at 22:26|Permalink

2008年10月20日

バリから 1

ジャワ島を離れて、いよいよ最終目的地のバリ島のウブドへ到着しました。

バリ島へ来て、もうビックリ仰天。もう、一大リゾート地。今までの、ジャカルタやソロと同じ国とは全く思えません。
そもそもジャワ島とバリ島とでは、文化や風習が全く異なります。
ジャワはイスラム教の島ですが、バリはバリ・ヒンドゥ―教の島です。
偶像崇拝を否定するイスラムに比べ、ヒンドゥーのバリでは、いたるところに神々の像が存在し、ある意味とても華やかです。

私たちが公演を行う、ウブドという村はバリ舞踊のメッカとして知られています。
私は、さっそくどこかで見れないか聞いてみました。すると、私たちが公演を行う寺院でちょうどお祭りをやっていて、奉納の舞踊が見れるというではありませんか。私は、また飛び出して行きました。

行ってビックリ!!!
まず、老若男女凄い人。それらの人々が全員、サファリとウダンなどという正装をして祭礼に参加しています。
ヒンドゥー寺院に入るためには、原則として正装をしなければなりません。

屋台なんかも出ていて、雰囲気は日本の祭りと変わりません。
しかし、奉納舞踊が始まったときの熱気は、とんでもないものがあります。
私も、8月に深川八幡祭りでのガムラン奉納公演に参加しましたので、何となく様子は分かります。
深川バロン倶楽部の奉納公演と同じ舞踊もかなりあって、とてもためになります。

村人たちの熱気に煽られて、踊っている人たちのテンションもヒートアップ。
そして、驚くことにバロン・ダンスまで登場してきました。

バロンとは、各村の寺院に祀られている御神体で、お祭りの奉納公演でもめったに出てこない有難い舞踊です。
深川バロン倶楽部は、その名の通り、日本でも殆ど唯一バロンの奉納公演を行っていることで知られています。

とにかく、バロンが出てきた時の村人たちのハイテンションぶりはすさまじかったです。
村人たちの熱狂ぶりを見るのもまた楽しいものです。


途中、踊り手たちは、完全に「トランス(要するにイッちゃってしまった)」状態となり、ついには床に倒れ伏します。すると、儀式を取り仕切る人が現れて、聖水を踊り手にかけて正気に戻していました。


奉納は延々と続きます。夜中12時を回ったころです。また村人たちが騒ぎ出しました。またなにか出てくるようです。祭場に続々人が集まってきます。

すると、警備の人が何やら言っています。どうやら座れといっているようです。
あまりの人の多さに座らないと後ろの人が見えないのかな・・・ と思って座りました。

しばらくすると、今度は魔女ランダの登場です。
バロンが正義の象徴であるならば、ランダは悪の象徴。バリ人の世界観では、正義は常に悪とともにあるということになっており、ランダもまた御神体なのです。
バロンとランダは永遠に終わらない戦いを繰りひろげることになっています。そこには勧善懲悪は存在しません。

ランダが出てくると、一心不乱に手を合わせる老夫人もいます。
警備の人が座れと言った理由が分かりました。ランダは神様だから、立って見るんじゃないということのようです。
その証拠に、ランダが退場すると、村人たちは立ち上がりました。

祭りは延々と続いています。気がつくと同行の能楽師は殆ど帰っています。私と、今回の能楽の団長T師だけになっていました。

後半は、話芸が中心の舞踊に移ってきました。
たぶん、凄く有名な道化役者が出ているのでしょう。村人たちは大ウケです。夜1時を回っているのに、ある意味で今日一番の盛り上がりを見せています。ただ、バリ語が全く分からない私は、少々退屈してきました。
1時半ころ、結局お祭りを後にしました。
結局、2時半ころまで奉納公演は行われていたそうです。

それにしても、凄いお祭りでした。
こんな熱気で、かれこれ三週間行われているそうです。

踊り手たちは、基本的には村の人たち。バリでは、各村でそれぞれの舞踊団がバリ舞踊を伝えているのです。
ただ、現地の人に聞くと、中には有名なプロの舞踊家も混じっているそうです。
かなりの有名人も客演していて、確かにその人の踊りは、オーラが全く違います。

今回は、かなり大きなお祭りのようでして、奉納舞踊も滅多にないほど大きな規模だそうです。
なにせ、今回のためにバロンを新調したというのですから、驚きです。
さらに祭場も新調したようです。

祭りは明日までだそうです。
そして、明後日からいよいよ、新調した祭場で能公演です。

とても良い物を見ることができた、バリ初日でした。


at 15:36|Permalink

2008年10月19日

ソロから 2

なんだか、ビールのことしか書いていないですね。

インドネシアには、当然能の公演で来ています。
演じているのは、「復活の日」という創作能。
3年前と2年前に北欧で演じた「二人のノーラ」に続く、能とイプセン劇との融合舞台です。

原作は、イプセンの最後の戯曲となった「わたしたち死んだものが目覚めたら」です。
それを、能の形に仕立ててあります。お囃子も地謡も、全て能の役者が勤めます。その中に、現代劇の役者も入り込んで演技を行うという変わった手法です。

日本でも珍しいこの創作能が、インドネシアで受け入れられるか少し不安ではありましたが、今のところなかなか好評のようです。

現地の新聞や雑誌がたくさん取材に来ます。

プロデュースするのは、北欧ツアーと同じ会社で、スタッフも概ね一緒なので、気心が知れてとても良い雰囲気です。

会場は、ジャカルタでは普通の劇場でしたが、ここソロでは大きな寺院のような野外劇場です。
とても良い雰囲気の会場です。薪能風の舞台となっていました。
次に行く予定のバリでは、普段バリ舞踊などが演じられている寺院が会場です。

インドネシアは、本当に芸能が盛んな国でして、お客様の集中度が全然違います。

そろそろ、日本を発って一週間ですが、だんだんインドネシアのディープな雰囲気に溶け込んできました。
シンガポールほどの洗練さと清潔さは微塵もありませんが、人々のパワーは圧倒的なものがあります。

何といっても、食べ物が口に合うようです。どこでもお米が食べられるのはとても有難いです。
ヨーロッパに行くと、パサパサのパンばかりで辟易してしまいますから。。


at 15:34|Permalink