2008年04月
2008年04月20日
深川能舞台 建築記(8) 能舞台
長らく連載していました「深川能舞台 建築記」も、いよいよ最終回です。
といっても、実はまだ追加工事が続いておりまして、家はまだまだ未完成です。
忙しくてなかなか記事を書けないので、連載という形では終了しますが、まだまだ書き足りないことが沢山あります。
折にふれ書いていこうかと思っております。
さて、今回の建築で何に一番こだわったかと言いますと、やはり能の敷舞台です。
全体的には、あまりお金をかけずに質素な家なのですが、能舞台にはこだわりました。
右に画像をアップしました。こんな舞台です。
まず、広さはともかく三間四方の確保に努めました。
建築士さんの最初の案では、色々な観点を考慮して、舞台スペースは小さなものでした。
確かに普段の生活を考えたら、バランスの良い間取りだと思いました。
でも、私は不便を承知でこだわりました。
「舞台は絶対、三間四方欲しい!」
そのため、生活空間は狭く、使い難くはなりましたが、その分舞台は立派なものとなりました。
自分の活動拠点を持ちたいというのが、家を建てようと思った大きな理由ですので、後悔はしていません。
注文住宅というのは、たいへんな作業です。
自分の好きな家が建てられるということは、裏をかえせば、全てのパーツを自分で選択しなければならないということです。
それこそ、ドアのノブや畳のヘリまで選ばなければなりません。
それこそ、国内外にありとあらゆるメーカーの製品の中から自分の好みにあった物を一つ選択しなければなりません。
家を新築する殆どの人が同じだと思いますが、とりわけ家の素材に詳しくない私は、インテリアデザイナーの方に、基本的に選択はお任せしました。
だいたい、クロスや建具などは大きく三つぐらいのランクに分けて選べるように、絞ってもらったのです。
ランクの名前は、「高級品」「中級品」「量産品」
うまいネーミングです。
住居部分は、ほとんど量産品ですが、舞台部分は全て高級品を選びました。
肝心の舞台は、総檜造りです。
建てて頂いた地元の業者さんは、もともと木場で材木問屋も営んでいたので、その縁でずいぶん安く檜を仕入れていただきました。
安いと言っても、檜は檜。結構な値段がしました。
ただ、今自分の舞台に上がると、檜のなんとも言えない芳しい香りが漂ってきます。
すり足をした感触は、フローリングとは全く違います。
奮発して良かったと、心から思います。
下町の住宅密集地ですので、防音にはとにかく気を遣いました。
壁には防音のための吸収材を、ホームシアターなんかを作る人で防音を気にする人が入れる量の倍を入れました。
音は窓から漏れるそうですので、窓の面積を極力小さくして、防音サッシをいれてもらいました。
最近義務付けられている24時間換気口も防音タイプにするという、念の入れようです。
おかげで、深夜にフルパワーで謡っても、外にはかすかに声が漏れるだけという、完璧な防音室となりました。
能舞台には、やはり松の絵が欲しくなってきます。
いろいろツテを当たって、画家さんを探しました。
これに関しても、紆余曲折がありましたが、プライベートなことですので書くのはやめておきます。
最終的に、実は新居に入居してしばらく経っても、画家さんはまだ決まっていませんでした。
運命の出会いは、思わぬところにありました。
深川の街を買い物して歩いていましたら、面白い構えの店を見つけました。
店の名は「深川美術」というところでして、
「木でつくる御注文承ります」
と書いてあります。
その看板や説明書きは、古い書体の何とも言えない素敵な文字で書かれています。
ちょうど、表札と看板を作らなければと思っていた私は、その文字に惚れこみました。
ここにお願いしようと、店に飛び込んで見ました。
すると・・・
何故か高校生くらいの女の子が2~3人、キャンバスに向かって絵を描いています。
「あれ? 間違えた?」
呆然と立ち尽くしていると、中から如何にも下町の職人というお兄ちゃんが、出てきました。
「はい、深川美術ですが。ナンでしょう」
店構えから、もっと年配の人がやっているお店かと思いましたが、意外と若いご主人で面喰いました。
そして、イカツイ風貌に似合わないソフトな語り口に安心して、
「あの、、、ここは木を使って、、 表札や看板を作っていますか?」
「はい、やっていますよ」
「最近、近くに引っ越してきました。新居の表札やら看板やらを作っていただきたいのですが」
「はい、喜んで。ウチは、家のトータルなイメージで表札の形や書体を決めているので、一度家を見させていただけませんか?」
「それは願ってもないことです。我が家はこのすぐ近くですから、宜しければ今からお越し下さい」
良いお店に出会えたものです。
表札を作るのは、もちろん初めてなのですが、たかが表札を現地で下見して作るお店なんて、そうないと思います。
「丁寧な仕事をするところなんだろうな。良い表札が出来そうだ」
家に向かう道すがら、聞いてみました
「あのー。お店に入ったら、高校生くらいの女の子が絵を描いていたのですが、あれはいったい・・・」
「あ、ウチは絵画教室もやっているんですよ」
聞くと、店のご主人はウィーンで絵の勉強をした本格派の画家でもあるそうです。
そこで、ピカッと閃きました。
漫画なら、頭の上に電球が光っているはずです。
「店の表に、『木でつくる御注文承ります』と書いてあったのを見ました。木に関する御注文を請負いながら絵画教室をやっているってことは、木に絵を描いてくれたりするのですか?」
「ええ、それが専門です」
よし、これは良い展開だ
「あの・・・ 少し・・ いやかなり大きな木の板なのですが、書いてくださいますか?」
「大きいってどれくらいですか?」
「縦3メートル、横5メートルくらいです・・・」
「・・・・・ それはどんな絵ですか」
絶句するのも無理はない。私はそこで初めて自分は能楽師で、自分の能舞台を建てて、その鏡松を描いて下さる方を探しているという事情を話しました。
店のご主人は眼を輝かせました。
「それは、是非やってみたいです」
我が家に着いたら、表札や看板などそっちのけで松の絵の話です。
本当に、良い方に巡り合いました。
この「深川美術」は、後で聞くと、地元ではなかなか有名だそうです。
近所にある江戸時代風の面白い店構えの深川めし屋を設計したり、神社の修復をしたり、各方面の美術を手掛けていて、2か月ほど前のテレビ東京の「アド街っく天国」の門前仲町特集でも紹介されたそうです。
現在、下絵が完成して、色塗りが行われています。ダイナミックな良い松です。
「深川能舞台」の舞台披きは、5月6日の予定です。
それまでに、この段ボールだらけの家をなんとかしなくっちゃ・・・
といっても、実はまだ追加工事が続いておりまして、家はまだまだ未完成です。
忙しくてなかなか記事を書けないので、連載という形では終了しますが、まだまだ書き足りないことが沢山あります。
折にふれ書いていこうかと思っております。
さて、今回の建築で何に一番こだわったかと言いますと、やはり能の敷舞台です。
全体的には、あまりお金をかけずに質素な家なのですが、能舞台にはこだわりました。
右に画像をアップしました。こんな舞台です。
まず、広さはともかく三間四方の確保に努めました。
建築士さんの最初の案では、色々な観点を考慮して、舞台スペースは小さなものでした。
確かに普段の生活を考えたら、バランスの良い間取りだと思いました。
でも、私は不便を承知でこだわりました。
「舞台は絶対、三間四方欲しい!」
そのため、生活空間は狭く、使い難くはなりましたが、その分舞台は立派なものとなりました。
自分の活動拠点を持ちたいというのが、家を建てようと思った大きな理由ですので、後悔はしていません。
注文住宅というのは、たいへんな作業です。
自分の好きな家が建てられるということは、裏をかえせば、全てのパーツを自分で選択しなければならないということです。
それこそ、ドアのノブや畳のヘリまで選ばなければなりません。
それこそ、国内外にありとあらゆるメーカーの製品の中から自分の好みにあった物を一つ選択しなければなりません。
家を新築する殆どの人が同じだと思いますが、とりわけ家の素材に詳しくない私は、インテリアデザイナーの方に、基本的に選択はお任せしました。
だいたい、クロスや建具などは大きく三つぐらいのランクに分けて選べるように、絞ってもらったのです。
ランクの名前は、「高級品」「中級品」「量産品」
うまいネーミングです。
住居部分は、ほとんど量産品ですが、舞台部分は全て高級品を選びました。
肝心の舞台は、総檜造りです。
建てて頂いた地元の業者さんは、もともと木場で材木問屋も営んでいたので、その縁でずいぶん安く檜を仕入れていただきました。
安いと言っても、檜は檜。結構な値段がしました。
ただ、今自分の舞台に上がると、檜のなんとも言えない芳しい香りが漂ってきます。
すり足をした感触は、フローリングとは全く違います。
奮発して良かったと、心から思います。
下町の住宅密集地ですので、防音にはとにかく気を遣いました。
壁には防音のための吸収材を、ホームシアターなんかを作る人で防音を気にする人が入れる量の倍を入れました。
音は窓から漏れるそうですので、窓の面積を極力小さくして、防音サッシをいれてもらいました。
最近義務付けられている24時間換気口も防音タイプにするという、念の入れようです。
おかげで、深夜にフルパワーで謡っても、外にはかすかに声が漏れるだけという、完璧な防音室となりました。
能舞台には、やはり松の絵が欲しくなってきます。
いろいろツテを当たって、画家さんを探しました。
これに関しても、紆余曲折がありましたが、プライベートなことですので書くのはやめておきます。
最終的に、実は新居に入居してしばらく経っても、画家さんはまだ決まっていませんでした。
運命の出会いは、思わぬところにありました。
深川の街を買い物して歩いていましたら、面白い構えの店を見つけました。
店の名は「深川美術」というところでして、
「木でつくる御注文承ります」
と書いてあります。
その看板や説明書きは、古い書体の何とも言えない素敵な文字で書かれています。
ちょうど、表札と看板を作らなければと思っていた私は、その文字に惚れこみました。
ここにお願いしようと、店に飛び込んで見ました。
すると・・・
何故か高校生くらいの女の子が2~3人、キャンバスに向かって絵を描いています。
「あれ? 間違えた?」
呆然と立ち尽くしていると、中から如何にも下町の職人というお兄ちゃんが、出てきました。
「はい、深川美術ですが。ナンでしょう」
店構えから、もっと年配の人がやっているお店かと思いましたが、意外と若いご主人で面喰いました。
そして、イカツイ風貌に似合わないソフトな語り口に安心して、
「あの、、、ここは木を使って、、 表札や看板を作っていますか?」
「はい、やっていますよ」
「最近、近くに引っ越してきました。新居の表札やら看板やらを作っていただきたいのですが」
「はい、喜んで。ウチは、家のトータルなイメージで表札の形や書体を決めているので、一度家を見させていただけませんか?」
「それは願ってもないことです。我が家はこのすぐ近くですから、宜しければ今からお越し下さい」
良いお店に出会えたものです。
表札を作るのは、もちろん初めてなのですが、たかが表札を現地で下見して作るお店なんて、そうないと思います。
「丁寧な仕事をするところなんだろうな。良い表札が出来そうだ」
家に向かう道すがら、聞いてみました
「あのー。お店に入ったら、高校生くらいの女の子が絵を描いていたのですが、あれはいったい・・・」
「あ、ウチは絵画教室もやっているんですよ」
聞くと、店のご主人はウィーンで絵の勉強をした本格派の画家でもあるそうです。
そこで、ピカッと閃きました。
漫画なら、頭の上に電球が光っているはずです。
「店の表に、『木でつくる御注文承ります』と書いてあったのを見ました。木に関する御注文を請負いながら絵画教室をやっているってことは、木に絵を描いてくれたりするのですか?」
「ええ、それが専門です」
よし、これは良い展開だ
「あの・・・ 少し・・ いやかなり大きな木の板なのですが、書いてくださいますか?」
「大きいってどれくらいですか?」
「縦3メートル、横5メートルくらいです・・・」
「・・・・・ それはどんな絵ですか」
絶句するのも無理はない。私はそこで初めて自分は能楽師で、自分の能舞台を建てて、その鏡松を描いて下さる方を探しているという事情を話しました。
店のご主人は眼を輝かせました。
「それは、是非やってみたいです」
我が家に着いたら、表札や看板などそっちのけで松の絵の話です。
本当に、良い方に巡り合いました。
この「深川美術」は、後で聞くと、地元ではなかなか有名だそうです。
近所にある江戸時代風の面白い店構えの深川めし屋を設計したり、神社の修復をしたり、各方面の美術を手掛けていて、2か月ほど前のテレビ東京の「アド街っく天国」の門前仲町特集でも紹介されたそうです。
現在、下絵が完成して、色塗りが行われています。ダイナミックな良い松です。
「深川能舞台」の舞台披きは、5月6日の予定です。
それまでに、この段ボールだらけの家をなんとかしなくっちゃ・・・
at 21:57|Permalink│
2008年04月18日
深川能舞台 建築記(7) 地鎮祭と順調な工事
続きはいつだ、と方々からお叱りを受けております。やっと続きをアップします。
ここのところ、忙しくて、全然書けませんでした。
家を建てる前、お決まりの儀式があります。
そう、地鎮祭です。
最近は、やらない人も多いそうですが、なんともったいない。
確かに地鎮祭などやらなくても家は建ちますが、せっかくなら経験したいと希望しました。恐らく一生に一度のことですから。
頼む先は、やはり富岡八幡宮です。
そもそも、深川に住みたいと思ったのも、富岡八幡宮でのお宮参りがきっかけでしたから、考えるまでもなくという感じです。
8月半ばの、とても暑い日に地鎮祭は行われました。
日取りを決めた頃は、まだ8月下旬に着工する予定でした。
最初から11月まで着工が伸びると分かっていれば、もっと涼しくなってから行ったでしょう。
ともかく、立っているだけで、滝のような汗がボタボタ落ちてくるような炎天下で、地鎮祭は取りしきられました。
家を建てるほとんどの人は、初めての地鎮祭です。
神主さんも慣れたものでして、分からない私達に手順をこと細やかに教えて下さいました。
私は言われた通り、四方にお酒をまいたり、「えいっ」て言いながら鍬をあてたりと、粛々とこなしていきました。
概ね普通の手順で行われましたが、一つだけ違うところがありました。
祝言謡の奉納です。
これはあらかじめ、神主さんに私の方からリクエストいたしました。
神主さんの祝詞の後、半年後には暮らすことになる土地の上で高らかに謡いました。
「庭の砂は金銀の。玉を連ねて敷妙の。」
月宮殿のような豪邸は望めませんが、こういう時はやはり「鶴亀」ですね。
さて、地鎮祭から待たされること2ヵ月半。11月に入ってやっと着工です。
ただ、折しも秋の能繁期の真っ只中。
ほとんど、現場には行けませんでした。
たまに顔を出すと、みるみる出来ていきます。
ドンドン出来ていく我が家を見ながら、しみじみと感傷に・・・ふけ入ったりしませんでした。
工事中の家って、全く現実感がないんですね。
見に行っても自分んちなんて感覚は全くしません。
目の前に見えるのは、ただの工事現場。
まあ、そんなものなのでしょう。
ここに至るまでに、いろんなことがありました。
その分、工事はとても順調に進みました。
建築士さん曰く、とても腕の良い大工さんだそうです。さすが、職人の街・深川の大工さんです。
たまに遊びに行くと、いろいろ教えて下さいます。
大工さんの中に、佐渡出身の方がいまして、なんと佐渡で能舞台を作った経験があるそうです。
これは本当にラッキーでした。
中間検査・完了検査と順調に進み、先日3月20日に竣工となりました。
工事中は、本当にスムーズに事が運びましたので、とりわけ書く事件がありません。
盛り上がらないまま、この「深川能舞台 建築記」が終わるのも面白くありません。
次回は、いよいよ能舞台について書いてみようと思っています。
(って、いつになるんだよ・・・)
ここのところ、忙しくて、全然書けませんでした。
家を建てる前、お決まりの儀式があります。
そう、地鎮祭です。
最近は、やらない人も多いそうですが、なんともったいない。
確かに地鎮祭などやらなくても家は建ちますが、せっかくなら経験したいと希望しました。恐らく一生に一度のことですから。
頼む先は、やはり富岡八幡宮です。
そもそも、深川に住みたいと思ったのも、富岡八幡宮でのお宮参りがきっかけでしたから、考えるまでもなくという感じです。
8月半ばの、とても暑い日に地鎮祭は行われました。
日取りを決めた頃は、まだ8月下旬に着工する予定でした。
最初から11月まで着工が伸びると分かっていれば、もっと涼しくなってから行ったでしょう。
ともかく、立っているだけで、滝のような汗がボタボタ落ちてくるような炎天下で、地鎮祭は取りしきられました。
家を建てるほとんどの人は、初めての地鎮祭です。
神主さんも慣れたものでして、分からない私達に手順をこと細やかに教えて下さいました。
私は言われた通り、四方にお酒をまいたり、「えいっ」て言いながら鍬をあてたりと、粛々とこなしていきました。
概ね普通の手順で行われましたが、一つだけ違うところがありました。
祝言謡の奉納です。
これはあらかじめ、神主さんに私の方からリクエストいたしました。
神主さんの祝詞の後、半年後には暮らすことになる土地の上で高らかに謡いました。
「庭の砂は金銀の。玉を連ねて敷妙の。」
月宮殿のような豪邸は望めませんが、こういう時はやはり「鶴亀」ですね。
さて、地鎮祭から待たされること2ヵ月半。11月に入ってやっと着工です。
ただ、折しも秋の能繁期の真っ只中。
ほとんど、現場には行けませんでした。
たまに顔を出すと、みるみる出来ていきます。
ドンドン出来ていく我が家を見ながら、しみじみと感傷に・・・ふけ入ったりしませんでした。
工事中の家って、全く現実感がないんですね。
見に行っても自分んちなんて感覚は全くしません。
目の前に見えるのは、ただの工事現場。
まあ、そんなものなのでしょう。
ここに至るまでに、いろんなことがありました。
その分、工事はとても順調に進みました。
建築士さん曰く、とても腕の良い大工さんだそうです。さすが、職人の街・深川の大工さんです。
たまに遊びに行くと、いろいろ教えて下さいます。
大工さんの中に、佐渡出身の方がいまして、なんと佐渡で能舞台を作った経験があるそうです。
これは本当にラッキーでした。
中間検査・完了検査と順調に進み、先日3月20日に竣工となりました。
工事中は、本当にスムーズに事が運びましたので、とりわけ書く事件がありません。
盛り上がらないまま、この「深川能舞台 建築記」が終わるのも面白くありません。
次回は、いよいよ能舞台について書いてみようと思っています。
(って、いつになるんだよ・・・)
at 23:04|Permalink│
2008年04月17日
悲鳴を上げる腰
日曜日は、九皐会で「善界」のツレをさせて頂きました。
これはナカナカ大変なツレです。何せ、天狗の日本代表ですから。
明けて、月曜日は若竹会という若手の稽古能で「芦刈」のシテをいたしました。
この若竹会、朝9時開始です。稽古用とはいえ、装束もフルサイズ付けます。
前日の九皐会の疲れも引きずりながら、朝9時から装束を付けての芦刈は、しんどかったです。
この「芦刈」、5月17日(土)に、目黒の喜多能楽堂で行われる「緑泉会」にて、演じます。
どうぞ宜しくお願いいたします。
さて、稽古能を終えて、ぐったりしましたが、月曜日は、それからが大変でした。
終了後、沼津に直行して用事を済ませて、そのまま富士に行って夜までお弟子様のお稽古。富士まで約3時間、車を運転しました。
車の運転って、長時間同じ姿勢なので、腰にとっても悪いそうです。
次の日は、朝から沼津へ移動してお弟子様のお稽古。
私は、能のシテを勤めた翌日はだいたい凄い腰痛に襲われるのですが、この日は前日の車の運転も相まって、過去最大の腰痛が襲ってきました。
その状態で、朝10時から夜9時までぶっ通しでお稽古いたしました。
終わると、また車を運転して東京まで帰ります。
悪いことに、その日は工事しているとかで、首都高は大渋滞。
深夜に自宅に着きましたが、立ちあがることが出来ません……
ハア、「腰」という漢字はにくづきに要と書きますが、本当に体の要ですね。
これはナカナカ大変なツレです。何せ、天狗の日本代表ですから。
明けて、月曜日は若竹会という若手の稽古能で「芦刈」のシテをいたしました。
この若竹会、朝9時開始です。稽古用とはいえ、装束もフルサイズ付けます。
前日の九皐会の疲れも引きずりながら、朝9時から装束を付けての芦刈は、しんどかったです。
この「芦刈」、5月17日(土)に、目黒の喜多能楽堂で行われる「緑泉会」にて、演じます。
どうぞ宜しくお願いいたします。
さて、稽古能を終えて、ぐったりしましたが、月曜日は、それからが大変でした。
終了後、沼津に直行して用事を済ませて、そのまま富士に行って夜までお弟子様のお稽古。富士まで約3時間、車を運転しました。
車の運転って、長時間同じ姿勢なので、腰にとっても悪いそうです。
次の日は、朝から沼津へ移動してお弟子様のお稽古。
私は、能のシテを勤めた翌日はだいたい凄い腰痛に襲われるのですが、この日は前日の車の運転も相まって、過去最大の腰痛が襲ってきました。
その状態で、朝10時から夜9時までぶっ通しでお稽古いたしました。
終わると、また車を運転して東京まで帰ります。
悪いことに、その日は工事しているとかで、首都高は大渋滞。
深夜に自宅に着きましたが、立ちあがることが出来ません……
ハア、「腰」という漢字はにくづきに要と書きますが、本当に体の要ですね。
at 13:46|Permalink│
2008年04月04日
深川能舞台 建築記(6) 建築確認申請
引っ越して今日で10日になりますが、未だ全く片付いていません。
ダンボールの山に囲まれて寝ています。
いつ片付くのでしょうか。
昨日お稽古に行った葛西のお稽古場・源心庵の桜がとてもキレイてした。
癒されたので、画像を載せておきます。
携帯のカメラでは上手く撮れません。
さて、久々の建築記です。
去年の4月に初めて建築士さんと会った時、最初にこうお願いしました。
「何としても年内には入居したいです」
理由は、まず第一に年明けからシンガポールの演劇学校に能の指導に行く予定だったからです。
月の半分はシンガポールですので、日本滞在中は予定でギッシリ。
何としても、シンガポールの能のクラスが始まる前に入居したいと希望しました。
また、年内入居と年明け入居では、住宅ローン控除額が40万円も違うというのも大きな理由です。
世間様が忙しい年末は、能楽師は一年で一番ヒマな時期であるのも都合が良かったです。
そんなこんなで、年内入居を強く要望しました。
建築士さんは、年内入居は充分可能と言いました。
だいたい、着工すれば4ヶ月で竣工だから、8月下旬に着工すれば大丈夫だそうです。
建物を建てるためには、建築確認申請が必要です。
その申請は、作成に2週間、提出して認可が下りるまで、10日から2週間かかるそうなので、6月中に建築プランと施工業者を決めましょう。
逆算して、日程を定めました。
年内入居のためには、3ヶ月で全て決めなければなりません。
住宅雑誌などを買い込んで、大急ぎでプラン作りです。
忙しい作業ですので大変でしたが、自分の思っていた家に対するイメージが、徐々に形となっていく過程は楽しいものでした。
予定通り、7月半ばには建築確認申請が提出出来ました。
確認申請が下りれば、さあ着工というところで、大きな誤算が起こります。
あの姉歯事件の影響で、6月20日から建築基準法が大幅に変わったのです。
それに伴い、建築確認申請の方法も大きく変わりました。
まあ建築基準法改正自体は、より安全な家が建つのですから、むしろ望ましい事です。
問題なのは、法律が変わったのに、確認申請を受け取る側の審査のガイドラインが示されていなかった事です。
つまり、どうすれば新建築基準法に合った書式で確認申請を提出出来るのか、全く不明だったそうです。
あまりに無責任なことです。法律を変えるだけ変えておいて、新しい法律の運営方針を示してないのですから。
昨年の7月から9月位は、住宅着工数が前年比4割以上の落ち込みだったようです。
当たり前です。確認申請が全く下りないのですから。
着工出来る住宅は、建築確認の構造計算の必要のない木造二階建てのみです。
私が頼んでいた申請事務所では、7月から9月まで三階建ての住宅で下りた申請はついにゼロだったそうです。
8月までは、ついに申請書を受け取ってすらくれませんでした。
6月20日以降、全ての申請機関の手続きがストップしてしまったので、どの申請事務所にも、提出すら出来ない書類が山積みされております。
新しい書類を受け取る余裕はありません。
申請事務所としては倒産の危機だったようです。
かくして、日本中の住宅業界で大騒ぎとなります。
3ヶ月間着工ゼロなんて会社の話もちらほらと聞こえてきます。
国民のほとんどには関係のないことなので、あまり騒がれませんでしたが、はっきり言って、とんでもない失政です。
結局、私の家の確認申請が下りたのは、10月下旬です。
これで年内入居は絶望的。
それによって被った経済的損失は甚大なものです。
精神的にも、疲れ果てました。
全国に、そんな人は山ほどいます。
どう責任とってくれるのか。
未だに腹立たしく思います。
着工は11月上旬にずれ込み、竣工予定は3月中旬。
結果的に、シンガポール行きが一年延期になって、本当に助かりました。
当初の予定では、明日までシンガポールに行っていることになっていました。
まだ、引っ越しも出来ていなかったと思います。
まあ、それは幸いでした。
at 19:37|Permalink│