2008年03月

2008年03月21日

深川能舞台 建築記(2) 土地探し

家を建てると決めたら、まずしなくてはならないのは土地探しです。

長男誕生と前後して、物件を探しまわりました。
「どうせ家を建てるのなら、稽古舞台を持ちたい」
それが希望でしたので、建売は最初から考えていませんでした。
稽古舞台をつくるスペースのある土地に絞っての土地探しです。

能舞台をつくるためには、最低三間(5.4m)四方のスペースが必要です。
法律で、家は隣の敷地境界線から50?は離して建築しないといけまないことを考えると、最低6.5mの間口と奥行きが必要となってきます。
もちろん、土地には建ぺい率というのが存在しますので、実際にはそれ以上の広さの土地が必要となってきます。

東京の住宅密集地には、そもそも間口も奥行きも充分にある整形地という土地はほとんどありません。
たまに見つけても、とてつもない値段がついております。

土地選びは難行しました。
そもそも東京の土地というのは、埋め立てでもしない限り、総数は決まっています。
人口密集地の東京に、空き地なんてほとんどないのです。


最初は、現在住んでいる江戸川区葛西近辺で探していました。葛西は、マンションが多く商店街も交通網も充実しています。
子供も多く、子育てには最高の場所です。


長男誕生からひと月ほど経った頃、多くの親子がするように、我が家でもお宮参りに行こうと計画しました。
そこで困りました。
どこの神社に行こう・・・

結局、我が家は地下鉄東西線沿線ではもっとも有名な神社「富岡八幡宮」にお参りをしました。

お宮参りは、自分が氏子となっている神社に行くものでしょう。でも、新興マンション街である葛西には、そもそも神社らしきものは見当たりません。仮にあったとしても、わざわざそこにお宮参りに出かける理由が見いだせません。
「富岡八幡宮」にお参りをした理由は、単純です。近くで一番有名な神社だったからです。

お宮参りをしていて、ふと故郷の広島から上京する時のことを思い出しました。
故郷を離れるにあたって、私は町にある神社に、お参りに行きました。私の祖父はその神社の氏子総代まで勤め、昔からなじみのある神社です。
夏には小さいながらお祭りがあり、金魚すくいやヨーヨー釣り、盆踊りに熱中しました。
秋には、神輿が練り歩く秋祭りがあり、子供神輿を担いで町を闊歩したものです。

その馴染みのある氏神さまに、私はこの町を離れる挨拶をしたのでした。
お宮参り・七五三と、常に私の成長を見守っていた氏神さまです。

そんなことを思い出しながら、思ったのです。私の長男には、そういった氏神さまはいないんだなあ。
とても寂しく思いました。長男が不憫に思えてきました。

お宮参りの後、「富岡八幡宮」のある深川の街を歩きました。
さすがは歴史と伝統のある富岡八幡宮の門前町です。趣きのある小物屋や食べ物屋、お菓子屋さんが軒を連ねます。
富岡八幡宮では年中縁日が行われているようですし、何といっても夏のお祭りは、江戸三大祭にあげられるほど盛大です。

その時、ふつふつと願望が浮かび上がってきました。
「ここに、暮したい!!」
もう頭の中には、長男と金魚すくいをしたり、神輿を担いでいる自分の姿が思い浮かんでいます。


深川。
東京でも有名な街でしょう。
江戸時代から文化と芸能の街として栄え、今でも下町情緒の色濃く残る街。
着物を着て街を歩いても、自然に溶け込む街。

完全に一目惚れです。
その日を境に、深川と呼ばれるエリアに絞って土地を探し始めました。


土地探しの基本は歩くことです。私はヒマを見つけては、深川の不動産屋を訪ね、土地を探しまわりました。

しかし、400年も前から下町文化が栄えていた街に、家を建てる土地なんか残っていません。
そもそも、土地の出物がほとんど無いのです。
あっても、狭かったり細長かったり・・・  とても能舞台は作れません。

二年前の夏ころ、二つの土地が候補に挙がりました。

一つは少々狭い土地でしたが、値段がなんとかなる範囲の上限を少し超えている程度でした。
とはいってもやはり予算オーバーですので、返事を保留していました。それに当時は9月に沼津で自主公演を控えておりましたので、とても忙しくて気持ちのゆとりが全くありませんでした。

不動産屋さんから、あの土地を他の人が買いそうだとの情報が流れてきました。
そうなると、急にあせります。私も購入申し込みをしましたが、やはり先に申し込んだ人が優先されました。
土壇場で、私は買うことが出来ませんでした。

私は慌てて、もう一つの土地の下見に行きました。
その土地は、最初の土地より広く、充分に舞台が作れます。でも、値段がとてつもなく高いのです。完全に予算オーバーです。
悩みに悩みました・・・
でも、この土地を逃したらもう土地は出てこないかもしれない。
思い切って、購入しようと決心して、不動産屋に電話しました。
すると、
「あ、今朝売れてしまいました・・・」

落胆しました。これで土地探しはふりだしに戻りました。
9月の沼津公演を控えていましたので、しばらく土地探しは休止です。沼津公演が終わったら、本格的に探し直しです。。。

沼津公演は無事に終わりました。その頃、ネットで新たな土地を見つけました。
新しい土地は、十分な広さはあるのですが、価格が二番目の土地よりさらに高い・・・
TVでは、連日のように土地高騰、バブル再来のニュースがささやかれておりました。

そんな高い土地・・・ さすがに迷いました。
でも決心しました。「買っちゃおう・・・」
こんな高い土地買っちゃって・・・ 食事は毎日メザシかな・・・

不動産屋さんに電話しようと思っていた日の朝、違う不動産屋さんから連絡がありました。
土地の出物があったというのです。

その土地は、今まで検討していた三つの土地のどれよりも広く、どれよりも安かったのです。
最寄駅からも近く、交通の便も最高。

私は、これまでの経験から、迷う間もなく。即決しました。
その土地が、私がおそらく一生住むことになるであろう、運命の土地だったのです。

長かった土地探しは、やっと終わりました。
私は望むべく最高の土地を手に入れました。
深川の地に、能舞台が充分に作れる広さで、何とか手の届く価格。

土地が高騰していた2年前の相場からすると、かなりお買い得な土地でした。
しかし、やはり安いにはそれなりの理由があったのです・・・


at 20:37|Permalink

2008年03月20日

深川能舞台 建築記(1) きっかけ

春の時正の日、大きな買い物をしました。恐らく人生で最も大きな買い物です。
そう言うと、何を買ったか察しがつくと思います。

そうです、家を建てたのです。


場所は東京の代表的な下町・深川。
下町江戸情緒と現代が交錯する刺激的な場所に、かねてより建設中だった我が家が、めでたく今日引き渡しとなりました。

狭い土地に、無理やり作った3階建ての家です。1階には念願の、稽古舞台をしつらえました。
文化と芸能の街「深川」
この名前をどうしても使いたかったので、我が家の舞台には単純明快な名前を付けました。

「深川能舞台」

そのままズバリです。
「深川」という地名の持つ響きに、余計な装飾はいらないかなあと思ったのです。


バブルの再来とも言われるこのご時世に、東京都心で家を建てるのは、たいへんなことでした。
何回かに分けて、深川能舞台が出来るまでを振り返ってみようかと思います。


きっかけは、2年前の長男誕生でした。
現在我が家は、江戸川区葛西の3LDKのマンションに住んでいます。3LDKといっても、7畳ほどの洋室は、私の稽古場として何も置かない部屋にしていましたので、実際の生活空間は2LDKにすぎません。

物があふれている我が家では、家族が増えるといかんせん手狭です。もう少し広い所を探さなければなりません。
ただ、3LDK以上の物件となると、べらぼうな家賃となってしまいます。
「なら、買っちゃおう」
家を建てる動機として一番ポピュラーな、「家賃がもったいないから買う」
これが一番のきっかけです。

もともと私は、持ち家志向を強く持っていました。
ただ「東京で家を建てる」
これはたいへんなことです。
どうすれば実現するか・・・  ずっと考えていました。

ただ、決して不可能なことには思えませんでした。
内弟子を独立して以来、不動産屋さん巡りも、たまにしていました。

現在のマンションと駐車場の家賃の合算の金額を35年ローンで支払っていくとどの程度の家が建てられるのか、不動産屋さんに試算してもらいました。

すると、まあ何とか払える範囲で頑張って上乗せすればそこそこの家は建てれそうだということが分かりました。


長男誕生の直前、何気なくみていた新聞の折り込み広告で、いい物件の記事がたまたま目に入りました。
普段、新聞の広告など全く開かずに捨てているのに、その日に限って目にとまったのです。


ずっと、「いつかは家を建てたい」と思っていました。
それが今なんじゃあないだろうか。


たぶん、夫婦二人だけだと家を建てようと、踏み込めなかったでしょう。
この愛すべき我が子に、せめて家と土地くらい残してあげられる・・・

一歩踏み出すと、決意は固まりました。
どのみち、家賃だろうがローンだろうが、払い続けなければならないのだったら、思い切って家を建てちゃおう。

それに、どうせ建てるんだったら、能楽師としての活動拠点となる自分の舞台を持ちたい。

目指す道が見えてきました。

私の座右の銘は、
 Where there is a will, there is a way.(意志あるところに道はある)
です。

家を建てるというと、聞いた人はみんな驚きます。
でも、建てようという強い意志があれば、なんとかなります。
家といってもピンキリですし、そもそも今現在決して安くない家賃を払っている訳ですから。


今から2年前の春、深川能舞台建設の機運は産声を上げたのでした。


at 22:30|Permalink

2008年03月17日

地頭

今朝、稽古能で「杜若」の地頭(じがしら)をさせて頂きました。

地頭とは、通常8人編成の地謡のリーダーです。
シテの位を受けて、お囃子の様子を伺いながら、地謡を統率します。

能は、地謡が8割と言われます。その地謡をまとめる役割を担うのが地頭ですので、能の出来不出来は地頭の責任が大きいと言えます。


そんなこんなで、今朝はとっても緊張しました。
シテを勤める時より緊張します。

だいたいシテは、結局は自分の思う通りに存分に出来ますが、地頭は各方面を気にしながら、それでいて圧倒的な馬力で自分の気持ちを出していかなければなりません。


地頭は、普通もっと年長者が勤めます。
私が、九皐会定例会で実際に地頭を勤めるのはいつのことでしょうか?
20年後? 30年後?


今朝は、稽古能ということで、貴重な勉強をさせて頂きました。

だいたい1年に一度位は稽古能で地頭をさせて頂きます。

思うに、私のような駆け出しの能楽師が地頭をさせて頂くということは、20年後、30年後に本当に地頭を勤める時の稽古ということももちろんあると思いますが、もっと大切なことのためのような気がします。

たとえ稽古能とはいえ、地頭を経験していると、多少なりとも地頭のたいへんさがわかります。
すると、普段地謡のはしっこで謡っているときも、心構えが全く変わってきます。

今日、地頭で謡っていると、周りの先輩方にとても助けられました。

「こういう風にサポートして下さると、地頭はとても助かるんだ」
というのが身にしみてわかります。


私は、そういう風に地頭を助けて謡えるように心がけたい。
そう思います。


今、ベストセラーの本に、
「地頭力を鍛える」
なる本があります。

「じあたま」ではなく「じがしら」の力がつく本だったら、飛びついて買います。


at 22:17|Permalink

2008年03月11日

富士教室発足

今月より、静岡県富士市にて新たなお稽古場が発足します。

2001年より開いている沼津市のお稽古場に続けて、静岡県にて二カ所目の教室です。

お稽古会場は、JR富士駅の駅前にある老舗のホテル、「フジホワイトホテル」です。

教室発足については、ホワイトホテルの方が全面的に協力をして下さいました。

現在、会員は6名程とこじんまりしておりますが、老舗ホテルならではの落ち着いた和室にて熱心に取り組んでおります。

会員は、一人を除いて皆さんお稽古を始めたばかりという、フレッシュな教室です。

ただいま発足会員、大・大・大・大募集中です。

富士市近郊にお住まいで、能や日本文化に興味のある方、まずお問い合わせ下さい。


at 23:25|Permalink

2008年03月09日

初めての仕舞

今日は、九皐会にて仕舞「田村」をさせていただきました。
私は、九皐会の例会で仕舞をさせていただくのは、初めてです。

九皐会では、シテは何度もさせていただいております。今日やっと仕舞デビューを果たしました。

一般的には、仕舞より能のシテの方が難しいような気がします。
確かに、能は仕舞とは比べられないほど長いですし、所作も多い。
一曲を通すと、謡もかなりの分量です。
それに、重たい能装束と視野の狭い能面で動きが制限されてしまいます。

単純に、仕舞を演じる・能を演じるという比較では、能の方が圧倒的に難しいです。

でも、裏を返せば、能のシテを演じる時は、豪華な能装束や神秘的な能面の力を借りて、それなりに魅せることができます。ツレやワキ、囃子方などの共演者にも助けてもらえます。

仕舞は、全くの一人芸です。能装束や能面を付けず、素のままの自分で演じなければなりません。
これはたいへん難儀なことです。
舞台の上では全くごまかしが利かないのです。

仕舞で魅せる・能で魅せるという比較でしたら、仕舞の方が断然やり難いです。


今日は、精一杯いたしました。
「田村」は、若さの勢いで演じることが出来ます。

とにかく、仕舞デビュー戦。無事に終わりました。


at 23:43|Permalink