2007年04月
2007年04月21日
町田能楽サークル
昨日はのうのう能の前に、町田能楽サークルの稽古に行きました。
場所は、玉川学園前より徒歩5分位の清楚で緑豊かな住宅街にある日本舞踊の先生のお宅を拝借しております。
右の写真は、稽古場へ行く道すがらの花壇です。
先週はまだつぼみだったのに、見事に咲き誇っております。
春の息吹を感じ、ほのぼのとした気分にひたっておりますと、突如つんざくようなヘリコプターの爆音が・・・
そうです、昨日町田で起こった拳銃男の立てこもり事件。
割りに近くです。
この稽古場に移る前の稽古場とは目と鼻の先。
移ってて良かった・・
ほのぼのとした日常の中、突然起こる凶悪な犯罪。
恐ろしい世の中になったものです。
at 08:04|Permalink│
2007年04月20日
週末公演
今日は、矢来能楽堂にてのうのう能「熊野」
明日は、国立能楽堂にて緑泉会別会「清経 恋之音取」「正尊」
明後日は、国立能楽堂にて九皐会別会「求塚」「道成寺」
なかなかステキで濃厚な週末が過ごせそうです。
明日は、国立能楽堂にて緑泉会別会「清経 恋之音取」「正尊」
明後日は、国立能楽堂にて九皐会別会「求塚」「道成寺」
なかなかステキで濃厚な週末が過ごせそうです。
at 13:19|Permalink│
2007年04月15日
「葵上」御礼
昨日、緑泉会にて「葵上」を無事勤めました。
いやあ、「葵上」はたいへんな曲でした。
終わったあと、本当に疲れました。今までに色んな曲をやりましたが、その中で間違いなく最大の疲労です。
実はここのところ、原因不明の頭痛に悩まされています。
ひょっとして六条御息所の物の怪に憑かれているんじゃないかと不安です。
物の怪だったら、昨日が終わると何事もなくスッキリしそうなものですが、今日もまだ痛いです
まあ、今日頭が痛いのは、昨日飲みすぎたせいかもしれませんが。
まあ今日はとにかく疲れ果てて一日ノビていました。
「葵上」は今回初役でしたので、小書はつけずに演じました。
小書がないと、最初のシテ謡がかなりの分量です。
謡い終わると、もうクタクタでした。
その後のクドキも当然一人で謡います。
今回、唐織の壷折に腰巻という格好を初めていたしましたが、この格好は思いのほかツライというのが分かりました。
唐織をとめる紐の位置が高く、お腹のところで締めます。特に座るとお腹にくい込むのですね。
クドキを謡う時座ると、体が思いのほか圧迫されてビックリしました。
まあ、私のお腹が出ているだけかもしれませんが。
今回、色んな意味でいい勉強をしました。
「葵上」、また是非挑戦したい曲です。
いやあ、「葵上」はたいへんな曲でした。
終わったあと、本当に疲れました。今までに色んな曲をやりましたが、その中で間違いなく最大の疲労です。
実はここのところ、原因不明の頭痛に悩まされています。
ひょっとして六条御息所の物の怪に憑かれているんじゃないかと不安です。
物の怪だったら、昨日が終わると何事もなくスッキリしそうなものですが、今日もまだ痛いです
まあ、今日頭が痛いのは、昨日飲みすぎたせいかもしれませんが。
まあ今日はとにかく疲れ果てて一日ノビていました。
「葵上」は今回初役でしたので、小書はつけずに演じました。
小書がないと、最初のシテ謡がかなりの分量です。
謡い終わると、もうクタクタでした。
その後のクドキも当然一人で謡います。
今回、唐織の壷折に腰巻という格好を初めていたしましたが、この格好は思いのほかツライというのが分かりました。
唐織をとめる紐の位置が高く、お腹のところで締めます。特に座るとお腹にくい込むのですね。
クドキを謡う時座ると、体が思いのほか圧迫されてビックリしました。
まあ、私のお腹が出ているだけかもしれませんが。
今回、色んな意味でいい勉強をしました。
「葵上」、また是非挑戦したい曲です。
at 23:13|Permalink│
2007年04月07日
生き仏
いささか旧聞ですが、先月末に観世流最長老(たぶん)の塩谷武治師が亡くなりました。
数えで享年101歳。
亡くなる直前まで舞台に立っていた鉄人でした。
恐らく、ギネスブックものでしょう。
大阪在住の塩谷師とは、一年に数回お目にかかるだけでした。
最後にお目にかかったのは去年の大阪九皐会。
塩谷師は「養老」の仕舞をなさってました。
100歳にして、背筋は真っ直ぐに伸び、たおやかに舞う姿は神懸かってました。
正に老いを養う、「養老」の神。
塩谷師は、たいへんなお酒好きとして知られています。
亡くなる2週間位前まで、晩酌は欠かさなかったようです。
また、塩谷師はとても信仰深く、興福寺薪能や薬師寺の奉納能などでは観世流の取りまとめとして毎年獅子奮迅の活躍でした。私が知っている塩谷師は、既に90代でしたが、とてもエネルギッシュに活動なさっていました。
先代の観世喜之師が亡くなって30年以上経ちますが、塩谷師はその間毎月、月命日には大阪の観世喜之師の家の仏壇にお参りにいらしていたそうです。
大阪で行われたお通夜に駆けつけました。
長命で、活動的で、信仰深く、お酒を愛する塩谷師に少しでもあやかりたいと、手を合わせました。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
数えで享年101歳。
亡くなる直前まで舞台に立っていた鉄人でした。
恐らく、ギネスブックものでしょう。
大阪在住の塩谷師とは、一年に数回お目にかかるだけでした。
最後にお目にかかったのは去年の大阪九皐会。
塩谷師は「養老」の仕舞をなさってました。
100歳にして、背筋は真っ直ぐに伸び、たおやかに舞う姿は神懸かってました。
正に老いを養う、「養老」の神。
塩谷師は、たいへんなお酒好きとして知られています。
亡くなる2週間位前まで、晩酌は欠かさなかったようです。
また、塩谷師はとても信仰深く、興福寺薪能や薬師寺の奉納能などでは観世流の取りまとめとして毎年獅子奮迅の活躍でした。私が知っている塩谷師は、既に90代でしたが、とてもエネルギッシュに活動なさっていました。
先代の観世喜之師が亡くなって30年以上経ちますが、塩谷師はその間毎月、月命日には大阪の観世喜之師の家の仏壇にお参りにいらしていたそうです。
大阪で行われたお通夜に駆けつけました。
長命で、活動的で、信仰深く、お酒を愛する塩谷師に少しでもあやかりたいと、手を合わせました。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
at 12:17|Permalink│