2006年11月
2006年11月28日
新作能「光の素足」
日曜日は、新作能「光の素足」の地謡を勤めました。
「光の素足」とは、宮澤賢治の童話「ひかりの素足」をベースに、宮澤賢治の様々な童話や詩を盛り込んで、兄弟子のN師が作った新作能です。
N師は、ここ数年様々な形でこの作品を演じています。
今回初めて、キチンとした能の形で、自分の主催する演能の会で演じられた次第です。
N師のこだわり、思い入れの結集が詰まって舞台でした。
私もその熱意を受けて、精一杯地謡を謡いました。
ただ、秋のタイトなスケジュールの中、地謡を覚えるのは大変でした。
ハア、寝不足です……。
イチ能楽師が、ゼロから構成し作成した新作能を、自らの演能の会で演じる。
素晴らしい話ですね。
能の可能性。また、能楽師としての活動の幅の可能性が感じられます。
刺激的な催しでした。
「光の素足」とは、宮澤賢治の童話「ひかりの素足」をベースに、宮澤賢治の様々な童話や詩を盛り込んで、兄弟子のN師が作った新作能です。
N師は、ここ数年様々な形でこの作品を演じています。
今回初めて、キチンとした能の形で、自分の主催する演能の会で演じられた次第です。
N師のこだわり、思い入れの結集が詰まって舞台でした。
私もその熱意を受けて、精一杯地謡を謡いました。
ただ、秋のタイトなスケジュールの中、地謡を覚えるのは大変でした。
ハア、寝不足です……。
イチ能楽師が、ゼロから構成し作成した新作能を、自らの演能の会で演じる。
素晴らしい話ですね。
能の可能性。また、能楽師としての活動の幅の可能性が感じられます。
刺激的な催しでした。
at 18:00|Permalink│
2006年11月14日
今日は三箇所
今日は盛り沢山の日でした。
朝10時から国立能楽堂で日曜日の会の申合。能は「三輪」
昼1時20分からお茶の水女子大附中にて学生能「葵上」
夜6時半より、矢来能楽堂にて武蔵野大学主催の学生能「安達原」
一日に三箇所の稽古場を回ることはよくありますが、催しで三箇所回ったことはあったっけ?
昼間のお茶の水女子大附中学生能は、茗荷谷にある、小学校から大学まで併設されている、あのお茶の水女子大の講堂で行われました。
お茶の水女子大には初めて行きました。(まあ、女子大に行く機会なんてそうはないですけど)
とても、こじんまりしているけど、アカデミックな雰囲気の良い大学です。
狭い汚い校舎に、これでもかと言うくらい多くの学生を詰め込んでいたマンモス大学に通っていた私にとって、羨ましいキャンパスライフがそこにあります。
私も昔は国立大学の付属校に通っていました。(国立だから大学に内部進学は出来ないのです)
少し雰囲気が似ているなあ、と中学高校を思い出しました。
ちょっと、ノスタルジー。
朝10時から国立能楽堂で日曜日の会の申合。能は「三輪」
昼1時20分からお茶の水女子大附中にて学生能「葵上」
夜6時半より、矢来能楽堂にて武蔵野大学主催の学生能「安達原」
一日に三箇所の稽古場を回ることはよくありますが、催しで三箇所回ったことはあったっけ?
昼間のお茶の水女子大附中学生能は、茗荷谷にある、小学校から大学まで併設されている、あのお茶の水女子大の講堂で行われました。
お茶の水女子大には初めて行きました。(まあ、女子大に行く機会なんてそうはないですけど)
とても、こじんまりしているけど、アカデミックな雰囲気の良い大学です。
狭い汚い校舎に、これでもかと言うくらい多くの学生を詰め込んでいたマンモス大学に通っていた私にとって、羨ましいキャンパスライフがそこにあります。
私も昔は国立大学の付属校に通っていました。(国立だから大学に内部進学は出来ないのです)
少し雰囲気が似ているなあ、と中学高校を思い出しました。
ちょっと、ノスタルジー。
at 23:25|Permalink│
2006年11月11日
子供は素直だ
今日は静岡県裾野市にて、児童館主催の伝統文化教室の一貫で、小学生に能の紹介講座をしました。
最初は、能のかたちや歴史なんかを話していたのですが、10分もしないうちに子供たちはソワソワ。
こりゃあ、ダメだ。
お話は見切りをつけて、能面や能装束を見せることにしました。
般若とか獅子口とか、受けの良さそうな能面を選んだこともあって、一転して盛り上がってきました。
やはり、能を見たことのない子供には、本物を見せるに限ります。
後半は、謡って舞って大活躍。
子供たちにも謡と舞を稽古してみると、皆面白がって始めます。
最後は、舞台を使って簡単な発表会まで行いました。
子供たちはもとより、父兄の方たちも、とっても楽しんで下さっている様子です。
この中の子供たちが、今後も楽しんで能などの日本文化に触れて欲しいなぁと思います。
最初は、能のかたちや歴史なんかを話していたのですが、10分もしないうちに子供たちはソワソワ。
こりゃあ、ダメだ。
お話は見切りをつけて、能面や能装束を見せることにしました。
般若とか獅子口とか、受けの良さそうな能面を選んだこともあって、一転して盛り上がってきました。
やはり、能を見たことのない子供には、本物を見せるに限ります。
後半は、謡って舞って大活躍。
子供たちにも謡と舞を稽古してみると、皆面白がって始めます。
最後は、舞台を使って簡単な発表会まで行いました。
子供たちはもとより、父兄の方たちも、とっても楽しんで下さっている様子です。
この中の子供たちが、今後も楽しんで能などの日本文化に触れて欲しいなぁと思います。
at 21:29|Permalink│
2006年11月10日
消防訓練
今日は、九皐会の申合。
終了後に、矢来能楽堂の消防訓練が実施されました。
実は、私は矢来能楽堂の防火管理者なのです。
30人以上収容できる劇場は、必ず防火管理者を設けなければならず、また防火管理者の指揮の下、年に一度、消防訓練が義務付けられております。
とは言うもののの、ここのところほとんど消防訓練は行われておりませんでした。
今日、長年の課題を果たすべく、消防訓練を実施しました。
やったことは、まず九皐会当日に火事があったと想定して、お客様の避難誘導の訓練。
また、水が出る訓練用の消火器を使っての消火訓練。
九皐会門下一同、ならびに職員一同集まって、和やかながらも真剣に消防訓練が行われました。
普段、難しい顔して舞台に座っている九皐会の面々が、恐る恐る消火器を持って、仮想火の元に向かって消火器を噴射している様は、なかなか見ごたえがありました。
防火管理者のわたしとしては、長年、消防署から消防訓練の通知が来ていたのですが、なんとか果たすことが出来てホッとしております。
これから乾燥してきますので、火の元には気をつけましょう。
終了後に、矢来能楽堂の消防訓練が実施されました。
実は、私は矢来能楽堂の防火管理者なのです。
30人以上収容できる劇場は、必ず防火管理者を設けなければならず、また防火管理者の指揮の下、年に一度、消防訓練が義務付けられております。
とは言うもののの、ここのところほとんど消防訓練は行われておりませんでした。
今日、長年の課題を果たすべく、消防訓練を実施しました。
やったことは、まず九皐会当日に火事があったと想定して、お客様の避難誘導の訓練。
また、水が出る訓練用の消火器を使っての消火訓練。
九皐会門下一同、ならびに職員一同集まって、和やかながらも真剣に消防訓練が行われました。
普段、難しい顔して舞台に座っている九皐会の面々が、恐る恐る消火器を持って、仮想火の元に向かって消火器を噴射している様は、なかなか見ごたえがありました。
防火管理者のわたしとしては、長年、消防署から消防訓練の通知が来ていたのですが、なんとか果たすことが出来てホッとしております。
これから乾燥してきますので、火の元には気をつけましょう。
at 22:35|Permalink│
2006年11月06日
江戸川区中央図書館
昨日の日曜日は、江戸川区中央図書館主催の講座「古典宇宙堂」でお話してきました。
先日の日記で書いた通り、初めて江戸川区から依頼された講座です。
張り切って話してきました。
江戸川区中央図書館では、毎年テーマを決めてシリーズ物の企画展示を行っております。
今年のテーマは、日本の古典でして、私の講演の他に、薩摩琵琶の演奏や落語も行われ、図書館の企画展示を盛り立ててました。
そして、一連の企画展示の隠れテーマは、何と「俊寛」
私の講演も、「俊寛」にちなんだ話をして下さいとのことでした。
さぁ、困った。
対象は、能楽初心者です。
一方、「俊寛」はどちらかと言うと地味でマニアックな曲。
どのように折り合いをつけて話そうか、悩みました。
しかし考えてみると、能というものを説明するためには、「俊寛」は良いテーマです。
歌舞伎や文楽の「俊寛」と比べるとよく分かります。
能の「俊寛」は、離れ小島に流された三人の内、他の二人は許されて都へ帰ることが出来たのに、俊寛(シテ)だけ島をでることが叶わなかったという話をもとに、島に取り残された俊寛の孤独と絶望を描いた悲劇です。
シテの悲惨な境涯に焦点を絞った、いかにも能らしい構成です。
一方、歌舞伎や文楽の「俊寛」では、俊寛も島を出ることが許されます。
しかし、俊寛は他の流人(成経)の妻を舟に乗せるため、自ら島に残ることを選びます。
そこに描かれる俊寛は、人情味一杯に描かれます。
このように入り組んだ人情話は、いかにも歌舞伎や文楽らしいなあと思います。
結果的に、俊寛は離れ小島に残るのですが、お客様にとって、見終わった時残る感情は全く異なることでしょう。
そんなことを、話しました。
同じ題材を取り上げても、能と歌舞伎や文楽ではこれだけ切り口や結末が変わってくるのです。
日本文化や日本の古典芸能の層の厚さには、驚かされます。
先日の日記で書いた通り、初めて江戸川区から依頼された講座です。
張り切って話してきました。
江戸川区中央図書館では、毎年テーマを決めてシリーズ物の企画展示を行っております。
今年のテーマは、日本の古典でして、私の講演の他に、薩摩琵琶の演奏や落語も行われ、図書館の企画展示を盛り立ててました。
そして、一連の企画展示の隠れテーマは、何と「俊寛」
私の講演も、「俊寛」にちなんだ話をして下さいとのことでした。
さぁ、困った。
対象は、能楽初心者です。
一方、「俊寛」はどちらかと言うと地味でマニアックな曲。
どのように折り合いをつけて話そうか、悩みました。
しかし考えてみると、能というものを説明するためには、「俊寛」は良いテーマです。
歌舞伎や文楽の「俊寛」と比べるとよく分かります。
能の「俊寛」は、離れ小島に流された三人の内、他の二人は許されて都へ帰ることが出来たのに、俊寛(シテ)だけ島をでることが叶わなかったという話をもとに、島に取り残された俊寛の孤独と絶望を描いた悲劇です。
シテの悲惨な境涯に焦点を絞った、いかにも能らしい構成です。
一方、歌舞伎や文楽の「俊寛」では、俊寛も島を出ることが許されます。
しかし、俊寛は他の流人(成経)の妻を舟に乗せるため、自ら島に残ることを選びます。
そこに描かれる俊寛は、人情味一杯に描かれます。
このように入り組んだ人情話は、いかにも歌舞伎や文楽らしいなあと思います。
結果的に、俊寛は離れ小島に残るのですが、お客様にとって、見終わった時残る感情は全く異なることでしょう。
そんなことを、話しました。
同じ題材を取り上げても、能と歌舞伎や文楽ではこれだけ切り口や結末が変わってくるのです。
日本文化や日本の古典芸能の層の厚さには、驚かされます。
at 23:15|Permalink│