2006年07月
2006年07月31日
しまなみ海道薪能
土曜日の「しまなみ海道薪能」、無事に終わりました。
大緊張のなか勤めた「清経 恋之音取」のツレは、何とか首尾良く出来ました。
ツレとして舞台にて聞く、ワキの宝生閑師の謡いや、藤田大五郎師の笛の音は素晴らしかったです。もちろん、師匠のシテの迫力にも圧倒されました。
この舞台に参加できて、たいへん良い経験となりました。
舞台の前に、薪能が催された大山祇神社の国宝館を見学いたしました。
この神社には、全国の国宝・重要文化財の指定を受けた武具類の8割が保存されているそうです。
見学して、ただ圧巻。
源義経・源頼朝・木曽義仲の甲冑や、武蔵坊弁慶や巴御前の長刀。平教経の矢など、能におなじみの人物のゆかりの品も数多くありました。
とにかく、スゴイお宝の数々。近くに行く予定の方は、ぜひお立ち寄り下さい。
お勧めです。
薪能の後は福山へ戻り、九皐会の方々を福山に案内しました。
瀬戸内の美味しい魚に舌鼓をうちながら、故郷で楽しい酒を飲みました。
翌日は、倉敷の門下の方のゆかた会にお邪魔いたしました。
図らずも、実家の福山を拠点にして週末は仕事が重なりました。
久々にオヤジ・オフクロの顔も見れたし、忙しかったけど良い遠征でした。
大緊張のなか勤めた「清経 恋之音取」のツレは、何とか首尾良く出来ました。
ツレとして舞台にて聞く、ワキの宝生閑師の謡いや、藤田大五郎師の笛の音は素晴らしかったです。もちろん、師匠のシテの迫力にも圧倒されました。
この舞台に参加できて、たいへん良い経験となりました。
舞台の前に、薪能が催された大山祇神社の国宝館を見学いたしました。
この神社には、全国の国宝・重要文化財の指定を受けた武具類の8割が保存されているそうです。
見学して、ただ圧巻。
源義経・源頼朝・木曽義仲の甲冑や、武蔵坊弁慶や巴御前の長刀。平教経の矢など、能におなじみの人物のゆかりの品も数多くありました。
とにかく、スゴイお宝の数々。近くに行く予定の方は、ぜひお立ち寄り下さい。
お勧めです。
薪能の後は福山へ戻り、九皐会の方々を福山に案内しました。
瀬戸内の美味しい魚に舌鼓をうちながら、故郷で楽しい酒を飲みました。
翌日は、倉敷の門下の方のゆかた会にお邪魔いたしました。
図らずも、実家の福山を拠点にして週末は仕事が重なりました。
久々にオヤジ・オフクロの顔も見れたし、忙しかったけど良い遠征でした。
at 23:45|Permalink│
2006年07月28日
豪華な顔ぶれ
明日は「しまなみ海道薪能」
演目は、「清経 恋之音取」観世喜之と「碇潜 船出之習」観世喜正と、いずれも瀬戸内海に沈んだ平家の武将の話です。
私は「清経」のツレと「碇潜」の地謡。
広島の福山市で生まれ育った私にとって、半地元の公演ということもあり、光栄にも師匠のツレを勤めさせていただくことになりました。
実は師匠の一人ツレをさせていただくのは初めてです。
紅葉狩や絵馬など、ツレが複数出る演目でさせていただいたことは何度かあるのですが、純然たる相手役としてのツレは初めてです。
しかも、「清経 恋之音取」です。たいへんな役です。
気持ちが高ぶります。
「清経」の「恋之音取」とは、替えの演出でして、シテの登場シーンに笛の情緒たっぷりな演奏が入ります。
シテは、冥界から笛の音にひかれるかのごとく、舞台に登場してくるのです。
その笛の演奏は、15分から20分位。
笛方にとって大きな見せ場であり、最奥の習い物です。
当然シテ方にとっても、重い習いでございます。
私は、この音取の笛の音が大好きで、いつも地謡座や幕内でうっとりと聞いております。
今回の笛は誰なんだろう。そう思って送られてきた番組をみてビックリ。
なんと、90歳をこえても能楽界の第一人者として衰えることなく素晴らしい笛を吹き続ける、人間国宝の藤田大五郎師です。
絶句。
いつかは藤田大五郎師の音取を聞いてみたいと願っておりました。
その珠玉の演奏の舞台に、ツレとして立ち会えるなんて、こんな素晴らしいことは有りません。
なお番組を見みると、ワキも人間国宝の宝生閑師。
これもビックリ。
「清経」のワキって、シテとは全く絡みません。
シテが登場してくるときは、もう退場しております。
ツレとのみ、コトバを掛け合います。
ああ、なんてこった。
明日の舞台、薪能なのが勿体無いほどの豪華な顔ぶれです。
心してツレを勤めさせて頂きます。
演目は、「清経 恋之音取」観世喜之と「碇潜 船出之習」観世喜正と、いずれも瀬戸内海に沈んだ平家の武将の話です。
私は「清経」のツレと「碇潜」の地謡。
広島の福山市で生まれ育った私にとって、半地元の公演ということもあり、光栄にも師匠のツレを勤めさせていただくことになりました。
実は師匠の一人ツレをさせていただくのは初めてです。
紅葉狩や絵馬など、ツレが複数出る演目でさせていただいたことは何度かあるのですが、純然たる相手役としてのツレは初めてです。
しかも、「清経 恋之音取」です。たいへんな役です。
気持ちが高ぶります。
「清経」の「恋之音取」とは、替えの演出でして、シテの登場シーンに笛の情緒たっぷりな演奏が入ります。
シテは、冥界から笛の音にひかれるかのごとく、舞台に登場してくるのです。
その笛の演奏は、15分から20分位。
笛方にとって大きな見せ場であり、最奥の習い物です。
当然シテ方にとっても、重い習いでございます。
私は、この音取の笛の音が大好きで、いつも地謡座や幕内でうっとりと聞いております。
今回の笛は誰なんだろう。そう思って送られてきた番組をみてビックリ。
なんと、90歳をこえても能楽界の第一人者として衰えることなく素晴らしい笛を吹き続ける、人間国宝の藤田大五郎師です。
絶句。
いつかは藤田大五郎師の音取を聞いてみたいと願っておりました。
その珠玉の演奏の舞台に、ツレとして立ち会えるなんて、こんな素晴らしいことは有りません。
なお番組を見みると、ワキも人間国宝の宝生閑師。
これもビックリ。
「清経」のワキって、シテとは全く絡みません。
シテが登場してくるときは、もう退場しております。
ツレとのみ、コトバを掛け合います。
ああ、なんてこった。
明日の舞台、薪能なのが勿体無いほどの豪華な顔ぶれです。
心してツレを勤めさせて頂きます。
at 16:30|Permalink│
2006年07月27日
御用邸能楽サロン
ここのところ、本当に忙しくて日記がなかなか書けません。
狩野川薪能について、改めて書きますと書いたきり、全くかけないでいます。
狩野川については、思い入れ一杯ですので、絶対に改めて書きますので、お待ち下さい。
今日、上越公演の珍道中をアップしました。是非書き留めておきたかったので、日にちを遡って書きました。
本当は書きたいことがたくさんあります。
でも、ここの所忙しすぎて全く書けません。今年の7月はどうなってるのでしょう。
昨日、沼津の御用邸で今年度の能楽サロンが始まりました。
去年、大好評だったので、今年も開催いたしました。
この御用邸能楽サロン。私にとって忘れ得ない大事なものです。
去年の能楽サロンで起こった出来事を私は一生忘れません。
私の能楽師人生の中でも、大事な大事な出来事です。
何が起こったか・・・・
話すと長くなります。
これも改めて書きたいと思います。
そんなことばかり言ってますが、本当に書きます。
今はとても書けないのです。
今日は朝から夕方まで稽古して、夜はぎんが能楽サロン。明日は朝8時から申合があって、そのまま「しまなみ海道薪能」のために広島入りです。
あ、この「しまなみ海道薪能」でも思うところがございます。
これも改めて書かなくっちゃあ。
狩野川薪能について、改めて書きますと書いたきり、全くかけないでいます。
狩野川については、思い入れ一杯ですので、絶対に改めて書きますので、お待ち下さい。
今日、上越公演の珍道中をアップしました。是非書き留めておきたかったので、日にちを遡って書きました。
本当は書きたいことがたくさんあります。
でも、ここの所忙しすぎて全く書けません。今年の7月はどうなってるのでしょう。
昨日、沼津の御用邸で今年度の能楽サロンが始まりました。
去年、大好評だったので、今年も開催いたしました。
この御用邸能楽サロン。私にとって忘れ得ない大事なものです。
去年の能楽サロンで起こった出来事を私は一生忘れません。
私の能楽師人生の中でも、大事な大事な出来事です。
何が起こったか・・・・
話すと長くなります。
これも改めて書きたいと思います。
そんなことばかり言ってますが、本当に書きます。
今はとても書けないのです。
今日は朝から夕方まで稽古して、夜はぎんが能楽サロン。明日は朝8時から申合があって、そのまま「しまなみ海道薪能」のために広島入りです。
あ、この「しまなみ海道薪能」でも思うところがございます。
これも改めて書かなくっちゃあ。
at 23:57|Permalink│
2006年07月20日
大雨注意報
昨日は新潟県上越市にて、久比岐能。午後2時から学生能「土蜘蛛」に続いて夜はろうそく能「船弁慶」
朝7時台の上越新幹線に乗って、10時過ぎには早々と上越入りする予定。
東京駅にて、目指す新幹線と越後湯沢から直江津まで「ほくほく線」の切符を買おうとすると、
「あ、ほくほく線は今止まってますねえ」
と言われる
「ええ!! じゃあ、長岡から北陸線は?」
「ダメです。日本海側は大雨で、在来線は全て運休です」
「昼までに直江津にどうしても行かなければならないのですが・・・」
「うーん。午前中は復旧のメドはたってないですねえ」
なんてこった。長野や新潟がそんなに雨だなんてちっとも知らなかった。
こりゃあ、もう方法は一つ。車で行くしかない。幸い時間はたっぷりある。上越まで約400キロ。頑張って運転するかあ。
試しに、同じ新幹線に乗る予定のS氏に電話してみた。
「おう、クワタか。今、シュウマイ弁当食ってるところや。何号車?」
やはり・・・ 状況を何も認識していない。当たり前だ。新潟の在来線の情報など、ろくにアナウンスされていない。
「弁当食べてる場合じゃないですよ。その電車に乗っても永久にたどり着きません。今から一緒に車で行きましょう」
かくして、前が見えないほどの大雨の中、激しいドライブが始まった。ギリギリになりそうだが、なんとか2時の学生能には間に合いそうだ。
安心して、念のため囃子方やワキ方に連絡してみることにした。
「あ、長岡まで新幹線で行って、そこから皆でタクシーに乗り合わせて行くよう指示がありました。12時過ぎには着けると思います」
・・・何てこった。早々と車で行くと連絡したから、私達には連絡は無かったようだが、新幹線で長岡まで行っていれば、12時過ぎにはラクラク着いていたんだ・・・
私達の到着予定は1時半くらい。
なんだか、スゴイ無駄なことをしている気がしたが、引き返すわけにも行かず、S氏とトボトボとドライブして行きました。
そんなこんなで、出演者は全員無事にたどり着き、予定通り公演は行われました。
とにかく、それが何よりです。
ちなみに、次の日は昼から葛西で稽古だったので、朝早く出発。
しかし、上信越道は、霧のため通行止め。結局、松本の方を迂回して中央道で帰り、稽古には間に合いませんでした。
疲労困憊ながら、着いたら即夜まで稽古。
長い2日間でした。
朝7時台の上越新幹線に乗って、10時過ぎには早々と上越入りする予定。
東京駅にて、目指す新幹線と越後湯沢から直江津まで「ほくほく線」の切符を買おうとすると、
「あ、ほくほく線は今止まってますねえ」
と言われる
「ええ!! じゃあ、長岡から北陸線は?」
「ダメです。日本海側は大雨で、在来線は全て運休です」
「昼までに直江津にどうしても行かなければならないのですが・・・」
「うーん。午前中は復旧のメドはたってないですねえ」
なんてこった。長野や新潟がそんなに雨だなんてちっとも知らなかった。
こりゃあ、もう方法は一つ。車で行くしかない。幸い時間はたっぷりある。上越まで約400キロ。頑張って運転するかあ。
試しに、同じ新幹線に乗る予定のS氏に電話してみた。
「おう、クワタか。今、シュウマイ弁当食ってるところや。何号車?」
やはり・・・ 状況を何も認識していない。当たり前だ。新潟の在来線の情報など、ろくにアナウンスされていない。
「弁当食べてる場合じゃないですよ。その電車に乗っても永久にたどり着きません。今から一緒に車で行きましょう」
かくして、前が見えないほどの大雨の中、激しいドライブが始まった。ギリギリになりそうだが、なんとか2時の学生能には間に合いそうだ。
安心して、念のため囃子方やワキ方に連絡してみることにした。
「あ、長岡まで新幹線で行って、そこから皆でタクシーに乗り合わせて行くよう指示がありました。12時過ぎには着けると思います」
・・・何てこった。早々と車で行くと連絡したから、私達には連絡は無かったようだが、新幹線で長岡まで行っていれば、12時過ぎにはラクラク着いていたんだ・・・
私達の到着予定は1時半くらい。
なんだか、スゴイ無駄なことをしている気がしたが、引き返すわけにも行かず、S氏とトボトボとドライブして行きました。
そんなこんなで、出演者は全員無事にたどり着き、予定通り公演は行われました。
とにかく、それが何よりです。
ちなみに、次の日は昼から葛西で稽古だったので、朝早く出発。
しかし、上信越道は、霧のため通行止め。結局、松本の方を迂回して中央道で帰り、稽古には間に合いませんでした。
疲労困憊ながら、着いたら即夜まで稽古。
長い2日間でした。
at 23:23|Permalink│
2006年07月08日
狩野川薪能
今日は長い一日でした。
朝、若竹会の稽古能で能「安達原」のシテを勤め、夜は伊豆の国市の狩野川薪能にて、能「船弁慶」の前シテ・静御前を勤めました。
稽古能を含めても年に数番しかシテを舞わないのに、よりによって同じ日に2番やることになってしまいました。
まず朝6時に起きて、8時半から能「安達原」
これは、9月18日の沼津自主公演の予行演習を兼ねてさせていただきました。
それが終わると、車に飛び乗って伊豆の国市へ駆けつけました。
半年間稽古してきた子ども能「江間の小四郎」のいよいよ発表です。
開演前に最終稽古をして、あわただしく準備に取り掛かります。
あれよあれよと言う間に開演となり、子ども能「江間の小四郎」が始まります。
私は後見として、様々にサポートをしましたが、子ども達はとても良い出来。
本番に強い子達だなあ。
子ども能終わると、今度は中学生の仕舞。
実は稽古の段階では、これが一番心配でした。
地謡を謡いながら、冷や冷やしながら見てましたが、これも良い出来。
ホッとしました。
みんな半年間の稽古の成果が存分に出ていました。
メデタシメデタシ。
ここまでで、完全に体力を使い果たしました。
でも、私にとってはここからが本番です。
慌てて装束に着替え、間髪入れずに能「船弁慶」が始まりました。
朝は、陸奥に住むオニババを演じ、夜は都いちの舞の上手と言われた静御前を演じます。
我ながら、そのギャップに戸惑います。
終わって、後片付けをして家に着いた時、もう日付は変わっていました。
(この日記は、日付を遡って書いています)
明日は九皐会。
今日のハードな日については、書くことがたくさんありますが、もう疲れ果てていますので、また改めて書きます。
とにかく、「狩野川薪能」にお運びいただきました方に御礼申し上げます。
朝、若竹会の稽古能で能「安達原」のシテを勤め、夜は伊豆の国市の狩野川薪能にて、能「船弁慶」の前シテ・静御前を勤めました。
稽古能を含めても年に数番しかシテを舞わないのに、よりによって同じ日に2番やることになってしまいました。
まず朝6時に起きて、8時半から能「安達原」
これは、9月18日の沼津自主公演の予行演習を兼ねてさせていただきました。
それが終わると、車に飛び乗って伊豆の国市へ駆けつけました。
半年間稽古してきた子ども能「江間の小四郎」のいよいよ発表です。
開演前に最終稽古をして、あわただしく準備に取り掛かります。
あれよあれよと言う間に開演となり、子ども能「江間の小四郎」が始まります。
私は後見として、様々にサポートをしましたが、子ども達はとても良い出来。
本番に強い子達だなあ。
子ども能終わると、今度は中学生の仕舞。
実は稽古の段階では、これが一番心配でした。
地謡を謡いながら、冷や冷やしながら見てましたが、これも良い出来。
ホッとしました。
みんな半年間の稽古の成果が存分に出ていました。
メデタシメデタシ。
ここまでで、完全に体力を使い果たしました。
でも、私にとってはここからが本番です。
慌てて装束に着替え、間髪入れずに能「船弁慶」が始まりました。
朝は、陸奥に住むオニババを演じ、夜は都いちの舞の上手と言われた静御前を演じます。
我ながら、そのギャップに戸惑います。
終わって、後片付けをして家に着いた時、もう日付は変わっていました。
(この日記は、日付を遡って書いています)
明日は九皐会。
今日のハードな日については、書くことがたくさんありますが、もう疲れ果てていますので、また改めて書きます。
とにかく、「狩野川薪能」にお運びいただきました方に御礼申し上げます。
at 23:01|Permalink│