2005年12月

2005年12月29日

一年たちました

気が付くと、この日記も書き始めて一年たちます。

この間に書いた記事は95件。だいたい4日に一回の割合で書いてますな。
とても日記とはいえないペースですが、まあ、こんなモンでしょう。

今日は、矢来能楽堂の大掃除。
この寒い中、庭をデッキブラシでこすって、きれいに磨き上げました。九皐会の初会で、ピカピカ(ってほどじゃあないですが)の庭をご覧下さい。

今年も残すところあと2日。さあ、年賀状書かなくっちゃ。


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2005年12月27日

乱能

今日は、観世喜之先生の古希を祝う乱能。

私は舞囃子「鞍馬天狗」の笛と、能「鷺」の輿持ちと、連調の太鼓。

まあ、忙しかったです。

特に笛は、もう7年前に笛の稽古を卒業して以来、ろくに吹いていないので、音がでるかどうか心配。

そもそも私たちシテ方は、普段の稽古の時でも、お囃子をアシライながら稽古しますので、大体のことは出来ます。

アシライとは、地謡に合わせて「張り扇」というたたく棒で、大小鼓や太鼓のリズムを刻むことです。
我々観世流では、能楽師の免状(準職分)をいただく時は、このアシライの試験もありますから、まあそれなりに稽古するわけです。


では稽古の時、笛の音色はどうするのかと言いますと、唱歌といって笛の音を「オヒャ ヒュイ ヒヒャ イウリ」などと、言葉で表して唄うのです。

つまり、乱能でもない限り、我々シテ方には、笛を吹く機会なんぞは永久に来ないのです。
でもって、乱能の配役を決める時は笛が一番人気薄ですね。(次は手の痛い大鼓かな)

しかも、笛って、家で稽古出来ないしなあ・・
近所迷惑ですものねえ。

ところで、久しぶりに笛を吹いてみて、
実は結構面白かった。

もっと吹けるようになれば、もっと面白いんだろうなあ、と思います。
でも、もうこりごり。次は他の楽器がいいな。


私のことはさておき、今日の会は本当に大盛況の大盛り上がりでした。
古希を迎えられた、観世喜之先生の人柄がにじみ出た催しでした。

歳末オールスター・ファン感謝デー。 まあ、そんなところでした。

前回、還暦の時の乱能の時、私は入門一年目で、何も分からずバタバタしていたのを思い出します。それを思うと、10年の歳月は長いですね。

次の乱能は、喜寿の時ですかねえ。あと7年か。


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2005年12月21日

忘年うたい・しまい会

日曜日は、沼津にて、「忘年うたい・しまい会」なる簡単なお浚い会をいたしました。
場所は、やはり沼津御用邸。
皇室の香りに包まれて、和やかに行われました。

20年ぶりの大寒波到来、とのニュースを聞き、心まで震えました。

なにせ、沼津御用邸は、改装されているとはいえ明治時代の建物。
当然サッシにはなってなく、すきま風ビュンビュン。

寒がりの私は、紋付の下にたくさん着込んでドラえもん状態。
さらに、張るカイロをペタペタ張って完全防寒。

ただ、実際は南西に大きく張り出した窓から、暖かな陽光が入り込み、ポカポカ。
特に素謡で地謡に座っていると、背中に優しい太陽が降り注ぎ、まぶたも段々と優しくホンワリと・・・・
う、いかん。

結局、下に着込んだものは全て脱ぎ捨て、カイロも外してしまいました。

聞けばこの日、沼津は10度まで気温が上がったそうです。東京は5度くらいと聞きました。
やはり沼津って、暖かいのですね。
だって、天皇家の別荘(御用邸)があるくらいですから。


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2005年12月12日

「巻絹」御礼

昨日の九皐会で、「巻絹」を何とか終えることができました。
今回は、直前にデンマーク公演が入り、冷や冷やモノの舞台でした。

当初は、11月の中旬に出かけて、12月の頭には戻ってくる旅程でしたので、何の問題も無くお受けしたのですが、今年になって日程が九皐会の申し合わせの直前までの日程に変わりました。
九皐会のシテを控える私としては、その時点でデンマーク公演を断念することも出来たのですが、既に友人として何度も飲み明かしたヤコブ・ドラミンスキー氏の舞台には、是非参加したいという強い思いがありました。

結局、デンマーク公演には当初の通り参加することにいたしました。
それに際して、自分で決めたことがあります。

まず、絶対に風邪を引かない。健康管理には細心の注意を払う。
そして、デンマークでも、必ず毎日「巻絹」の稽古をする。

海外に行くと、つい気持ちが緩みがちです。夜な夜な飲み歩いて、極寒の北欧で寝不足のまま仕事をすると、まあ、風邪ひくでしょう。
今回は、12時を越えて飲まないと、自分に律しました。(最終日だけ破ってしまいましたが)
毎晩、先輩からの飲みの誘いを断腸の思いで断り続け、体調管理に勤めました。
ビール王国のデンマーク(なにせ、カールスバーグの本社がある国)で、ビールのお誘いを断るのがどれだけつらかったか・・・

まあ、12時まではたらふく飲みましたが。

日本にいると、様々な仕事、雑用、用事が入り、中々稽古時間が取れません。デンマークにいる時のほうが、かえって稽古が出来たように思います。

あと、やはり心配だったのが、時差ボケです。

何といっても、デンマークから帰国して次の日に申し合わせで、3日後に本番です。
サッカーの中田英寿君や中村俊輔君並みのハードスケジュール。
日本でやるサッカーの試合では、彼等海外組の時差スケジュールが必ず話題になります。

私も、「ヨーロッパから帰ってきて、すぐ試合するなんてシンドイんだろうなあ」
と漠然と考えていました。

でも、自分も同じようなことをやってみて気づいたのは、
「どうってことない」
ということです。

プロなら、どんな状況でも本番に体調を合わせられなければ失格でしょう。
たとえ、ずっと日本にいたって、風邪引くかも知れないし、お弟子さんのお稽古で疲労困憊ってことだってあるかもしれない。

でも、本番(能の舞台であろうと、サッカーの試合であろうと)では一切の言い訳がききません。お客さんには、そんなこと全く関係ないからです。


そんな色々な要因が絡んで、今まで以上に緊張した舞台でした。
とりあえず、終わってホッとしています。

あ、終わったら急に時差ボケが・・・


at 23:05|Permalink

2005年12月10日

東京にて

日本に戻って来て、久々に太陽の光を浴びました。

デンマークでは、ついに一度も晴れ間が見えませんでした。
いつも、朝方のような薄曇りでしたから。

やはり、太陽エネルギーは人間の基本ですね。イキイキとします。
元気一杯になったところで、明日の「巻絹」は精一杯勤めます。

どうぞよろしくお願いします。


at 21:08|Permalink