2025年12月06日

「楊貴妃」御礼

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緑泉会「楊貴妃」、首尾よく終わりました。
多くのお客様にお運びいただきました。この場を借りて御礼申し上げます。

「楊貴妃」は、ずっと憧れていた能です。
学生時代、今の師匠・観世喜之師が演じる楊貴妃を観て、「何と美しい能なんだろう」とポーっとしたことをよく覚えています。

当時は、後に喜之師の下に弟子入りして能楽師修業を始めるなんてことは思いもよらない頃でした。
思えば、師匠の能を始めて鑑賞したのが楊貴妃でした。
私にとって楊貴妃のイメージは、この体験です。能楽師になって以来、「いつか、あんなに綺麗な能を演じてみたい」と思い続けていました。


楊貴妃という能では、毎回装束にも趣向を凝らします。
何せ世界三大美女に挙げられる女性を演じるのですから、出で立ちからうっとりするくらい美しくなければなりません。

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今回は、本来の唐織壺折りの上に、側次(そばつぎ)という袖の無い装束を重ね着しました。
側次は、中国物ではよく使用される装束です。
異国情緒溢れる出で立ちとなります。

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いかにもエキゾチックな美女です。

この能は、天冠の上に立てる鳳凰の立て物をかんざしに見立てて、ワキに渡します。
舞を舞う前には再びつけますが、ワキに渡している間は、立て物がない天冠という珍しい状態となります。
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この鳳凰は、後見によって手渡されます。先輩たちから真っすぐ持つのは案外難しいと聞いておりました。
写真を見ると、見事に曲がっています。
能面を着けると手元は全く見えません。手に持った感覚のみで真っすぐ持つのは、本当に難しいのです。
写真を見るまで、自分では真っすぐ持っていないことに気が付きませんでした。


この能は、いかに綺麗に気品を持って謡い、そして舞うことが出来るかが問われます。
一つ一つの所作や型を、とにかく丁寧に演じることを心掛けました。

舞も極めてゆっくり動きます。
ゆっくりとした動きでは、下半身を安定させて動かないと身体がぐらついてしまいます。

能面を着けて視界が制限され、さらに能装束を着てたいそう動きにくい状態では、早く動くよりゆっくり動く方が、身体を安定させるのは難しいものです。
自転車を乗る時をイメージしていただければ良いかと思います。
身体をふらつかせないで、ゆっくりとした速度で自転車に乗るのは、かなりたいへんかと思いますが、そんな感じです。

下半身に力を込めてすり足で運ぶと、膝にたいへんな負担がかかります。
3月に半月板損傷の手術をした左膝は、かなり良くなってきましたが、こういったゆっくりとした動きではけっこう膝にきます。
これだけゆっくりとした動きでも、何とか身体を支えられたので、膝もだいぶん回復しているのだと思います。

最後は、仙界に一人取り残される楊貴妃。
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この場面は、演じていて良い気分になりました。
終演後、シーンと水を打ったように静まり返る能楽堂内を、ゆっくり幕へ帰ります。
ここで、少しでも気を抜いて弛んで動くと、今まで積み上げた「楊貴妃」の世界観が崩れます。
細心の注意を払って作り物から出て、気品を持って幕へ進みました。

静寂が場内を支配する静寂が、心地よかったです。


50を超えたおじさんである私が、絶世の美女・楊貴妃を演じることが出来るのが能という演劇のすばらしさです。


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2025年11月27日

緑泉会定例会「楊貴妃」

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126日(土)に能「楊貴妃」を演じます。この能の見どころを紹介致します。

 

 能「楊貴妃」は世界三大美女の一人とも言われる絶世の美女・楊貴妃がシテです。能の中でも格別の気品と美しさが漂う能です。

 

この能は、楊貴妃の死後の物語です。寵愛する楊貴妃をなくして嘆き悲しむ玄宗皇帝の命を受け、方士(ほうじ)という超能力者は冥界の楊貴妃に会いに行きます。蓬莱宮(ほうらいきゅう)という美しい世界で出会った楊貴妃は、まさにこの世の者とは思えない美しさです。(実際にこの世にいないのですが)

 

「天にあらば願わくは比翼(ひよく)の鳥(翼を並べて離れずに飛ぶ鳥)とならん。地にあらば願わくは連理(れんり)の枝(同じ木にて並んで立つ枝)とならん」

 

この漢詩は、楊貴妃と玄宗皇帝が七夕の夜に交わした愛の言葉です。この情熱的な言葉は白楽天の長恨歌に紹介され、日本でも有名であったようです。源氏物語などにも記述があります。能「楊貴妃」では、この言葉が美しく引用され、二人の大切な思い出として語られます。そして冥界にて天女となった楊貴妃は、昔を懐旧して天上界の舞楽を舞います。

 

究極の恋愛哀愁を描く名作と言われます。宝玉のような美文に飾られた詞章にそって舞われる絢爛なる舞が見どころです。

 

現行曲のうち、高貴な身分の女性を扱ったものとして「楊貴妃」「定家」(シテは式子内親王)「大原御幸」(シテは建礼門院)の三曲を「三婦人」として別格に扱っています。私は初めて三婦人物に挑みます。

三婦人物を演じるためには、高度な技術と経験が必要と言われます。美しい能「楊貴妃」の世界を作り上げるべく、精緻に演じたいと思います。

 

 

 この公演では能「楊貴妃」の他、能「邯鄲」(新井麻衣子)、狂言「呼声」(大蔵教義)、仕舞と、盛りだくさんな内容となっております。

 能「邯鄲」は、楊貴妃と同じく中国を舞台とした幻想的な曲趣です。ダイナミックな場面展開が見どころです。

 

 チケットご希望の方は、下記WEBサイトより、ご一報下さいませ。ご用意させて頂きます。

深川能舞台 公式WEB





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2025年10月12日

ノーベル文学賞作家、能が大好き

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今年のノーベル文学賞は、ハンガリーの作家・クラスナホルカイ氏が受賞されました。

クラスナホルカイ氏は、日本の伝統文化が大好きだそうです。記事の右下をアップにしてみました。
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京都で能楽師のもとに弟子入りし、日本の伝統文化を研究したそうです。世阿弥や能楽師にまつわる短編集も書いているそうです。

ノーベル文学賞を受賞する世界的な作家が、能に造詣が深いという記事は、本当に嬉しいことです。
ここ数年、日本文化は海外でも高く評価され、外国の文化人が日本の伝統文化に憧れを持っているという話は良く伝わってきます。

日本の伝統文化を演じる一人として、こんな嬉しいことはありません。
私自身、シンガポールや香港にて能を定期的に指導する機会を得ています。外国人がいかに日本の伝統文化に興味を持っているか、身をもって体験しています。

さて、現在の日本の首相である石破首相の今年の3月の発言がこれです。

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私は心底がっかりしました。

一国の首相が、自国の伝統文化を、国会で「全然わからない」と発言してしまう感性がわからない。
仮にそう思っていても、国会答弁で堂々と言うなんて、考えられません。恥を巻き散らかしているとしか思えません。

ハンガリーのノーベル文学賞作家がこんなに造詣が深いのに・・・



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2025年09月22日

映画「六つの顔」

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映画「国宝」が空前の大ヒット上映中ですが、こちらの映画は実際の人間国宝・野村万作師のドキュメンタリー映画です。

94歳にして舞台で狂言を演じ続ける、野村万作先生のお姿は神々しいです。誇張抜きに光り輝いていらっしゃいます。

今年の座長公演「桑田貴志能まつり」にもご出勤いただき、その至芸を目の当たりにしました。

この映画は、万作先生の舞台人としての生き様を描いています。
九皐会「阿漕」も終わってホッとしたところで、先日鑑賞しました。とても感銘を受けました。

銀座・新宿・吉祥寺・恵比寿・青梅など、様々な映画館で絶賛上映中です。


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2025年09月14日

「阿漕」御礼

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観世九皐会「阿漕」、無事に終わりました。
32度を超える猛烈な残暑の中、満員のお客様にお運びいただきましたこと、この場を借りて御礼申し上げます。

「阿漕」は、「善知鳥」「鵜飼」と共に三卑賎物と言われます。
能のシテは前半に老人姿で登場しても、実は神様だったり、在原業平や源義経などの歴史上の人物だったり、草木の精霊であったりするのですが、この三曲は実は卑賤な人物であるという変わった能です。

ただ能は、卑しい身分の人物だからといってボロボロの着物着てヨボヨボ出てきたりしません。
あくまでも、能としての美を能舞台で体現しなければなりません。

そういう意味では、存在自体が美しい貴婦人や美男子を演じるよりも、卑賎物はずっと難しい能と言えます。


この阿漕という能は、前半も後半も小道具の扱い方が難しく、その場面が大きな見せ場となっています。

前半は、釣り竿を持って登場します。
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暗闇の中、こっそり密猟をする役どころなので、全体的に暗い色使いの装束を選びました。

前場の最後には、激しい嵐の中で釣りをするシーンを見せます。
その時、釣り竿に糸を巻き付けるシーンが二度登場します。
ここが、なかなか難しいのです。

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もうちょっと巻き付けられれば良かったのですが・・・


後半は、網を持って登場します。
これを舞台に仕掛けて
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仕掛けた網に、魚を追い込んで網で魚を釣り上げるという面白い所作を見せます。
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これを、能面を着けて視界が狭い状態で自然に演じるのはたいへんに難しいのです。

手元は良く見えないので手探りでの作業になります。
そんな中、首尾よく出来たかなあと思います。

上の写真のように、手持ちの竿を左足の指で挟むのですが、これがなかなかうまくいきません。

この辺かなあと足を竿に乗っけたら、ちょっと上の方を踏んでしまいました。このままではうまく持ち上がりません。
手探りならぬ足探りで、足を指の間に竿が来るようにコソコソと動かしました。我ながら器用なことをしたものです。

網を引く糸も、引きやすいようにうまく束ねるのですが、これも手元が全く見えない状態で束ねました。

そんな風に細かな技を効かせながら、何とか網を持ち上げられました。
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前場の釣り竿に糸を巻くところと、この網を持ち上げる所作は、200以上ある能の演目の中で「阿漕」にしかない型です。

上手くできるように、事前に何度も練習しました。
首尾よく出来てホッとしています。

このように特別な型をしなければならないので、「阿漕」は演者にとって難しいですが、やりがいのある能だと思います。
実際に演じていて楽しかったです。


後場で使用した扇は「阿漕扇」という阿漕専用の扇です。
観世喜之師匠が、観世姓の能楽師として初めて能の最奥の秘曲「関寺小町」を演じた時に、観世宗家からお祝いにいただいた扇です。

お宝の扇を使用させていただいて、たいへんに光栄なことです。
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これが、「阿漕扇」です。


前場で、語りからロンギまで15分位座る場面があります。
左膝半月板損傷がまだ完治していないので不安でしたが、何とかなりました。

左膝の状態もだいぶん良くなってきました。
身体には気を付けつつも、これからも全力で良い舞台をつとめたいと思います。


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2025年09月13日

明日、九皐会「阿漕」

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明日は、九皐会にて「阿漕」を演じます。

「阿漕」に因んだお菓子をいただきました。
津市の名物・平治煎餅です。


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能「阿漕」では、阿漕の漁師は禁漁地で密漁を行うズルい漁師(アコギな漁師)として描かれますが、伊勢の伝説では、病気の母親のために禁を犯します。

この伝説を知っていれば能「阿漕」の見方も変わってきます。

伊勢の漁師(平治という名前)に思いを馳せながら、明日の「阿漕」に臨みたいと思います。


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2025年09月04日

9月九皐会「阿漕」

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観世九皐会9月定例会にて、能「阿漕」を演じます。

この能は、密漁を犯し、捕らえられ非業な死を遂げた後も罪に苦しむ漁師の姿を描いたお話です。
阿漕が浦(三重県津市)は、伊勢神宮に供える魚を捕るよう決められた禁漁区でしたが
何度も密漁した漁師の行為は露見し、処罰されました。
漁師が地獄に苦しむ様子を語り、網を仕掛ける所作が見どころです。
「あこぎな商売」など現在でも使われる言葉は、元々は「度重なれば露見する」という意味で使われ、
能の「阿漕」に由来しております。段々と「貪欲、図々しく、しつこい」の意味が加わり、現在では
主にこちらの意味で使われるようになりました。

狂言は野村萬斎師による「長光」です。刀にまつわるお話です。

チケットは、正面席と脇正面席は完売いたしましたが、中正面席はまで残席ございます。
ご希望の方は、私または矢来能楽堂事務所までお願いいたします。
チケットサイト・カンフェティでもお求めいただけます。



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2025年08月14日

「深川八幡祭 能奉納」御礼

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今年も、「深川八幡祭 能奉納」をつとめました。
2009年に始めたこの能奉納も、17年目を迎えました。2020年と2021年はコロナ禍により奉納行事全てが行われませんでしたので、今回が15回目の節目の能奉納となりました。
これだけ長年、能奉納をさせていただき、有難く思います。

今年も上の写真のように、境内を立ち見客で埋め尽くすほどの多くのお客様にお運びいただきました。
ご来場くださいました方々にこの場を借りて御礼申し上げます。

連日猛暑が続きますが、この日は奇跡的に曇り空で暑さもそれほどではありませんでした。
最高気温は32.5度。それでも充分熱いのですが、先週のように連日35度を超える猛暑の日々に比べるとずいぶん過ごしやすかったです。
有難いことに、能奉納が始まる午後5時頃には、かなり涼しくなっておりました。


最初は、いつものように私が指導しているお弟子さんの発表です。
フレッシュな初舞台の方もいらっしゃいまして、賑やかに奉納出来ました。
社中の方からすれば、これだけ多くのお客様の前で演じるのことはそんなにないことです。良い経験となることでしょう。

長男・潤之介(19歳)は仕舞「菊慈童」を、次男・大志郎(18歳)は仕舞「嵐山」を舞いました。
夏休みになってからの短時間で稽古しました。

もうすっかり大人なので、大人の弟子と同様の稽古をしました。
子供の頃の、「褒めて伸ばす」は卒業です。

二人とも、堂々と立派に舞っていました。

最後に、私が半能「敦盛」を舞いました。
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「敦盛」は、学生能などで舞う機会も多い能です。
何度も演じていますので、謡や型に不安はありません。

今回は野外の舞台で、さらにお客様も能を見慣れていない方が多くいらっしゃいます。
常より型を増やし、袖をかける回数を多くし、派手にやってみました。
ただ、派手にやりながらも雑にならないように、丁寧に演じました。

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この能奉納の舞台は、特別です。
能を見たくてお運び下さったお客様もいますが、「お祭り見物に出かけたら、何かやってるから見てみよう」と、足を止めてご覧いただいている方々も多くいらっしゃいます。
中には、生ビール片手に能を鑑賞なんて(羨ましい)方もいます。

そういう方々に、「ああ、能って初めて見たけど結構おもしろいなあ」なんて思ってもらえれば、こんなに嬉しいことはありません。
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数年前、こんなことがありました。

8月14日に「能奉納」を演じた翌日、バリ島のガムランを奉納するグループ「深川バロン倶楽部」に出演しました。
最近はお休みしておりますが、実は私は、以前はこのガムランのグループに所属して奉納にも出演していたのです。

バロン俱楽部の奉納が終わった後の宴会の席のことです。
同じテーブルに、メンバーの方が連れてきた見慣れぬ人がいました。

はじめて会うその人としばし歓談していたら、こんなことを言います。
「最近、舞台芸能が大好きななんですよ。昨日も、富岡八幡宮で能奉納を見てきました」

私はにんまりして、聞いてみます。
「へえ、能奉納を見て、どう思いました?」

「とても面白かった。カッコよくて、もう感動しました」

私は嬉しさがこみあげてきます。
「そりゃあ、そうだろうねえ。能は面白いよねえ」

周りの方が口添えしてくださいます。
「昨日、能奉納をやってた人は、この方ですよ」

「私は実は、本業は能楽師です。昨日舞っていた能面を取ると、この顔が現れますよ」

その方は、これ以上はないという驚きの顔を浮かべ、椅子から転げ落ちそうなくらいびっくりしていました。

これは、本当に嬉しい体験でした。
こうやって、ふらっと見た人が能を面白いと思ってもらえることほど嬉しいことはありません。


終演後、フォトセッションタイムです。
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上演中は写真撮影禁止ですが、この時間は撮影OKです。
お客様から、一斉にカメラ・スマホを向けられました。
こうやって、能を見た思い出を家族友人に語る。また、SNS等で拡散することによって、能に親しんでもらえれば嬉しく思い、二年前からこういう試みを行っています。

装束を着た私が、フォトセッションの司会をやるのも間が抜けているので、長男に司会進行をやらせました。
はじめてマイクを握ったはずなのに、よどみなく喋っています。
長男の成長ぶりも感じられました。



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2025年08月13日

シンガポールから日本へ能を学びに

喜多流が主催する外国人向けの能のワークショップ「Noh Training Project Summer 2025」に、シンガポールの演劇学校「Intercurtural Theatre Institiute(ITI)」で指導した学生が3名参加しています。

2年前に指導したMika(スウェーデン)とWill(マカオ)と、12年前に指導したGiorgia(イタリア)です。
このうち、MikaはITIに入学する前からこのワークショップに参加していたそうです。
そもそもITIに入学したのも能が学びたかったからだそうです。

そのMikaの紹介で去年からWillが、今年からGiorgiaが参加しています。

シンガポールで能を教えて外国人が、「もっと能を学びたい」とはるばる日本にやってきるなんて、なんて嬉しいことでしょう。


このワークショップは、毎日6時間の稽古を2週間行うというハードな内容です。
その発表会が喜多能楽堂であったので、見に行きました。

20人弱の参加者が、日本語で謡を謡い、仕舞を舞っています。
中には、何年も続けて参加している参加者もいます。
とてもレベルの高い舞と謡でした。
それは、「外国人にしては凄い」というレベルではなく、文字通り「高いレベル」の発表でした。

ここまで指導した喜多流の先生方の努力に、頭が下がります。

ITI出身の3名も、堂々としています。
観世流と喜多流とで型は違いますが、構え(立ち方)や運び(歩き方)など基本的な技術は共通しています。
3名の卒業生は、その基本技術が更に上達していました。


終演後に、久しぶりの再会に思い出話に花が咲きます。

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能舞台をバックに、写真を撮りました。
向かって右端は、リチャード・エマート氏です。
アメリカ人でありながら喜多流の師範の資格を持っています。
今回の喜多流の能ワークショップの先生の一人であり、初期の頃のITIの先生でもあります。
エマートさんには、シンガポールで大変お世話になりました。


彼らの舞い姿を見ながら、胸がジーンときました。
ITI卒業後、それぞれの母国で演劇活動をしながらも能に興味を持ち、日本に学びに来るなんて、なんて素晴らしいことでしょう。

シンガポールで3ヶ月能の指導したことが、彼らに大きなインスピレーションを与えたかと思うと感無量です。
シンガポールで24年間も能を指導していて良かった、と心から思います。


数日後、ITIの主任講師の観世喜正師も交えて食事をしました。
Giorgiaがすでに帰国していて参加できなかったのが残念です。
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同じくITIの卒業生のMiyuki夫妻も交え、シンガポール談議に花が咲きました。


この喜多流のワークショップに深くかかわっているのが、「 Theatre Nohgaku」です。
Theatre Nohgakuは、先述のリチャード・エマート氏など外国人を中心に結成された能楽グループです。

様々な活動をしておりますが、その一環として英語能の上演を行っています。
全て英語の台本で演じられる英語能。演者も全員外国人です。
なんて挑戦的な試みでしょう。

Theatre Nohgakuによる英語能「Blue Moon Over Memphis(青い月のメンフィス)」が上演されるというので、会場の喜多能楽堂に行ってきました。
この英語能のシテは、なんとエルビス・プレスリーです。

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これが公演ポスターです。

この能面はエルビス・プレスリーの顔を象った新作面だそうです。

内容は、エルビス・プレスリーのファンの前に、エルビスが現れ舞を舞うという、典型的な夢幻能です。

プレスリーの能というので奇をてらったものかと思いきや、まっとうな夢幻能の作りです。

シテやワキやアイのコトバも、地謡も全て英語。
拍子に合う謡では、きちんと能の地拍子(八つ割)で構成されています。

よく出来ているなあと、楽しんで観ました。
とても面白かったです。

この英語能のワキを演じているのが、ITIの卒業生のMikaでした。
彼女は、Theatre Nohgakuの一員として活動しているそうです。

彼女のワキの存在感も相当なものでした。
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終演後、ロビーでMikaに会いました。

私は彼女のワキをとても褒めたたえました。
彼女に能を教えられたことを、嬉しく思います。


今回、シンガポールでまいた種が、思わぬ形で東京で花開いています。
なんと素晴らしいことでしょう。



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2025年08月10日

深川八幡祭 能奉納「敦盛」

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毎年恒例の「深川八幡祭 能奉納」、今年も開催します。

2009年から始めた能奉納も、17年目を迎えました。
今年は、世阿弥作の能を代表する名曲「敦盛」を上演します。

他にも私の社中の仕舞と謡の発表があります。
長男・潤之介には仕舞「菊慈童」を、次男・大志郎には仕舞「嵐山」をさせます。

江戸三大祭りの一つに数えられる大きなお祭りの中で、幽玄のひと時を感じていただきたいと思います。
入場無料です。
お祭り見物がてら、ぜひお運びください。

令和7年8月14日(木) 17:00~18:30
会場 富岡八幡宮 特設神楽殿

能「敦盛」 桑田貴志 他 


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2025年08月09日

左膝半月板損傷から「道成寺」④

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5月11日に能「蝉丸」を無事に演じられました。
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能面と能装束を着けて、一曲通して演じられたことは、大きな自信になりました。

手術後二ヶ月となる5月中旬ころには、かなりスムーズに歩行できるようになってきました。
まだ、走ったり飛んだりといった激しい動きは出来ませんが、日常生活にほとんど支障はなくなってきました。

ただ、大きな問題は、いまだ長い時間正座が出来ません。能楽師としては致命的です。

そうはいってもシテを演じたのに、いつまでも舞台をお休みする訳にはいかないので、徐々に地謡や後見などでも舞台に復帰し始めました。


「蝉丸」を首尾よく演じられたので、次なる目標は「道成寺」です。

振り返れば、初演の時は4か月前から毎日稽古しました。当日まで100回以上「道成寺」を稽古しました。
さすがにそれだけ稽古すれば、ゆるぎないものが身体に備わります。
圧倒的な稽古量で、「道成寺」という難曲に挑んだものでした。


今回、「道成寺」の稽古を舞台で始めたのは、ようやく5月下旬です。「蝉丸」が終わって一息ついてから何とか「道成寺」の稽古に本格的に取り組むことが出来ました。

もちろん、膝の手術の前から「道成寺」の稽古は始めていました。1月から3月のシンガポール滞在中は時間もあったので、先輩のビデオなど見なが少しずつ動いていました。

頭の中では、何度も動いていましたが実際に舞台に上がって身体を動かして「道成寺」の稽古をすると、その過酷さにたまげます。

こんな難しい能、16年前に良く演じられたなあ。
我ながら驚きです。

「道成寺」の稽古を本格的に始めましたが、一曲通しての稽古はまだまだ出来ません。
ちょっと動いては休み、またちょっと動いては休む。その繰り返しです。

体力的にしんどいのもありますが、まだまだ膝の痛みが治まりません。
ちょっと無理して稽古すると、翌日膝痛がひどくなります。

ここで無理して、今まで順調に快復してきたものが台無しになってしまうことは避けなければなりません。
自分に「無理は禁物」「何よりも膝の快復が優先」と、言い聞かせながらブレーキをかけていました。


6月に入ると、徐々に稽古の強度を上げていきました。
膝の具合も少しずつではありますが、良くなってきている実感があります。

6月上旬に、小鼓の観世新九郎師と乱拍子のお稽古をお願いしました。
その頃は、乱拍子を通しで動くことが出来るようになっていました。

乱拍子は、制止の後に鋭い動きを繰り返します。膝への負担は相当なものです。
特に痛めている左膝を支点にする動きは、けっこう左膝にダメージがあります。

「道成寺」で一番膝に負担がかかる乱拍子を、違和感なく出来るようになり、本番への見通しが開けてきました。


6月中旬に、師匠に通しで「道成寺」のお稽古をお願いしました。
その頃には、もう一曲通して動けるようになっています。
通しで稽古しても、次の日に痛みが残ることはありません。

6月29日の本番にも、何とか間に合いそうです。

本番が違づくと、何よりも左膝のケアに努めました。
ここで痛めては何にもなりません。元の木阿弥です。
階段は、相変わらず足をそろえながら一段ずつあがり、重たいものもなるべく持たないようにしました。どこに行くにもなるべく車を使い、あまり歩かないようにつとめます。


3月中旬に手術して3ヶ月半。やっとここまできました。
思えばこの3ヶ月半、「道成寺」のことが頭から離れたことはありません。

「全ては道成寺のため」
この一心でした。


いよいよ6月29日の本番となりました。
結局、膝の状態は完璧に治ったわけではありません。
しかし、「道成寺」を演じているとき、膝の痛みを感じる瞬間はありませんでした。


私は、「膝が痛い割には頑張ってやっている道成寺」、は目指しませんでした。

「今の技量の全てを出し切って全身全霊をかけて演じる道成寺」
これを舞台で見せなければ、能楽師として失格です。
肝に銘じて舞台に臨みました。


舞台ではうまくいかなかったところは、少々ありましたが、完全燃焼できた道成寺でした。


まだまだ膝の具合は全快ではありません。
今後、元のように戻るのか分かりません。でも、この膝と一生付き合っていくしかありません。
今回、身体の不調をアツイ気持ちで払拭して、「道成寺」を首尾よく演じられたことは、大きな自信となりました。


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2025年07月30日

左膝半月板損傷から「道成寺」③

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3月21日に退院しましたが、最初は満足に歩くことも出来ません。
幸い狭い家なので、自宅の中の移動は壁やテーブルを伝いながら何とかなります。
階段は、手すりに掴まって一段ずつ足をそろえながら上り下りです。

「こんなことで、6月に道成寺が舞えるのだろうか・・・」

不安でいっぱいでした。

最初のひと月はほとんど外出しませんでした。
たまの外出は、松葉杖をついての移動です。
病院行くのに、松葉杖ついてバスに乗りました。すると、皆が席を譲ってくださいます。人の優しさが身に沁みます。

早期復帰のため、どんな厳しいリハビリでも耐え抜く覚悟でいました。
しかしお医者様が言うには、
「無理は禁物。痛いと思うことは極力避けてください」

最初のころは、座ったまま左足を曲げたり伸ばしたりといった単純な動作を朝昼晩と繰り返すだけでした。
辛いリハビリを想像していただけに何だか拍子抜けです。


退院日の3月21日が、たまたま6月29日の能まつり「道成寺」のチケット発売日でした。
道成寺はさすがに人気曲です。連日チケット申し込みがきます。

ずっと家におりますので、申し込みの方へのメールの返信や電話お問い合わせなどの対応がじっくり出来ました。
返信をしながら、肝に銘じました。

「こんなに楽しみにしてくださっている方がいる。この方たちのために良い道成寺を演じなければ」
ますます、舞台への思いが募ってきます。


4月の中頃、手術から一か月の検診に病院に行きました。
もうその頃は、松葉杖無しでもヨチヨチと歩けるようになりました。
術後の経過も異常なし。

ただ、筋力測定の結果は散々でした。
医者に「よく歩けますね」などと心配されるレベルです。

このひと月、ほぼ動いていません。かなり筋力低下しているようです。
といっても、まだまだ痛むので急激な筋トレなどもしてはいけないようです。
この頃から、近くの整形外科のリハビリ科に通い始めました。

リハビリといっても、左膝をなでたりゆっくり曲げ伸ばしするだけ。
「間に合うのかなあ」
何だか不安になってきます。


4月下旬から、お弟子様のお稽古を再開しました。
謡のお稽古は椅子に座れば問題なく出来ますが、仕舞のお稽古はまだ俊敏には動けません。
仕舞で動いていたらお弟子さんに心配される有様でした。

これではいかん。
仕舞のお稽古は、最大のリハビリです。多少痛くても、何とか一緒に動きました。


5月11日の九皐会「蝉丸」も近づいてきました。
師匠に相談して、期日が近づいてきたときの様子で「蝉丸」を演じるかどうか決めることになっておりました。
4月下旬には、腹を決めて師匠に「蝉丸」を舞う決意を申し上げました。

いきなり「道成寺」では不安です。一回舞台に立っておけば自信になると思い、まずは「蝉丸」に全力投球です。

「蝉丸」のシテ逆髪は、幸いなことに飛んだり跳ねたりといった激しい動きはありません。
クリサシクセの段落で、本来は下に長く座るのですが、そこは葛桶という床几に座らせていただきました。
舞台上で葛桶は、偉い人が座るものです。逆髪は、帝の皇女という身分の高い人だから葛桶に座ることはそんなに違和感はありません。実際に過去にそうやって演じた先輩もいらっしゃいました。

謡はずっと稽古しておりましたが、舞台で動くことが出来ません。ただひたすら頭の中でイメージトレーニングです。
4月の終わりころ、ようやく少しずつ舞台で動いて稽古し始めました。
最初の頃は、とにかく体力と筋力が著しく低下しているので、長い時間稽古できません。少し動いては休憩しながらの稽古でした。

5月になってようやく「蝉丸」を一曲通して動けるようになりました。


いよいよ5月11日、九皐会「蝉丸」です。
およそ二ヶ月ぶりに能舞台に上がりました。復帰戦がシテというのも不安が募ります

「蝉丸」は、演能レポート「蝉丸」のブログに書いた通り、無事に演じられました。
いつもより慎重に動いていたせいか、「丁寧に演じていて、良い風情だったよ」などと先輩から言われました。
文字通り、怪我の功名でした。

能「蝉丸」の最中、クリサシクセの段落で舞台中央付近で葛桶にかけます。能面の小さな目の穴から、お客様が集中して舞台をご覧になっている姿が見えてきます。

私は胸がいっぱいになりました。

「ようやく、ここに帰ってきた。ようやく・・・」

この「蝉丸」は、生涯忘れられない舞台になると思います。


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2025年07月26日

左膝半月板損傷から「道成寺」②

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全ては、6月29日の「道成寺」のために。


先生から手術の後の大まかなガイドラインを伺いました。

手術後一か月は安静にしていてください。
二ヶ月くらいでかなり動けるようになり、三ヶ月経てば激しく動けますよ。

そう聞きました。

まず、3月4月の舞台の仕事は事情を話して全てキャンセルさせていただきました。
お弟子さんの稽古も、4月下旬までお休みにしました。

一番の懸念は、5月11日九皐会の「蝉丸」のシテです。
師匠には最初は、辞退を申し入れました。

ただ2か月も先のことなので、師匠からは、今後の経過を見ながら決めれば良いと言われました。

今後どうなるかわかりませんが、とりあえず5月11日を舞台復帰戦と定め、それに向けてリハビリに励むことを決意しました。


さて、3月15日に入院して、手術日の17日まではのんびり過ごしました。
たまった事務仕事や読みかけの本など片付け、17日にいよいよ全身麻酔による手術です。

簡単な手術とはいえ、手術前はナーバスになります。
午後の手術に向かう前に、スマホを開けてメールチェックをしました。
そこで、ワキ方の殿田謙吉師の訃報を聞きました。

自身の手術直前のこのタイミングで、こんなショッキングな訃報を聞いて衝撃を受けました。

殿田さんには公私共にたいへんにお世話になりました。

私の初めての自主公演である沼津での「小鍛冶」や、「道成寺」初演などの節目節目によくお相手していただきました。
去年の第14回桑田貴志能まつり「融」のワキも殿田さんにお願いいたしました。

また地方公演のたびに、何軒もハシゴしながら一緒に飲んだものでした。
たいへんなショックを抱えながら、手術室に向かったことをよく覚えています。

ちなみに、殿田謙吉さんのお別れの会は、道成寺の6日前の6月23日に行われました。

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「道成寺」初演の時お世話になったことを感謝し、6日後の二度目の「道成寺」への決意を固めました。


手術は2時間ほどかかったようです。ただ、全身麻酔だったので、よく分かりませんでした。

3年前、鼠径ヘルニアの手術で全身麻酔による手術を経験しました。
その時はお腹を切っているので、手術後は大変でした。手術後丸一日はベットから出ることはおろか寝返りすらできない状態でした。

それに比べると、今回は左膝だけの手術なのでいろんな面で楽でした。

最初の2日間くらいは、移動は車椅子でしたが、徐々に松葉杖をついて歩けるようになりました。
お腹を切っているわけではないので、食事制限などもありません。手術の日の夜から食事も出来ました。

退院は3月21日でした。3月20日の長男の高校卒業式に参列できなかったことは残念です。

さあ自宅に帰り、5月11日「蝉丸」と6月29日「道成寺」に向けてリハビリ開始です。


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2025年07月22日

左膝半月板損傷から「道成寺」①

桑田貴志 プロフィール写真  - コピー (2)

「道成寺」の舞台レポートで書きましたが、3月半ばに左膝半月板損傷により、半月板切除手術を致しました。
その経過と現状をまとめます。

この一年くらい、ずっと膝の痛みに悩まされておりました。
整形外科に行き、レントゲンを撮っても特に異常なし。「正座のし過ぎによって筋肉が張っているのでしょう」と言われました。
舞台も続くので、ずっとごまかしながら過ごしていました。

行きつけの鍼灸治療で治療してもらうと、膝の痛みはかなり和らぎます。
舞台の前は、毎週のように鍼灸院に通いました。

今年の1月から2月、シンガポールの演劇学校に能の指導に行きました。若い学生たちと連日ハードな稽古を続け、膝はパンパンに痛みます。
現地では馴染みの鍼灸院に行くことが出来ません。毎日湿布を貼ってやり過ごしました。

2月の下旬に、日本に一時帰国して若竹能で「淡路」の地謡と「花筐」の後見に出演しました。
膝の痛みが、今までと明らかに違います。
特に左膝は、正座した瞬間に激痛がはしります。
歩くときも、何だか左膝に違和感があります。

これはおかしいと思い、整形外科に行き症状を話すと「半月板損傷の恐れがある」と言われました。

半月板は軟骨なのでレントゲンには写らないそうです。MRI検査をしないとわからないということで、MRIの設備のある大きな病院を紹介していただきました。

その二日後から3月上旬まで、またシンガポールに行かなければなりません。
病院の検査の予約を、シンガポールから帰国した日に取りました。6月の「道成寺」公演を考えたら、一刻も早い治療が必要です。


シンガポールでは、安座や飛び返りなどといった膝に負担のかかる型は加減して、なるべく膝をいたわりながら稽古しました。

シンガポールにいる間、インターネットで半月板損傷について色々調べました。
半月板損傷はスポーツ選手に多い症状です。自然治癒はしないので、きちんと治療しなければなりません。
治療は、損傷の程度によって保存療法と手術が選ばれます。

保存療法は、言わばごまかしながら先送りにすることです。上手くいけば日常生活が送れる程度に快復するそうです。
手術は、やはり程度によって切除と縫合の二種類あるそうです。一般的に切除手術だと快復まで3か月、縫合手術だと6ヶ月。

6月の「道成寺」のことを考えたら、短くても3か月かかる手術はリスクが大きいように思われます。
「膝にメスを入れて、もし道成寺に間に合わなかったら・・・」

保存療法でごまかせるのならその方がよいのかなあ。

ちなみに、半月板損傷の時に一番やってはいけないことは、正座だそうです。
普通の人は、正座をしなくても日常生活はできるのでしょうが、能楽師はそうはいきません。

シンガポールで悶々としながら、あれこれ考えを巡らせました。


3月7日の朝帰国し、そのまま午前中に両国の病院に行きます。
紹介していただいたこの病院の整形外科部長は、膝治療の権威だそうです。社会人のアメフトチームのチームドクターもなさっています。両国という場所がら力士の患者も多いそうです。

アメフト選手やお相撲さんを普段診ているのなら、能楽師の膝なんて簡単なものだろう。
何だか妙な安心感をもって、検査に行きました。

MRI検査の結果、やはり左膝半月板損傷でした。

6月29日に、「道成寺」という激しい動きをする能を演じることを述べたところ、手術を勧められました。
半月板損傷は自然治癒はしないので、どこかの段階で手術しなければなりません。手術すれば3か月くらいで激しい運動が出来るようになるそうです。

「今すぐ手術すれば、6月の舞台に間に合いますよ」
その言葉を信じて、手術を決断しました。

先生に無理を言って、最短の3月17日に手術をねじ込んでもらいました。そして3月15日から入院することになりました。

とにかく、6月29日の「道成寺」に間に合わせたい。

その気持ち一心で、長い治療とリハビリが始まりました。



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2025年07月19日

「道成寺」を終えて

25.06.29 能まつり (70)

今回、二度目の「道成寺」を終えて、初演時の時に書いたブログを読み返してみました。

我ながら、良いことが書いてあります。当時の熱い気持ちがよみがえってきました。

以下に引用しますので、お時間ある方はお読みいただければ幸いです。

「能まつり」ブログ 2009年4月29日 道成寺回顧①

「能まつり」ブログ 2009年4月30日 道成寺回顧②

「能まつり」ブログ 2009年5月2日 道成寺回顧③



「道成寺回顧③」の後半部分は、胸にグッときました。自分への戒めとして転載します。


「道成寺は、能楽師の卒業試験」と良く言われます。
もう、卒業したのかなあ。

そう言えば、今の気持ちって、大学の卒業式の後の気持ちに似ています。

実生活では、学校を卒業して社会に出てからが大事であると言われます。
学生時代のような甘えは許されず、自分で全て責任を持って人生を切り開いて行かなければなりません。

能楽修業も同じです。
これからが本当の勝負です。

打ち上げの席で、師匠からこう言われました。
「取りあえず、おめでとう。でも、これからが大切だよ。だいたい、『道成寺』を終えると芸が下がるから」

この言葉を胸に刻んで、これからの能楽修業に励みます。
一番一番の能を大事に思い、心を込めて勤めたいと思います。


命には終りあり、能には果てあるべからず(世阿弥)





また、もう一つ皆さんに知ってほしいことを引用します。
故18代目 中村勘三郎さんが能の「道成寺」見て某新聞に書いていた言葉を転載します。



能では、「日高の川波深淵に飛んでぞ入りにけり」と、シテは勢い良く揚幕へ飛び込んで終わります。
最後の見せ場です。それまで1時間45分位に渡って体力の限界を超えて演じてきたシテは、最後の力を振り絞って橋がかりを走り抜け、揚幕へ飛び込んでいきます。
飛び込んだ瞬間に揚幕は下ります。その後は、お客様には全く見えません。

(中略)

しかし、シテは必ずむくりと起き上がります。そして、キチンとした着地の姿勢(能の型で言うところの下居の姿勢)をとります。

何故か?
まだ能は終わってないからです。

(中略)

やっと、地謡が最後まで謡いました。さあ能は終わりました。シテはホッとして能面を外します。そして、必ず自分の姿を幕の中、すなわち鏡の間にある大きな鏡に映して、能が終わった様を確認します。

しかし、それで終わりではありません。鏡の前に座って待っています。

誰を?
ワキとワキツレが舞台から橋かかりを通って帰って来るのを待ちます。そして、鏡の間でお互いに挨拶をします。

その後、狂言方の鐘後見が鐘を下ろし、ゆっくりと鏡の間に運んできます。
時間にして5分はゆうにかかります。
シテは、その間もずっと鏡の前で待っています。
そしてやはり、狂言方とお互いに挨拶をします。

その後、鐘後見・囃子方・地謡と、共演者が続々と楽屋に帰ってきます。
共演者は、必ず鏡の間に集結して、1人1人とお互いに挨拶を交わします。

能というのは、一人で演じることは出来ません。
舞台の上に立っている人はもちろん、楽屋で働いている人達全ての力が結集されて一曲の能は成り立ちます。

ですから、終わった後は必ず、お互いに「有難うございました」と、挨拶を交わすのです。

全員と挨拶を交わして、やっと装束を脱ぐことが出来ます。
装束を脱ぐと、真っ先に師匠の元へ挨拶に出向き、その後、各楽屋を挨拶に回ります。

そこでやっと緊張も取れ、お互い労をねぎらいます。


明後日の舞台で、お客様が能を見終わった後、感想を述べながら能楽堂を後にしている時、たぶん私はまだ鏡の間で共演者と挨拶しています。

楽屋の挨拶回りが終わって、「やっと終わった・・・」としみじみと脱いだ装束の片付けをしている頃、たぶんお客様は、千駄ヶ谷の飲み屋でビールの一杯でも飲んでいるころでしょう。


これが能という演劇なのです。
「礼に始まり礼に終わる」
どんなに疲れていても、どんなにしんどくても、礼を欠かすことはありません。
それは全く当り前のことであり、そうするものであると思っているので、何の疑問も不都合もなくそうしています。
とりわけ、特別なこととも思いません。


5年前、歌舞伎座で能と歌舞伎の「道成寺」を見比べるという催しがありました。能「道成寺」を演じたのは、故・観世栄夫師。歌舞伎「京鹿子娘道成寺」を演じたのは、中村勘九郎(現勘三郎)師。

その時のことを、勘三郎さんは、某新聞にこう書いていました。

「それで驚いたのは、観世先生が終わって舞台袖に入るでしょ、面(おもて)を取ってそのまんま正座してるのよ、着替えもせずにね。何事かと思って見てたら、一緒に出ていた1人1人に「ありがとうございました」って手をついてあいさつしているんだよ。歌舞伎では終われば、すぐ楽屋に戻っちゃうじゃないですか。これは客席からでは分からないことだね。礼に始まって礼に終わるじゃないけれど、ああ、ここまでがひとつの作品、芸術なんだなって思った。本当にいいものを見せてもらいました。」

中村勘三郎師は、能「道成寺」は当然何度も見ていますが、楽屋の袖から見たのは初めてだったそうで、驚きとともに、とても良いことを新聞に書いて下さいました。

この記事を読んだ時、私は「能って、素晴らしいなあ」としみじみと思いました。


全文は、こちらです。

「能まつり」ブログ 2009年4月24日 「道成寺」後話


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2025年07月15日

「道成寺」振り返り③

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中入は、わりに順調に着替え終わりました。
鐘が上がるまでは、不備がないか総点検です。

何か落ちていないか、紐などが垂れさがっていないか、そして正しく正面を向いているか。
少しのミスも許されません。

小書の時は、鐘が上がった時は白い装束にくるまった状態で姿を現します。

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これが、実はすごく大変でした。
実は、鐘が上がる直前まで鐘の中で様々な作業をしなくてはなりません。

それらが終わって、一瞬でこの形にならなくてはなりません。
その間は、5秒くらいでしょう。全て準備を整えた後、鐘の中で瞬時にこのスタイルになります。

これが不安でした。白い装束の中から蛇体の姿が見えていたら台無しです。完全なネタバレになってしまします。

ワキに祈られて、白い装束の中から赤い蛇体が出現するのが良いのです。

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後場は、完全にリミッター解除です。

もうここまで来たら、膝の痛みなんてどうでもよい。
膝がダメになってもいい、という覚悟で動き回りました。

緋長袴は、3年前に「葵上 空之祈」で着けたことありますのでそんなに不安はありませんでした。
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長い裾を引きづり、時に蹴り上げて動き回りました。
蹴り上げるとき、膝に負担があったはずですが、全く痛みは感じません。アドレナリンが出まくりなのでしょう。

「道成寺」にしかない、柱巻という型。
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蛇のように、ねっとりと柱にまとわりつきました。

途中、祈られて飛び込んで膝つく型が二度ありますが、痛みは全く感じません。というか、痛いなんて感じるヒマがないといった方が正しいようです。

あれよあれよのままに、最後に揚幕の前に来ました。
幕を揚げる人にはこう伝えました。

「最後、幕際で拍子を踏みます。そしたら幕を揚げてください。その時の膝や足の状態が元気だったら飛び込むし、これはダメだと思ったらそのまますり足で幕に入ります」

幕際に来ても、元気がみなぎっています。
「よし行くぞ」
幕が上がるや否や、思い切りジャンプ。

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長い裾をなびかせて、華麗に幕入り。


終わりました。

二度目の「道成寺」 無事終了。
精も根も尽きました。


まだ書き足りないことがあるので、次に続きます。


撮影 駒井壮介  無断転載を禁じます


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2025年07月14日

「道成寺」振り返り②

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さて、鐘に入った後まず思ったのが。
「あ、生きてる」
「どこも、ケガしていないなあ」

これは冗談ではありません。
骨折した人、気を失った人。今まで、色んな人の事故を聞いています。

まず、無事に鐘に入られたことに安堵いたしました。

鐘の中の手順は、頭の中で何度もシミュレーションしました。
鐘がどの向きに落ちるかはわからないので、様々な角度で落ちた場合を想定して、何度も手順を繰り返しました。

今回は、「赤頭」の小書が付いていますので、着替えるアイテムが初演の時より多い。時間もかかります。

この出で立ちから
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この出で立ちへ変わります。
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もう、総取り換えです。
鐘の中に入って練習することは出来ないので、あくまで頭の中で何度も何度も練習しました。


さあ実際に、鐘の中に入って思ったこと。
暗い、、、狭い、、、そして暑い、、、、、、、

暗いのは、初演時の経験があるので想定内です。竹の骨組みに布一枚で覆われているだけなので、真っ暗ではありません。手元が見えにくいですが、問題はありませんでした。

狭さは困りました。特に緋長袴などといった大きな装束を着るとき、スペースがなくて四苦八苦。
狭いスペースで中腰状態で手探りで着付けていると、どうしても無理な態勢となり膝をつく場面も多くなります。左膝の痛みとも戦いながら、懸命に着付けました。

そして、想定外というか、想定以上だったのは、暑さです。
その日は、最高気温33度の真夏並みの猛暑の日でした。
もちろん、クーラーはガンガンに効いていましたが、鐘の中は狭い密室です。しかも、直前まで激しく動いています。
私はあまり汗かきではないのですが、それでも汗が滝のように流れてきます。

汗が手にまとわりついて、装束や頭の毛の紐を結ぶとき、邪魔でしょうがない。
とにかく四苦八苦しながら着替えていました。

申合では、だいたい15~16分くらいかかっていたそうです。実際の中入の長さは20分位。申合の通り出来れば何とか間に合いますが、少しでも手間取ったら時間オーバーです。

事前にアイ狂言の野村萬斎師とワキの福王和幸師には、中入は替えるものが多いので、ゆっくりやってくださいなんて、お願いしておりました。

野村萬斎師と裕基師親子は、息の合った掛け合いで場内は笑いに包まれていました。
鐘の中の私は、まさに笑い事じゃないという勢いで、必死でした。

何人かの人に聞かれました。
「あの鐘は、どこか空いているのですか? そこから出入りできるようになっているんですよね」

そんなことはありません。
鐘の中で一人で可憐な白拍子から凶悪な蛇体へ着替えているのです。

能には衣装屋さんはいません。装束も能楽師同士で着け合います。日頃からきちんと能装束を着けていれば、つまりしっかりと修業ができていれば、鐘の中ではそんなに難しいことをやっているわけではありません。
日頃の修業の成果が出るのが、鐘の中なのです。

後場は、次回に続きます。


撮影 駒井壮介  無断転載を禁じます


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2025年07月12日

「道成寺」振り返り①

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全身全霊でのぞんだ「道成寺」
終わって心の底から安堵しております。

実は、大曲「道成寺」を控えて大きな懸念がありました。
3ヶ月半前に、左膝の半月板の手術をしました。
手術直後は、満足に歩くことも出来ません。ここ3ヶ月半は「道成寺」に向けてのリハビリの日々。何とか間に合って「道成寺」の舞台に立つことが出来、感無量でした。

このブログではあえて左膝の半月板損傷について、これまで書かずにいました。
左膝が悪いという身体の不調を言い訳にしたくなかったからです。

「道成寺」にいらっしゃるお客様に、「桑田は、膝が痛いのに頑張っているな」などといった目で見てもらうのではなく、単純に「ああ、良い道成寺だったなあ」と思ってもらいたい。
そう思って、言い訳がましい闘病記などは一切書かずにいました。

ただ、5月11日の「蝉丸」を演じた後の記事にちょっとだけ膝が悪いことを書きました。3月と4月はずっと舞台を休んでいたので、その理由を述べる意味で少し触れましたが、詳細は伏せておきました。

左膝半月板損傷の経過と現状については、改めてこのブログで書きたいと思います。


さて、6月29日の「第15回記念 桑田貴志 能まつり」を振り返っていきます。

演じ終えて思うのは、「道成寺」はたいへんな能です。
どこをとっても気が抜けません。例えるなら、100mを走るテンションでマラソンを駆け抜けるような感じです。

楽屋の雰囲気も普段とは異なります。ピンと張り詰めた空気が流れています。

いつもの自主公演では、開演に先立ち舞台に上がり挨拶をしますが、今回はとてもそんな余裕はありません。
開演前から様々な準備と主催公演ならではの事務仕事で、慌ただしく動き回ります。折しも、この日は、最高気温33度という6月らしからぬ猛暑。装束を着けるころにはもう汗びっしょりでした。

いつもより早めに装束着けにかかり、気を落ち着かせます。揚幕の前にある鏡の前で座っていると、共演者が次々に挨拶に見えます。一人一人と丁寧に挨拶を交わし気持ちが昂ってきます。
「さあ、いよいよ始まるぞ」

前半は、極力冷静に演じるよう心がけました。初演の時は、気合が入りすぎて前半でクタクタになってしまった覚えがあります。
膝の不安もあったので、前半で力尽きないように気持ちを落ち着かせていました。

乱拍子の時は、不思議な感覚でした。
静寂が支配する空間の中、離れたところから自分を見ているような感覚がありました。
極限まで集中すると、たまにこんな境地に入ります。いわゆるゾーンに入っていました。
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観世流の小鼓は、乱拍子で「ヘン」という特殊な掛け声がかかります。それに合わせて、独特な足遣いをします。私は、この足遣いがしたくて、小鼓は観世流の観世新九郎師にお願いいたしました。
初演の時の小鼓は大倉流でした。あえて、流儀を変えることで新たな挑戦をしたいと思ったのです。

道成寺は、流儀ごとにいろいろな決まりが存在し、口伝が伝わっています。今回は、初演時から全て流儀を変えました。
ワキは下掛り宝生流から福王流。笛は一噌流から森田流。小鼓は大倉流から観世流。大鼓は葛野流から高安流。太鼓は金春流から観世流。


乱拍子の後半から、抑えていてもやはり気持ちが昂ってきます。
心の中で、「さあ、急之舞だあ、いくぜー」なんて叫んでいます。

能の中で最も早い舞である急之舞。思う存分、動き回りました。
静寂が支配する乱拍子から最速の舞。静から動への鮮やかな転換。
見事な場面展開です。気持ちも最高潮でした。
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この「道成寺」で膝の不調を感じたのは、この時だけでした。
高速で足を動かしますが、自分の思っているように動いてくれません。
「もっと、早く動けるのに・・・」

去年演じた「融 舞返之伝」で急之舞を舞った時の方が、ずっと早く動けていました。
ただ、能は早く動くことを競う演劇ではありません。
物理的に早く動けなくても、動きを早く見せることは出来ます。
また、早さよりも深い表現もあります。
舞で大事なのは、キレとコクなのでしょう。

一気呵成に急之舞が終わると、怒涛の勢いで鐘入りです。
首尾よく、鐘の下に入りえいやと飛び上がりました。
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左膝を痛めていますので、右足に力を込めての飛び上がりでした。
後で映像を見ましたが、まあまあ飛び上がっていました。

中入からは、次回に続きます。

撮影 駒井壮介   無断転載を禁じます


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2025年06月29日

「道成寺」御礼

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第15回記念 桑田貴志 能まつり「道成寺 赤頭」、無事に演じ終えました。

満員のお客様にお運びいただきました。この場を借りて御礼申し上げます。

上々の舞台成果を上げられました。
「道成寺」に関しては、色々書きたいことがあります。
たいへんな長文になりそうなので、改めて書きます。

撮影 駒井壮介


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2025年06月24日

深川能舞台チャンネル 「道成寺」見どころ紹介

たいへんに遅くなりましたが、ようやく深川能舞台チャンネル 「道成寺」見どころ紹介
をアップしました。

チラシには、5月中旬配信予定と書いておりましたが、配信が延びに延び、大変遅くなってしまいました。

お楽しみにしていた方もいらっしゃることと存じます。たいへん申し訳ございませんでした。

6月29日の道成寺公演の5日前の配信となってしまいました。
「道成寺」の見どころを、シテ自らがお話ししております。


いつもの自主公演では、公演に先立ち私がお客様の前へ顔を出し、ご挨拶を兼ねて演目の見どころ紹介など行っておりますが、今回は当日のご挨拶は致しません。

「道成寺」の前は何かと準備が忙しく、とても公演の冒頭に顔を出している時間はないかと思われます。
また「道成寺」を前にして、精神的にもとても顔を出せる状況ではないかと思います。


そういうわけで、今回は、公演当日の「見どころ解説」はありません。
公演にいらっしゃる方は、事前にご覧いただくことをお勧めいたします。




kuwata_takashi at 14:59|PermalinkComments(0)