2026年02月23日
ヤンゴンから 2

予定していた三公演が終わり、19時の飛行機まで少し時間があります。
大使が、私たちをヤンゴンが誇る世界遺産のパゴダ(寺)であるシュエダゴン・パゴダへ連れて行ってくださいました。
ご覧の通り、何処を見ても金色・金色・金色


この巨大な塔は、いわゆる仏舎利塔です。お釈迦様の髪の毛が安置されているそうです。
100メートルの高さを誇り、周りには60もの金ぴかの仏塔や廟で囲われています。
塔の一番上のには、76カラットのダイヤをはじめ、数々の宝石が埋まっているそうです。宝石の合計は2000カラットほどあるそうです。とんでもない豪華絢爛なパゴダです。

パゴダ内には、映画「ビルマの竪琴」で見た僧侶が歩いています。

僧侶もスマホで写真を撮るほど、圧巻の景色です。

荘厳な景色に見とれていましたが、そのうちミャンマー市民の格好が気になりました。
みんなロンジーというミャンマーの民族衣装を着ています。
昨日の大使館のレセプションでは多く見かけました。たぶん、日本の着物と一緒で正装の時に着る伝統衣装なのかなあと思っていました。
しかし、街中では普段着として男女問わずみんな普通に着ています。


同じ柄のロンジーですが、民族ごとに固有の柄があるそうです。

かと思うと、若い女性は思い思いのカラフルなロンジーを着てオシャレしています。

現地の旅行会社の方に、お土産としてロンジーをいただきました。
試しにはいてみると、これが快適。
高温多湿のミャンマーにはもってこいの服です。
何せ、腰に布を巻くだけです。簡単に着れるし、涼しいし、動きやすい。
これは、手放せません。
日本でも履いてみようかなあ。
ミャンマーは2021年に起きた軍事クーデターによる内戦が続きます。
欧米諸国は軍事政権を認めずに、経済制裁を続けています。
日本も例外ではなく、輸入品がほとんど入ってこない日々だそうです。
何だか、恐ろしく殺伐とした国を想像していましたが、実情は全く違いました。
治安は良いそうです。
確かに、他の東南アジア諸国でよく見かけるスリやひったくりをするため路上にたむろしている怪しい集団は全く見かけません。
野犬がやたら多い気がしましたが、野犬に施し(つまりエサ)を与えると功徳をつめるということで、市民が積極的に食べ物を与えているそうです。だから、野犬もやたら人懐っこい。
人々は、本当にみんな純粋で温かい。
仏教の教えが人々の心に深く刻まれているようです。数々のおもてなしを受けて、とてもやさしい気分になりました。
大変ハードなスケジュールでしたが、ミャンマーに来て良かったと心から思います。
さあ、これから日本へ帰ります。
自分でも信じられませんが、明日は東京で若竹能。能「賀茂」と「百萬」の地謡を謡います。
ところで、午前中の日本人学校でのワークショップは、学校関係者以外に一般のお客様もいらしていました。
ミャンマー人の他に、在住の日本人も多くご来場くださいました。
終了後、お客様に能面を見せながら談笑し、写真を撮ったりして現地の方と交流していたところ、一人の日本人が話しかけてきました。
私のプロフィールを見て、
「あなたは福山市出身ですか、私もそうです」
そう言って渡された名刺を見ると、某有名商社の社員の方でした。
高校の同級生に何人か、そこの商社の社員がいるので名前を挙げたところ、
「ああ、○○はサッカー部の後輩です」
「ん!? ということは、同じ高校ですか?」
伺うと、広島大附福山の3学年上の先輩でした。私が中学一年の時の高校一年です。
3学年上の先輩の話や、当時の先生の話で盛り上がりました。
まさか、ヤンゴンで高校時代の話で盛り上がれるとは思いませんでした。
先輩とは、今度は東京での再会を約束しました。

思わぬ人との出会いに感謝です。
これも、ミャンマーの人の温かさからくるのでしょうか。
2026年02月22日
ヤンゴンから 1

1月に香港に15日間滞在していたので、日本での予定がタイトになっています。
そんな中、今度はミャンマーへ出発です。
とは言うものの、現地滞在は1泊2日。前後に機中泊2日です。
ミャンマーへは直行便はありません。バンコク経由で行きました。
20日(金)の0時20分羽田発のタイ航空に乗りバンコクまで7時間。バンコクで5時間近く乗り継ぎ時間があり、ヤンゴンまでは1時間半。
ヤンゴン到着は現地時間の11時頃でした。
日本とヤンゴンには2時間30分の時差があるので、13時間くらい掛かったことになります。
21日(土)の夜にはもう帰りますので、ミャンマーには実質一日半しか滞在しません。
一日半の間に三公演行い、その前後に13時間の飛行機移動です。
22日(日)の朝に東京に着くと、午後1時より若竹能です。私は「賀茂」と「百萬」の地謡を謡います。
20日から22日までの3日間で東京とヤンゴンを往復して4公演5番組に出演。
自分で書いていて、何だか訳の分からないハードスケジュールです。
ここまでの強行スケジュールは、初めてです。
ちなみにヤンゴンの日中の気温は、35度。恐ろしく暑いです。
しかも、電力事情があまり万全ではなく、何処もあまり冷房が効いていません。
20日は11時に到着した後、21日のワークショップ会場の下見と打ち合わせを行い、昼食をはさんで在ミャンマー日本大使公邸へ向かいます。
20日は、大使公邸にて天皇誕生日を祝うレセプションです。
その中で、能のイベントが行われました。


海外の日本大使館では、天皇誕生日をナショナルデーと定め、大使館主催で様々なイベントを行い、現地の政財界の方と交流するのが通例となっているようです。
昨年は、シンガポールにて在シンガポール大使館主催のレセプションに参加しました。
実は観世喜正先生と在ミャンマー日本大使は、高校大学を通じての同級生という間柄。かなり親しい間柄であることから、このイベントは実現いたしました。
レセプションの後は、大使公邸のプライベート空間。つまり大使が普段生活しているところへ招待され、食事をごちそうになりました。
友達関係でなければ、大使のプライベートの居間など入れません。
大使ご夫妻も、私たちもネクタイと上着を脱いで楽な格好で楽しく食事を致しました。
ホテルに帰って、シャワーを浴びて即ベット。
さすがに疲れ果てました。行きの飛行機内で少し寝ただけで、東京からヤンゴンに移動してすぐに公演です。
泥のように眠りこけました。
翌朝は8時にホテル出発。何だか今、何処にいて何をしているのか分からなくなってきます。
着いたところは、ヤンゴン日本人学校。

入り口にはALSOKの方が警備し、学校内は日本語で溢れています。
ワークショップ会場となるホールは、どう見ても日本の小学校の体育館です。

ステージの横にある校歌のプレートまであります。

能面など展示し、雰囲気は日本の学校公演と何ら変わりません。

日本人学校の生徒さんたちに、簡単な能のパフォーマンスを見ていただき、能の謡や型や摺り足など体験してもらいました。
お昼までワークショップを行い、その後ヤンゴンの有名レストランに移動します。

池にそびえる宮殿のような雰囲気ですが、中はレストランです。

レストラン内には立派な舞台もあり、ミャンマーの伝統芸能を見ながら食事ができるレストランです。
そこで、やはり能パフォーマンスをいたしました。
三公演終えて、ヘトヘトになるかと思いきや、結構元気。
ミャンマーの人たちは素朴で温かく、いろんなところで大変な歓迎をうけ、気持ちの良い2日間でした。
2026年02月01日
香港から2026 11

今日は15日ぶりに日本に帰ります。
スタッフとワークショップ参加者数人にお見送りしていただいて、香港空港の出国手続きをしました。
この後、ちょっとしたミッションがあります。
ワークショップ参加者の中に、バーでバーテンをしている人がいました。
その方は、今日はちょうど空港のイミグレーションを抜けたところのブースで特別出店をしているそうです。
「先生、ぜひ寄ってください」
私も、必ず行くと約束しました。
さあ、そのブースを捜そうと思って気が付きました。
「香港空港には第1と第2ターミナルがあるけど、どっちか聞かなかった」
私がいるのは第1ターミナル。その時点で、確率2分の1です。
さらに、香港空港は想像以上に大きな空港です。
まあ、アジアを代表するハブ空港なので当然なのですが。
あちこち探しまわりましたが、どこにもいません。
「まあ、しょうがないか。後であやまりのメッセージを送ろう」
と思ってたら、彼の連絡先を聞いていないことに気が付きました。
「あらあら、どうしようもないなあ。歩き回って疲れたし、お腹もすいたし、あきらめよう」
と思った矢先、

見つけました。
向かって左側が彼です。
彼は、居合や殺陣をやっていて、大変な日本びいきのナイスガイです。
嬉しい再会です。
彼に特製のジンとカクテルを、何杯もおごっていただきました。
最後に、美味しいお酒をいただいて香港を後にします。
彼からは、店の特製ジンと特製カップをすでにお土産としていただいておりました。
「無名氏」と言って、サムライに因んだ名前だそうです。
せっかくなのでもう一本買いました。
日本で大事に飲もうと思います。

2026年01月31日
香港から2026 10

能ワークショップ「風姿花傳 能劇大師班」を終えてホッとする間もなく、翌日は今回の香港滞在のもう一つの目玉がありました。
その名も「粤劇泰斗與能劇大師跨文化對談」
広東語は全く分かりませんが、漢字を見ればなんとなく意味が分かります。
粤劇の泰斗(巨匠)、および 能劇大師(私のこと) 文化を跨ぐ 對(対)談
ということでしょう。
粤劇と能劇との異文化対談。これは面白そうです。
現に、申し込み制の定員はすぐに埋まったそうです。

対談の相手は阮兆輝という方で、日本で言えば人間国宝クラスの粤劇の巨匠です。
粤劇にとどまらず、テレビドラマや映画などでも活躍している香港の有名人です。
会場に集まったほとんどの方は、阮兆輝師の話を聞きにきています。
とは言うものの、私も能の代表として対談する以上、恥ずかしい真似は出来ません。
能の面白さを紹介すべく、張り切って臨みました。
まず、能のことをほとんど知らないと思われる会場の方に、能の説明をします。
能面を見せながら、丁寧に説明しました。

本当は能の映像を見せたかったのですが、香港では公共の場で映像を見せる場合、手続きが大変なのだそうです。
私の右横に居る方が、広東語の通訳です。この方には、この後の打ち上げまで一日お世話になりました。
香港は、とても親日です。
人口750万人ほどの香港ですが、年間日本に250万人もいらっしゃるそうです。
単純計算で3人に1人が訪日しています。
そのことから分かるように、日本にたいへんに興味をもってくださっています。
アニメ、音楽、映画、ドラマなどの日本文化の人気はかなりのものです。
最近では、映画「国宝」が大ヒットだそうです。
司会者の方が、「映画「国宝」を見た人どれくらいいますか?」と聞いたところ、3分の2以上の方が手を挙げていました。
対談の中で、「国宝」の話も出ました。
司会者を務めていらっしゃるのは、「流白之間」のスタッフです。
普段はラフな格好をしているのに、ビシッとスーツを着ています。
さすがに緊張しているようですが、そんな中、首尾よく阮兆輝師と私に話題を振ってくださいました。
私も最初は緊張しましたが、阮兆輝師が上手に盛り上げてくださるので、徐々に饒舌になってきました。
能の特徴、修業時代の思い出、今後の課題など、様々な話を致しました。
後半は、お互いに実演を交えながらそれぞれの古典芸能の特徴を比べました。




たいへんに盛り上がりました。

フィナーレは、スタッフもステージに上がり、記念撮影です。
私にとっても実り多き対談となりました。
阮兆輝師とは、「今度は日本でこの対談をやりたいね」とお話ししてお別れしました。
日本で出来たら、面白いでしょうね。
夜は、香港最後の大宴会。
シンガポールの演劇学校の一期生であるアンディや、マカオ在住の3年前の卒業生も駆けつけてくれました。

名残惜しいけど、今回の滞在はこれで終わり。
次回は、もっと大きなことが出来ると良いね。
そんな前向きな話をして、最後の夜は更けていきました。
2026年01月30日
香港から2026 9

香港の能のワークショップ「風姿花傳 能劇大師班」、大好評のうちに幕を閉じました。
最終日は、10日間の総仕上げとして発表会を開催しました。
全員に、「吉野天人」と「経正キリ」の仕舞を舞ってもらいました。
わずか10日間で、「経正キリ」まで稽古するのはかなりハードトレーニングでしたが、参加者はみな頑張ってくれました。
昨日と今日のリハーサルを通じ、みるみる上達していきます。
やはり目標があると稽古に対する意識が変わってきます。
人前でパフォーマンスをするというのは、やはり特別なことです。
金曜日の21:15開始という遅い時間でしたが、発表会にはそれなりにお客様もお見えでした。
参加者の友人や家族、また2年前のワークショップに参加していた懐かしい面々も来てくださいました。

けっこう様になっています。
着物を持っている参加者も多くいたので、華やかな舞台となりました。
発表会の終演後は、近所のバーに移動して打ち上げ大宴会。
いやあ、盛り上がりました。
でも、毎回のことなのですが別れは寂しいです。
二週間、毎日稽古に明け暮れた日々。とても楽しく、充実した日々でした。
幸い、このワークショップ「風姿花傳 能劇大師班」は、好評のようでして次の開催も期待できそうです。
近いうちの再会を約束して、メンバーたちとお別れしました。
香港から2026 8

「風姿花傳 能劇大師班」も大詰め。9日目を終えました。
昨日までの8日間で「船弁慶クセ」「吉野天人」「経正キリ」の3曲の仕舞を仕上げました。
参加者たちは、驚くようなペースで覚えていきます。
参加者のほとんどは役者やダンサーなので、吸収が早い。
また身体能力も高く、初心者にとっては複雑な動きもすぐ出来るようになります。
また、声も立派でローマ字で作った謡本を片手に、なかなか良い声で謡います。
謡や仕舞という能の基礎技術は、ほかの演劇や舞踊とそんなに変わらないのでしょう。
それは、毎回シンガポールの演劇学校でも思います。
最終日の10日目には簡単な発表会を致します。
どんなことになりますでしょうか。
さて、今日は能の大事なエッセンスとして、能面の体験をしました。
体験講座などで、「能面を着けてみよう」などといった能面体験はよくあります。
そんな表面的な体験では意味がありません。
既に構えもすり足もキチンと稽古しているこのワークショップの参加者なら、良い経験となることでしょう。
最初に、能面の説明をします。
種類や効果などなど。
そして、能面を着けるのあたっての心構えと作法を説明します。
「能面は、能役者の命であり魂がこもっている。神が宿るともいわれます。くれぐれも丁寧に扱ってください」
参加者は、心して能面を取り扱っています。大事な精神です。

いざ、能面を着けて実際に仕舞をやってもらいました。

この写真のように、バラバラの動きです。
お互いの動きが見えないので、四苦八苦。
それでも、体験が進むと徐々に慣れてきました。



参加者にとって、良い体験となりました。
ワークショップの初回に能のビデオを見せました。
「能役者は何気なく、飛んだり跳ねたりし、違和感なく動いている。それは、たいへんに難しいことなのですよ」
私が説明すると、皆大きくうなずいていました。
9日目の後半は、発表会のリハーサル。
それぞれ課題も見えてきたことと思います。
あと一日です。しっかり準備して本番に臨むことでしょう。
2026年01月27日
香港から2026 7

日曜日もワークショップはありません。
昨日の阮兆輝師との夕食で感銘を受け、また粤劇が観たくなりました。
ネットで検索して、高山劇場というところで粤劇公演を見つけました。
この劇場は、2年前に地元の人に連れて行っていただいた劇場です。
ちなみに2年前は、こんな劇を観ました。

2年前は、本格的な粤劇でしたが、今回は「新秀展演」という題名で推察されますが、若手の発表会です。
しかし結構人気があるようです。
夜の部開演30分前に劇場に着きましたが、1000人以上収容できる大きな劇場で、3階席しか空いていませんでした。

本格的な粤劇というよりは、粤劇の一幕(だいたい20分から30分位)を、若手が次々に発表するという上演形式です。
若手のエネルギッシュな粤劇を7演目も見ることが出来ました。
粤劇の表現の特徴は、美しい歌唱にあります。高く澄んだ声は大変耳に心地よいものでした。
また、指の表現や袖の使い方など独特の所作も多く、美しい所作につい見とれました。
先日の阮兆輝師との夕食にて粤劇の演技の特徴など伺いました。鑑賞において、たいへん参考になります。
言葉は全く分かりませんでしたが、全く退屈せずに7番見続けました。
能と同じように言葉がわからなくても、歌や舞踊を観て楽しめるのが歌舞劇の良さです。
これば対話劇だとそうはいきません。
台詞が分からないと、たぶん退屈でしょうがないでしょう。
終わった後は、カーテンコール

観客への挨拶の所作もぎこちないのが、いかにも若手という感じです。
その後、指導している先生方も舞台に上がってきました。
広東語が分かりませんが、たぶん今日の演技の講評を述べているようです。
そして優秀な役者は、表彰もされていました。


しかし、この勢ぞろいの舞台を見て何だか違和感。。。。
そうです。先生たちの服装です。
みんな、ダウンや厚手のコートを着ています。
前の記事で、香港の人はたいへんに寒がりと書きました。
実際に寒いのです。
この国には暖房というものは存在しません。
劇場内は、換気のためなのでしょうかなぜかクーラーが効いています。たぶん送風なのでしょうが、常に冷たい風が吹いています。
外の気温は15度くらいあるのでそんなに寒いわけではないのですが、むしろ室内の方が寒く感じます。
観客も皆コートを着たまま鑑賞しています。
冬でも室内の方が寒いというのが、不思議な感覚です。
以前、薄着で外出した時のことです。
バスを待っている間、思いのほか寒いのです。寒さに震えていましたが、まあ、バスに乗れば大丈夫だろうと思っていたら、バスの中の方が寒かったということがありました。
東京ではありえません。外はどんなに寒くても、電車やバスの中は暑いくらいです。
また、香港はヨーロッパ式で夜の時間を楽しむ風潮があるようです。
ヨーロッパは劇場は夜9時開演なんてざらにあります。
以前、スペインで薪能をしたときは、開演夜10時でした。
「今回の公演は、夜7時30分開演で、若手の発表会だからすぐ終わるだろうなあ。たぶん9時くらいには終わるだろうから、その後ゆっくりビールでも飲みながら夕食だ」
こんなつもりでいたら、終演はなんと11時過ぎ。
寒さと空腹にジッと耐えていました。
観客の年齢層は、おおむね能と同じ感じ。つまり、若い人もいるけどメインは年配の方。
しかし、その年配の方も、コート着たまま普通に11時まで鑑賞しています。
日本のお年寄りは、寒い中で11時まで鑑賞してくれないだろなあ。
そう思うと、香港のお年寄りは元気です。
2026年01月26日
香港から2026 6

(粤劇の巨匠・阮兆輝師とご夫人と記念撮影)
土曜日は、ワークショップはありません。
流白之間のスタッフと広東オペラ(粤劇)公演を観に行きました。

カーテンコールは撮影しても良いようです。
このブログでは、広東地方の伝統演劇のことを広東オペラと書いてきましたが、地元の人は粤劇(えつげき ユエ・ジュ)と呼んでいます。
また、中国の伝統演劇・昆劇(こんげき)や、北京近辺で演じられる京劇(きょうげき)に対して、広東地方で演じられる粤劇という呼び方がしっくりくるので、以後このブログでも粤劇と書きます。
確かに、京劇のことは英語ではPeking Opera(北京オペラ)と言いますが、日本で北京オペラと呼ぶことは無いですね。普通は京劇と呼んでいます。
粤とは、広東地方を指す言葉です。広東語は粤語と言ってます。
香港の粤劇(広東オペラ)の殿堂「戯曲中心」にある小劇場「茶館劇場」は、定員200人ほどのミニシアター。
昔の粤劇の雰囲気を再現した劇場です。

観客は、お茶と点心を楽しみながら粤劇を鑑賞します。

内容は、初心者のための粤劇講座といった感じです。
ストーリや楽器の解説が広東語と英語でなされたあと、粤劇の一部分を鑑賞するというスタイル。
全部で1時間半ほどのプログラムでした。
広東語と英語の字幕もつくので、初心者にも観光客にも分かりやすい構成です。
能と同じように、粤劇も昔の広東語を使っているので、現代の人は聞き取りにくいそうです。
ちなみに、この戯曲中心には、本格的な粤劇を上演する1000人以上収容する大劇場やホールやホールなどもある、粤劇の一大拠点です。
31日に私もここのホールで講演を致します。

さて夜は、その講演での対談のお相手・阮兆輝師家族と流白之間スタッフとのお食事会です。
水曜日の粤劇の楽屋では、衣装や冠の着け方の実演を見せていただき、たいへんにお世話になりました。
楽屋内での阮兆輝師は、威厳に溢れ周りの方々の敬意もすさまじいものがあります。
それもそのはず、阮兆輝師は日本で言えば人間国宝のような存在です。
ウィキペディアにはこうしょうかいされています。
香港の広東オペラ俳優。「天才」「万能の達人」ともよばれている。名誉勲章、芸術後続賞、銅紫紫星を受賞。いぎりす・ロンドンでエリザベス2世女王の前で南音音楽を披露した最初のアーティストでもある。現在、香港広東オペラ協会副会長を務めている。
こんな偉い方の家族との食事会です。たいへん緊張します。
いつも冗談ばかり言っている流白之間スタッフたちも、さすがに緊張しています。

私の隣にいる方が、阮兆輝師でその隣が奥様。奥様の後ろにいらっしゃるのがお嬢様とその夫。
なんと、お嬢様のMusette(ムセット)さんは、2年前の「風姿花傳 能劇大師班」の参加者でした。
奇遇なご縁です。
2年前は、きさくな女の子というイメージでした。こんな偉い方の娘だったなんて思いもよりませんでした。

広東語の通訳を間に挟んで有意義なお話をたくさんしました。
能と粤劇の違いや共通点など、いろいろなお話をさせていただきました。
阮兆輝師は、水曜日に楽屋でお目にかかった時とは違い、とてもフレンドリーでした。
日本で話題の映画「国宝」は、香港でも上演され人気が高いそうですが、阮兆輝師もご覧になったそうです。
映画の話から膨らんで、能と歌舞伎との違い、若いころのお稽古方法など、お話しさせていただきました。
夜7時から始まった夕食は、気が付くと11時を超えていました。
楽しい夕食でした。
阮兆輝師から、「阮兆輝カレンダー」をいただきました。
一番好きな写真をお選びになって、それにサインまでくださいました。

2026年01月25日
香港から2026 5

先日の21日(水)に、「錦田郷十年一届酬恩建醮」というイベントに行ってきました。
これは10年に一度、神々への奉納のため、臨時で作った竹の舞台で広東オペラを上演するイベントです。
31日に対談をさせていただく、広東オペラ界の巨匠・阮兆輝師よりお招きをうけました。
とにかく10年に一度の大きなイベントです。会場はすごい人でした。

劇場の大きさに圧倒されます。

世界最大の竹の建築としてギネス世界記録に認定されているそうです。
内部はこんな感じ。

本格的な広東オペラが上演されています。

特別に楽屋も見学させていただきました。

楽屋の仕切りも竹。

緞帳や背景の幕を吊るバトンも全て竹製です。
特別に舞台袖の特等席で鑑賞させていただきました。

長い髭の威厳のある王様が阮兆輝師です。出番を待つ佇まいにオーラがあります。

劇場の外には数々の屋台でにぎわっています。

屋台では定番のたこ焼き(日式章魚小丸子)もありました。

10年に一度の素敵な舞台に立ち会えた幸運を喜びます。
多謝。
2026年01月24日
香港から2026 4

香港での能ワークショップ「風姿花傳 能劇大師班」も、5日間が終了。
はや半分終わりました。
稽古は順調で、3曲目の「経正」は、サムライの舞だというと、興味津々。
楽しんで太刀を抜く型などやっています。
さて、上の写真に着物を着ている女性が写っています。
今回のワークショップは見事に日本文化が大好きな人たちが集まりました。
参加者の中に、日本舞踊や茶道を習っている人が多くいます。
善竹十郎・大二郎師が去年香港で行った狂言ワークショップに参加した人もいます。
他にも、日本の殺陣や居合を習っている人、日本語の先生などもいます。

3年前シンガポールの演劇学校(ITI)で指導した香港人の学生の、ヨーヨーとマンイックも参加しています。
能が大好きと言ってくれます。
再び能が学べることをたいへんに喜んでいます。
気が付いたら、参加者は自主的に持っている着物を着始めました。
ジェシカという方は若柳流日本舞踊の名取と聞いて驚きました。
香港では日本舞踊が結構流行っているそうです。
「うちの先生は少なくて、弟子は50人くらいしかいない」
などと言っています。いや、すごく多いですね。
若柳流名取も10~20人ほどいるそうです。
名取試験は、日本まで受けに行くようです。

ジェシカは着付けも習っているらしく、浴衣の畳み方を他の参加者に指導しています。
他にもメイという方は表千家の茶道師範だそうです。

綺麗に着物をたたんで風呂敷に詰める姿は、決まっています。さすがお茶の先生です。

狂言と日本舞踊を習っているキーナと、殺陣を習っているデビットは、袴を丁寧にたたみます。
稽古場では日本語が飛び交います。
ワークショップも半分終わったので、金曜日の稽古終了後、参加者達と飲みに行きました。
ワークショップは22:30までやっています。着替えてスタジオを出たらはや夜の11時。
そんなに飲み会には来ないかと思ったら、多くの方が参加しました。

シンガポールでも香港でも、お酒の席では英語で話さなければならないので、けっこう大変です。
しかし、今回は心配無用。日本語がしゃべれる人がかなりいます。
日本語で会話が始まり、日本語が分からない人は会話に入れないという不思議な現象が起こりました。
いつもは、英語の会話に入れなくて困っているのですが、今回は逆でした。
バーのオーナー(たぶん)の娘さんも、日本語を勉強していて日本が大好きだそうです。
カウンターにいた娘を呼んできて、日本語で挨拶していただきました。
オーナーからドリンクのサービスもありました。
多謝。
2026年01月23日
香港から2026 3

このところ、日本ではたいへんな寒波に見舞われていると聞いています。
日本海側では記録的な積雪だそうです。
そのすさまじい寒波は、香港にも押し寄せています。
記録的な寒さだそうです。

と言っても最高気温は14度位はあります。
しかし、私はかなり寒がりですので、結構寒く感じます。
冬用のセーターやコートなど持ってきていなかったので、薄手のモノを重ね着してなんとか過ごしています。
香港には暖房というものが存在しないので、結構寒いです。ホテル内やバスは、湿気対策のため下手すると冷房がかかっています。
今朝は10度を下回っていましたので、暖房なしだと結構寒いです。
しかし、香港の人は私に輪をかけて寒がりです。
突然、ダウンや厚手のコートにマフラー手袋で完全装備。
みんな「スキーにでも行くんですか?」って恰好をしています。
ずっと暖かい気候なので、香港人は寒さには本当に弱いようです。
でも、この寒さはすぐ終わります。来週にはまた20度超えの日々に戻ります。
何だか、香港の人たちが「寒い! 寒い!」と興奮しながら厚着しているのも、短い冬を楽しんでいるようにも見えます。
2026年01月22日
香港から2026 2

香港での能楽ワークショップ、順調に進んでいます。
このワークショップは、2週間(10日間)の能のトレーニングです。
能の謡と仕舞をみっちり稽古しています。
このワークショップを企画しているのは、ウィリアムという方が主に運営している「流白之間」という演劇スタジオです。
ウィリアムは、24年前にシンガポールの演劇学校で能を教えた学生のアンディの弟子です。
アンディから能のことをよく聞かされていたそうです。
またウィリアム自身も能と狂言を見たことがあり、学んでみたいと思ったそうです。
24年前は演劇学校の学生だったアンディは、今では香港の演劇界で大きな影響力のある人だそうです。
そのアンディが能を推薦してくれるのは、とても嬉しいことです。
シンガポールでまいた種が、このように外国で広がっていっていることを、とても嬉しく思います。

今日で4日目が終了しました。
その間に「船弁慶クセ」を仕上げ、今日でおおむね2曲目の「吉野天人」が仕上がりました。
明日は、3曲目「経正キリ」の稽古を始める予定です。
3曲目にいきなり修羅物を稽古するのはかなりハードルが高いのですが、10日間という限られた時間のワークショップなので、あえてハードなカリキュラムを組んでいます。
参加者たちは演劇の役者やダンサーなどが大半なので、とても動きがよいです。
身体能力も高く、声も立派です。
謡も仕舞も、瞬く間に覚えていきます。
シンガポールの演劇学校(ITI)でもそうなのですが、外国人だからといって特別な指導はしていません。日本人と同じように教えています。
さすがに日本語の謡本で稽古するのは難しいので、ローマ字で作ったオリジナルテキストを使用していますが。
いろんなことを教えて、「能って、面白いなあ」と思っていただければ、たいへん嬉しく思います。
2026年01月18日
香港から2026 1

今日から2週間、香港にて能の指導をします。
2年前に行った能のワークショップが好評だったので、今回また招待されました。
主催は、流白之間という演劇スタジオです。他にも様々な演劇ワークショップを行っています。
ワークショップの名前は
「風姿花傳 能劇大師班2026」
かっこいい名前です。どう読むのか分かりませんが、漢字を使っているので意味は分かります。
今回集まった参加者は16人。多くが役者やダンサーで活動している人々です。
今年はどんなワークショップとなるのでしょうか。楽しみです。
今回は、能のワークショップとは他に、広東オペラの役者との異文化対談の講演会が計画されています。
対談のお相手は、阮兆輝という方です。
80歳にして広東オペラの第一線で活躍なさっている巨匠です。
国内外数々の受賞歴があり、現在香港広東オペラ協会の副会長を務める伝説的な役者です。
日本で言えば人間国宝レベルの存在です。
そんな方と対談するなんて、身が引き締まります。

定員は瞬く間に埋まったそうです。
(火速爆満。火の速さで満員になったという意味だと思います)
これから、チョイチョイ香港での様子を書いていこうと思います。
2026年01月12日
「翁」御礼

令和8年 観世九皐会初会にて、「翁」披きました。
「翁」は、能が今の形に大成される前から存在しています。何もかも普通の能とは異なっています。
ストーリーらしいものはなく、ほぼ儀式です。
舞台上で能面を着け、演者がご神体になるのが大きな特徴です。

ご神体になるので、「翁」を演じる役者は、精進潔斎をおこなって身を清める習わしがあります。
私も一週間は精進潔斎をおこないました。
とはいうものの、そんなに厳しいものではありません。
食べるものは、四つ足の動物は食べてはいけないことになっています。
つまり、鶏肉や魚介類は食べても構いません。
また、精進部屋に籠って身を清めます。
我が家の稽古舞台のある部屋をお籠り部屋に定め、そこで寝起きしました。
一連の精進潔斎のことを総称して「別火(べっか)」などと言います。
穢れを避けるため、竈の煮炊きや暖炉の火を別の火にておこなうのですが、我が家のコンロはIHヒーターですし、暖房は電気で動くエアコンですので、別火はもはや名前だけ残っています。
でも、「翁」上演中は、楽屋に「別火」でとった火鉢が置かれていたりします。

当日は、朝風呂にて身を清め、下着や肌着は全て新しいものを身につけました。
そして開演の4時間近く前には楽屋入りです。
「翁」のときはとにかく準備が大変なのです。楽屋に「翁飾り」という祭壇がしつらえられます。

そして、開演の3時間前には、「翁膳」という食事を千歳の演者と共に別室にていただきます。
赤飯や鯛のお頭付きなど、おめでたいものを集めた食事です。これは、神の御下がりをいただくということのようです。
食べた後は、神饌なので手付かずまま、翁が終わるまで床の間にあげておきます。
「翁」の時は、囃子方や後見も、素袍(すおう)上下に侍烏帽子という最高礼装で舞台に臨みます。
そして、開演の15分前には祭壇の周りに身支度を終えた演者が集結します。
盃事神事が始まります。
演者一同、翁飾りに飾ってある洗米を口に含み、塩を身体にふり、お神酒をいただきます(といっても、ゴクゴク飲むわけではなく、口に含む程度です)。
そして、火打石で舞台と演者を清めます。
「翁」と「道成寺」の時は舞台を清めるために開演前に橋掛りで後見が火打石を切っているのを見るかと思います。あれを、楽屋では全ての演者に対して行っているのです。
そこまでやると、さすがに厳粛で神聖な気持ちになります。
幕の前に立った翁は、心中で「天下泰平・国土安穏・五穀豊穣」を唱え、ゆっくり「お幕」と発します。
こんな状態で開演するのが「翁」です。
橋掛りをゆっくり運んでいるとき、なんだか普通と違う感覚でした。
一言では言い表せないのですが・・・
「何か普通じゃない」状態で舞台に入っていきました。

今思うと、たぶん何かが降りてきていたのだと思います。
終演後、何人かのお客様から「いつもと声が違った。とても響いていた」と言われました。
実は私も、謡いながらいつもと声の響きが違う気がしていました。
何か通常ではない感じで演じていました。
「翁」の舞の部分は、無我夢中のうちにあっという間に終わりました。

ひと月前に稽古能2日前に申合と、既に二度演っているので本番はずいぶん余裕がありました。
ややこしい小鼓との絡みも落ち着いて出来ました。
何だか、物事があまりに客観的に進んでいく感じがしました。
物事が上手くいくことを「神がかる」なんて言います。
この日の私は、文字通り「神様が(身体に)かかっている」状態だったように思います。一種のトランス状態とでも言いましょうか。
こんなことは初めてです。

終わった後、しばらくは何だか「ボーっ」としてしまいました。
何もする気が起こらず、楽屋でひたすら呆然と座っていました。
「ずいぶん疲れたな」などと思いましたが、今思えば「神がかり」の状態がなかなか抜けなかったのだと思います。
その日は一日中「ボーっ」としていました。
撮影 駒井壮介
無断転載を禁じます。
2026年01月10日
「翁」 前日

いよいよ、「翁」前日となりました。
「翁」は、普通の能とは何もかも違います。
能というより、神事に近いものです。
ストーリーというものはなく、天下泰平・国土安穏・五穀豊穣を祈念する儀礼をおこなっているかの如くです。
「翁」の時は、楽屋に「翁飾り」という祭壇を飾ります。
そして出演者全員、開演15分前くらいに鏡の間に集まり、身を清めます。
塩を振り洗米を口に含み、お神酒をいただきます。火打石で身と場を清めます。
楽屋内は、何とも言えない厳粛な雰囲気に包まれます。
翁の演者は、舞台上で翁面をつけて神体となります。
それが故に、翁をつとめるものは決まった作法で精進潔斎を行います。
私は現在、まさに精進潔斎の真っただ中。
身体が清らかになっています。
明日は、清廉な気持ちで翁をつとめます。
いつも、演目にちなんだお菓子をくださる方から、このような素敵な最中をいただきました。

食べるのがもったいないですね。
2026年01月01日
謹賀新年 2026年

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
元旦に、テレビをつけたらこんな美しい初日の出が見られました。
ヘリコプターで富士山上空からの初日の出。こんな贅沢な構図があるでしょうか。
慌ててテレビ画面を写真に撮りました。
今年もいろいろありそうです。
まず、1月11日に観世九皐会初会にて「翁」を披きます。
「翁」では、能楽師は神になります。それくらい特別な演目です。
近づく舞台に、気持ちが昂ります。
また、1月下旬からの香港ワークショップや、4月の観世九皐会別会でのして「葵上 古式」など、大きな舞台が目白押しです。
今年の舞台予定
1月11日 「翁」 九皐会
4月26日 「葵上 古式」 九皐会別会
7月 4日 「井筒 物着」 桑田貴志 能まつり
8月中旬 「深川八幡祭 能奉納」
12月19日 「安達原 白頭」 緑泉会
どれも気の抜けない大曲です。
一つの舞台を、誠心誠意演じたいと思います。
1月1日は、恒例の深川七福神巡りをしました。

今年も多くの人で賑わっています。
富岡八幡宮で、人だかりが出来ていました。
近づいてみると納得。

神馬の銅像です。
普段はそのまま素通りですが、今年は午年。
縁起物です。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
2025年12月31日
御礼 2025年

激動の2025年も、いよいよ暮れようとしています。
無事に年を越せる喜びを、今年も感じます。
今年も様々なことがありました。
まず、1月から3月は恒例となっているシンガポールの演劇学校での能の指導です。
二回渡航し、合わせると5週間以上もシンガポールで能の指導をしました。
常夏のシンガポールで、7か国から集まってきた学生たちと熱く濃密な時間を過ごしました。
3月は、左膝半月板切除手術のため一週間入院しました。6月にある「道成寺」のため、思い切って手術を決断しました。
6月に向けての長い治療とリハビリの始まりです。
全身麻酔により朦朧とする意識の中で、病室の天井を見ながら、「一刻も早く舞台に復帰するんだ」と強く決意したことは忘れられません。
二ヶ月のリハビリの末、5月には能「蝉丸」で舞台復帰しました。
舞台上で、能面の穴から見える狭い視界から見所を眺めた時の感慨は、ひとしおでした。
「また、ここに戻ってこれた」
嬉しさで視界が曇ってしまいました。
6月は、「道成寺 赤頭」です。
二度目の道成寺は、完全燃焼でした。演じている時は膝の痛みは忘れ、ベストの道成寺が出来たと自負します。
8月は、深川八幡祭能奉納に、二ノ宮神輿渡御。
深川の夏は、本当にアツイ。
9月は九皐会「阿漕」。
11月は、社中のおさらい会を二週連続で静岡と東京でいたしました。
12月は緑泉会「楊貴妃」。
夏から秋にかけて本当に忙しかったです。
左膝は、まだまだ万全とは言い難いですが、順調に快復しています。
日常生活に支障は、ほとんどありません。
今年も様々な能を演じました。
5月11日 「蝉丸 九皐会
6月29日 「道成寺 赤頭」 能まつり
8月14日 「敦盛」 深川八幡祭 能奉納
9月14日 「阿漕」 九皐会
10月6日 「敦盛」 文化庁巡回公演
12月6日 「楊貴妃」 緑泉会
12月12日 「翁」 九皐会稽古能
非公開の稽古能を合わせると7番もの能を演じる機会を得ました。
どれも心に残る舞台でした。
今年終了時点で、能楽師になって以来演じた能は164番となりました。
ここ数年、毎年6~7番も演じさせていただいております。
今年も、多くの方々にお世話になりました。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。
2025年12月30日
1月観世九皐会「翁」


2026年の幕開けの、観世九皐会一月定例会にて「翁」を披きます。
ついに「翁」かあ
感慨ひとしおです。
そもそも能楽の一座は、「翁」を演じるために作られたものです。
その一座の太夫または太夫に準ずる長老が、座を代表して演じる神聖な儀礼的芸能が「翁」でした。
それが、段々とストーリーのある演劇的な能や狂言を演じるようになり、今のような能楽の公演形式になりました。
現在においても、「翁」は基本的に一門の当主が演じるものです。私のような、いち門下が演じることはなかなかありません。
ただ、九皐会門下では、師匠の計らいで門下でも演じる機会を与えられます。
能楽師として、「翁」を演じる機会を得たことを、この上なく感謝いたします。
いよいよ、上演まで2週間をきりました。
能を演じるときは、普通は一度だけリハーサル(申合)を行い、本番を迎えます。
しかし、「道成寺」や「翁」など特別な演目の時は、申合のひと月くらい前に下申合といってもう一回リハーサルを設けます。
その下申合は、12月12日に終えました。
12月6日に演じた緑泉会「楊貴妃」の直後だったので、大変でした。
(その週は、他にも能「安達原」と能「項羽」の地頭があり、大変な一週間でした)
下申合で生じた数々の課題を、消化して当日を迎えたいと思います。
2025年12月06日
「楊貴妃」御礼

緑泉会「楊貴妃」、首尾よく終わりました。
多くのお客様にお運びいただきました。この場を借りて御礼申し上げます。
「楊貴妃」は、ずっと憧れていた能です。
学生時代、今の師匠・観世喜之師が演じる楊貴妃を観て、「何と美しい能なんだろう」とポーっとしたことをよく覚えています。
当時は、後に喜之師の下に弟子入りして能楽師修業を始めるなんてことは思いもよらない頃でした。
思えば、師匠の能を始めて鑑賞したのが楊貴妃でした。
私にとって楊貴妃のイメージは、この体験です。能楽師になって以来、「いつか、あんなに綺麗な能を演じてみたい」と思い続けていました。
楊貴妃という能では、毎回装束にも趣向を凝らします。
何せ世界三大美女に挙げられる女性を演じるのですから、出で立ちからうっとりするくらい美しくなければなりません。

今回は、本来の唐織壺折りの上に、側次(そばつぎ)という袖の無い装束を重ね着しました。
側次は、中国物ではよく使用される装束です。
異国情緒溢れる出で立ちとなります。

いかにもエキゾチックな美女です。
この能は、天冠の上に立てる鳳凰の立て物をかんざしに見立てて、ワキに渡します。
舞を舞う前には再びつけますが、ワキに渡している間は、立て物がない天冠という珍しい状態となります。

この鳳凰は、後見によって手渡されます。先輩たちから真っすぐ持つのは案外難しいと聞いておりました。
写真を見ると、見事に曲がっています。
能面を着けると手元は全く見えません。手に持った感覚のみで真っすぐ持つのは、本当に難しいのです。
写真を見るまで、自分では真っすぐ持っていないことに気が付きませんでした。
この能は、いかに綺麗に気品を持って謡い、そして舞うことが出来るかが問われます。
一つ一つの所作や型を、とにかく丁寧に演じることを心掛けました。
舞も極めてゆっくり動きます。
ゆっくりとした動きでは、下半身を安定させて動かないと身体がぐらついてしまいます。
能面を着けて視界が制限され、さらに能装束を着てたいそう動きにくい状態では、早く動くよりゆっくり動く方が、身体を安定させるのは難しいものです。
自転車を乗る時をイメージしていただければ良いかと思います。
身体をふらつかせないで、ゆっくりとした速度で自転車に乗るのは、かなりたいへんかと思いますが、そんな感じです。
下半身に力を込めてすり足で運ぶと、膝にたいへんな負担がかかります。
3月に半月板損傷の手術をした左膝は、かなり良くなってきましたが、こういったゆっくりとした動きではけっこう膝にきます。
これだけゆっくりとした動きでも、何とか身体を支えられたので、膝もだいぶん回復しているのだと思います。
最後は、仙界に一人取り残される楊貴妃。

この場面は、演じていて良い気分になりました。
終演後、シーンと水を打ったように静まり返る能楽堂内を、ゆっくり幕へ帰ります。
ここで、少しでも気を抜いて弛んで動くと、今まで積み上げた「楊貴妃」の世界観が崩れます。
細心の注意を払って作り物から出て、気品を持って幕へ進みました。
静寂が場内を支配する静寂が、心地よかったです。
50を超えたおじさんである私が、絶世の美女・楊貴妃を演じることが出来るのが能という演劇のすばらしさです。
2025年11月27日
緑泉会定例会「楊貴妃」


12月6日(土)に能「楊貴妃」を演じます。この能の見どころを紹介致します。
能「楊貴妃」は世界三大美女の一人とも言われる絶世の美女・楊貴妃がシテです。能の中でも格別の気品と美しさが漂う能です。
この能は、楊貴妃の死後の物語です。寵愛する楊貴妃をなくして嘆き悲しむ玄宗皇帝の命を受け、方士という超能力者は冥界の楊貴妃に会いに行きます。蓬莱宮という美しい世界で出会った楊貴妃は、まさにこの世の者とは思えない美しさです。(実際にこの世にいないのですが)
「天にあらば願わくは比翼の鳥(翼を並べて離れずに飛ぶ鳥)とならん。地にあらば願わくは連理の枝(同じ木にて並んで立つ枝)とならん」
この漢詩は、楊貴妃と玄宗皇帝が七夕の夜に交わした愛の言葉です。この情熱的な言葉は白楽天の長恨歌に紹介され、日本でも有名であったようです。源氏物語などにも記述があります。能「楊貴妃」では、この言葉が美しく引用され、二人の大切な思い出として語られます。そして冥界にて天女となった楊貴妃は、昔を懐旧して天上界の舞楽を舞います。
究極の恋愛哀愁を描く名作と言われます。宝玉のような美文に飾られた詞章にそって舞われる絢爛なる舞が見どころです。
現行曲のうち、高貴な身分の女性を扱ったものとして「楊貴妃」「定家」(シテは式子内親王)「大原御幸」(シテは建礼門院)の三曲を「三婦人」として別格に扱っています。私は初めて三婦人物に挑みます。
三婦人物を演じるためには、高度な技術と経験が必要と言われます。美しい能「楊貴妃」の世界を作り上げるべく、精緻に演じたいと思います。
この公演では能「楊貴妃」の他、能「邯鄲」(新井麻衣子)、狂言「呼声」(大蔵教義)、仕舞と、盛りだくさんな内容となっております。
能「邯鄲」は、楊貴妃と同じく中国を舞台とした幻想的な曲趣です。ダイナミックな場面展開が見どころです。
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